
駄文集
プロローグ――経緯――
一九〇九年十月十七日(木)昼――ノーザンプトン州ウィーリングブラ、ハドン家邸宅――
堅いノックの音が扉の向こうへと消えていく。
「どうぞ」
重厚そうな扉の向こう側から、そんな軽快な声で許可を得ると、ここまで和服に身を包んだ青年を案内していた女中(メイド)が、扉を開いて無言で入室を促す。
分厚く高級そうな蔵書が収められた書棚が左右の壁を塞ぎ、書斎かと和装の青年は思った。
しかし部屋の中央には皮で包まれた黒い長椅子(ソファ)が同じくらい横長な重厚感のある木製の机を挟んでいることから、応接室兼書斎又は商会長室として使われている部屋のようだ。
そして、応接用の長椅子と机の先には大きな作業机と、天井まで届く大きく縦長の面積を有する窓硝子に挟まれた位置で、茶と金が混じった波状(ウェーブ)のかかった髪の青年が書類の山に頭を埋めている。
相手が作業中ではあるが、ここに招かれた青年は構わず入室する。
「失礼致します」
和装の青年、桐栖(きりす)が入室すると、波状の青年は作業中である書類の山から自身の頭を素早く引き抜いた。
「ようこそっ!いやー、本当にようこそ!」
青年は笑顔で桐栖にそう言いながら立ち上がり、デスクの前にある応接セットまで駆けるように移動する。
一方桐栖は、ここまで青年が好意的な態度をとってくるとは思っておらず、少したじろぎながらも儀礼的な言葉を述べようとする。
「この度はお会い頂き――」
「この度は本当に申し訳ありませんでしたっ!」
しかし、桐栖が面会の礼を言おうとするのを遮り、彼は先んじて謝辞を述べた。
これには、波状の髪を見せるような姿勢で停止してしまった青年の後頭部を見ながら、桐栖はかなり驚いた。
確かに、直近の件では桐栖は迷惑を被った。
だが、商人であり、そして商会の長(しかも序列世界一位の商会の)であるチャールズ・ハドンが慣例を無視して本題に入ることもそうだし(桐栖としてはどちらかというとこちらの方が驚き度は高いが)、自商会の末端が起こした不始末を真っ先に謝罪するその度量と器にも、驚愕せずにはいられない。
どんな組織でも、大きくなればその上層部は尊大になりがちだ。
末端まで管理していられるか、とでも言うような対応を桐栖は今まで何度も見てきていた(特に日本の序列第一位、同時に世界序列第五位の櫻本商会の上役はそうだった)。
それに今回の件は、英国内では新設の弱小商会が一つ迷惑を被ったくらい(正確には英国軍にも多少の迷惑はあったが、国としての危機には陥らない程度で、ハドン商会ほどの強大な商会であれば無視しても問題はない)だ。
それを、素直に実直に謝られてしまうと、桐栖も返答に窮する。
「い、いえ……」
だからあまりに予想外の謝罪に対し、桐栖はとっさにあまり気にしていないと受け取られそうな反応をしてしまう。
そして、すぐに気付く。
そのあまりにも軽率な反応に。
ここで相手の非を軽んじるような対応は、それに準じた対応になることを意味する。
利益を優先する商人としては当たり前のことだ。
親切心は利益を生まない。こと取引に関しては特に。
つまり桐栖の反応は、端的に言えば賠償額の激減を許可した意味に受け取られてしまう。
そのことに気づき、桐栖はこれが目的でチャールズがそのような行動をしてきたのかと危惧したが、当の本人はそんなことを気にした様子もなく、桐栖に謝り続ける。
「いえっ!今回の件は全面的に当商会が悪かったと聞いております。なので、この件に関して当商会は貴商会の要求に対し、全面的に同意するつもりで御座います」
「……ッ!?」
要求に対し、全面的に同意?
確かに、桐栖は無茶(分不相応)な要求をするつもりはなかったが、全面的に同意、と言われれば多くの商人は世界一の名を冠すハドン商会に自商会の傘下には入れ、くらいの無茶を言いたくなってしまうだろう。
恒久的な利益がそこに約束されるのだから。
野心を刺激するようなことを何故、彼は言うのだろうか。
「……ええと、と、とりあえず落ち着いて話しませんか?」
別段相手が取り乱しているわけではないのだが(どちらかと言えば、チャールズは真摯に平謝りをしており、桐栖の方が相手の台詞で取り乱している)、桐栖は自身の動揺を落ち着けるために、そう提案した。
「あっ!気が利かずに申し訳御座いませんでした!どうぞお座り下さい」
そう促され、桐栖はチャールズに対面するかたちで上質な長椅子の上に身をおく。
やっと後頭部以外を彼が向けてくれるようになったので、桐栖はチャールズを観察する。
緑色の瞳。
少し太めの眉と整った顔立ち。
身長は、座ってしまったから分かり難いが、桐栖と同じくらいだろうか。
年齢も(欧羅巴(ヨーロツパ)の人種は多少老けて見えるが)桐栖と同じくらいだろう(世界序列一位の商会長が同年代と言うことにも驚きだが)。
先ほどの筋の通った態度といい顔立ちといい、かなりの好青年みたいだが、桐栖は油断しない。商人というものは、大体皆が皆、好印象を与えるのだから。
好印象は利益を生むものだから。
だから、桐栖は短く息を吐き、にこにこと笑顔を絶やさないチャールズにまずは、先ほど遮られた礼を言うことにした。
そうすることで自身の心理的余裕を取り戻すことにしたのだ。
「この度はお忙しい中、お時間を取って頂き、誠にありがとうございました」
「この度粗相をしたのは当商会。貴商会の要望に便宜を図るのは当然のことで御座います」
