駄文集


人の一生

 僕は笑った。
 心の底から泣きながら笑った。
 青空の下で木々に囲まれて、咽び泣く様に笑った。
 すると、一人の男が通りがかり、僕に訊ねる。
「なにか良い事でもありましたか?」
 その問いに、僕は涙を流して答える。
「ええ、それはもう、極上の慶びが」
 男は満足そうに頷いて、僕に近づく。
「そうですか、それは良かった。よろしければ、詳しく教えて下さいませんか?」
 気分の良い僕は、頬を伝う涙を止めずに、快諾する。
 しかし、口を開くと同時に気づいてしまう。
 僕は自分が慶んでいる理由が分からない。
 疑問は即座に焦りへと変貌し、顔に張り付いていた笑顔は歪なものへと変わる。
「どうされましたか?」
 男は優しそうな顔で、そんな問いを投げかける。
「えっと、その……」
 僕は答えられない。
 僕はなにをあんなに慶んでいたのだろう。
 考えても考えても、解は得られない。答えはでない。
「わからないのですか?」
 男は満足そうに訊ねる。
 僕は彼の態度に疑問を感じる。
 そして、疑問は猜疑へと変わり、変わらない男の表情に対する僕の感想が変わり始める。
「貴方は、知っているのですか?」
「ええ、もちろん」
 僕の問いに男が笑顔で答える。
 最早、彼の笑顔は悪魔の様にも天使の様にも見え、僕は恐怖心を抱き始める。
「それなら、教えて下さいませんか?」
「よろしいのですか?」
 意味が分からない。
 彼は、なにを確認しているのだろうか。
 いや、それ以前に、何故僕は他人に自分が慶んでいる理由を聞かなければならないのだろうか。
 色々な感情が僕の中でない交ぜになって、何もかもが分からなくなってくる。
 けれど、そんな混乱を中断させる様に、男は再度訊ねてくる。
「本当に、よろしいのですか?」
 その声に、僕は無意識的に頷いてしまう。
「畏まりました」
 男はそう言って、語り出す。
 僕の一生を詳細に。
 その物語を聞いて、僕は何時の間にか止まっていた涙を、また流す。
 そして、彼が話を終えた頃には笑っていた。
 咽び泣く様に笑っていた。
 そこに、一人の男が通りがかる。