駄文集


夜空が青空に

 

 景色の良い夜空。
 透き通る風。
 囁かれる人声。
 時には、この様な状況も良いと思える。
 一人で東京湾に面した公園に佇み、ぼうっと対岸に煌びやかなコンクリート群を見つめながら思考する。
 人の存在。
 生物の意味。
 人生の帰結。
 そんなことを考えてしまう。
 特に理由はなく、気がついたら車に傷が付いていたように、唐突に考えてしまう。
 何故?
 何故?
 何故?
 疑問は発掘したての石油に似たように溢れ出る。
 当然の如く、それらの回答は導き出せない。
 別段、万人に納得されるような回答を欲しているわけではない。
 個人的に理解できる、納得できる、価値を見出せる、そんな回答を欲しているだけなのに。
 分からない。
 理解できない。
 虚無感が思考を埋め尽くす。
 実は私の頭蓋には何も入っていないのではないのか、とさえ錯覚が出来るくらいに思いつけない。
 思考は、
 停止し、
 停滞し、
 混濁する。
 そして、自分が馬鹿だということを理解する。
 そんなことを考えてどうなる、と利口な私は提言する。
 馬鹿な私は、でも、と言い返せもしないのに口を開く。
 意味はない、が、思考することに意味がある、と中立な私は誰にというわけでもなくぽつりと溢す。
「もう三時間もそうしていますけど、どうかしましたか?」
 これはどの私でもない、外部からの声で、羽島由々木(はねしまゆゆこ)との初めての対面となった。
 
 
 
 時が流れ、私達は気が合ったのか、ただ端にそうだと錯覚したかったのか、話し続けた。
 彼女は私のことを聞き、私は彼女のことを聞いた。
 冷めた私は終始つまらなそうに、つまらねえ、と言っていたが、私は無視した。
 会話に没頭した。
 没頭しようとした。
 忘れようとした。
「李一(りいち)さんは知っていますか?」
 そう、彼女が無邪気に訊ねてきたのは何回目だろう。
「なんだい?」
 こう、私が返答するのも何回目だろう。
 
 
 
 気がついたら夜空が端に追いやられて、青空が空を支配する準備をしていた。
 星は太陽に遠慮し、その輝きを控え始める。
 しかし、対岸の発行を太陽に対向しようと未だ輝きを衰えていない。
 鳥は囀りを始め、木々はその青々と茂る葉を主張し、水滴を縷々と滴らせる。
 暫くして、水滴を落としているのは木々の葉だけではないことに気付く。
 私の前髪から頬の辺りで、もう一つの水液と合流し、顎に生えた無精髭からも、また、水滴が滴り落ちていた。
 利口な私も、中立な私も、馬鹿な私も、全ての私が、
 無言だった。
 掛ける言葉も、励ます言葉も、全て聞いた。
 効果としては、申し訳なさを感じる、それだけ。
 もう一度、周囲を見渡す。
 隣には、誰もいなかった。
 
 
 
 それが、私と由々木の7年間が意味する結末。
 始まり(出会い)、
 途中(思い出)、
 終わり(虚無)。
 始まりは、終わり有ってこその始まりである。
 今の私には、最高の皮肉だと思う。
 
 
 
 
第一章―始まり(出会い)
 
 
「もう三時間もそうしていますけど、どうかしましたか?」
 
 
 大学生になった時の高揚感というものは、もう既に消えてしまった三年生の夏。
 もしかしたら高揚感は消えておらず、ただ端に慣れてしまっただけなのかも知れないな。そう考えながら、明日に迫った前期末試験の勉強をする。
 勉強といっても大学受験の時とは違い、先生に指定された教科書のページをひたすら理解する為に、読んでいるだけだ。
 端的に言ってしまえば本を読んでいるだけ。大学受験を頑張っている人達にこれが勉強だ、と言ったら申し訳が立たない。
「なあ、申し訳が立たないって、何が立たないんだ?」
「クララじゃないな。彼奴は立った」
 私とは違う試験の勉強をしている友人は、いかにも興味なさそうに、そう答えた。
 実際に、友人の試験は、資料の持ち込みが許されているというものなので、私よりは本来、楽なはずなのだが、持ち込める資料はノートのみという情報を昨日私から聞いて、慌てて去年私が使ったノートを写している。
 因みに、去年私が使ったノートはサークルの備品扱いで、代々先輩達を通して引き継がれている。
 今年は私が後輩に渡したのだが、去年この授業の単位を落とした友人が借りたいというので、無理を言って後輩から一時的に返してもらった。
「あっ。誤字がある」
 友人がノートの誤字を指摘する。
「誤字じゃないよ。暗号だ」
「マジでっ!?」
「嘘」
 不平不満を垂らしながらも、彼はノート写しを継続する。
 