「それなのですが、当商会に便宜を図るとは具体的にどのような意図でしょうか?」
多少冷えた言い方で、桐栖は率直に相手の考えを確認しようとする。
相手の意図を端的に捉えるとこれは桐栖にとって『大きな葛籠と小さな葛籠』に思えた。
つまり、大きな葛籠であるハドン商会の全てを欲すれば、それは内部から魑魅魍魎に巣くわれ、小さな葛籠で我慢すれば全て事なきを経て、万事解決するように桐栖には思えた。
ただ、ハドン商会の全権を握る青年は、そんな桐栖に構うことなく、ごくごく当然のことのように解答した。
「それはもう、ハドン商会の全てを差し上げる覚悟で御座います」
それは、熟したリンゴは木から落ちますよね、とでも言うかのように。
彼は、世界一の武器商会の頂点に立つ青年は、そう言った。
笑顔で、策略も疑いも屈託も未練も見せずに、そう言い切った。
「……」
度量が違う。器が違う。覚悟が違う。
なにもかもが何百の単位で段違いだった。
これが、世界一の武器商会を率いる男、か。
桐栖は、自分が彼のようには到底成れないと確信し、分相応な請求をすることにした。
小さな葛籠が、今の自身には相応だと判断した。
それは、彼には勝てない。そう感じさせられたからだ。
いや、勝ち負けではない。
そもそも勝負にならないのだ。同じ土俵に指先を引っかけることすらできない。
そう桐栖は直感的に、考える暇もなく、確信させられた。
「では、こちらで作成させて頂きました請求書をご確認下さい」
桐栖は前もって用意していた請求書(三つのうちの一つで、正当な額を請求しているもの)を差し出した。
チャールズはそれを見ることもなく、胸から万年筆を取り出し署名(サイン)すると、手鐘(ベル)を鳴らし、先ほど桐栖をここまで案内した女中にその紙を渡した。
「か、確認もせずにっ!……よろしいのですか?」
そうすると分かっていても、桐栖は問わずにはいられなかった。
「こちらは全面的に同意すると申し上げました。であれば、確認は不要でしょう?」
チャールズは使いの者に請求書を渡しながら、当たり前のように応えた。
「それはそうですが、今回の一件は貴商会の末端商人が起こしたこと、それなのに――」
「末端であろうと上級商人であろうと、当商会の商人であることには変わりはありません。当商会はそのように各商人が認識するよう義務づけておりますし、同時に、各商人が国家繁栄の為に尽くすことも義務づけております」
笑顔と軽快な声は変わらないのに、ひどく冷たく感じる言葉を彼は続ける。
「その上で、当商会の商人がその大原則に背くことをしたのであれば、当商会はいつ何時でも他商会の傘下となりましょう」
大原則に背いた時点で当商会の存在意義はないのですから、チャールズが同意を求めるようにそう言ったので、桐栖は否定してしまう。
なんとなく、自分は今、試されていると感じたのだ。
「いえ、それはいささか傲慢が過ぎるかと」
「……それはどのような意味でしょうか?」
チャールズは興味深そうに先を促す。
「英国繁栄という目的が成せないなら衰退も厭わない。これは間違っているとぼくは感じます」
確かに、衰退することを恐れずに邁進するのと失敗を恐れて日々努力するのでは、進歩の度合いと速度は違ってくる。
後者に衰退はないが、期間を長く必要とし、その長い期間の中で組織内部が腐りやすい。
日々の努力が、日々の最低作業量(ノルマ)と化し、最低限のみを行う組織となってしまう。
そうなってしまえば、進歩の速度は減衰の一途だ。
いずれは足踏みと同速になるだろう。
進歩も繁栄も遠退く。
場合によっては、自主的に衰退してしまう最悪な事態だって起こり得る。
こうなったら進歩は負(マイナス)の方向に加速してしまう。
対して衰退を恐れずに邁進するのも、また危険だ。
どれだけ進歩しても、今回のような(ハドン商会にとっては)小さな失敗(ミス)で他国にその進歩を丸ごと奪われるようでは、進歩がそのまま自分達(英国民)に対して悪用される。
世界一位の武器商会の所属が国家を転々とする悪影響は、英国だけではなく、世界全ての衰退になりかねないのだから。
「ですから、今回のみたいに試すような取引は、ぼくは気にくわないのです」
そこまで桐栖が説明すると、チャールズはしばし驚いた顔をして、膝を叩いて大声で笑い始める。まるで、同年代の青年が楽しい冗談(ジヨーク)を言ったかのように。
彼には桐栖が説明した内容よりも、『気にくわない』の一言が大変面白く感じられた。
親から引き継いで、まだ商人としては幼いとはいえ、チャールズも商人としては一流。
彼を前にして、論理的な説明の後に感情論で締める者は今まで誰一人としていなかった。
それは確かに、他の商人が客観的に見れば、桐栖自身がまだ商人として未熟だからだと判断するだろう。だが、チャールズはそう思わなかった。
きっと桐栖は一流の商人になっても同じように締めただろう、とチャールズは感じた。
桐栖は感情論で締めることで、反論を受け付けないという意思表示を論理的に判断し、実行したのだ。ただ単に締めの部分で感情的になったのではない。
単純に『間違っている』と相手に伝えるためだけに、その言葉を選んだのだ。
「あーはっはっは!ごほん……いや、失礼致しました」
目尻の笑い涙を人差し指で拭いながら、彼は笑いの理由を述べる。
