
駄文集
伽藍球《三章~夢と契約~》
夢を見ていた。
夢だと分かる夢だ。
おそらく明晰夢というやつだろう。
その夢では会議が繰り広げられていた。
「納得できません」
自分の口から聞いたこともない声が発せられている。何が納得できないのだろうか、自分はどうやら憤慨しているようだと感じられた。
「他に意見はありますか?」
上座の横に位置した女性が自分の言葉を無視して会議を終了させようとしているのが分かる。それに対して自分が更に怒りを感じている。
「だからっ! 私は―」
「それでは他に意見もないようなので、本日の議会はこれにて閉会とさせて頂きます」
その言葉を合図に自分と進行役の女性、それと上座の人物を残して他の者は退出していく。自分はそれを見て落ち込んだようで、机を注視している。
「カミラ」
その声で自分は再度視線を上げる。声の主はおそらく進行役の女性だろうが、先程までとは違い、その声には優しさと申し訳なさが含まれていた。
「……ステフ」
自分の口から知らない名が発せられる。おそらく進行役の名前か愛称だろう。
「これは必要なことなの。分かって」
「でも……私達は救済の為にここに来た。それなのに、貴方が決定したことはその真逆じゃない」
自分の口から哀しそうな声が発せられ、それと同時に視界に水分が含まれて歪む。
「カミラ、これはその為に必要なことなの。それは、分かっているわよね」
「分かっているわ……でも、納得できるわけ…ないじゃない」
決定が何かは分からないが、その正当性を認めつつも感情の部分で納得ができていないだろうことが何となく感じ取れる。
「それに、これは人間達が抵抗してこなければ必要はないわ。安心して」
『人間達』という言葉で気付いたが、ステフと呼ばれた人物は人間ではなかった。
彼女に視線が向けられたことにより確認できたが、彼女の頭部には角が生えており、髪の色は人間にはない華麗な紅色だった。北欧などで多く見られる赤髪とはまったく違う、鮮血のような色。
「……分かったわ」
しばらくステフを観察している間に自分は何らかの結論に至ったのか、理解を示す言葉を口にした。
そこから視点が上座から動かない男性へと動いた。
何処かで見たことがある顔だが、思い出せない。
そこで夢は終わった。
二一一〇年八月、青森県(青函トンネル前、東津軽郡今別町浜名)
君津や玉懸だけではなく多くの人物が研究に加わり、加速度的に研究速度が高まったシュヴァルツ開発に、牧ヶ野は若干焦りを感じていた。
それはより早く研究を達成させるなどというような焦りではなく、何か落ち着かないという不明瞭な類のもの。
その原因を、玉懸を始めとした牧ヶ野の研究チームに加わった職員全員が理解している。
彼は今、自分と同じ契約不可者とその者たちを守るべく立ち上がった国家に相対する兵器を開発している。
人を殺すというだけで罪悪感に嘖まれるというのに、彼は大勢の人間を害虫駆除並みに殺戮できる物体を造っている。
彼は何度も考えた。何故兵器開発をすることになってしまったのか。
しかし、答えは簡単だった。
彼は兵器となったルースタングを研究して、それと同じ物を造ろうとした。
例え彼の認識が、奉仕活動を可能とするパワードスーツであるルースタングを研究し、それと同じく人の役に立つ物を造ろうとした。そうであっても事実はそうはならない。
しかし牧ヶ野自身にはシュヴァルツの開発から離れる選択肢もあった。
研究成果を報告していた政府の担当職員から確認もされた。
それは当然のことだと言えよう。誰も敵国の兵器と相対する物を、もしかしたら敵国に寝返るかもしれない人物に造ってもらいたくはない。
故に、彼には選択肢が与えられた。
シュヴァルツ開発に携わるかレーベンスラウムへ亡命するかの二択が。
勿論、この亡命に関して牧ヶ野自身の命は保証されていた。何故なら政府から用意された選択肢は、魔契約書によって提示されたからだ。
魔契約書は書いてある文言について承認する署名が成されたら、文言に記載された人物又は組織は契約書通りに行動しなくてはならない。そうしなければ命を失う。
だから、牧ヶ野は安心して亡命の書面にサインをすれば良かったのだ。そうすれば人は殺さずに済む。
けれど牧ヶ野の考えは違った。彼は両方の場合において人を殺す研究を強いられる危惧をしていた。シュヴァルツ開発については言うまでもない。
亡命についても殺人の研究をさせられるわけがないと玉懸や君津達は言っていたが、牧ヶ野の考えは変わらなかった。彼は亡命後に、国連側がもう既に諦めた契約不可者達の移送を牧ヶ野の為だけに再開したことについて不審に思うことを懸念していたのだ。そうなればレーベンスラウムは調べ始める。何故牧ヶ野という人物が丁重に扱われて自分達の国へと来たのかを。
その結果は考えるまでもないくらいに明白だ。
シュヴァルツの基礎理論及び構造設計をした研究員に人権など与えられるはずがない。その頃にはレーベンスラウム側の人間に死者も出ているかもしれない。いや、その時点で死傷者が出ていなかったとしても、いずれは出る。
そして死傷者数が止まらないストップウォッチのように数字を増して計上していく度に、彼は罪悪感に打ち拉がられながら自分と同じ契約不可者達に迫害される。そして、ゆくゆくは処刑かシュヴァルツを凌ぐ兵器開発を強いられるだろう。
そう牧ヶ野は考えていた。
だから彼は、逃げていると知りつつもシュヴァルツ開発を選択した。
幸いと言うべきか、それとも彼に更なる罪悪感を感じさせる為か、彼の開発チームは彼を契約不可者と知りつつも普通に接してくれる者が多かった。
勿論、彼を良く思っていないのが分かり易すぎるほど表に出ている人物もいることから、政府から何らかの命令があったのは牧ヶ野自身も理解できていたが、それでもほとんどの人物は彼に良くしてくれている。
人によっては彼を慮って色々と世話を焼いてくれる者もいるくらいだ。
それが彼に更なる罪悪感を感じさせているのだが、それは彼自身の問題で、他の研究員は関係がないこと。そんなことを考えながら、今日も牧ヶ野はシュヴァルツの調整に勤しんでいる。
「牧ヶ野さん」
ひとりの男性研究員が彼に話しかける。
「はい、なんでしょう」
「魔粒子の制動管理システムが増幅・補填システムと干渉してしまって、稼働時間に制限がかけられてしまっている件ですが―」
