駄文集


プロローグ

 
『魔学技術を極めれば魔法に近づく。しかし決して魔法と同列にはなり得ない』
                                                                  とある名もなき悪魔(バフォメツト)
 17世紀末にトーマス・セイヴァリの魔術熱機関が発明されて以来、魔術に物理学を加えた機器の発明が盛になった。
 人は競うように魔術と知恵を融合させ、技術を高め、その技術は魔術と学問の集大成として、魔学技術と呼ばれ始める。
 その叡智とも讃えられた知識は19世紀までに、当然の帰結とも言えるくらいすんなりと、武器開発にも応用されてしまった。
 そして今では人類の知恵から産まれた武器が惜しみなく使われている。
 同じ人を殺す為に。
 
一九〇五年五月二六日(金)正午――日本海――
 露西亜(ロシア)帝国軍が誇るバルチック艦隊。それが昨日、上海に入港したとの報告がなされた。
 これにより、日本帝国軍が予想していた明日の開戦よりも、一日早い幕が開けることとなる。
 日本帝国軍は、敵国が有するバルチック艦隊に対抗する為、去年海軍大将に就任したばかりの東郷平八郎に戦艦【三笠】の指揮を任せることにした。
 そんな東郷の出航をロシア帝国に見せつけるように、天気は快晴。ただし波が高い。
 けれど、前述したような状況下で午前六時という早朝に始まったこの戦争は、現在正午にしてもう既に息切れの体を成し始めている。
 わずか六時間でなにが起こったのか。
 きっとこの現状を見た者達は、皆一様にそう思うだろう。
 しかしそれは、仕方がないと言える。
 何故なら開戦からの六時間が、この『戦争』というには少しばかり勢いの足りない『戦闘』を、作り出したわけではないからだ。
 直接的な原因は今回の開戦までの経緯にある。
 バルチック艦隊は約七ヶ月という長期間の航海を続け、先日やっと日本海へと辿り着いた。
 魔術動力の推進機関が発明されてからは海兵の多くが、半年以上に渡る海上生活を経験していない。故に上海で燃料・弾薬を補充しても、肝心な兵達が燃料切れを起こしているのだ。
 対して日本帝国軍の理由としては、事前に情報収集を入念にしてしまったことにあるといえるだろう。
 それ自体に問題はない。いや、『戦争』という数多の命を賭ける外交手段としては至極正当な準備行為だとさえいえるだろう。
 しかし入念に収集した情報を、妄信的に絶対だと信頼してしまい、ほぼ断定的に開戦は明日だと信じて準備をしてしまっていことは、やはり、あまりにも愚直すぎたのだった。
 その結果、本来三笠を始めとする艦隊に積まれるはずだった装備を先日、日露戦争の陸戦地である朝鮮半島へと多めに送ってしまった。そして、更にその不足分の武器・弾薬等の補充を担当していた武器商会が何者かの妨害を受け、消息を絶ってしまったのだ。
 故に、予定されていた三日前の物資搬入は行われず、現状戦っている戦艦には、武器や弾薬などが足りない。準備をしていたが故に、準備不足という皮肉的事態に陥ってしまった。
 これらの要因が重なり、バルチック艦隊の砲撃は、これは高波の所為でもあるが、多くが水面へと吸い込まれている。対する日本艦隊の砲撃は当たるが、その掃射数が圧倒的に少ない。
 そんな、地味な消耗戦が展開されていた。
 だが、大将艦である三笠に座する東郷平八郎は、イングランドで『東洋のネルソン』と呼ばれている有能な司令官。今まで幾度も露西亜艦隊を撃退してきた猛者である。
 彼はこの海戦を座して見ながらも、勝利を確信した笑みを浮かべていた。
 その理由は、今この場では彼しか知らない。
 しかし、彼の部下達もある程度は予想できているはず。
 東郷平八郎という人物が、たった一つのネジが外れただけで瓦解するような予定を『準備』と考えているはずがないと。
 それを証明するかのように、魔術動力の推進機関が発し、そして魔術の源でもあるエネルギー『生力(エナ)』を感知する装置で索敵をしていた乗組員の表情が変わった。
 画面を二度見して確認してからすぐに彼は、焦りと動揺をにじませながら報告する。
「大将閣下! 当艦後方に複数の船影がっ!」
 当然、彼等の来訪を事前に知らされていなかった乗組員達は、慌てふためく。
 東郷は部下を安心させるよう、のんびりと立ち上がり、余裕のある優しい口調で言葉を紡ぐ。
「全艦に伝えなさい。『其ノ艦隊、我ラニ勝利ヲモタラス者達也』と。そして彼等の乗船を許可するように」