「貴男のことは事前に調べていたのですが、予想以上だったもので」
「予想以上……ですか?」
「ええ、予想以上に気に入りました。是非、今後とも当商会……いえ、私と御贔屓にして頂けると嬉しいです」
「チャールズさんとですか?」
個人に限る理由が分からず、思わず桐栖は聞き返してしまう。
「ええ、平たくいうと……」
世界一の武器商会を率いる青年はこう続けた。
「私……いや、俺とお友達になって下さい」
桐栖は驚きながらも、一時的に商人ではなくなった青年の、その実直な願いを受け入れて、笑顔で返答する。
「かしこまりました。では、まずは取引(ディール)から始めましょう」
十一月二十日(月)夕刻――カフェ・ランニングドッグス(走狗堂)――
「はー」
走狗堂のテラス席にて、いつも通りの場所でいつも通り異質な淡色(パステル)(青)の紳士服(スーツ)を着た赤金髪(ストロベリーブロンド)の青年が盛大な溜め息を吐く。
そして、周囲十米(メートル)にいる一般市民もいつもどおり、淡色二人組(パステルコンビ)を警戒しつつも平穏な日常を楽しもうとしていた(しかし、淡色二人組がここに来るようになって二ヶ月も経っていることから察するに、周囲の店に来ている客達は、実は淡色二人組という問題児達がいる状況という若干のスリルを楽しんでいるのかも知れない)。
「辛気くさいですわね。少しはしゃんとしなさいな」
同じく淡色婦人服(ドレス)(橙(オレンジ))に身を包み、長く濃い茶色の髪を三つに編んだ少女が、八人掛けの机(テーブル)に突っ伏した淡色少年、マットを注意する。
しかし、自分の方を見ずに放たれたその叱責に、マットは態度を改めず反論をする。
「マリー、そんなに周辺を気にしても今日はもう、桐栖達はこないと思うよ」
「桐栖さんが来なくても関係ありませんわ」
「桐栖がこないと、ナターシャも来ないでしょ」
「では、イリアさんが来るかも知れないでしょう?」
「それも確率は低いと思うよ」
確かに、ナターシャよりは自由奔放で行動の読めないイリアの方が来る確率は高いな、と思いつつも、そう断言する。
「じゃあ、私(わたくし)はここでなにをしていますのっ!?」
「知らないよ」
「無責任ですわねっ!」
まず自分の行動に責任を負ってくれとマットは思うが、徒労に終わることは言わない。
代わりにと言うわけではないが、彼は自身がここにいる理由を言おうと決意する。
「じゃあ、俺の悩みを聞いてくれるかな?」
「いやですわ、めんどくさい」
「……」
本当に、君はなんでここにいるんだい?
そんな言葉が喉から出かかる。
「まあ、そんなこと言わずに」
正直、マリーに相談するより桐栖に相談したかったのだが、期日もあるし、そこまで悠長なことは言ってられない。
「えー」
それこそえーと言いたくなるが、マリーは一応聞いてくれるみたいなので、本題に入る。
「ぼくの実家なんだけどね」
「ZZZ」
「寝ないでよっ!」
「はっ!私寝てました?構いません、続けて下さいな」
「構うよ!せめて起きた状態で聞いてよ!」
「私は寝ていても起きていても同じ反応しかできませんわよ?」
「なんで!?……ああ、どっちの状態でも人の話しなんて聞いてないからか」
「失礼なっ!……けれど、概ね正解ですわ」
「はー」
「はー、ですわ」
二人で通りの端に見える夕焼けに向けて、溜め息を吐く。
マットは、マリーが溜め息を吐くことが理解できないが、マリーだから、と多少強引に納得したことにする。
「おっふたりさっん!どっおっしったーの?」
「ジャックポットですわっ!」
「わっ!」
突然、机の下から現れた赤い長髪(ポニーテール)の巨乳少女に一淡色は驚き、もう一淡色は喜んだ。
そしてそれと同時に、マットの口調がいつものものに戻ってしまった。
「い、イリアはどうして、こ、ここにいるの?」
「ひっまーっだっから?」
「お暇なんですね!私と遊びましょうっ!」
「いっよー!なっにすっるー?」
「……」
イリアの快諾と共に、マリーは悩み始める。
一体彼女はイリアやナターシャと会った時に、なにをして遊ぶつもりだったんだろう。
そんなことを考えながら、マットは一つの名案を思い付く。
イリアに自身が抱えている問題を相談すれば、彼女を通して桐栖に伝わり、適切な助言(アドバイス)をもらえるのではないか、と。
思い付くが速く、彼は口を開く。
「い、イリアッ!」
「なっにー?」
「そ、相談があるんだけど、い、良いかな?」
「いっよー」
イリアの快諾率、現時点で十割(100%)である。
そのことに若干の不安を抱きつつも、マットは相談事を蕩々と語る。
途中、マリーの「なにも思い付きませんわっ!」という大声による妨害はあったものの、マットは無事問題の概要を伝えられた。
「……と、と言うことなんだけど」
「さっぱり分かりませんわ」
君はなにも聞いていないだろうと突っ込むのも億劫で、マットは彼女を無視する。
「んー……つっまりー、マットンのあっにーさんっがー死んっじゃってー実家ーにもどっらなっきゃーめっよー!ってこっとー?」
かなり簡略化されたが、大きく間違ってはいないので同意する。
「もっんだいーは、どっこ?」
「も、問題はね。お、俺が親族の人達から疎まれているのと、じ、実家を継ぐはずだった兄さんが亡くなってしまったから、お、俺が継ぐことになるかもってところかな」
「実家を継ぐなんて、家の存続に必要かつ名誉なことじゃないですの」