「それなら玉懸主任に昨夜原因を調べてもらうように頼んでおきましたので、少々お待ち下さい……」
そう言って牧ヶ野は手元の通信デバイスを操作し始める。
「ああっ、いや、それくらい自分で訊きに行きますので大丈夫です。牧ヶ野さんも最近は休んでいないのでしょう? これくらいのことは自分達にお任せ下さい」
「申し訳ありません」
「そんな、謝らないで下さいよ。牧ヶ野さんは自分達の上司なんですから」
男性研究員はそう言ってすぐに踵を返して牧ヶ野から遠ざかっていく。
「はあ……慣れないな」
男性研究員の背後に閉まる扉を見ながら、自身が上司という立場にいることの心地悪さを口にしてしまう。
今まで研究チームを持ったこともなく、全ての研究を自分ひとりでやってきた彼からすると、チームで研究・開発するというのは初めての試みであった。
当然ながら、ひとりで研究・開発をしていないので自由な研究をすることは許されない。自分がとある研究の途中で疑問に思ったことを、次に研究するには正当性や逼迫性が必要となってしまった。
現在シュヴァルツの開発・調整をするまで進んでいるが、それまでに多くの発展した研究課題を見つけることができた。しかしそれらを研究してシュヴァルツの完成を遅らせることはできない。
最初の頃はシュヴァルツの性能を向上させる為にいくつかの研究は許されていたが、今ではそれらの研究が多すぎると国連本部から直々に叱責を受けてしまい、完成のみを目指すこととなってしまっている。
だが、牧ヶ野は知らないが、その寄り道によって得られたことも少なくはない。
大きなものは彼の研究チームに属する人間の多くが彼を優秀な研究者として認めたことだ。次々と多くの理論や装置を構築していく牧ヶ野を見て、彼を認められない者はいなかった。
最初は政府から「作業効率を重視する為、上司として扱え」というような指示を受け、渋々上司扱いしていた者たちも、序盤の蛇行するような研究過程に感銘を受け、心から牧ヶ野という人物を尊敬し始めたのだ。
今では新任の研究員くらいしか彼を契約不可者としてみる者はいない。
その結果として中盤以降の研究や開発過程は恙なく進み、チーム発足当時では考えられないほどシュヴァルツの性能が向上している。
しかしそれも刻限が迫ってきている。
今月の初頭からレーベンスラウムが北海道へと進行を始めたのだ。
その影響により、牧ヶ野達研究チームは以前から予定されていた青森への異動が急遽決定し、前線に限りなく近い場所で開発及びテスト運用をすることとなった。
現在はある程度テスト運用を終えた段階までいき、試用機が戦地の後方でデータを取りながら運用されている。
今日も試用機の三つを使った試験運用が成されており、定期的に送られてくるデータを確認しつつ問題点を牧ヶ野と複数名の部下が見つけながら改善案を考案している。
「主任。14時のデータ来ました」
「分かりました。それでは前回と同じようにデータを玉懸主任と君津主任に送った後、解析致しましょう」
「かしこまりました」
その返答後、間もなくして室内にある巨大スクリーンに数々のデータが表示される。
「今回は稼働限界時間に近い状態での使用を想定したテストデータです。僕たちの目的は単純な各部の部品劣化だけではなく、稼働時間を延長させる為に何をできるか、を考えなくてはなりません」
「はい。それではA班には部品劣化、B班には損傷時を想定した機体への影響、C班には現在までに得られた改善案を適応した場合に得られる影響を検証してもらいましょう」
「よろしくお願いします」
牧ヶ野の副主任としてついている甲斐谷絵理奈(かいたにえりな)の的確な指示に感心しながら、牧ヶ野も自身でデータから読み取れる問題点を検証し始める。
「おつかれぇい!」
自室に牧ヶ野が帰ると、当たり前の如く玉懸がソファに寝そべりながら彼を迎える。
「お疲れ様。そっちはどうだった?」
いつも通り、シュヴァルツの各部位に使われている装置の研究を担当している玉懸に今日の進捗状況を尋ねる。
「ん~とね、かなり良くなっているけど、まだまだ問題点は山積みだねぇ」
それらの問題点を自分のデバイスに送ってもらうように頼んでから、牧ヶ野は白衣を脱いで楽な服装へと着替える。
「今日は雅之来るの?」
「きみっちゃん? さぁ~」
キッチンへと向かいながら牧ヶ野は玉懸に訊ねるが、いつも通り回答は得られなかった。
そして念のため、牧ヶ野が四人前の夕食を作り始める。
「今日はなになになーにかなぁ」
調理中に玉懸のリズムに乗せた疑問が聞こえてくる。
「時間がないからチャーハンです」
「ちゃーはん、ちゃちゃちゃっーはん!」
喜んでいるのか不平を言いたいのか分らない音程の歌詞が聞こえる。
そこで牧ヶ野はひとつ言い忘れていたことを思い出し、口を開こうとするが、先に君津と言い忘れていた来客者である甲斐谷が部屋へと入ってきた。
「今日は炒飯か」
「美味しそうですね」
突然現れた甲斐谷に玉懸が即座に反応して、ソファの上で飛び跳ねる。
「ああ、ふたりとももうちょっと待ってて。もうすぐでできるから」
「それなら私もお手伝い致しますよ」
自然な動作で甲斐谷がキッチンへと来ると、どたどたと玉懸が駆ける音が聞こえ、キッチンへと乱入してくる。
「あ、あたしもっ! あたしも手伝うしっ!」
「いや、お前は座ってろ。炒飯に変なもん入れられたらかなわない」
「ええっ! あたしがいつ変なもん入れたのっ!?」
「昨日、一昨日、その他多数回」
「い、いやっ! あれは違うしっ! 愛情だしっ!」
「愛情でなんにでもレモンソルトかけるのはお前くらいだ」
「今日はレモン汁にするからっ!」
「……それは全然解決策になってないことにいい加減気付け」
「えー、でもでもっ!」
リビングからそのやり取りを聞いて、君津が笑っているのが牧ヶ野には聞こえて、助けを求める。
「雅之、こいつの相手よろしく」
その言葉を聞いて君津がやれやれと言いながら、暴れる玉懸を引っ張っていく。
「あの、私は何をしましょうか?」
「甲斐谷さんはスープを作ってもらえるかな?」
「はい」
「ありがとう」
そんなやり取りをリビングで聞いていた玉懸が、またキッチンへと乱入してきて、完成が多少遅れたりはしたが、なんとかその一時間後には皆が夕食にありついていた。