「は……は、はいっ!!」
 通信兵は聞き返そうとして、すぐに東郷の言葉の意味を理解した。
 東郷以外の人間が同じ言葉を発していたら、通信兵は安堵することなく訊ねていただろう。
 しかし東郷は日本帝国海軍の英雄である。
 彼が大丈夫だというのであれば、それは真実であり、疑う余地などない。
 勝利を確信する嬉々とした表情で、通信兵が仕事を終えると、三笠の司令室であるこの部屋の、東郷の後ろにある扉が音もなく開かれた。
「遅れて申し訳御座いません」
 猛々しい筋肉を備えた上半身をアロハシャツで包み込み、下はジーンズという不真面目そうな風貌をした男はしかし、そんな丁寧な言葉を真面目そうに言って入室した。
「時間通りですね。……ですが、時間がないというのは仰る通り。今回は交渉なしで商品を買わせて頂きましょう」
 東郷は、自分の半分にも満たない年の若者を相手に敬語で話す。
 元々丁寧な口調を心がけている東郷だが、その男には一層の敬意を払っているようだ。
 そんな東郷の様子から、部下達は、突如現れたアロハシャツの男へと、視線と関心を寄せる。
「畏まりました。それではこちらが納品書と契約書になります」
 アロハシャツの男はそう言いながら、胸ポケットから二枚の紙を取り出して広げる。
 それを東郷の部下達も、持ち場を離れずに注視しようしているが、距離が邪魔をする。
 東郷はそれを一瞥した後、男と同じく胸ポケットから印鑑を取り出し、受領印を押す。
「お買い上げ頂き、有り難う御座います。今現在、他の艦艇にも当該商品を設置させて頂いておりますので、今しばらくお待ちを」
「ではそれまでの間、ちょっとお話でもしましょうか。介次郎(かいじろう)君」
 男は東郷に、含みを持つ言い方で名を呼ばれると、少し困ったような顔をしながら頭を掻く。
「良いですけど……部下の皆さんが私を訝しんでいるようなのですが」
 介次郎は東郷に周囲を見渡すよう促し、紹介と説明の必要性を伝える。
 けれど東郷が部下達に眼を向けた頃には、部下達は「自分の軍務に服しております」とでも言うように、司令室内の各種装置を見つめていた。
「……まあ、良いでしょう。彼は枩本介次郎。日本の五大武器商会【五つ木(イツツギ)】の序列三位である枩本商会の人間です。今回は、物資の補充を担当してもらいました」
 東郷がその説明を終える頃には、自分が担当している装置の存在を忘れたように、彼の説明を皆が一様に聞き入っていた。
 そして、学徒のように一人の部下が手を挙げる。
 それを東郷は「どうぞ」と手を差し出して、発言を許可する。
「失礼ながら、何故枩本商会から補充をしたのですか?」
 即座に部下の一人がもっともな疑問を提起する。
 序列三位の枩本商会より大きな商会はある。少なくともあと二つは。
「それは当商会の特徴故です。当商会は序列で上位二つの商会とは違い、取り扱い製品が全て純日本製です。そして今回は、西洋諸国に日本帝国の強さを証明できるまたとない機会。ここで外国製品で勝っても、日本は外国製の武器のおかげで勝てた、などと言われてしまいます」
 最後に「……と、聞いております」と介次郎は慇懃に続けてから、口を閉じた。
 その説明に東郷は「納得できましたか?」とでも問うように、視線を部下達に向ける。
 すると彼等はすぐに理解したように頷く。
 彼らの疑問点を解消できた事が分かると、東郷は再び介次郎に向き直る。だが、その顔には介次郎にとって喜ばしくない表情が浮かんでいた。
 東郷のその顔は、無邪気な子供が悪さを思い付いた表情に近いのだ。
「介次郎君。いつも通りの口調で良いのですよ?」
 その言葉だけで介次郎は東郷がなにを話したいのかを察してしまう。
 なにしろ東郷は、自身の父親の親友。介次郎が生まれた時から交流があるのだから。
 彼と介次郎の付き合いはもう二十三年にもなる。
 彼が『いつも通りの口調で』という事は、それは介次郎に海軍将校としてではなく、幼い頃に自分のおむつを替えた事がある『トーゴーおじさん』として話しがあるということだ。
 そして『トーゴーおじさん』に、商人ですらなくなった『ただの介次郎』は勝てない。
「……はあ。分かりました分かりました。降参です。俺になにをやって欲しいんですか?」
「察しが良くて助かります。……新兵器の試射実演(デモンストレーシヨン)です」
「やっぱりそれですか。俺を指名って兄貴から聞いた時からそんな予感はしてましたけど」