それのどこが問題なんだとマリーは続ける(マットは彼女が聞いていたことに驚いた)。
「そ、それ自体は、ま、まあ良いよ。た、ただ、実家を継ぐってことになると、も、もうここに入られなくなってしまうし、に、兄さんの婚約者との結婚もしなきゃいけなくなる」
「疎まれていた実家に居場所ができ、伴侶まで得られるなんて幸せなことじゃないですの」
「うっんー、わったしーもーそっうおっもーうーよ?」
「い、居場所がで、できるなら、ね」
「どういうことですの?」
「と、父さんは、た、たぶん俺のことなんて結婚相手と縁戚関係を結ぶだけの、ど、道具にしか思っていないと思うよ」
「ひっさーんっだっねー」
イリアの言い方だといまいち悲惨の悲の字も感じられない。
「き、きっと、お、俺が実家に戻っても俺は幽閉されるなりされて、じ、自由を奪われる」
実際に、幼少の時から良くしてくれていた、執事のセバスチャン・ホワイトリーは、そう心配して連絡をくれたのだ。
だから、どうにかしなきゃと思い立ったのだが、実家に帰る二十九日までもう四日しかないこの時期までなにも思い付かなかった。
そして、頼みの綱にしていた桐栖もここにはいない。
だが、その綱も、イリアという細い糸で繋がっている。
そう信じて、マットは相談をした。
けれど、意外なことに、イリアという細い糸よりも頑丈な綱が、声を大にして言った。
「であれば、私と婚約していることにすればいいですわ」
「……へ?」
「……おっめでとー?」
マリーの唐突な申し出に、イリアとマットは意図が分からず、唖然とする。
「ですからっ!私と婚約していることにすれば、全て解決するんじゃありませんこと?」
「……そ、そんなわけ――」
そこまで言いかけて、マットはマリーの背景(バツクグラウンド)を思い出す。
マリー・ウッドストック、倫敦・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)で経済・経営学を学ぶ一年生にして、同級生。
そんな表向きの背景(プロフィール)では、マットの問題はなにも解決しない。
当然、マリーもそれを分かっている。
「で、でも、い、良いのかい?」
「良いから、提案したのですわ」
それに、と濃い茶髪を翻し、尊大に彼女は続けた。
「それに、カンブリア家と繋がっておくのも、今後に役立ちそうな気がしますしね」
と、マリーはマット・カンブリーの本当の家の名前を言った。
マフユー・カンブリア。
メアリー・ウッドヴィル。
この二人の不思議な関係は、確かに偶然な出会いからだった。
ただ、日本に『類は友を呼ぶ』という言葉があるように彼と彼女が出会ったのは、偶然ではなく、(同じく淡色の衣服を好んで着る、という以外の意味で)必然だったのかも知れない。
そう、マットは心の中で感じた。
そして、気付く。
「あっ!あ、あの、イ、イリア――」
「知ってったーよー?キッングーでクッイーンなマッリーのこっとー」
「えっ!?」
「ええ、だってクリスさんが私のことを調べている時に、うちの女中(メイド)長が『独断で』資料をお渡し致しましたもの」
忌々しく、独断を強調するマリーだが、そこよりも桐栖が知っていることをイリアに伝えていたことにマットは驚いた。
メアリー・ウッドヴィルが英国王家に連なる血筋であることは、当然ながら王室内だけではなく、機密中の機密だ。禁忌(タブー)と言い換えても良いくらいに。
それを、つい先日部下になったばかりのイリアに。
それも、部下になる前は敵だったイリアに伝えてあるなんて。
桐栖にも考えはあるのだろうが、軽率な感は否めなかった。
しかもイリアは、元々は露西亜帝国軍所属の諜報部隊員だ。
わけが分からない突飛な性格は、さておくとしても(マットとしてはさておけないどころか、心が落ち着けないが)、機密は密されてこその機密。
人の口に戸は立てられないが、中になにもなければ戸を立てる必要すらない。
それが分からない桐栖ではないはずだ。
だが、それもメアリー本人からの説明で理解できた。
「それに、先日私からも、直接教えましたし」
「えっ!!」
「おっしえーてもっらいまっしたー!」
倫敦市内にある美味しい料理店を教えてもらったかのような軽さで肯定するイリアと、初等教育で教わるレベルの常識をわざわざ言ったかのような態度のマリーを交互に見ながら、マットは驚く。
「えっ!で、でも」
「なにを驚いていらっしゃいますの?貴男にも伝えたのですから、イリアさんに教えない理由もないでしょうに」
さも、当然のようにマリーは言った。
確かに、マットに教えたのであれば、もう既に知っている上司を持つイリアに伝えない理由はあまりないという見方もできるだろう。
そうなるとイリアが知っていても不思議はなく、むしろマットが知っていることの方がおかしい。
マットは、カンブリア家という貴族で、今もなお政治力のある家系の出とはいえ、その家でつまはじきにされている人間だ。
下手をすれば、いや当然の如く一般人より身分が低いくらいだ。
そんな彼に伝える方がおかしい。
勿論、伝えられなければマットもマリーに自分がカンブリア家の出であることは伝えなかっただろうが、マリーにとってマットの本名(実家)がなんであるかなどという情報に価値はなく、決して等価と言える情報交換ではなかった。
ともすれば、マットが知っているのであればイリアが知っているのはおかしくない?