 
 
 それから一時間ほど、多少他愛のない雑談を交わしながら、友人はノートを写し終わり、私は教科書の内容を理解した、つもりになった。
「ていうかさ、こういうのって門外不出的なもんじゃないの?」
「どこの最強武術だよ」
 と言うより、その様なことを写し終わったあとに言う辺りが、友人のしっかりとしているところだと思った。
「んじゃあ、ノート写させてやったんだから、車。約束通り貸してくれるよな?」
 門外不出ではないが、わざわざ貸した後輩に無理を言って返してもらうに当たって、私は条件を出した。
「んー。まあ、良いけどさ。誰か乗せんの?」
「いや、最近免許取ったから、乗りたくて乗りたくて」
 そう言いながら、誰か乗せるのも良いな、と言う考えにいたり、友人を誘ってみる。
「お前も来る?」
「いや、初心者の運転ほど怖い絶叫ライドはないから、遠慮しとくわ」
 確かに、そうかも知れないが、どうせなら一人より二人、と思い、しつこく誘ってみることにする。
「いやいや、そんな運転だからこそ、大事な車に傷を付けないように、お前が助手席に乗って見張ってなきゃ」
「いや、どうせ親父のお下がりだし、傷付いてお前が弁償するくらいなら、許容範囲内」
「そんなこと言うなって。夏休み使うだろ?そんな時に俺に金がなくて修理できなかったら使えないぞ」
「いや、お前の両親に言って支払わせるから大丈夫」
「お前は鬼かっ!」
「だったら傷付けんなよ」
「いやいやいや、もし事故ったらあれですよ。息子が入院したって言うのに、更にお前が金銭を請求してくる。こんな人外なことお前に出来るのか?」
「うん、多少は心が痛むな」
「じゃあ、」
「痛むけど仕方ないよな」
「お前は人目、人科、外道種、鬼か!」
「って言うか、事故る前提で話すなよ。そんなに運転に自信がないんか?」
「いや、まあ、自信はないけど、事故るほど下手なわけでもない、と思う」
「だろ?なら大丈夫じゃん」
「そうだな」
 
 
 
 車に乗って、どこへ行こうかと考え始めてから気付く。
 友人を誘うことを後半、すっかり忘れていたことに。
「まあ、良いか」
 そう諦めつつ、友人の巧みな話術に敬服しながら、とりあえず、片側三車線の道路の端に車を止める。
 仮眠などを取っているはずもなく、もしかしたら眠くなる可能性もあるな、と思い、私は事前に買っておいたコーヒーを開けて、飲みながら、鞄の中からノートパソコンを取り出す。
 無線でインターネットに接続の出来るUSB機器を取り付け、検索サイトで【夜景】【関東】と打ち込み、エンターキーを押す。
 もう既に夕暮れ時と言うこともあり、少し車内は暗い。しかし、パソコンのスクリーンは初期ゲームボーイとは違い、暗闇でも十分な光源となり得る。そのことに技術の進歩を多少なりとも感じつつ、検索結果を見定める。
 いくつかのサイトを閲覧しながら、特にめぼしいものがないことに落胆をしつつ、次のサイトへと進む。
 十五分ほど検索をして、千葉県に東京の夜景を一望できる公園があることを知り、そこへ向かうことにする。
 運良く、と言うべきなのか、そのサイトには公園の住所も掲載されており、その住所をカーナビゲーションシステムに打ち込むだけで、最短ルートは分かった。
「一時間半、か」
 カーナビにはそう表示されており、一時間半で夜景となるのか少し不安になった。
「まだ、夕方になったばっかりだからなあ」
 
 
 