「君の得意属性が火ですからね。兵器の概要をお兄さんの一(はじめ)君から聞いた時、君にお願いしようと思いました。……使い方は知っていますよね?」
 東郷の問いにすぐには応えず、ぼそっと「やっぱあいつの差し金かよ」と忌々しく呟いてから、介次郎は返答する。
「俺も武器商人の端くれです。自分が売りつける商品の扱い方くらいは知ってますよ」
 介次郎は商人としての矜持を示して、司令室から出て行こうとする。
 そんな彼の背中を東郷は満足そうに眺めて、頷いていた。
 そして、彼が扉の前まで行くと「ちなみに、お父様はお元気ですか?」と東郷は訊ねるが、その問いに彼は心底嫌そうな顔を振り向かせて「知らないっすよ。あんな奴」と言い捨ててから出て行った。
 
 そこから介次郎の行動は早かった。
 まず商会の輸送艦へと戻る。そして他の艦隊へ物資を輸送している輸送艦へと連絡を取り、火の属性が得意な商会員に新兵器の試射実演(デモンストレーシヨン)をするように命令する。
 次に三笠の甲板上で、現在設置作業中の新兵器【花火玉】の下までやってきた。
「こりゃ、たんなるでっかい大砲だな!」
 介次郎は、これから自分がこの戦車本体くらいの大きさがある大砲を自分が撃つと思うと嬉しいのか、そんな感想を嬉々として口にする。
 そして彼は綺麗に磨かれた鉄の外装を叩きながら思い出す。
【花火玉】が、この大砲を指しているわけではない。
【花火玉】は、その内部に押し込まれる弾の名称だ。
 そしてこの【花火玉】は、この日露戦争の為だけに開発された兵器なのだ。
 勿論、威力が素晴らしければ今後も採用されるだろう。だが、今回日本政府から枩本商会に下された依頼は、露西亜帝国の艦隊を一掃できる広域戦術兵器を開発しろ、というものだった。
 その命令に従い、枩本商会は他商会と連携をとり、開発に力を入れた。採算を度外視し、完成後の大量生産も考えずに、だ。いわば【花火玉】はこの海戦用の特注兵器である。
 しかし特注兵器が開発工程の『試験運用』段階までこぎ着けたのは、つい先日の話しである。
 まだ碌に、試射もしていない。
「でも、こんなんでホントに大丈夫なんかね~?」
 そんな裏事情を知っている介次郎がそんな疑問を呟くと同時に、設置作業が終了した。
 商会員達に輸送戦で待機するように命じ、彼等が輸送船へと戻っていく様子を眺めていると、一人の軍人が彼の下へとやってきた。
「枩本殿。大将閣下が『物資の搬入が終わり次第、全艦隊を突撃させてから反転させる』とのことです」
「とつげきはんてん!?」
 彼が驚くのも無理はない。
 敵はほんの十数キロメートル先に居る。
 そんなところで反転し、背後を見せれば、撃って下さいと言っているようなものだ。
 勿論、介次郎は軍人にそう伝えるが、相手は聞く耳を持たない。
「その時に、他の艦隊と同時に掃射して下さい」
「反転しながらか?」
「ええ、大将閣下はそう仰っていました」
 そう言って艦内へと戻っていく軍人を見ながら、介次郎は考える。
 一度接近してからの一斉射撃。
「確かに効果的では……あるのか?」
 しかしそれは接近時に攻撃を受けない場合のみだ。
 その時に半数以上がやられてしまえば、この戦に勝つことは難しいだろう。
 下手をすれば逃げることすら危ういかも知れない。
「……この高波だ、接近したとしてもピンポイントで相手に致命傷は与えられない。けど、それはこっちも同じだろ」
 そこまで口に出していって、介次郎は気付く。
「違う。同じじゃない」
【花火玉】を使えば、命中率も高波も関係ない。
 関係があるのはできるだけ多くを巻き込む状況がつくれるか否か、だ。
「けど、文字通り乗りかかった船だ! やるっきゃねーな!」
 介次郎は東郷のギャンブルに乗ることを決意し、商会輸送船へと戻って、【花火玉】の試射実演(デモンストレーシヨン)を行う商会員達に東郷の命令を伝える。
 同時に念の為、全ての輸送船を避難させてから、すぐに甲板へ戻る。
 そして新兵器を搭載した大砲に、魔術陣が描かれた紙を貼り付けた。
「クソ親父の親友ってだけあって、凄いギャンブル思い付くもんだよ!」
 彼はそう笑顔で悪態を吐いて、いつでも魔術を発動できるように紙に手を乗せて待機することにした。
 
 しばらくして甲板に集まった砲撃手達が、真剣な面持ちで作戦の開始を待っている。
 彼等も介次郎と同じように、大砲に描かれた魔術陣に手を乗せて待機し始めた。