「い、いやいやいや」
マットは納得しかけた思考を止めて否定する。
イリアとマットの背景は、違いすぎる。
それは憂慮すべき、と、些末な、くらい違いがある危険度の差だ。
特に現在は、軍事力争いが水面下ではあるがこの欧羅巴全土で行われており、市井では近々大きな戦争が起こりそうだとまことしやかに囁かれている時代。
軍事力とは直接関係がないとは言え、国内の機密を国外に漏らしてしまいそうな懸念事項は少ない方が良いに決まっている。
そのことを説明しようと、マットは口を開くが、それを意外な人物から遮られる。
異様な雰囲気を纏いながら、しかし、真摯に。
「マットの懸念していることは分かるよ。でも、私は友達を優先するよ」
イリアの発する威圧感で、周囲の店で優雅に楽しんでいた客達(走狗堂にはいつも通りマット達しかいない)とマットは動揺するが、けれど、その真摯さは伝わったようでイリアが「とっつぜっんーごっめっんねー」と雰囲気と口調を元に戻して謝った頃には、マットもその言葉の意味を理解した。
「イ、イリア……ご、ごめん」
友達を優先する。
イリアは、何より友達を優先するか、は言わなかったが、その言葉だけでマットは今まで普通に(口調以外は)付き合ってきたイリアに対し、猜疑心を抱いていたことを恥じた。
彼女の背景は、今や彼女に対して意味を成していない。
今もまだ、背景にとらわれている自分とは違うのだ。
マットはそれを理解し、再度謝罪の言葉を口にした。
「ご、ごめん」
「まったくですわっ!」
そして、何故かマリーに怒られた。
「私の可愛いイリアさんが信じられないだなんてっ!」
「ま、マリーのじゃないと思う」
「ちっがうっねー」
「まあっ!世界の可愛い子は全て私の、ですわっ!」
「ま、マリーのじゃないと思う」
「ちっがうっねー」
「ふふふ、そう、貴女方がそう言うのであれば、私が支配してみようじゃありませんかっ!世界のありとあらゆる可愛い子達をっ!」
「に、人間、ぶ、分不相応な野心を持つのは、き、危険だよ」
「そっーだっよー」
「ならば、不可能を可能にしてみせましょうっ!」
「む、無理無理」
「むっりー」
イリアとマット、二人でマリーを否定し続け、約一時間の時間を要したが、マリーは納得(?)してくれたようで、世の美少女を支配するという偉大(?)な野望はくじかれたのだった。
最後のマリーの言葉が「今はまだ私の力が足りないのですね」という、ある種不安な納得の仕方だったが、こうしてその日は夜が更けていった。
マットの問題をどう解決するのか、その解を出さずに。
十一月二十六日(火)夕方六時頃――カムデン、フリーマーケットの一テント内――
平日の閑散としたフリーマーケットの隅にある、小さなテントの中には筋肉をアロハシャツに包まれた男と、モデルのような体型を女性には珍しい紳士服(スーツ)で着飾る情報屋がいた。
一見すると、ごろつきがハットとサングラスまで着用し、変装した高貴な女性と密会しているようにも見えるが、どちらかというと、変装した高貴な女性をごろつきが恫喝しようとしているという見方が多数票を得られるだろう。
それは、筋肉アロハ(別名、枩本介次郎(まつもとかいじろう))が苛立った表情を高貴な女性(通称&偽名、アーサー)に向けていたからだった。
「つってーと、英国内全部の情報を熟知していると豪語する凄腕の情報屋さんでも、五年前の物資強奪の犯人は分からないってーのか」
「それは、いわば宣伝用、まあキャッチコピーのようなものですからね」
それにその物資強奪は日本国内で行われた事件でしょう、とアーサーが続けると、アロハ筋肉(外殻順)はいっそう不機嫌そうになる。
「ちっ」
「とはいえ、まったく分からないわけではありませんが」
「っ!本当かっ!」
「ええ。介次郎様が日本から遙々ユーラシア大陸を渡りながらされた調査情報をもとに、この英国まで辿り着いたのであれば、おそらく」
アーサーのその言葉に、巨漢筋肉アロハ(特徴順)は安堵し、険しい顔を改める。
「ほんと頼むぜ。いろんな国に行って、五年もかけてやっと掴んだんだからよー」
「はい。介次郎様の情報を無駄には致しません」
そう営業的な台詞を言ってアーサーは犯人特定のため、洋装筋肉(和風)に詳しい情報の開示を求めた。
「日露戦争の最後の海戦直前に、補給物資が強奪されたって話しはしたと思うんだがよ」
「ええ、確か……日本で一位、世界的には五位に位置する櫻本商会に依頼していた物資の件でしたね」
「ああ、んで、その物資が海戦前日に強奪された」
「正確には、当初予測されていた海戦の日より二日前……ロシア帝国の進軍が速く、一日戦闘が前倒しになってしまったのでしたね」
英国内のことじゃねーのに詳しいな、とアロハマッチョ(洋風)は思いつつ同意して、続ける。
「んで、結局依頼は受けていたものの、まさか本当に使うとは思っていなかった新兵器をうちの商会、っつーか俺だな。が東郷のおっさんに届けて、戦闘は日本の勝利で無事終了」
「その勝利により、東郷平八郎と日本帝国軍が世界的にも有名となる」
まるで教科書をそらんじるかのように、アーサーは締めくくる。
そして、ガラシャツマッチョ(和洋折衷)は本題に移る。
「戦闘前後はそれどころじゃねーから、それはそれで良かったんだけどよ。とはいえ、物資強奪ってのは重罪だ」
