
駄文集
そつがない犯行(仮)《まえがき―全てが始まる前―》
【そつが無い】手落ちがない。手抜かりがない。無駄がない。「何をさせてもそつが無い」
「それではお次の方、お入り下さい」
そう言われて、『彼』は四方を染みのない純白の壁に囲まれた部屋へと入室する。中には壁と同じく純白の横長テーブルを境界線にして、五人ほどの部屋とは対照的な黒いスーツを着た男女が座っていたが、誰もすぐには『彼』に目を向けない。扉が閉まる音と共に目の前にある書類をいったん置いて、ほぼ同じタイミングで全員が『彼』を一瞥して、また書類に視線を戻す。着席して良いのかどうか迷いながら境界線のこちら側に用意された椅子の前で立ち止まる。
「ああ、どうぞ座って下さい」
迷っていた『彼』にいち早く気付いた五人組の中心にいる人物が眼鏡を通した優しい視線と笑顔で着席を促す。
「君はうちの養成所出身だからもう知っていると思うけど、ここに居るということは、君の合格の意味しています」
中心の男が続ける。
「そして、この面接は最終審査ではなく、貴方という人物にどのような条件付けが一番適していて、他にも可能な条件付けは何だろうか、ということを確認する為のものです」
「はい」
「それではいくつか質問をしたいと思いますが、その前に緊張を解すために当社の番組の概要を、自分の言葉で説明して頂けきましょうか」
中央の男はまたも笑顔でそう言って、君はそこまで緊張していないようですけど、と続けた。
「はい。貴社の番組は、29年前に始めて放映されたいわゆる視聴者参加型で初の番組です。その内容は乗客を六人乗せた大陸横断型列車で、各乗客が『条件付け』と言われる名前や経歴を偽った様々な役割を演じさせ、ある程度の情報を視聴者に提供しつつ、その情報を基に乗客の素性を考えさせるものです。
毎日、提供した情報と合致する乗客は誰か、というのを投票形式で受け付け、その結果を次の日に表示します。ゲーム終了の条件は『条件付け』された乗客が各自、視聴者と同じようにプレイヤーとして他のプライヤーの素性を見破った時であり、例年通りですと、プレイヤーは毎晩1時間から2時間ほど他のプレイヤーに質問をすることができ、各プレイヤーはそれらの質問の中から一つだけ正直に応えなければいけません。
プレイヤーには順位があり、一位になった者には賞金が贈られます。同じく視聴者にも最終的な解答を公募し、誰が誰であるかという解答とその解答の理由付けを基に『正解』と判断されれば賞金が贈られます。
プレイヤーの順位は基本的に条件付けから外れた行為を行う度に減点され、他のプレイヤーの素性に近づく度に加点されます。これは貴社のスタッフが審査しますが、この順位はどのプレイヤーも他のプレイヤーの素性に辿り着くという途中終了条件を満たさなかった場合、又は二名以上が最低でも一人の素性に辿り着いた時に意味を成し、最終的なポイントのトータルが順位を決め、優勝を決定します。視聴者についての順位は誰が誰か、という事を多く『正解』した者であり、その年ごとに何人の素性が分かれば一位という明確な規定はありません。
そして、プレイヤーたる乗客は、大抵がデビュー前の役者の卵であったり、有名になることで利益が生まれる人間が大半でした。しかし近年、貴社の番組が世界的に有名になったことから、そのキャストたる乗客になるために試験や大手スポンサーからの推薦が必要となり、その試験も簡単なものでは多くの人が候補に挙がってしまうので、当初から世界で最も難関な試験と言われるほど難しいものであり、その難関さからまたも番組が注目を浴びることとなり、今ではキャストになるだけで、ある程度望むままの就職が可能なほどになりました。
更に、キャストになる際に必要不可欠である『条件付け』の幅を広げる為に貴社は独自の養成所を設立し、その養成所にも入所試験を設けました。この養成所は、目的が『良い番組作り』という理念の基に設立されたことから、入所者を無駄に増やすという営利的なことはせず、その入所試験も年々難しくなっております。この事からも現在では入所するだけでもそれなりの就職が可能となり、就職活動の片手間に受験する学生も増えてきました。そして、先程も言った通り養成所は『条件付け』の幅を広げる為の養成所であることから、ありとあらゆる『条件付け』が可能となるように多くの知識と演技力を4年間で育てます。その4年間が修了する前に、貴社のキャスト試験を受験し、不合格の場合は次の年に受験するか、養成所を卒業し、就職します。