 そして、三笠が前進を始めた。その始動を合図として、日本帝国海軍の全艦隊が続く。
 高波に揺れていた船体が、一層激しく揺動する。
 介次郎はこの揺れの中、突撃反転しようという東郷の発想に改めて感心していた。
 常人であればこの高波の中で反転したら船体が傾き、最悪転覆してしまうのではないかと危惧をするだろう。
 けれど東郷は、この高波でも船が転覆することは、構造上あり得ないことを知っている。
 だからこそ、あの命令が下された。
 船隊は徐々に速度を増していく。
 揺れも激しくなる。
 とてもではないがこの状況で何かを狙い撃つことは不可能だ。と、介次郎は思う。
 けれどそれも、近づけば関係ない。
 介次郎は揺れる甲板の上で標的を見る。
 迎撃態勢に入っているバルチック艦隊が近づいてくる。
 数多の弾道が日本艦隊に向かっては、水面へと落ちていく。
 海面に水柱が建設され、無数の白い柱が空を支えているようにも見えた。
 そんな幻想的な風景を気にせず、介次郎は深呼吸をする。
 そして、手の下の魔方陣に集中する。
 作戦実行の時が迫る。
 あと5キロメートル。
 あと4キロ。
 あと3。
 2。
 1。
 0。
 船体が傾き、身体の重心がずれる。
 斜めになった甲板の上を、固定されていなかった荷物が転がる。
 他の艦隊も旋回を始めた。
 統率のとれた艦隊は、シンクロするように海上で横に一文字を描く。
 皆、タイミングを見定めている
「はあああああああ!!」
 三笠の砲撃手が一人、一番槍をつとめるため声を張り上げた。
 同時に他の者達も後に続く。
 すぐに文字通り爆音が、介次郎の周りを、戦場を支配する。
 音は耳を痛いほど刺激して、敵艦から上がる炎は眩い。
 五感の内、二つを奪われそうになるような状況で、しかし介次郎は目を閉じていた。
 彼は頭の中で燃えさかる炎を頭に描き始める。
 そのイメージを腕へ、
 そして手へ、
 魔術陣へと伝える。
 炎が【花火玉】へと到達した。
 すると瞬時に大砲の外装に、いくつもの赤い線が伸びる。
 まるで先端部へと競争するように。
 そして、ほぼ同時に全ての赤線が大砲の大きな口へと辿り着く。
 遅れて、先ほどまで鳴っていた大砲の発射音とは比べものにならない、内臓を揺さぶる音が鳴り響き、【花火玉】が垂直に射出された。
 甲板には重い振動が伝わる。
  距離が近いからか、バルチック艦隊から放たれた砲撃は、日本艦隊にも命中している。
 火の手が敵味方双方から上がっており、空を黒煙と橙色が支配していた。
 しかし介次郎達がいる三笠は無傷。そして他の艦艇も、火の手が上がる損傷はあるが、航行には支障がないようだ。
 全艦が沈むことなく海上にいる。奇襲砲撃は、いつの間にか終わっていた。
 介次郎は反転時の揺れに慣れたせいか、少しばかり揺れも弱くなっているように感じた。
 そして、額に浮かんでいた汗を拭い、自分が始めて汗をかいていた事に気付く。
 無事だという事実が、精神的にも余裕をつくる。
 その余裕からか、介次郎はふと空を見上げる。
 空には先ほど垂直に打ち上げられた無数の【花火玉】が赤い線を描きながら上昇していく。
 しかしそれも各艦隊からの砲撃を受け、大打撃をあたえられたバルチック艦隊から上がる炎で見え難くなり始めていた。
 だがすぐに、バルチック艦隊の頭上で降下し始めた【花火玉】が割れ、無数の火球が落ちていくのが見えた。
 まるで炎が雨のようにバルチック艦隊に襲いかかる。
 数多の火球達は、下降し、船へ、海へと到着する。
 すると炎は船体だけではなく、海をも、燃やし始める。
 それから徐々に、全てを喰らう業炎は勢いを増していく。
 海を、船体を喰らい、一つの大きな炎へと集束していった。
 十数キロ以上離れたところで介次郎が後方の状況を見た頃には、バルチック艦隊は巨人の形をした業炎に呑まれていた。
「【花火玉】は『海をも燃やす兵器』と聞いていましたが、本当だったんですね」
 いつのまにか隣に立って介次郎の肩に手を置いていた東郷が、そう呟く。
 しかしその感想は、別の意味を含んだ東郷の独り言のようにも聞こえたので、介次郎は何も言わなかった。
 その代わりに、彼もまた独り言を言うことにする。
「……ありゃ商品名を変えとかないとダメだな。花火関係ねえし」
 
 この海戦をきっかけとして、日露戦争は終戦へと向かっていくことになる。
 そして同時に、日本帝国の魔学技術と東郷平八郎の戦略が、世界中で評価され始めた瞬間でもあった。