「お邪魔致しました」
「じゃあ、またな~」
夕食を終え、少し仕事の話しをした後に、いい時間となったこともあり君津と甲斐谷が自室へと戻っていく。
それを牧ヶ野は玄関まで送り、ドアに鍵を閉めてリビングへと戻る。
「イクエちゃんは意地悪だ」
リビングへと戻るなり、恨めしそうに牧ヶ野を批難する玉懸の声が聞こえる。何かを主張したいらしく部屋の片隅で体育座りにクッションを抱えていた。
「はいはい。ごめんな」
「誠意が感じられないから許さない」
玉懸の近くまで移動して拗ねている彼女の頭を撫でながら、牧ヶ野は腰を落ち着けてデバイスを片手で操作し始める。
「仕事の片手間に撫でられても嬉しくないし」
そう言いながらも玉懸は牧ヶ野の横に移動し、彼の肩に身を預けながら一緒に牧ヶ野のデバイスを見始める。
「こことここの問題は解決っと」
牧ヶ野は先程まで君津達と語っていた解決策や問題点をデータにして、必要な部署や研究員へと転送していく。それらの作業は十分と経たずに終了するが、その後も牧ヶ野はデバイスをいじり続ける。この作業は彼が今後改善すべき点を確認するものだ。現状では完成してもシュヴァルツは完全からほど遠い。
稼働限界時間は依然として残ったままだし、理論上では契約者全員が扱えるが、実際には一定以上の魔法エネルギー耐性がないと戦闘をするレベルで扱えない。それに戦闘システムにおいては照準精度や緊急回避プロトコルにいまだ多く改善の余地がある。
これでは多くの人が死んでしまう。
牧ヶ野は敵味方問わず、そう考えてしまう。
「イクエちゃんはさ、神様にでもなるつもりなの?」
牧ヶ野の思考を読んだかのように、玉懸は彼に問いかける。
「いや…でも、圧倒的な性能のシュヴァルツが完成すれば戦争は終わるだろ?」
「それはレーベンスラウムとの戦争の話し? それとも戦争全般?」
その問いにより牧ヶ野は気付かされる。彼はレーベンスラウムとの戦争だけを考えてシュヴァルツの開発に携わってきたが、その後のことなど考えていなかった。
彼が完璧な兵器を作ることによって、それは国連内に亀裂を産むかもしれない。
今度は完璧な兵器を有する国々が、自国の威信をかけて争い始めるかもしれない。
それだけではなく、小さな紛争にすら圧倒的な武力を行使する組織が出てくるかもしれない。
そこまで理解して、彼は再度悩む。
「……じゃあ、僕はどうすれば人が死ななくて済むようにできる?」
それは彼の心からこぼれ落ちた本音の問いだった。けれど、別段彼は玉懸に訊ねていたわけではない。だから玉懸が返答した時に彼は少なからず驚いた。
「それはさ、無理だよ。イクエちゃんは神様じゃない。たんなる矮小な人間だよ。全ての人を助けることなんてできないんだ」
「それは僕も分かっている。だからできるだけ多くの人を、せめて自分が属している組織の人間全員くらいは、守りたいんだ」
「だから、それがおこがましいんだよ。人は万能にできてはいない。イクエちゃんはひとりで何でもできちゃうから自分を過大評価しすぎるんだ。『自分は何でもできる、あとは努力するだけだ』ってね」
「そんなことは……」
ないと本当に言えるのだろうか。牧ヶ野は自問する。
確かに彼は世界中の研究者が解を求めて得られなかったルースタングの構造を理解し、それを契約者用に一から作ることを可能とした。いや、それ以前に彼は今まで自分で多くのことを可能にしてきた。
そして今、それが少なくはない人々に認められている。
それに対して驕りがないと言えるかは牧ヶ野には分からなかった。
「だからさ、イクエちゃんも他の人間と同じように生きるべきだとあたしは思うよ」
他の人間と同じように。牧ヶ野はこの言葉は自分には当てはまらないものだと考えていた。彼は契約不可者だったから。彼は他の人間とは違うことを余儀なくされていたから。だから、彼は他者と同じではいけないと心の何処かで思っていたのかもしれない。
けれど、彼はここ四ヶ月ほどでそうではないことを理解したはずだ。
他者に認められ、同じ人間として扱われ、自身はどうしようもなく人間だと理解したはずだ。
しかしそうだとしても、人間として扱われ始めたのは最近のこと。故に、彼は怖かった。いつか人間として扱われなくなることを。
人間として扱われても、彼は信頼できる玉懸達以外に対して契約不可者として接している。それが牧ヶ野の考えの全てを証明していた。
「僕は、人間なのかな?」
「あったりまえじゃんっ!」
玉懸は彼の背中を容赦なく叩く。
その行為に牧ヶ野は「元気出せよ」と言われているような気がした。
また夢を見た。
同じ夢だ。
周りは魔族ばかりが座っている会議室。
「それは本当か?」
ステフという名の魔族が驚いている。
「はい。どうやら奴らは『シュヴァルツ』と呼んでいるそうです」
シュヴァルツ? 何故こいつらがシュヴァルツを知っているんだ。ああ、そうか、これは夢だった。知っていて当然か。
「東戦線の後方で試運転を繰り返しているようです」
「試運転と言うことは、まだ完成していないのか?」
「はい。ですが、運用を見る限りルースタングと同等の性能を持っている可能性があります」
沈黙が室内に沈殿する。
「……データを照合して軍属の契約者をリストアップしろ」
上座に位置する人物が口を開き、素早く沈黙を拡散する。
「かしこまりました」
ステフがそう言い、自分が唇を噛んでいることが感じられた。
「それでは、本日の議題はここまでとしよう。各自東戦線の動向を注意しておくように」
解散の合図と共に、幾人か肩を落としながら退出する。
自分とステフ、上座の人物は再度この部屋に取り残された。
「……カミラ」
「ステフ、マザーズ様の指示があったから私は誰とも契約していない。でも、それにより契約を成功させられなかった人間が苦しんでいることは知らなかったわ」
「ええ、分かっているわ」
「いいえ、貴方は分かっていない。私が契約不可者と呼ばれる人達と出会ってどれだけ自分を責めてきたか。……そして、今回の件。私はまた助けられている。私だけのうのうと生き続けることを許されている。それに安堵して、同時に情けないと思っている」
「でもそれは貴方の責任じゃない」
「私の責任よ。私はなんの為にマザーズ様から生かされているのかは分からない。けれど、それはきっと死に逝く人達を救う為だと…今は思えるの。きっと私が死に直面していたら何もできなかった…けれど、今の私にはそれができる」