 しかし、それは杞憂であり、逆にその時、事前にトイレに行ったり、ちょっとした軽食を購入しておけば良かったと後悔したのは二時間後のことだった。
「二時間でまだ半分くらいしか来てないぞ。どういう事だ!」
 窓を閉め、冷房を効かせた車内で誰にともなく不満を述べてみる。
 尿意はそろそろ限界に達しており、今すぐにでも用を足したいほどだった。
 しかし、現在私が居る位地は、片側二車線の反対車線側。そして、時間が時間であることから、おそらく帰宅ラッシュ。
「お前はどこに帰るんだ?そんなの個人的に所有してる家庭があんのか?」
 隣車線に私と同じく止まっている四トントラックに文句を言ってみる。
 勿論、窓は閉まっているので聞こえないはず。
 しかし、問題はトラックの位地である。
 カーナビに表示されているコンビニのマークは丁度トラックの反対側。
 そして、このラッシュ。トラックの居る車線に割り込むことが、初心者である私に出来るはずもなく、尿意だけが一人歩きしそうな気さえする。
「いっそ一人歩きしてくれたら良いのに」
 呪詛のようにトラックに向けて呟く。
 そして、ふと、視線に先程開けた缶コーヒーが入る。
「いやいや、それはあかんて」
 一人で居る車内で、一瞬頭を過ぎった考えを、何故か関西弁で口に出して否定する。
「…ゴクリ」
 何も飲み込んでいないのに、口で効果音を発してみる。
「そ、そうだ!お、音楽を聴いて気を紛らわせよう!そうだ、そうしよう!」
 無意味に明るく振る舞って、コーヒー缶から意識を逸らせようとする。
 冷めた私が呆れて、溜息を吐きながら、完全に変人だな、独り言ばかり言うなんて、と言っていた。
 
 
 
 結局、目的地に着いたのは、カーナビの予想を大きく外れた四時間後だった。
 空は予想していた夕暮れ時ではなく、綺麗な星空となり、星々が自由に煌めいていた。
 途中、コンビニには寄って、軽食と飲み物を購入。その後また途中までラッシュに巻き込まれてイライラしつつも、問題なく到着できた。
「まあ、ラッシュに巻き込まれたけど、事故には巻き込まれなかっただけ良しとしよう」
 また自分に語りかけてるよ、とまたもや冷めた私は呆れる。
 馬鹿な私は、そんなことは気にせず、純粋に星空と夜景を含めた風景に感嘆の声を上げている。
 利口な私はカメラを持ってこいと言ったのに、と不満を漏らし、中立な私は何も言わない。
 暫く風景に見とれた後、光を放たない灯台のような見晴らし塔を見つけ、それを登ることにした。
 中は螺旋階段になっており、ぐるぐるとその階段を上りながら思う。
 この階段はどこへと繋がっているのだろうか、と。
 冷めた私が再度一番始めに口を開き、何哲学ぶってるんだ、ノッキング・オン・ヘブンズ・ドアーの歌詞にでも影響されたか、と皮肉を言ってくる。
 天国の扉を叩く(ノツキング・オン・ヘブンズ・ドアー)、か。
 それは大層、勇気の要ることだな、と私は思う。
 利口な私も同意する。
 馬鹿な私は理解できてないようで、自分だけ除け者にされたと勘違いし、騒ぎ始める。それを中立な私が窘める。
 序盤は永遠に続くように思えた螺旋階段の終着地点へと到達し、扉型に空けられた穴からバルコニーに似たような開けたところへと出る。
 そこからの景色を見た瞬間、全ての私が黙った。
 しかし、数分して、冷めた私は、ふん、下から見た景色と少ししか違わないじゃないか、と負け惜しみを言う。
 利口な私は、その少しでここまで違うのですね、と感想を述べ、中立な私は同意の意を表する為、肯く。
 馬鹿な私は未だ景色に夢中だ。
 本当に夢の中のような景色。
 どの私も馬鹿な私を馬鹿にすることはなかった。
 
 
 
 三時間位が経っただろうか。
 本当に何も考えず、私はそこに居た。
 明日が試験だということも、友人にどうやって、いつ車を返すかすら考えず、ただただ、そこに居た。
 こうやってずっと、ずぅっとここに居たら僕たちもこの景色の一部になれるかなぁ。馬鹿な私は他の私に問いかけた。
 成れるかも知れませんね。利口な私は笑顔でそう言う。
 成れたら良いね。中立な私はいつもの無表情でそう言う。
 成れるわけねえだろ。冷めた私は無愛想な表情でそう言う。
 しかし、皆、そう成れたら良いなと思う馬鹿な私に同意しているようだった。
 
 
 