こうして貴社の番組は年々発展を続け、現在ではインターネットを介しての視聴率を含めずとも、世界で唯一、そして最大の視聴率を誇る番組となっております。」
『彼』はそこまで説明し、終了を意図するように口を閉じる。
「はい、有難う御座います」
満足そうに中央の男が礼を言う。
「それでは、質疑応答に移りたいと思いますが、緊張は解れましたか?」
一応の礼儀として『彼』は首肯する。もともと緊張はあまりしていなかったし、入室した時と比べると、概要説明した後でもその緊張度は変わらない。
「もともと緊張してなかったみたいだし、君は度胸があると思いますよ。なんて言うか、本番に強いタイプですよね」
断定するように中央の男は言い「入所試験もダントツでトップだった人はやっぱり違うなあ」と続ける。
本番と試験の関係性を疑問に思いながら『彼』は社交辞令として礼を言う。
「では、質問をお願いします」
そう言って、中央の男がその眼鏡を顔ごと左端にいた女性に向けると彼女は頷いて、書類をテーブルの上に置く。
「初めまして、神子上麗(みこがみれい)と申します」
神子上がそう自己紹介をして『彼』はやっと、ここまで面接官の誰も自己紹介をしていないことに気付いた。そして、神子上だけが何故自己紹介をしたのかと言うことを考えながら彼女を見つめる。
彼女は他の四人と比べると比較的若く見え、おそらく彼女が最年少であろう。しかし、神子上という人物はその年齢を差し引いても他とは違うように『彼』には見えた。彼女の仕草には気品と知性が溢れている。それは、彼女が一般的に言われる美人というカテゴリーに分類される容姿を有しているからか、それとも違う何かなのか。その違う何かとは何なのか。『彼』は15秒くらいその様なことを考え、返答していないことに気付き、慌てて返答しようとした。
「ああ、大丈夫ですよ。自己紹介は必要ありません」
貴方のプロフィールはこちらにありますからと、彼女は続ける。にこりともしなかったが、何故か彼女が微笑んだ印象を受け、それについて『彼』は考えてしまいそうになる。
「では、最初は簡単な質問から」
そんな前置きの後、彼女は『彼』が自分を文系か理系のどちらだと自己分析をしているか訊ねた。極力思考を停止させながら、『彼』は正直に応える。
「理系だと認識しています」
「それは、理数系が得意だからですか?それとも、自分に合っているのが理数系だからですか?」
「理数系が苦ではないからです」
「えっと、それはどういう事かな?」
神子上の隣の男性が『彼』に向かって笑顔で訊ねる。
「基本的に、文系・理系というのは日本くらいしかない枠組みです。ヨーロッパ諸国では数学的と芸術的・文化的といったように区分されているようで、実際に文系科目を理系の人物がやることは当たり前で、論文という一つの事例をもってしてもそれは明らかです。なので文系・理系というのは、単に理系をやりたくない人とそれができる人という区分にするのが妥当でしょう」
神子上は隣の男にそう説明し、『彼』にも確認を取る。『彼』も大体そう思っていたので肯くが、隣の男が少し不機嫌そうに見えたので、「まあ、考え方は人それぞれでしょうけど、少なくとも私はそう思っています」と付け足した。
「つまり、条件付けは文理両方が可能ということですが、苦ではない、ということは文理のどちらかが特に好ましいというわけではない、と受けてってよろしいですね?」
『彼』は素直に頷く。実際にどちらであっても関係はない。自分ではないものを演じなければいけないのだから、文理どちらを演じることになってもそれは「貴方は今から宇宙人を演じて下さい」と言われるよりは格段に楽であると『彼』は思っていた。
「では、性格や職業面は何でも大丈夫ということで、身体的なものとしてはどうでしょうか?障害を演じるのは自分に向いていると思いますか?」
(障害といっても色々ある、何を指しているのだろう?)