「違うわっ! それは貴方の役目じゃない」
「いいえ。私の役目よ」
その決意を宿した言葉と共に視点が上がり、部屋の扉へと向けられる。
「カミラっ!」
ステフの声が聞こえても、速度が緩むことなく視界のドアは近づいてきた。
二一一〇年九月、青森県(青函トンネル前、東津軽郡今別町浜名)
シュヴァルツ完成間近とも言えるこの時期に、牧ヶ野が倒れた。
医者によるとたんなる過労とのことだが、牧ヶ野自身はそれだけではない確信がある。
「イクエちゃん、大丈夫?」
玉懸が例によって仕事をほっぽり出し、医務室に来ていた。牧ヶ野にとってはそれがありがたくもあるが、この時期的なことを考えると叱るべきか迷う。
「ああ、多分大丈夫だと思うんだけど、今夜雅之と甲斐谷さんを僕の部屋に集めてくれないか。話したいことがあるんだ」
「それなら丁度良いな。今聞こう」
君津と甲斐谷が心配そうな顔で戸口に立っていた。
牧ヶ野は一瞬驚くが、すぐに嬉しそうに「来てくれたのか。ありがとう」と礼を言う。
「そりゃ、お前が倒れたって聞いたら駆けつけるしかないだろ」
「近くにいた私が気づけなかったのがそもそもの原因です。申し訳ありません」
「甲斐谷さんの所為じゃありませんよ」
「そうそう、こいつはどんなに辛くても表に出さないようにしてんだから。こんなの見抜けるのは玉懸くらいだろ」
「えへん!」
褒められたと勘違いした玉懸が背筋を伸ばして、胸を張る。
「まあ、こいつが見抜けるかはおいといて……そういうことなんで、甲斐谷さんは気にしないで下さい」
「オイトカレタっ!?」
「ありがとう御座います」
「まあ……それはそうと、俺達に話したいことってなんだ?」
君津が話を戻すが、牧ヶ野は医務室に駐在している医師の方に目線を向ける。
「すいません。ちょっと外してもらうことってできませんかね?」
牧ヶ野の意図を理解した君津が医師に尋ねる。すると、多少嫌な顔をしつつも、シュヴァルツ開発の中心人物が揃っていることもあり、渋々と医師は退出してくれた。
医師の後ろに戸が閉まってしばらくしてから、牧ヶ野は説明する。
ここ数日見る夢のこと、それが七月から始まり最近になって頻度を増していること、そしてその夢を見る晩は疲れがまったく取れないこと、全てを話した。
牧ヶ野は自分で話しながら、その内容がまったくもって非論理的で信用を得られないものだと思い始めていた。しかし君津達は、牧ヶ野を疑う様子をまったく見せずに様々なことを訊いてきた。
「その夢で触覚とかの五感は機能しているのですか?」
「思考は? 夢の中でイクエちゃんが入っているひと……じゃなかった魔族さんの思考は分かるの?」
「夢の中では女性魔族と言ったな。スタイルは? 美人か?」
君津の質問以外を全て答え終わると、少し沈黙の時間が発生する。
その時間は、皆が牧ヶ野の為に自身のありとあらゆる知識を使って、可能性を考慮してくれているのだと分かり、牧ヶ野は素直に感動してしまう。
「ん~、とりあえずイクエちゃんの話を整理しようか」
「そうだな。夢が心理学的に何を意味しているのかはぶっちゃけ分からんし、夢の内容を素直に理解すべきか」
「おそらく夢の内容は夢ではなく、現実で起こっている出来事の可能性も高いですしね」
玉懸の提案に他のふたりが同意する。
「イクエちゃんの夢はレーベンスラウムの国内、それも政庁での話しだよね」
「ええ、多分そうだと思います」
「そんで、出てくる人物はこれまたレーベンスラウムの要人だな」
「ああ、久瀬居一人もいたし、そうだと思う」
牧ヶ野は夢の会議で上座に座していた人物を思い出しながら肯定する。
「会議の議題に上がっていたのは……契約者の虐殺時期、なのかなぁ?」
疑問符を付けながら玉懸は推測を言う。しかしそれに関しては牧ヶ野を含めた他の三人も同じく推測の域を出ていなかった。
とにかく情報が少なすぎるのだ。
牧ヶ野が最近では毎夜のように見ている夢は、ちょっとしたか言わない用の変化や魔族達の服装などから全てが違う状況だと判断できるが、全て会議の様子だ。しかも契約者の処遇について話しているような部分しか見えていない。会議の他の議題はまったく見えない。
「……けれど、多分それで合っていると思います」
「根拠は?」
君津は意地悪を言うつもりはではなく、甲斐谷の判断基準を探ろうとする。
「それは、主任が入り込んでいる人物、カミラさんが自身は『生かされている』と言って久瀬居らの判断に反発していることからそう判断しました」
牧ヶ野も同じように考えていたので、甲斐谷の理由に納得する。
「確かに、僕にもそうとしか思えないんだけど……」
「何か引っかかるところでもあるの、イクエちゃん?」
引っかかるところ。確かにそう表現するしかないくらいに腑に落ちない何かが牧ヶ野の中にある。
「それなら、推定魔族であるカミラちゃんが人間の契約者を生かそうとしているところじゃねえの?」
君津の発言に皆がはっとする。
確かに契約者に対して宣戦布告をした久瀬居達に、それを防ごうとする魔族がいるのはおかしい。しかし牧ヶ野は同時にカミラという人物に対して疑問に思っていたひとつのことに気付く。
「カミラという人物は、本当に魔族なのかな?」
「おいおい、お前がそうだと言ったんじゃないか」
「いや、僕はあの会議に久瀬居一人以外の人間がいないことから自分も魔族だとばかり思い込んでいたけど、人間かどうかの確認はできていないんだ」
「ということは、主任はカミラという人物が主任と同じ契約不可者だとお思いなのですか?」
「契約不可者かどうかも分からない。契約者が久瀬居一人に荷担していないとは限らないだろうし」
「確かにそう考えるとガッテンショウチって感じで部分的に合点がいくけど、ヒトリっちは契約者に宣戦布告してるんだよ。いつか殺されるかもしれない人に仕えるのはおかしいんじゃない?」
確かにそうだと牧ヶ野は思う。けれど、牧ヶ野はまだ久瀬居が契約者を皆殺しにする気でいるかについて疑問を抱いている。彼の実力があればそんなことはもう既に行っているだろうと。