 そこから更に二時間ほど、私は色々なことを思考した。
 その全てを、くだらねえ、と冷めた私は一蹴していたけれど、利口な私は真摯に私の思考に付き合ってくれた。
 そんな時だった。
「もう三時間もそうしていますけど、どうかしましたか?」
 そう、不意に後ろから問いただされ、振り向いた。
 それまでは自分の世界に入っていた為、足音も何も、聞こえていなかった。
「あ、いえ、その、」
「ああ、失礼しました。脅かしてしまいましたよね」
 彼女は頭を下げながらそう言った。
 確かに、吃驚しなかったわけではないが、そこまでして謝られるほどのことはされていないように思えたので、
「いいえ、大丈夫ですよ。ただ端にぼうっとしていただけです」
 そう、努めて笑顔で言った。
「そうですか。でも、ごめんなさい」
 そう言いながら彼女は顔を上げる。
 そして、この時、始めて彼女の顔を見た。
 綺麗な永い告発を夏風邪に靡かせて、小さい顔に、大きな二重瞼。あまり化粧をしていないように見えるのに、白い肌。口紅のような人工的ではない赤い唇。
 一言で表すと調った綺麗な顔で、少し視線を下方向に向けると、こちらも調った体型だった。
 エロティックな意味ではなく、純粋に綺麗。彫刻の女神のようなアーティスティックな美麗さを持っていた。
 綺麗な夜景のあとに綺麗な女性を見て、少し絶句していると、彼女は言葉を紡いだ。
「でも、三時間もここでぼうっとしているなんて、不思議な方ですね。何か悩み事でも?」
 風のような透き通る声に、耳を傾けていると、利口な私は口を開く。三時間も私達を見ていたのか。
 そう言われて、私も気付く。ここに来たのは丁度三時間ほど前。それを知っていると言うことは、少なくとも三時間以上もここに彼女が居たことになる。
 怪しいぜ、此奴。冷めた私は口を歪めながらそう言う。
「いえ、悩み事はないんですけど。この景色に当てられちゃって、色々と無意味なことを考えてました」
「そうですか。どんなことを考えていたんですか?」
 お前に言う必要があんのか。冷めた私は攻撃的だ。
「ほんとに色々です。例えば人は何で生きてるのか、とか。考えても無意味なことばかりですよ」
「生きる意味ですか。ディープですね」
 ディープじゃねえ考え事なんて、考えるだけ無意味だろ。冷めた私は何故か彼女に一句一句に食いついている。嫌いなのだろうか?
「それで、分かりました?」
「えっ?」
「生きる意味です」
「ああ。分かりませんね。結局は人それぞれの意味があって、人それぞれに意味がない。そう結論付けて次の御題に行きました」
 恥ずかしがりながらそう言って、少しだけ無理矢理笑って誤魔化した。
 しかし、彼女は真面目な顔で私が言ったことを復唱している。
「意味があって意味がない、ですか。ディープですね」
 何でもディープ付けりゃ良いって訳じゃねえぞ。またもや冷めた私は食い付いている。
「えっと、貴女は何でこんな所に?」
「羽島由々木。鳥の羽に無人島の島。由々しき事態に木々の木って書いて、羽島由々木」
 名乗られたと言うことに気付いて、私も名乗る。
「あっ、俺は木原李一です」
「リーチさんかぁ。なんか麻雀強そうですね」
 みんなそう言うね、麻雀って何?馬鹿な私が興味津々に利口な私に尋ねている。
「あ、いえ、麻雀はやったことがなくて」
 そうですかぁ、と彼女は言って、実は私もやったことないんですよ、と悪戯を内緒にする時の子供に似た表情で続けた。
「えっと、私はですねぇ、ちょっとイヤなことがあって、ここに来たんです」
 小さい頃からイヤなことがあるとここに来るんですけど、来てみたら李一さんがいて、すぐ帰ると思って待ってたんですけど、と彼女は続けた。
「そ、それはすみません。気付きませんでした」
 風景に見とれて周りを見ていなかったので、全然気付かなかった。
「いえいえ、大丈夫ですよぉ。なんか李一さん見てたら気分良くなりましたし」
 えっ?それはどういう事だろう?
 利口な私に尋ねてみるが、首を振っている。
 中立な私が久方ぶりに口を開き、彼女に利いてみるのが手っ取り早い、と助言してくれる。
「えっと、俺、なんか面白い行動してました?」
 多少、言葉を選びながら訊ねてみる。
「いえいえ、そう言う意味じゃなくて、風景を見ながら、視線を遠くに向けて、考えている李一さんが凄く不思議な雰囲気を出していて、それを見ているだけで、悩み事も何処かに飛んで行っちゃいました」
 この場合は、どう返したら良いんだろ。褒められているのかすらも分からない。
 大丈夫ですよ、謝礼の言葉を一言言っておけば、と利口な私は訳知り顔で言う。
「あ、有難う御座います」
「いえいえー。こちらこそ有難う御座いますー」
 二人して頭を下げている。
 馬鹿な奴ら、と冷めた私は気怠そうに言った。
 