しかも、結果的に勝ったとは言え、戦局を左右しかねない状況下でだ、とアロマッ(洋風略称)は続ける。
「だから、東郷のおっさんは俺に調査を依頼してきやがった」
「物資強奪犯の特定、ですね」
「ああ……いや、ちょっと違うな」
「と言いますと?」
「正確には、物資強奪の理由だ」
「誰(Who)がではなく何故(Why)ですか……慧眼ですね」
「すぐに分かりやがって、むかつくな……依頼された時、俺は全然分かんなかったぜ」
「誰が、だけでは今後の対策ができませんからね。できるのは起こったことに対する罰則の適応のみです。何故か、まで分かれば防止することも可能です」
「ふん、やっぱ頭の良いやつは考え方が違うね。俺にゃ分かんねーぜ」
「と言いつつ、介次郎様もすぐに理解されたのでは?」
「……まあ、調査している途中でな」
実際、実行犯の特定はすぐにできた。一ヶ月と経たずに洋筋(和風略称)は犯人達を締め上げ(物理的にも精神的にも)、東郷へと連れて行った。
「そしたらあのクソおっさん、『ありがとうございます。調査の方は順調ですか?』だと」
「実行犯確保ではなく、調査を依頼していたから当然とはいえ、少し皮肉が過ぎますね」
「だろ?……まあ、その言葉で俺も理解できたんだがよ」
「そこで憤慨せずに気付けた介次郎様も人間ができていらっしゃいますね」
「ん?いや、実際怒髪天を突く勢いだったぜ」
ただ、東郷のおっさんに敵わないってのはガキん頃から文字通り痛いほど分かってるからなんもできなかっただけだ、と筋肉の口は(当然だが、人間である以上口も筋肉でできているので、正確には筋肉が)説明した。
「ともあれ、そこで理解した介次郎様は調査を続行したわけですね」
「ああ。……まずは実行犯どもに依頼をした奴を探しに香港まで行って、次はそいつに依頼をした奴がいる印度、んでそいつに依頼したした奴がいる伊太利亜ってな感じで世界中を駆けずり回ったさ」
苦笑混じりでアロハの口は(当然だが、シャツに袖口以外の口はないので、正確にはアロハを着た筋肉が)経緯を説明する。
「世界規模の伝言ゲーム(チヤイニーズウィスパー)ですか。手が込んでいますね」
「手が込んでるどころじゃねーよ。ギュウギュウなくれー込みすぎだ」
「対国家としての妨害工作であれば、妥当とも言えますが、当時は日本が露西亜に勝てると思っていた国は少ないことを考慮すると用心しすぎな感は否めないですね」
「あー、露西亜に勝つまで日本は極東の取るに足らない島国だったはずだ。なのに、ここまで手の込んだことをするなんてちょっと考えられねー」
「諜報活動を入念に行い、その情報を正しく分析できる有能な将校がいたのであれば納得ができなくもありませんが、それにしてもそこまで壮大な伝言ならぬ依頼の連鎖であれば、当初の依頼額も相当なものでしょう」
依頼に次ぐ依頼である場合、当然各依頼者は中抜きを得ることになる。
依頼に次ぐ依頼とは、中抜きに次ぐ中抜きをも意味するのだ。
最初の依頼が膨大な額だったとすると最終的に実行者達が受け取る額が少なくなる。
だが、当然そのような一国家の国軍から物資を強奪するという危険な行為をするにあたってお小遣い程度の額で依頼を受託する者が有能とは思えないし、有能な者はその程度の額で依頼は受けないだろう。
とはいえ、安価で無能な者に依頼をしても失敗する可能性が高くなる。
そうなると、必然的に最初の額が莫大なものにならざらるを得ない。
特に、アーサーが聞いた限りだと、中抜きの数は優に百を超えている。
であれば、当初の予算は先進国の年間国家予算に匹敵しかねない額になりそうだ。
となると、相手は国家?
しかも先進国で経済力が高い国。
しかし、そのようなアーサーの考えをアロ筋(和洋折衷略称)は否定する。
「大本の依頼主は個人だぜ……たぶん、だけどよ」
「っ!?ですが、それだと額が――」
「額なんて必要ねーんだよ」
依頼は金銭のやりとりなしでやってるから、と筋肉(根源的表現)は補足した。
「金銭のやりとりはなし、ですか」
アーサーはその補足説明に納得するが、それは現実的な話しを聞き入れただけだ。
人が空を飛んでいた、と言われたあとにパラグライダーで、と補足されたようなものだ。
現実的に可能なのは理解できる。
ただ、国際的にそこまで繋がり(コネ)があり、金銭のやりとりもなしに相手が従順に受けてくれるなんて幻想めいたことを実施したという事実は、やはり信じ難い。
しかも先ほどアーサー自身が揶揄したように、これは大規模な伝言遊技(ゲーム)だ。途中で誤差が無限に生まれる可能性を秘めている。
当初の依頼は日本軍の物資強奪だが、最終的には、日本人宅へ強盗に入れと変わっていてもおかしくない。
それに――。
「期間のことか?」
「ええ、五年前に物資が強奪されたのが偶然じゃなかったとする場合、時期があまりにも的確すぎるのです」
「ああ、しかも強奪犯達は『準備ができたら実行するように』と指示されていたそうだ」
「そうなると……まさか、そこまで読んで?」
「ありえねーだろ。そんな予言みたいな読み」
「何らかの魔術を使って、とかはいかがでしょう?」
「そんな便利な魔術があるってのか?」
「ないでしょうね。では、現実的なところで組織的な犯行ですかね」
「だろうな。俺もそう思ったし、その発起人が所属する組織か集団か分かんねーけど、とりあえず追ってんだよ」
「それで、その組織がこの英国にあると睨んだわけですね」