視線を神子上から外して、少し考えてみる。
「全てです。どのような障害でも演じられますか?」
「えっと、身体的なものだと少し難しいかも知れません。些細なことで失敗してしまう可能性があります」
視線を外しただけで自分の意図を察した神子上に少し驚きながら、『彼』は応える。
「そういったものは仕方がないと言えましょう。実際に負っていない障害を演じるにはそれなりの期間を要しますし、咄嗟の状況には対応できないでしょう」
しかし、そういうことを訊ねているのではなく、慣れることは可能か?という意味です、と神子上は続ける。
「はい、可能だとは思います」
実際にその症状とその発生状況や、原因などの論理的な部分が理解できればできなくはない。『彼』は神子上にそう説明すると、彼女はまたにこりともしない顔で「そうですか」と言い、微笑む印象を『彼』に感じさせる。
「それでは、逆に不可能だと思える条件付けは何でしょうか?」
『彼』は考える。可能かどうかは聞かれれば分かる。しかし、不可能なこととは何だろう。あまりにも漠然としていて想像し難い。簡単なもので言えば、現実ではあり得ないことをする類の人間には成れないし、人間以外のものも無理だ。無機物にも成れないし、身体的特徴を変えるのも難しい。しかし、神子上がそんなことを聞いていないのは『彼』にも理解できている。では、何が不可能なのだろう?
1分くらい『彼』は悩んで、結局「物理的に不可能なもの以外ならば可能です」と応えた。そう応える以外になんと言ったら良かったのかという疑問を考えながら。
その解答に満足したのか神子上は「それでは私からの質問は、いまのところ以上です」と告げ、中央の男以外の三人が交互に用途不明な質問をして、最後にまた中央の男が「私達の質問は以上ですが、君は何か私達に聞きたいことはありますか?」と聞かれた。『彼』は面接の終わりを理解し、特にない旨を伝えながら退出の言葉を待つ。
(最後まで神子上以外の人は自己紹介をしなかったな。)
『彼』はその事を聞こうと一瞬思ったけれど、別に他の四人の名前も、自己紹介してくれた神子上の名前もどうでも良いと考え、この面接の後の予定を思い出そうとしていた。
「それでは、面接はこれにて終了致します。条件付け要件については本日中に決定し、明日の午後にはその内容とその条件付けに必要な養成所を紹介致しますので、そこで訓練や講習等を受けて下さい」
『彼』は了承し、退出しようとしたが、それより先に神子上を除いた四人が立ち上がり、部屋を退出していく。その光景を不思議そうに見ていると、神子上の声が室内に響いた。
「すこし待っていて頂けますか?」
(面接が終わったのに、何故待たなければいけないのだろう?)
そう思いながらも何かあるのだろうと解釈し「分かりました」と言って、椅子に座り直す。することがない『彼』は四人が退出するまで少し部屋を観察する。しかし、ここには窓もない。観察対象は神子上と机くらいだろう
窓がない理由が情報漏洩を防ぐ為だということを2秒くらいで理解し、何故マスコミは何でもかんでも報道しようとするのか、という疑問点に思考を移した。そうして『彼』は解決しては浮かび上がる疑問を考察して、解決してまた考えるということを繰り返した。大抵浮かび上がってくる疑問は前の疑問の解答、もしくはその疑問自体に多少なりとも関連していたり、単に使った言葉から連想されたものが多い。一番最初の情報漏洩からマスコミへの思考連鎖は、情報漏洩という単語から誰が情報漏洩をする?と考え、その情報漏洩はどうやって公開される?からマスコミに至った結果である。この様に暇な時間ができれば『彼』は次々と疑問を思い付いては解決、もしくは納得していく。
四人が部屋を完全に退出した頃にその疑問は、何にでも理由や法則を付けようとするのは何故だろう、という多少メタな哲学的疑問へとなっていた。
「お待たせしました」
神子上がそういって、『彼』は彼女が目の前の席に移動したことに気付いた。
「ああ、いえ、全然」
「ふふ、驚かせてしましました?」
そう言いながら彼女は足を組んだ。『彼』はまた、にこりともしない彼女の顔を見ながら何故微笑んでいる印象を受けるのか、という疑問を考え始めた。
「不思議ですか?」
何故表情は動かないのに微笑んでいる印象を受けるか、と彼女は補足する。
「いえ、たった今声のトーンと顔の影の位置からそう錯覚できるのだという風に納得できました」
「やはり貴方は頭が良いみたいですね」
彼女はまた見えない微笑みを見せる。『彼』は謙遜しようかと迷ったが、しないことにし、彼女の次の言葉を待った。
「ふふ、やはり貴方は頭が良い」
そう言って彼女は、では本題に入りましょう、と続ける。
「人間は人間を殺せます」
真剣な口調で彼女はそう言った。
(何故こんなことを?)