 
 
 それから、一度コンビニに車で行き、飲み物とお菓子を買った後、戻ってきて、朝日が昇るまで色々なことを話した。
 偶然か必然か、彼女は私と同じ大学の同じ学部生だった。ただ、クラスが違う為、必修で同じ授業になることがなかったので、お互いを認識することもなく、今まで知り合わなかった。
 そして、どうやら彼女が言っていた『イヤなこと』とは彼氏との喧嘩を指しているのだと言うことが察せられた。
 その相談にも乗ったが、どうやら彼女の気持ちは動かないようで、別れるとのことだった。
「だって、わけ分かんないんですよ。何で他の友達と話してるだけで怒られなきゃなんないんですか」
 と熱弁したので、おそらく彼氏の考えであると思い、
「友達と言っても他の男と仲良く話してると寂しいって言うか、嫉妬しちゃうんだよ」
 とフォローしたのだが、理解できないです、と一蹴されてしまった。
「じゃあ、李一さんも彼女さんが男友達と話してたら怒りますか?」
「いや、俺は、彼女いないし」
「いたら、の話ですっ!」
 彼女の飲み物はノンアルコールだったよな、と確認したくなった。
「いたら、俺は別に何も言わないかな。一寸は嫉妬するけど」
「ですよねー」
「いや、でも、俺はあれだよ。彼女がいたら多分、彼女が本当に好きだから、彼女が幸せなら俺以外の人間と付き合っても良いって考えるからだよ」
「それはダメですっ!」
 自分の考えを即座に否定された。
「彼女は俺が絶対に幸せにしてやるっ!くらいの思いがなきゃダメですっ!」
「そうなると、男友達と話してる由々木さんを叱る彼氏さんと同じ対応になっちゃうなあ」
「それもダメですっ!」
 この様な会話もあった。
 終始、冷めた私が彼女の一言一言に食い付いていたのは言うまでもない。
 大概はRPGの町の住人と同じように同じ事を言っていて、めんどくせえ女だな、だった。
 
 
 