レーベンスラウムがたった三ヶ月で北アメリカ大陸という広大な土地を征服し、その土地を速急に管理する為、契約者達の支持を得るような行為をしていると一般的には思われているが、牧ヶ野はそう考えていない。久瀬居一人という人物はそれ以上のことを考えている。行動の表面からは察することすらできない意図がそこには必ずあると思えて仕方がない。
そんな久瀬居一人であれば、有能な契約者を登用することもあり得るのではないか。そう考えていても、牧ヶ野は他の三人に久瀬居に関する違和感をどう説明して良いか分からず、夢の内容をとりあえずおいておくように促す。
「それじゃあ、次は~……夢って言うか他人の中に入り込んでいる原理?」
言葉にすると本当に滑稽なことを玉懸が言い、甲斐谷が冷静に可能性を提示していく。
「ひとつは、魔法を使って主任にわざと見せている可能性ですね」
「すぱい行為的な感じ?」
「ええ、ただその様な魔法は聞いたことがありませんので使っている者が魔族か、ひっそりと個人的に魔法技術を磨いてきた契約者くらいしかできないでしょう」
「どちらにせよ凄腕ってことか。……でもなんで郁江に見せる?」
「それに関しましては、おそらく魔法で見せられる相手を指定できないのかと思われます」 甲斐谷の説明に牧ヶ野も納得する。
「確かにそんな凄い魔法を使えて、指定までできるほどの契約者なら国連側が知らないわけないし、そんな凄腕が向うにいたらシュヴァルツなんて完成しても太刀打ちできないだろうしね」
「ああ、少なくとも魔法エネルギーを弾く装甲を今の十倍以上にしろって命令が来てもおかしくない」
「しかし主任を指定して見せている可能性は0ではありません」
納得していた牧ヶ野と君津に甲斐谷が補足する。
「主任はシュヴァルツ開発の重要人物です。主任の頑張り次第でシュヴァルツの完成度や時期はある程度調節できます」
自分を高く買ってくれている甲斐谷に牧ヶ野は謙遜しようとするが、その前に君津と玉懸が同意して機を逃してしまう。
「そうだね。イクエちゃんに早くシュヴァルツを完成して欲しかったら契約者が虐殺されるかもしれない夢を見せるのが一番だねぇ」
「郁江が全力を尽くせば明日に完成もあり得るっちゃあり得るしなあ」
ふたりの発言に少し気恥ずかしくなるが、牧ヶ野は否定する。
「でもそれだと僕が夢を見た時に疲れが取れていないのはおかしい」
「それは、魔法が不完全と言うこともありますが、それよりも次の可能性が合致するでしょう」
甲斐谷がふたつ目の考えを披露する。
「ふたつ目は、レーベンスラウム側がシュヴァルツ開発を阻害又は遅延させる為、主任に偽りの夢を見るように魔法をかけている可能性です」
「つまり、夢の内容はフィクションで実在する団体・人物とは関係ありません、ってこと?」
「ええ、そうすると主任の疲れが取れていないのも魔法の副作用として得られる効果的だと考えられます」
「まあ、確かにそれくらいの魔法だったら近いのにいくつか心当たりがあるし、現実的に考えたらこれだな」
三人は甲斐谷のふたつ目の可能性に納得し始めているが、牧ヶ野だけはまだそうとは思えなかった。
「もしそうなら夢でシュヴァルツの存在を知っているようなことは言わせないだろうし、契約者の虐殺を示唆することもしないと思う」
牧ヶ野の指摘で納得しかけていた三人が途端に思案顔になる。
「夢の内容までは自由が利かない魔法、とかか?」
「でもそれだと睡眠妨害の意味しかないし、睡眠妨害するならイクエちゃんだけじゃなくてできるだけ多くの人にしないと意味ないよ」
「そうですね。それなら最低でもここにいる四人には同様の魔法を施しておいた方が効率的でしょう。私達だけなら、疲れで頭がおかしくなったとなり、部下の信頼を失って開発の進捗に影響を出せますし」
また振り出しに戻り、皆が考え始める。
しばらくして、再度甲斐谷が最後の可能性を提示する。
「これは、先程夢の内容の解きに否定されましたが、カミラさんという人物が魔族という前提なら成立するかもしれませんが……」
その前置きに、牧ヶ野を含めた全員があまり期待せずに続きを促す。
「カミラさんが本来主任と契約すべき魔族だった、というのはどうでしょうか?」
その提案に牧ヶ野以外のふたりが反応する。
「それなら、会話の内容ともけっこうな部分で合うねっ!」
「ああ、確かにそうだな」
三人が何に対して納得しているのか理解できず、牧ヶ野は訊ねる。
「これは契約時に知らされることなのですが、契約魔族と契約する人間は本来同じ魂を二つに分かつ存在らしいのです」
「そんで、同じ存在が魔界にいると魔界が不安定になっちゃうから、同時に魔界に居ちゃ駄目よ~、でもその代わりに魔法使わせてあげるよ~ってのが契約内容なんだよ」
「そしてその契約内容には同時に地上にいることに関しては記載がないから、魔族は自由に地上に来られる。けど、あまり近くにいすぎると魂が共鳴を起こして感覚や知識がもう片方と共有されてしまうことがあるらしいんだ」
契約を成功できなかった牧ヶ野にとって始めて聞かされる契約内容に驚かされる。
それが本当であれば、牧ヶ野が見ている夢の内容は現実に起こったことで、魔族が契約者を助けようとしている事実が証明される。
しかし。牧ヶ野は考える。まだ何かすっきりとしない。実験で使ったビーカーをきちんと洗浄したが、それに飲料水を注いで飲むことが躊躇われるくらい、何かを感じてしまい、それを正解だとは思えない。
「もしその可能性が正解だったとして、それが何故最近になって頻度を増してみられるようになったんだろう」
別に他に三人の気力を削ぐ為ではなく、単純な疑問として牧が野々口から漏れたその言葉は、しかし四人が考える可能性にまだ議論の余地があることのみを証明し、再度振り出しに戻った。
レーベンスラウムの政府会議に出席するほどの魔族であれば最近地上に着たという可能性は低い。久瀬居一人を除く上層部の者はほぼ全員が『生存圈』時代から地上に来ていた者ばかりだというのは、久瀬居一人の就任式典で明らかにされている。
現在四人が言える解答は、分からない、ということだけ。
それからまた、しばらく思考していると医師が戻ってきた。それを見て皆、これ以上議論していても埒があかないと判断し、牧ヶ野にとりあえず休むことだけを命令して、自分達の持ち場へと戻っていった。
「……仕方ない…せ」
「ですがっ! カミラは……者…ですよ」
誰かの会話が聞こえて視線が止まる。
いつもとは違う場所だ。
廊下?
