駄文集


ハイキング(※少し暗い内容です、ご注意下さい)

 

 川の流れる音を聞き流しながら私たちは進む。しかし、彼とは違い私は山路に慣れていない。時たま彼に抗議の声を上げるが、十数分も経てば彼のペースは元に戻る。休憩を提案しても彼は聞き届けてくれはしない。もう五回以上は申し出ているが、その全ての返答は「もう少しで休憩所に着くから、それまで我慢してね」だ。我慢の限界を超えているからこその抗議なのに。
 でも、それでも一応、まだ大丈夫だと思う。きっとこの限界は徒歩に慣れてない私の限界だと思うから。そう考えながら無言で進む彼の背中を追う。足下に注意を払いながら、彼に続く。
 きっと、次の角を曲がれば。きっと、次の段を上がれば。休憩所があると信じて、信じながら私は着いて行く。
「あともう少しだからね、頑張って」
 久しぶりに口を開いた彼は優しい声でそう告げる。私の限界はそれだけで少し遠退く。
 頑張ろう。そう私は口の中で呟く。
 しかし、その次の角を曲がっても。次の段を上がっても。まだ休憩所は見えてこなかった。
 もう限界!そう声を荒げようと思ったと同時に彼はまた口を開いた。
「じゃあ、休憩しようか」
 彼が振り向くので私は即座に嫌悪感を顕にした顔を変えて対応する。
「うん!」
 そう言ったものの、辺りにベンチの様な人工物は何一つない。自然の椅子ともなりそうな切り株も何もない。更によく見てみると、これ以上上へと登れそうな道も傾斜もない。
 明らかにここは頂上だった。
 その事実を私の脳が理解すると、ふつふつと怒りが煮え始める。
 途中で休憩すれば良かったのに。始めての山路に疲れてたのに。そんな苛立ちの感情が沸き起こる。
 でも、私は彼に文句を言うなんて事はない。言える筈がない。そんな些事たる事を彼に言ったところで意味なんてないからだ。
 彼には笑顔の私を見てて欲しい。
 醜い私なんて、とてもじゃないけど見せられない。
 でも、見せたとしても私を愛しててくれるよね。そう私は彼にテレパシーを送る。
「愛してるよ」
 テレパシー受信してくれた。
「私も、愛してるよ」
 そう言って、私たちは抱き合う。
 彼の温かい胸に顔を埋めて、彼はいつも通り少し力強く私を抱き締める。
 幸せって、こういう時の事を言うんだ。至福も同じ。
 だからね、私は彼が腕の力を緩めると同時に彼を強く押すの。
 吃驚した顔も素敵だな、って思いながら崖から小さくなっていく彼を笑顔で見続けるの。
 だって、彼には私の笑顔を憶えていて欲しいじゃない?