駄文集


不自由な自由

 誰にも話せない秘密なんて、他人にとっては無価値な情報に過ぎない場合が多い。
 人を殺した。盗みを働いた。誘拐をした。誰それを貶めた。
 それらは単なる例ではあるが、一つずつ考察してみると、なるほど、他人にはあまり関係ないのない情報である事が分かる。
 殺されて困るのはもう既に死んだ人間だし、盗まれて困るのは盗まれた店の店主だし、誘拐されて困るのは誘拐された本人で、貶められて困るのは貶められた者だけだ。
 つまり、大抵の場合話せない秘密とは、過去の事柄である。
 もちろん、未来の事柄についての秘密であっても同じく話せない内容ではあるが、起こってみなければなんて事はない。
 未然に防いだ事件は事件ではないのだ。
 それは未遂も同じ。未遂で防いだ事件は、防いだとは言えない。
 犯罪を起こす為の準備は防げなかったのだから。
 だが、未遂の未遂は事件にはならない。
 人は困るまで困ることはないのだから。
 だから、この物語はそんな話である。
 他人に言えない秘密ほど、無価値な情報はないという、そんな話だ。

 私は日々様々な事を考えて生きている。もちろんこれは、私が特別な人間であるという意味ではない。
 単純に他者と同じく色々な事を試行錯誤して生きている、という意味だ。
 社会には制約が多い。
 常識や慣習、それに作法という厄介なルールだらけなのが社会という世界だからだ。
 しかし、それらのルールに従っていれば楽でもある。
 その為に、ルールが設けられている。
 だから、今日も私は傘をさして通学していた。
 雨が降ったら傘をさす。
 高校生だから学校に通う。
 それらの常識に則ったわけだ。
 だから私は教室まで来ると、鞄を自分の机に置き、椅子を引いて、座る。
 学校には自分の机と椅子が用意されているという慣習があるからだ。
 そして教員が入って来ると、立ち上がり、例をして、着席する。
 そういう作法があるからだ。
 だが、そういったルールに縛られ、平穏を享受していても、私は疑問を感じずにはいられない。
 ルールのない世界とは、一体どの様なものなのか、と。
 社会もルールも、私が産まれるずっと前からあった。存在していた。
 だから私は、私達の祖先が苦労して時代に即したルールを築いてきた事も知らないし、その大元を創り上げる困難も知らない。
 ただただ空気の様に、そこに存在しているのだとしか思えない。
 あることが当たり前。それ故に知りたい。
 ない世界を。
 縛られず縛らず、真なる自由の世界。
 常識も慣習も、作法もない。そんな世界。
 だが、やはりそんな世界は想像上でしか存在しえず、あり得ない。
 そんな事はすぐに分かるし、分かる前から知っている。
 だから私は、私だけでも自由に振る舞いたいと願う。
 それが、私が誰にも言えない秘密だった。

 放課後になって、私は行動に移そうと考えた。
 何か一大決心を促す事象があったわけではない。ただ、ふと、そう思った。
 真なる自由を校門を出た瞬間から、実行しようと思った。
 その為に慣習である、友人達とのお喋りも断ったし、教科書の入った鞄も置いてきた。
 しかし、校門を一歩出て気づく。
 何でも出来るとは、何をすれば良いのだろう?
 もちろん、何をしても良い。
 好きな事をすれば良い。
 嫌いな事をしなくても良い。
 けれど、やりたい事に優先順位を付けた途端、そこにはルールが介在することになる。
 やりたい事からやって行く、というルールが。
 それは自由とは言えない。
 それに、そもそもどうやって順位をつければ良いかすら分からない。
 何でも出来るとは、選択肢が多過ぎるのだ。
 だから私は、少し考えてから、教室に戻り、友人達とのお喋りをして、雁字搦めの世界に戻る事にした。
 何でも出来るとは、何も出来ないと同義である事を学んで、私の誰にも話せない秘密は消えた。