視線がひとつの扉に向けられる。
自分がその扉へと不安そうに近づいているのが分かる。
「やつは…だ。こ…計画に支障を…ねない」
先程よりははっきりと扉の向うの声が聞こえてくる。
「では、私が…の……施設を…撃し、……を阻……ますので」
「それは…ない! お前……くなると…に支……る」
どうやら男女が何かについて口論をしているようだ。
しかし男女と言っても痴話げんかのような穏やかな雰囲気ではない。女性の方はなにやら切羽詰まっているように懇願し、男性の方は冷酷とも言えるトーンで応対している。
そんなことを考えているうちに、何かを察したのか視線が移動し、カミラは走り出す。
何か焦っているような走り方だ。
「はぁ…っはぁはぁ」
すぐに息が切れ始めた。どうやら魔法による体力補助を施し忘れていたようだ。
ん? 体力補助の魔法なんてあるのか?
自分の知らない知識がさも当然のように思考を過ぎって戸惑う。
けれど、それ以上に衝撃的な言葉が自分の口から発せられる。
「はぁはぁ……私が、殺される?」
二一一〇年十月、青森県(青函トンネル前、東津軽郡今別町浜名)
十月にもなるとほぼ二ヶ月間耐えていた北海道戦線は瓦解し、陸地の最終防衛ラインを松前半島、海上の防衛ラインを津軽海峡まで下げていた。
その影響もあり、牧ヶ野達シュヴァルツ開発チームは前線組と安全圏組と分けられ、前線組は変わらず青森の浜名で、安全圏組は東京で研究・開発をすることになっていた。
周囲の勧めや政府からの命令もあったが、牧ヶ野を始めとした主任三人と甲斐谷副主任は青森に残ることにし、シュヴァルツの最終調整に入っていた。
本来であれば先月中に完成していたはずのシュヴァルツだが、牧ヶ野の体調が優れないことや、完成前に実戦投入を命令されたことにより、試用機のほとんどが不具合や事故で大破してしまったのが完成品の製造を遅らせた。
現在最終調整をしている三機のうち二機はほぼ一から造ったもの。しかも二組に開発チームが分けられたことにより、前線組の技師や研究員は本来の三分の一以下となっている。
それに前線が下がるごとに前線組の人員が削られるていることから、牧ヶ野達ひとりひとりの負担は日に日に大きくなっていく。今では牧ヶ野と君津も技師に混じり、実機へのパーツ設置や装置の製造にまで携わっている。玉懸や甲斐谷も牧ヶ野達がいない間のデータ観測や搭乗者達のシミュレーションを使った運用訓練などで手一杯。
他の前線組はその忙しさから礼を言う暇もないが、実際に彼ら四人が安全圏組にいたらシュヴァルツの完成は更に遅れていただろうと思っている。そして完成が遅れるということはすなわち、彼らの死を意味する。
前線は日に日に下がっている。現在のペースであれば今日中には仕上がるだろうが、牧ヶ野達がいなければ完成前に前線は仙台あたりまで下がっていた可能性がある。
故に、前線組の開発メンバーは全員、牧ヶ野達に感謝をしながら彼らに負担をかけまいと全力を尽くして一致団結していた。これが結果的に開発ペースの向上を可能とした。
先月までは心の余裕だけではなく、開発メンバーに牧ヶ野を忌避する者がいたことから一部の開発にどうしても遅れが出していたが、今は契約不可者の指示を聞きたくない者は安全圏へと避難したことから全員が全員、牧ヶ野の指示の元で全力を注いでいる。
指示系統がひとつになったことで作業効率が飛躍的に上がり、牧ヶ野も全体像を把握しやすくなった。数百人規模の膨大な人材を、末端に至るまで牧ヶ野が管理するのは元々不可能だったのだ。けれど現在の百人弱という開発チームレベルであればそこまで難しくはないと牧ヶ野は感じている。
元来牧ヶ野は指示を出すのが下手なのではなく、上手い方だった。その指示が忠実に行われていれば、各人員の能力を把握できていれば、牧ヶ野とて手足を操るより容易く人を動かせる。
その結果と成果、そして証明が開発速度の向上だ。
安全圏へとメンバーが避難してから、多くの人が牧ヶ野の指揮能力に驚いた。それは昔から彼の近くにいた玉懸もそうだった。いや、彼女が一番驚いたのかもしれない。それくらい彼の指揮能力は常軌を逸していた。
彼は各人員が手持ちぶさたになる時間を、彼らの性格を、能力を、彼ら自身以上に理解し、的確な指示を出した。そして本来であれば多発する疲弊による不満や喧嘩などを起こさせず、この忙しいという時期に十分な睡眠を取らせ、仕事をさせた。
けれど指示を与えるということで彼らの思考力を奪うようなこともしなかった。牧ヶ野は考えることも指示の一部に含めていたのだ。効率の良い完璧な指示を与える上で最も難しいことを、彼は容易くやってのけた。
皆が牧ヶ野郁江という人物に尊敬の念を抱かずにはいられず、玉懸には『牧ヶ野国家』が樹立したようにも見えた。
しかしそんなものは夢だとでもいうように、最終調整をしている彼らの下に、ひとつの通信が入った。
「ルースタングの輸送機がそちらへ向かっております」
その声にメイン開発室メンバーの手が止まる。
いつも冷静な甲斐谷でさえ、一瞬口を開けて止まってしまった。
「……何機ですか」
「五機。このままで行くと約一時間後にはそちらに到着するかと」
シュヴァルツの開発がレーベンスラウム側に知られていたのは牧ヶ野の夢から聞いていたことだが、甲斐谷以外の開発メンバーはそれを知らない。彼女は周りを見回して、その事を思い出す。
「諒解。軍本部へ救援要請をお願いします」
少し震える声を抑えながら、いつも通り冷静になるよう心がけて甲斐谷は返答する。そして通信が切れると同時に振り返り、牧ヶ野にこの事を伝えるように指示を出す。
「牧ヶ野主任! レーベンスラウムが……」
恐怖に脅える開発メンバーが牧ヶ野に施設内通信をしているが、どうも状況を上手く整理できず、牧ヶ野の指示も上手く聞き取れていないようなので、甲斐谷が代わる。
「主任」
「何機がどれくらいで到着するんですか?」
この事態を想定していたかのように牧ヶ野は冷静に甲斐谷に問う。その様子を見て、甲斐谷は安心する。大丈夫だ。この人がいれば全部大丈夫だ、と。
「五機、一時間後です」
甲斐谷の報告を聞いて、十秒ほど考えるような仕草をすると、牧ヶ野は返答した。
「開発メンバー全員の退避を、マニュアルに沿ってお願いします。それと搭乗者は待機所へと向かうように伝えて下さい」
「実戦で使われるのですか?」
「それしかないですね」
「ですが、まだ最終調整がレベルシックスまでです」
「一時間あれば残りは僕ひとりでやれます」
「そんなっ! 主任だけを残して退避などできません!」
「やらなければ全員死にます。僕のことは誰にも告げずに、皆を退避させて下さい」
一方的に通信を切られ、かけ直しても応答はない。
甲斐谷は絶望しながら考える。
何が必要なことなのか。
何をすべきか。
何を守るべきか。
「皆に退避命令を。必要であればマニュアルを参照して下さい」
決断の言葉を開発室メンバーに告げ、退避マニュアル通りに皆が行動する。
「ステフ。貴方、正気?」
「正気よ」
質素な部屋で紅髪のステフが銃をこちらに向けている。
液体が頬をつたうのが分かるが、それが汗なのか涙なのかは分からない。
「同胞を殺してまで守るべき世界になんの意味があるの!」
返答はない。
ステフはただ哀しそうな眼をこちらに向けている。
そして、その銃を握った指に力が込められようとするが、先にこちらの口が開かれる。
「私を殺せば対処しようのない契約者が増えるだけよ」
契約者が増える?
