
駄文集
不在の存在
瞼を開くと、草原が広がっていた。
蒼い空。
心地良い風。
身の丈ほどある草。
そのどれもが安らぎを与えてくれる。
「どう?」
僕の車椅子を押す彼女は問う。
きっと、ここに来て良かっただろう、という問いだ。
「気持ちが良いね」
「そうでしょうそうでしょう」
彼女は僕の感想に満足したのか、頷きながらそう返答した。
「でも……」
ぽっと言葉が口から出そうになる。
「でも、なに?」
僕の一言に素早く反応する。
そんな彼女に対して、僕がどう思っているのか、きっと彼女は知らないだろう。
「でも、よくこんな場所が見つけられたね」
口から出そうになった続きの代わりに、違う言葉を選出する。
「あたしも裏山の裏に、こんな所があるとは思いもしなかったよ~」
「裏山の裏って、表山になるのかな?」
「裏の裏は表だけど、裏山の裏は裏山の裏でしょう」
「裏山の裏側に住んでる人達にとっては山の表だけどね」
「なによ、唐突に。……えっと、主観の話しかな?」
「そう。何処の、誰の主観で観測するかによって、表現は変わってくるよね」
「そりゃまあ、主観ですし。主が変われば服も変わるってね」
「もしかして、朱に交われば赤くなる、って言いたい?」
「そそ、それそれ!」
「なんか違うけど、まあいいや」
「で、その主観の違いがどうしたん?」
「ん、いや、結局人間は己の主観でしか感じる事は出来ないじゃん?」
「客観性全否定ですか、まあ、確かにそうだけどさ~。人は自分以外の人間にはなれないし、そして、他人であるが故に、正確にその人が何を感じて考えているかなんて分かるわけもないんだよね~」
彼女は「それがどうかしたの?」と続ける。
まあ、彼女にとってはもう、当たり前な考え方なのだろう。
彼女も他者と同じく諦めている。
僕だってそうだ。諦めかけている。
「そう、だから客観って言う言葉はさ、理論値と同じとも言えるでしょ?」
「リロンチリロンチ……ああ、あの通信回線速度とかで使われるやつか」
「他でも使われてるけど、簡単に言うとそう」
「実際には出ないけど、理論的には出るって数字でしょ?」
「うん。ちょっと違うけど、サイコロで六回に一回は一の目がでる、みたいな感じ」
「あー、出ないよね六回振っても。あたしはそれでいつも双六でまけてしまうのだ」
「双六はおいといて、理論的に出るはずの値は、必ずとも実測できるわけじゃない」
「客観性と同じですな」
「そう。できるだけ客観的に考察しても、それが実測できるとは限らない」
「状況にもよるけど、それって観測不足で判断材料が揃ってないってのが原因じゃない?」
「うん。ただ、人が絡んでくる場合では、どんなに観察しても充足することはないと思う」
「そだね~。人が自由に行動する広場や道端を観察しても、次の瞬間に誰がどう動くかなんて分からないもんね~」
「例え、各個人の人格を把握していたとしても100%とはいかないしね」
何がきっかけで、誰かが予想外の行動をするか分かったものじゃない。
「ただ、それも各個人の主観から見たら、見れたら、話しは別だ」
「人の心が覗ける超能力ですな!」
「まあ、この場合は別に超能力に限定する必要はないんだけどね」
「他にも心を読む方法があるのん?」
「脳波とか」
「おー、科学的ですな!」
「超能力も一応、科学的という設定なんだけど」
「SFはフィクションです。実在する人物・団体とはなんら関係はありません」
「その説明の一文、略さずに言うと、サイエンス・フィクションはフィクションです、になるよ」
「ゆとり世代は二度言わないと分からんのです。それが重要なのです」
「あっそ」
「んでんで、主観を覗けるとしたら、客観性は得られるわけだ。んー、矛盾だねぇ」
「そもそも客観性自体が主観の集合体とも言えるからね。主観がなければ客観もないよ」
「観測者がいなければ存在を証明できない、ってやつですか。哲学いえーい!」
「それもまた事実だと思うよ。観測者がいないなら、それは無いのと同一だ」
だからこそ、不在の証明が難しくなる。
「例えば、誰も居ない所、居ない星で雷が起きたと証明する方法は?」
「観測者がいなければ無理ですな」
「うん。じゃあもっと簡単に、雷が起きる原理と起きない原理、どっちの方が簡単に説明できる?」
「あたしは両方とも説明できないけど、起きる原理の方が楽でしょ、きっと」
「うん。存在の証明は楽にできるけど、不在の証明ははるかに難しい」
「あるなら、あそこにありまっせ、で済むからねぇ」
「もちろんそれも、観測者が必要だ」
「あそこにあるって言う人だね」
「うん。その人が居なければ、それは無いのと同じ。だけど、その人が居ないからといって、無いわけではない」
「なぞなぞ?」
「いや、これも主観の問題だよ。Aの主観にないものが、Bの主観でも観測されていないとは限らないだろ?」
「あー、そゆこと。じゃあ、全ての主観にないものは、存在しないの?」
「全て、という言葉が難点ではあるけど、現状ではそうなるね。分かり易い例を挙げると、発見って言葉があるだろ?」
「主観に入って見えたから、発見って解釈ですな!」
「そう。見えないものは存在しない、って逆に解釈ができる言葉だよね」
「論理的ですな!」
「うん。じゃあ、逆に言うと、僕が君の事を観測できていないとすると、どうなるかな?」
「……」
風が吹き、空には雲が増えている。
静寂が訪れ、自然の音以外は何も聞こえない。
そして、いくら待っても、返答はなされる事がなかった。
僕は、観測者足り得なかったみたいだ。