
駄文集
天上の果てにある光
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ダビデだかデイビッドだか会ったこともない聖書上の人物の呼称について熱くかたる英国かぶれの先公がその教鞭を許される様になってから約半世紀。
元々政教分離の考えから宗教学を教えないという考え方自体が間違い以外のなにものでもなかったのだが、流石に半世紀前の新興宗教の数と影響力には政府も危機感を持ったらしく、僕は今公立高校にて宗教学を学んでいる。
全く、理念自体は良きものだが、誰に文句を言えば良いのか分からないこの状況は情動を持て余している一高校生としては非常に好ましくはない。
大体、新興宗教に騙されない様に既存している宗教を教えるのもどうかと思う。
確かに金銭収集目的の新興宗教は壊滅的な大打撃を与えられ消滅したが、巨大な影響力を有する新興宗教は更に影響力を増した。
それらの巨大な宗教組織は偏見から言わせてもらえば全て元々は金銭収集目的なり政治的な影響力目的だったのだろうが、今は大きく育ちすぎてしまって対外的にも対内的にもその本心は分からないようになっている。
時折週刊雑誌にバッシング記事が載ることもあるが、それが嘘か誠かも分からないような内容が多く、熱狂的な信者でなくとも信じない者が増えて、情報に関して少しは利口に人々がなったこの御時世に新興宗教をきちんとした一つの宗教と認め、学校で教えるようにと主張する団体が少なくなくても不思議ではないだろう。
勿論、今の政府が瓦解せずに生き残った新興宗教の影響力に個々になら太刀打ちが可能であれど、連合を組まれてしまえば蝉の死よりもあっけなく、現在は国会で表面上の対外的な論議中であるこれは、今もなお半世紀以前の教育が根強く、新興宗教という多少の恐怖心を煽るには便利な素敵ワードに対する反抗精神を表す国民達に拒絶意欲を削ぐ為の対策に過ぎず、現に今では新興宗教は差別用語ではないかという議論さえ昼のワイドショーで交わされるくらいだ。
しかし、その様な世情は単なる一介の高校生である僕には授業内容が多少変化する程度のことに過ぎず、小中学生であれば受験科目内容が変わるということで憤りを感じたりもするかも知れないが、元々宗教学系の分野に進む気がオーロラの質量程もなかった僕には特筆すべき問題も人生に物語の序盤ぐらいの激変をもたらす様なこともないので、目下来年明けに訪れる受験勉強に精を出す他なかった。