 そんなこんなで、早朝5時位にお開きとなり、近くにあるという彼女の実家付近まで彼女と、彼女が乗ってきた自転車を送り届け、通勤ラッシュが始まる前に車を友人宅の駐車場に置いて、家に帰った。
 三時間ほど仮眠をとり、学校へ向かって、試験を受けた後に、喫煙所でのんびりと煙草を吸っていると、メール着信を知らせる機械音がした。
 差出人欄には羽島由々木と記載されており、本文は私を喫煙所へと呼び出すものだった。
「って、もう居るし」
 そうメールに突っ込み、返信しようとしたところで、本人が現れた。
「あれ?早いですね」
「いや、メールが届く前にいたんで。と言うより、由々木さんは煙草吸うの?」
「いえ、吸いませんけど、試験期間中ってここ空いてるじゃないですか」
 確かに。通常授業期間だとここは混んでいるが、試験期間に入ると、試験を終わらせてさっさと帰る人や、試験と試験の合間に煙草を吸う時間さえも惜しんで一夜漬けにプラス数十分の知識詰め込み作業に従事する者が多い。
 よって、喫煙所は日頃と比べると格段に空いている。と言うより、午前中と言うこともあり、誰も居ない。
「で、何故俺を呼び出したんですか?」
「呼び出す前から居たくせに」
 と言う冗談は置いといて、と彼女は続け、呼び出した理由を語り始める。
「つまり、俺を新彼氏役として起用したい、と」
「はい。新彼氏が居れば旧彼氏は諦めると思いますので」
 まだ現彼氏だ、と言う突っ込みはせず、僕は訴える。
「いや、逆に面倒なことになるでしょ」
「なりません。李一さんは私の彼氏です」
 役が抜けていることは突っ込もうかな、と考えていると、男性が一人こちらに向かってきた。
「由々木、なんだこんな所に呼び出して?」
 どうやら現彼氏さんがいらしたらしい。
 それを理解して、私はその場から去ろうと立ち上がり、歩き始めると、腕を捕まれた。
「私、李一さんと付き合うことになったから」
 逃げ道を塞がれた。
 背中を向けているというのに、彼の憎悪の表情が目に浮かぶ。
「おい、あんた。本当なのか」
「本当に決まってるでしょ。何?私を疑うの?だからイヤなのが分からないの?」
 えっと、憎悪の炎に油が注がれたような気がするのですが。
「こっち向けよ、てめえ.俺に顔も向けられねえのかよ」
 あんたがてめえに変わった。
 利口な私が、もう逃げられませんねえ、とお手上げのポーズをとって苦笑している。
 馬鹿な私はもう、泣いている。
「えっと、木原李一と言います。ごめんなさい」
 とりあえず、振り返らないと殴られかねないので、振り返りながら謝る。
「李一さんは悪くないですよ。悪いのは隆二ですから」
 いや、そんなこと言って彼に油を注がないで下さい。マジで。
 そんな女ほっといて、本当のこと言っちまえよ、冷めた私がそう言う。一寸その通りにしようかな、と思ってしまう。
「こんな冴えない奴が良いのか?」
 私の顔をやっと見た彼は、率直に彼女に問い質す。
 私も漸く彼を見たので、率直に同じ事を思う。
 こんな人の良さそうなイケメンと別れるのか、と。
 正直な話、彼と彼女なら凄くお似合いだと私は思った。
 それは、確かに性格の不一致はあるかも知れない。でも、聞いた話し、彼の行動はそれほど異常と言うほどでもなく、一般的な部類に入ると思う。
 今になって昨夜の彼女の言っていたことを振り返ってみると、どうにかして彼と別れる為に口実を作ろうと、色々と難癖を付けているだけのようにさえ感じる。
 まあ、彼女が別れたいと思っている時点で、これ以上彼らの関係が発展する余地はないのだけれど。
 しかし、理由が思い付かない。
 何故、彼女は彼と別れようとしている。
「良いに決まってるでしょっ!隆二なんかより百倍もいい人なんだからっ!」
「まあ、確かに釣り合いませんよねえ」
「えっ?」
「えっ?」
 彼と彼女の両方が驚く。
 うん、驚いた顔も釣り合っていて、お似合いだな。
「だって、俺と由々木さんじゃレベルが違い過ぎますよね。無理がありますって」
 ハリウッド女優と公務員が付き合う位釣り合ってませんよ、と続ける。
 そう言いきったと同時に、彼女は焦り始める。
「えっ?いや、そんなことないですよ。私は本当に李一さんが好きで、顔とか、釣り合いとか、そんなの関係ないですよっ」
 しどろもどろになりながら、彼女は言葉を紡ぐ。はっきりと言えるのは、彼女が誰から見ても焦っていると言うこと。
 それを見て、彼は驚きながらも、私を鋭く見詰める。
「木原、だったか。お前、由々木を泣かせたら、分かってるな」
 そう言って、彼は反転して、喫煙所から去って行ってしまった。
 えっと、何故?
「李一さん!やりましたねっ!」
「いや、何が何だか分からないんだけど」
 利口な私が回答を教えてくれる。
 きっと、私達が正直に自分の落ち度を認め、それを必死に弁解している彼女を見て、愛し合っていると勘違いしたのでしょう。
 しかし、それは誤解だ、と利口な僕に反論する。
 はい、誤解です。実際には、端に私達は感想を述べて、彼女は嘘がばれないように、と弁解していただけです。でも、彼がそう信じてしまったら、そこまでです。
 彼奴も分かってたんじゃねえの。自分と別れようとしてるって。
 冷めた私が、珍しく同情しながら、吐き捨てるように言った。
「きっと、私達の愛が分かったんですよ」
「いや、テーマは愛かも知れないけど、あくまでも彼氏役、でしょ?俺」
「別に、『役』を外しても良いですよー」
 悪魔のような笑顔を向けながら、彼女はそう言った。
「いや、遠慮しときます」
 率直にそう言うと、彼女は落胆する仕草をして、そうですか、と一言だけ呟く。
「まあ、結果としてイヤな彼氏と別れられたんだから、良いじゃん?」
 もったいないと思うけど、とは続けず、言葉を飲み込む。
「そうですね。ほんとに有難う御座います」
 深々と頭を下げてお礼を言われた後、僕らは何故か喫茶店へと移動し、談笑をしてから家に帰った。