「ああ、組織的な犯行としてみると実行犯以外の請け負ってた奴らが全員渡英経験があるって分かってよ。……怪しいだろ?」
「共通点があるのであれば、確かにそれはヒントになりますね」
「怪しくねーってのか?」
「怪しいかどうかは、私が判断するところでは御座いません」
「ちっ、情報屋ってのはこれだから」
「客観的な情報の方が主観が入ったものより質が良いのに、ですか?」
「あー、わーってんよ!一(はじめ)みたいなこと言うんじゃねーよ」
そう悪態を吐きながら、筋肉の権化はアーサーに調べ上げた中抜きの依頼主達と実行犯の情報が入った資料(ファイル)を渡す。
それをぱらぱらと流し見ながら、アーサーは顔を向けずにアロハの権化(そんなものがあるならば)との会話を続ける。
「もしかしたら、ですが……彼ら、同じ反政府組織に所属している可能性がありますね」
ぱらぱらとめくるだけで、そのようなことを言ってくるアーサーに驚くが、それ以上に『同じ反政府組織』という単語が筋肉の興味を惹いた。
「反政府組織だと?」
「ええ、数年前から軍の上層部で議題に挙がっている組織がありまして、名を『黄金の暁会』と言います」
「でも、その黄金の何とかってのが英国軍上層部で議題に挙がっているなら、それは英国国内の反政府組織ってことだろ?」
アロハはそう結論を急ぐが、アーサーは補足する。
「ええ、英国発足の反政府組織です」
「なら――」
「ただ、彼らの『反政府』とは文字通りの意味です」
「文字通りって、反政府的なあれだろ?つまり、英国政府が嫌いなって意味の」
「いいえ、彼らが掲げるのは、全政府の不要性です」
全政府の不要性。
つまり、アーサーが言っているのは『政府そのものがこの世にいらない』という理念を掲げる組織のことだった。
「そんな馬鹿みたいな組織があんのか?」
「ええ、愚か、だとは、確かに私も思います」
「ん?お前は、そう思わないみたいな言い方だな」
「いえ、政府が必要ない、というのは一考の余地すら必要のない愚考です。……ですが、彼らの本当の理念は、おそらくそこにはないのだと、聞いております」
「おいおい、その組織は英国にあんだろ?なのに、知らないなんて、いよいよ情報収集能力が低下したんじゃねーか?」
「その組織は英国発足ではありますが、その活動拠点は英国にはありません」
と言うより活動をしていません、とアーサーは続ける。
「活動してない?たった今、お前が活動してる、みたいなこと言ったんじゃね―か」
「訂正致しましょう。……その活動を私は認識しておりません、でした」
「あん?つまり、今回のことが記念すべき初活動だってのか?」
「いいえ、おそらく私の認識が間違っていたのでしょう」
彼らを無害な理想主義団体だと思っておりました、とアーサーは謝罪するように言った。
そして、これは現段階では想像になりますが、と予防線を張った上で、事実しか語らない情報屋が、予想を告げた。
「彼らは今までも今回と同じく巧みに、水面下での活動を続けていたのでしょう。この英国内全ての情報を有する私ですら、些事として片付けてしまう小さな行為に見える行為の裏では、大きな目標に沿った活動へと繋げていたのでしょう」
要は、今までの個々の行動は単なる点に過ぎず、それらを線で繋いでみて、やっと活動と認識できるのだともアーサーは補足説明した。
悔しそうに、彼女は自身の至らなさを独白するかのように言った。。
しかし、そのようなアーサーを見ても、介次郎・ザ・筋肉は気にすることなく、明るい口調で依頼した。
「んじゃ、今後はその裏も含めて調査と情報収集頼むわ」
「!……はい」
まるで獲物を狩る獅子のように凛々しい表情でそう応えたアーサーを見て、アロハ・デ・介次郎はテントを出た。
それがどのような、そしてどれほど大きな計画の渦に自身らを誘うかも知らずに。
同日夕方七時半頃――倫敦(ロンドン)市内カムデン・タウン、桐栖の家――
「なにか進捗でもありましたか?」
アーサーに対する依頼を済んだ後、多少の寄り道をしたアロハ・ザ・筋肉は、依頼主である東郷平八郎に長距離通信機を使って連絡をすると、開口一番で強奪犯を捕まえた時と同じ台詞を言われた。
だが、今回はそれも進捗具合を報告できるという余裕から、簡単に返答できた。
「黄金の暁会って、知ってます?」
アーサーの時とは違い、トーゴーおじさんに対する口調で筋肉・オブ・ザ・アロハは訊ねる。
「聞いたことはあります」
軍の要注意リストに数年前から挙がっているので、と東郷は続ける。
「その組織が、今回の原因を作ったのですか?」
「分かりません。ただ、巧みに行動を隠して動いているらしいので、あのアーサーもつい先ほどまで彼らが活動しているという認識はなかったようです」
「あのアーサーさんが?」
感心するような、驚くような、一言で言えば感嘆するように、東郷は言った。
「どうやら、俺がこの五年間で調査した依頼人達は、全員が全員黄金の暁会に所属している可能性が高いらしく、もしこれが組織としての活動なのであれば……」
「日本が標的とされている可能性が高い」
「はい」
アロハの筋肉はそう同意すると、言外に東郷が出入国関連を注意するように促す。
「……多少の注意は喚起しておきましょう」
ただ、と東郷は続ける。
「おそらく、彼らの目的は日本政府ではないでしょう」
「反政府組織なのに、ですか?」