僕と同じように驚いているステフが口を開く。
「貴方、もしかして仮契約の義を行ったの?」
「ええ、今も彼はこの場面を見ているわ」
見ている? 彼?
僕が見ていることに気付いているのか?
『そう、貴方と私は同じ魂を分かつもの』
唐突に聴覚とは違う場所から言葉が聞こえてくる。
驚いて何かを口走っているステフの顔は見えるが、彼女の声は聞こえない。
もしかしてカミラと話せる?
そう考えると同時に返答が得られる。
『私の名前も、もう知っているのね』
君はなんなんだ? 僕と同じ魂って―。
『大丈夫。もうすぐ分かるわ』
『ただ、その前に名も知らない貴方に尋ねておきたい』
『貴方はその命を賭して世界を、魔界を含めた世界を守りたい?』
世界を守る?
そんなことできるわけがないじゃないか。
『では質問を変えましょう』
『貴方は命をどれだけ救いたい』
『自分のものだけ?』
『親しいものだけ?』
『知らない人も敵も含めた多くのもの?』
それは、できるだけ多くの命を救いたいに決まっている。
僕が救える命があるなら自分のを投げ捨ててでも救いたい。
その為に僕はシュヴァルツを開発したんだ。
『……そう。貴方が開発していたの』
カミラの感情が垣間見える。しかしそれもほんの一瞬だけ。すぐにカミラの声が聞こえてくる。
『その心が偽りでないのなら、私の契約しなさい』
契約?
『世界を救い、命を守る契約』
契約すると僕はどうなる?
『力を得るわ』
力?
『そう。人間では到達できないレベルの力』
そこまで聞いて僕は理解できた。
質問の意図。彼女の意図。彼女の望み。
それらは全て多くの命を救うに足る人物かどうかを見極める為だったのだ。
だから、僕ははっきりと返答する。
『契約させて下さい』
カミラの唇が歪められるのが分かる。
「貴方、成功させたのっ!?」
「……ステフさん。ごめんなさい」
僕の意思でカミラの口を使い、彼女の身体を使い、ステフの銃を奪う。
そしてその銃を自分の頭に当てて、僕は引き金を引いた。
「イクエちゃんっ! イクエちゃん!」
牧ヶ野が目を覚ますと玉懸と君津、それと甲斐谷の顔をのぞき込んでいた。
「―いつっ!」
身体を動かそうとして、頭部に痛みを感じたが、即座に消える。そして夢の内容を思い出す。
「今なんじ―」
牧ヶ野が問う前に近くで爆発音が聞こえる。
「待機所の方か?」
「……そんな」
「まだわっかんないよ! カイちゃん、搭乗者達に騎乗の指示を」
玉懸の指示に甲斐谷が即座に従い、手に持ったデバイスをいじる。しかし次の爆発音が聞こえても彼女は口を動かさない。
「搭乗者達と連絡が取れないんですね」
四人全員が分かっていることを、あえて牧ヶ野は問う。
それに対して甲斐谷は絶望を含んだ表情で肯く。
「それじゃあ…雅之は三号機。甲斐谷さんと萌花は二号機に入ってくれ」
もう避難できる時間がないと理解した牧ヶ野は君津達に指示を出す。しかしそれに対して当然な疑問が玉懸より発せられる。
「みんなシュヴァルツに入ってたら死んじゃうよ」
君津も甲斐谷も同じ事を言いたそうに抗議の視線を牧ヶ野に送る。けれどそれに対して彼は晴れ晴れとした表情で「大丈夫」と応える。
そんな牧ヶ野をこれ以上の質問をせずに信じた面々は各自シュヴァルツへと入っていく。そして自分以外の全員が入ったのを確認してから牧ヶ野も同じく一号機へと搭乗する。
カミラとの契約をする前まで牧ヶ野は一号機の最終調整をしていた。君津達が、牧ヶ野が契約するために気を失っている間に他の機体を調整してくれたかは分からないが、それに賭けるわけにはいかない。そう彼は決心して、一号機を起動させる。
魔法の使い方はもう知っている。
カミラとの契約から、彼はカミラの記憶も有していた。
きっと彼女の言っていた通り、人間よりも魔法使用については上だろうと彼は自己判断を下す。
魔法エネルギーを全身に隈無く行き通らせ、シュヴァルツの各部が自身の意思通りに動くのを確認する。それと同時に玉懸から通信が入ってきた。
「えっ!? えっ! えぇぇぇぇぇぇ!!! イクエちゃんがなんで起動できてんのっ!? てか、イクエちゃんが入ってるよね? おーとーせよっ!!!」
至近距離から牧ヶ野の鼓膜を損傷する衝撃波が発せられて、彼は思わず通信を切ってしまう。そして、すぐに通常音量で君津から同じ内容の通信が入る。
「それに関しては生き残れたら説明する。とりあえず今は外の連中を片付けてくる」
「りょーかい。格好いいねえ」
最後によく分からない感想を言われたが、牧ヶ野は気にせず通信を切る。
「まずは、他の二機を目に触れさせないようにこの格納庫からでないとな」
そう言って、牧ヶ野は施設の平面図を頭に浮かべて、ルートを決める。
シュヴァルツはパワードスーツとはいえ、走行やら装置やらを詰め込んだ所為でかなり大きい。人が通る通路は当然の如く狭すぎて使えないが、このような緊急時に機体を施設内から搬送する為の通路はある。
その通路を使って牧ヶ野は可能な限り素早く外へと出る。
そして、唖然とした。
施設の半分。敷地内にあった木々。周辺の住宅などを含む建造物。これら全てが破壊され、燃やされていた。
その原因を作った存在が5つ。君津達のいる残り半分の施設を壊そうとしていた。
幸いにも彼らは五百メートルほど離れた位置にいる牧ヶ野の存在には気付いていない。
「よしっ!」
破壊されたものに関しては哀しいが、まだ人は死んでいないはずだ。そう区切りを付けて、牧ヶ野は脚により多くの魔法エネルギーを巡らせる。そして巡らせたエネルギーを爆発させるように駆け出し、一体のルースタングに体当たりをする。