いきなり何の話だ、と『彼』は思いながらすぐに最後まで聞けば分かるか、という結論に行き着き、納得した。
「それは物理的に可能という意味ではありますけど、精神的にも可能なのは殺人という事例からも明らかです。それでは、何故人は人を殺すのか。分かりますか?」
『彼』が応えるより先に彼女は質問をより具体的なものへと言い換える。
「神子上さんが言った通り、殺せるからではないのですか?」
「はい、そうです。では、逆に何故殺さないのでしょう?物理的にも精神的にも可能なのに、人は人を殺さない。それは何故ですか?」
「倫理的な観点から、それはいけないことだから、という考え方があるからです」
「それは昔、国家や集落のようなコミューンで、人といういわゆる資材が基本的に何をするにあたっても必要であって、財源イコール人数という方程式が成り立っていた頃にできた考え方ですね」
「ええ、基本的に倫理という言葉は国家やグループにおいて効率的に作業をする為の規則、とも言い換えられます」
他人との人間関係で摩擦を作らなければ衝突も生まれない、衝突がなければその作業に従事できる。それが倫理だと『彼』は認識している。
「しかし、現在人口は増加の一途を辿っています。これだけ人が増えたというのにも関わらず、いまだ人員は必要なのでしょうか?」
「必要です。人が増えれば今までいなかったから難しかったことが可能になり、更に人が増えたことにより、新たな人員を必要とする案が生まれます」
「確かに、そうですね。しかし、人が増えることにより、より効率的な人員を必要としない案も生まれるでしょう。実際に分野によっては人員が縮小していく一方のものもあります。が、その逆に増大の一途を辿るのもある。こうして人員が増えてもバランス良く社会が回っているようですが、それらと同じくして、社会からあぶれた者たちも増えています。それは障害者であったり、犯罪者であったり、こう言っては失礼ですが、単なる怠け者もそうです。基本的にこれらの割合というものは統計上、人口増加によってあまり変動はなく、人がいくら増えたといって逆転するわけでもありません。しかし、例えばこれらの非生産的な者たちを一気に排除したとして、いきなり世界の同じ割合の人数が仕事を辞めると思いますか?」
「いきなり、はないでしょうね」
「では、いきなりでなくとも徐々にそうなると?」
「ええ、それが年齢による定年退職だったり、負傷によるものだったり、障害をもった新生児の誕生だったりと様々な要因はあるでしょうけど、最終的には同じです」
「そうであれば、非生産的な人間を排除し続ければ短い間でもほぼ100%の人間が生産的な存在になるということですよね?」
「そうですけど、それが人を殺していい理由にはなり得ません」
「それは結果として人口が減衰するからですか?」
「はい、最終的には人はいなくなってしまいます」
「それが悪いと?」
「いえ、人類が滅亡するのが良いか悪かは分かりません」
『彼』は残念そうに首を振る。考えてみたことはあるが、人間が有害か否かなど、何を中心に考えるかで大きく変わってしまうからだ。人は人を中心に置いてしまうから滅亡は避けなければならないという結論に至りやすいが、大局的には滅亡してもしなくてもかわらない。地球はいずれ回転を止めるし、太陽は完全燃焼してしまう。そこに人類がいようがいまいが、大差ない。
もしかしたら回転を長い間続けられるかも知れないし、太陽はもうちょっと燃え続けられるかも知れない。しかし、そうなったとしてもそうならなかった時と何が違うのだろうか。人類が叡智を得て、世界の理を理解し、宇宙の神秘に到達したとして、その先には何がある?それはきっと、基本的な事は変わらない今と同じような世界だ。人は起きて、活動して、寝て、また起きる。『彼』はそう結論付けていた。
「やはり、貴方は頭が良いですね」
神子上はまたそう言った。まるで、『彼』が今考えた事を全て理解しているような微笑みを顔に浮かべながら。
「では、私が何故貴方にこの様な質問をしているか、何故貴方にこの様な事を考えさせている理由は理解できますか?」
そう聞かれた瞬間、『彼』は頭の中で4つほどの理由を思い付いたが、全て否定する。そして、その後すぐに妥当なものを思い付く。
「今回の番組に関係している事でしょうか?」
そう言って『彼』は、彼女が今度は明らかに唇を動かして微笑んだのが見え、少し不安になる。
「関係していなければ、この様な質問に意味はありませんからね。それでは、今までの事を踏まえた上で訊ねましょう」
そう言った彼女の次の質問を『彼』はもう理解していた。
「貴方は人を殺せますか?」
予想していた問いに、『彼』こと水津斉樹は2秒ほど考えて回答を言った。