「その目標ですら、私は偽装のような気がするのですよ」
「そうなると、日本特有の魔学技術関連の調査ですかね?」
「確かに、そうなると実際に物資を奪って調査するのが手っ取り早いので、符合するとは思いますが、おそらくはもっと別の理由があると思います」
私はと再度個人的な見解であることを東郷は告げるが、マッスル・アロハは知っている。
それはその後、彼が「それにあの物資は櫻本商会から卸してもらった、デイヴィス商会製の物資がほとんどです。日本の魔学技術はあまり入手できないでしょう」と続けたからではない。
東郷平八郎の予測は大抵当たるのだ。
幼少の頃から家族ぐるみで付き合ってきた、アロハ・マッスル・ハートは何度も経験してきた。それはもう、その日の天気から、遊びに行った際の危険予測まで、様々な予測を的中させ、それを聞かなかった筋肉マッスル(重畳表現)は何度も痛い目に遭ってきた。
「それに、最近櫻本商会の筆頭技術顧問になった者も外国の方ですしね」
「え?そうなんですか?」
「ええ、確か名は、アレイスター・クロウリーと言って、桐栖君の通うユニヴァーシティ・カレッジ・オブ・ロンドン(UCL)の魔学部卒業生です」
「桐栖と学部まで同じなんですか」
それは優秀そうですね、と兄馬鹿全開でブラザーコンプレックス・マッスルは言う。
「でも……櫻本商会は本当に節操がないっすね」
開国当時、魔学技術の武器転用で遅れていた時代にデイヴィス商会から技術提供をしてもらった恩を返すと言って活動しているが、その実は、ほぼ日本支部のような従順っぷりでもある日本で序列一位の櫻本商会に、ブラコン・マッスルは毒づく。
ただそれも、日本独自の魔学技術を発展させて世界を圧倒するという目標を持つ、日本序列三位である枩本商会に所属している弟偏愛筋肉が言うと、負け惜しみにも聞こえる。
「まあ、軍として彼らの支給する武器を使っている身としては、多少ありがたくはあるんですけどね。クロウリー氏もデイヴィス商会の紹介で赴任したとは言え、英国人ですから」
そこまで懸念することはないかと、と東郷は日本一の商会に重鎮としてアレイスターが来たことによって起こり得る懸念を弟・ラブ・筋肉から払拭するために言った。
「あー、確かに、デイヴィス商会は米国の商会でしたね。西洋の商会は名前が似てるから分かりづらいんっすよ」
ここで米国人がその座に就いていたら、ブラコン魔ッ(新略称&恣意的な誤字含む)は更に声を荒げていただろうが、英国の人間であれば、米国のために櫻本商会で日本の魔学技術発展を妨害することもないだろう。
それに、英国のために日本を陥れる、という可能性も少ない。
何故なら英国と日本は、五年も前に日英同盟を結んでいる。
この同盟には技術共有だけではなく、軍事力や貿易も含まれている。
米国の人間であれば、地理的にも太平洋以外にその間を遮るものがないと言うことから、侵略される心配もするが、英国人であればその心配もないだろう。
ただ、興味は出てくる。
「その英国人、何者なんですか?」
「今言った素性と、見た目や年齢などと言った情報以外は不明です」
「不明?それはいまだ調査中と言うことですか?」
「いえ、調査しても分かりませんでした」
彼が大学を卒業してからなにをしていたのか、どういった利益又は目的があって日本に来たのか、一切不明です、と東郷は続けた。
そこで、マッスルブラコンは一つ閃くものがあった。
「……そのアレイスター何某が、黄金の暁会の一員である可能性はありますかね?」
「分かりません」
ただ、その可能性は否めませんね、と切れ者としての東郷は言った。
「であれば」
とマッスル・ザン・マッスル(誇張表現)は口に出して考える。
「その観点も視野に入れて、調査を続行します」
「お願い致しますよ。介次郎君」
まるで親戚の子供と話すように優しい口調で、東郷はそう言うと「ああ、技術関係で思い出したのですが」と続け、調査する筋肉に世間話のようなことを伝える。
「椙本征爾(すぎもとせいじ)君と真百合(まゆり)さんが今、そちらに向かわれてますよ」
「あの二人がですか?」
「ええ、どうやら木本研(きもときわむ)の依頼で行っているそうです」
「はあ……って、あの研究馬鹿の差し金で!?」
「日本一の魔学技術研究者に向かって、研究馬鹿とはどうかと思いますよ」
「いやいやいや、そんなのどうでも良いですからっ!」
なんであの野郎の小間使いなんかをしているんですか、と筋肉馬鹿は続けて問う。
「どうやら、介次郎君の弟に用があるらしいです」
「俺の桐栖にっ!?」
「……介次郎君、そろそろ弟離れした方が良いですよ」
「俺に死ねとっ!?」
「弟離れで死ぬなら、世の長男はほとんどが死に絶えてますよ」
「それを加速させろとっ!?」
「いや……もう良いです」
動揺したマッスル・ザ・フールに付き合いきれないとでも言いたそうに、盛大な溜め息を吐き、東郷は「そういうことですので、二日後、椙本兄妹を港まで迎えに行ってあげて下さい」と兄妹の到着予定日を告げ、通信を切った。
「……いや、待てよ。つまり二日後には最愛ほどではないにしろ、愛する弟と妹が来るってことだな」
天国じゃねーか、と従兄妹(いとこ)に向けるには多分に多すぎる愛情を向けながら、カズンコンプレックス・ザ・マッスルは納得した。
木本研の用事で彼らが来ると言うことを完全に忘却して。