呆気に取られている他の四機を無視して、まずは一機を再起不能にする為、牧ヶ野の中で構築された理論でルースタングの急所にあたる腰の一部、人体でいうと脊髄と骨盤が繋がる部位を魔法で刃状にした右椀部で突き刺す。
そして次に、一番近い機体に照準を合わせて、筒状に変形させた左腕部から土塊を放出する。
鈍い衝撃音と共に土塊が当たったルースタングのコックピット部が露出され、今度は筒の先を搭乗者に向けると、その魔族はすぐにコックピットから悲鳴を上げて逃走し始める。
そこまで来て、やっと残り三体が牧ヶ野のシュヴァルツを驚異と認識したようで、彼を囲むように動き始める。
しかし囲むということは一体一体が密着していないということで、牧ヶ野にとっては各個撃破のチャンスと言えた。だが、同時に攻撃されてはそうも言っていられない。
故に三体が完全に自分を包囲する前に、牧ヶ野は正面の一体を右腕部の刃で斜めに斬りつける。
切れ味は良好のようで、すぐに頭部と右椀部が切り離されてコックピットにいるパイロットが露出される。そしてパイロットは先程のものと同じように機体を捨てて逃げ始める。
そこまできて牧ヶ野は自分が構築し、シュヴァルツの原案となったルースタングの構造が正しいものだと確信した。
彼が構築したルースタングの構造はコックピット部に近ければ近いほど動作に重要な装置が配置されている、いわば一点集中型の構造だ。これは腕がもげたり頭が破損するだけでは多少の問題しか起こらないという設計で、更に自身を守るという本能に最も適している。
それが理解できた牧ヶ野は一体に左腕部から土塊を放出して牽制し、もう一体を右腕部の刃で切るように戦う。
この戦法で二体をほぼ同時に撃退できると牧ヶ野は思っていたが、土塊を放出していた方は見事に全てを避けた。そして、改めて正面から相対する。
そこで牧ヶ野は始めて相手のルースタングの形状が他のものと少し違うことに気付く。その機体には肩の部分に肩当てのようなパーツと、胸部に勲章のような装飾が施されていた。
「隊長機ってところかな」
しかし相手が隊長機であっても、牧ヶ野にとってはやることが変わるわけではない。相手の搭乗者を傷つけずにこの戦闘を終わらせる。それが彼の作戦目標だ。
「貴様、本当に人間か?」
突如オールレンジの通信が入ってくる。
「馬鹿か? 戦場でオールレンジ通信なんて、デメリットしかないだろう」
そう言いながら、牧ヶ野は魔法エネルギーをシュヴァルツの動作システムに注ぎ、相手の通信を通じてシステムにハッキングしながら、同じくオールレンジの通信で相手に応じる。
「人間ですよ。魔族さん」
「貴様の魔法技量、明らかに人間のそれを越えている」
それはそうだ。魔族の技量をそのまま継承したのだから、と思いつつ、牧ヶ野は会話を長引かせる案を考える。通信回線を通じてしているハッキングは、魔族が作った動作システムにも問題なく行われていた。そのことに多少驚きはするものの、今はそんなことに注意を奪われてはならないと自分を律して、会話を続ける。
「そう言われましても……コックピットを露出して見せて差し上げたいですが、今は戦闘中ですし」
「それなら、貴様のコックピット部を無傷で引きずり出してやるっ!」
そのかけ声と共に、相手のルースタングが突進してくるが、台詞から行動が丸わかりだったので、牧ヶ野は難なく避ける。
相手の通信を長引かせる為、再度構える相手に牧ヶ野は尋ねる。
現在ハッキングは相手の動作システム解析までを終えたところだ。
「見たところ隊長さんのようですが、部下のパイロット達は助けなくてもよろしいのですか?」
「ここは前線も近い。あいつらなら簡単に戻れるだろ」
「しかし、それは叶いますかね?」
「……どういう意味だ」
「貴方達が輸送されている間に軍本部に連絡は済んでいます。今ならこの近辺は近場の隊に囲まれているでしょうね……何しろ五機もルースタングを投入してきたのですから」
牧ヶ野のはったりに相手が反応する。軍本部には確かに連絡しているが、ここは前線に近すぎる。ここら辺一帯の軍事基地はほぼ空っぽで、戦闘できる兵士達は皆前線へと駆り出されているだろう。東北南部の軍隊だって到着するのにはあと二、三時間はかかるだろう。
そして相手が口を開くのと同時に、相手のルースタングが使用している通信回線の頻度解析が済んだ電子音が鳴る。これで相手の使用する通信回線と動作を管理するシステムが判明した。
「それは本当か?」
「ええ、ですので、僕としては貴方が部下達を連れて逃走してくれるとありがたいのですが―」
「そんなことができるかっ!」
「でも…しないと本隊が到着しますよ。それともそれまでに僕を倒せるとでも?」
若干の間が空く。
その間に牧ヶ野は相手がどのような行動を取っても対処できるようにシュヴァルツのシステムにエネルギーを注いで準備しておく。
「……お前を信じてやる」
意外とあっさりと退く判断を下せる相手の言葉を聞いて、牧ヶ野が好戦的だと思ってた相手の人格評価を誤っていたことに気付かされる。
「それでは、そうして下さい」
相手に敬意を示しながらそう言って、牧ヶ野は両椀部の武装を解除する。しかし勿論、相手が仕掛けてきたらいつでも武装を装填できるようにはしてある。
けれどそんな牧ヶ野の心配も杞憂に過ぎず、相手は背中を向けてまだ周辺にいた部下達をルースタングの手に集め始める。
「貴様、名前は」
「牧ヶ野郁江です」
「俺は、ヨセフ・ダイル」
牧ヶ野は期待していなかったが、またも意外にヨセフは自身の名を教えてくれる。そして、言い終わると同時に北海道方面へと向かって走っていった。
その背中を見ながら、牧ヶ野はヨセフという人物が少し理解できたような気がした。
「彼とは仲良くなれるかもしれないな」
そう言いながらも、彼は無残な景色と化した周辺に哀しみを感じずにはいられない。