
駄文集
伽藍球《四章~終わりの始まり~》
二一一〇年十月末、函館仮設基地
牧ヶ野の出動から二週間後、彼はやっと一息つくことができた。
彼はシュヴァルツの操縦をしてから一週間ほど、青森基地の独房で拘束されていた。
原因は、契約不可者がシュヴァルツを操縦したこと。勝手にオープンチャンネルで敵と交信したこと。これらの二つが主な罪状だったが、いつの間にか施設の破壊や周辺住民の避難を阻害したなど、してもいないことまで加えられていた。
要するに、浜名の開発施設付近で起こった問題を全て牧ヶ野の所為にされたのだ。その結果として彼が幼い頃に受けていた暴力を思い出させてくれるくらいの行為を受けた。
しかし彼の下で働いていた開発施設の職員達が抗議し、更に彼がシュヴァルツを契約者以上が出せる数値で操縦したことから、その懐かしいとも言える地獄はたった一週間で済んだ。その代わりに牧ヶ野は、彼が得たレーベンスラウム側の知識を政府に報告することと、彼がシュヴァルツの搭乗者であることを公にしない魔契約書に署名させられた。
後者については牧ヶ野以外の職員達も署名させられた。
シュヴァルツは契約不可者が開発・設計していなくてはならないのだ。その人物が魔法を使え、シュヴァルツを操縦できると公表すれば、誰も国連を信用しなくなってしまう。例えそれが、一部の契約不可者が産まれた真実であったとしても。
そして勿論、政府は牧ヶ野に国連を裏切らないという内容の魔契約もさせようとした。しかしそれについては開発職員全員が批判した。
「主任は国連の傀儡にはならない!」「主任の自由を奪うな!」「人権を無視するな!」など国連側の批をふんだんに盛り込み、更には自身らが魔契約をする前だったのを良いことに、牧ヶ野のことを公表するとまで言って国連側を脅した。
その結果として、彼らの魔契約の内容が『国連側が牧ヶ野郁江に服従を強いらない限り、我々も牧ヶ野郁江が契約不可者であることを公表しない』という内容に書き変えられた。
当時のことを思い出すだけで牧ヶ野は彼らに感謝の念から泣きたくなる。しかし当の彼らは「そんなこと大したことありませんよ」と言い、牧ヶ野に感謝をさせてくれない。だから彼は自身を守ってくれた職員達が不利にならないように、北海道奪還の任に精を出した。
しかしそれは一機での出撃ばかり。
一対多数の連戦に次ぐ連戦。
玉懸や甲斐谷は牧ヶ野の負担を減らすように上層部に掛け合うほど戦闘尽くしの日々が続いた。
しかしそれも今日まで。
今日からは奪還した函館の仮設基地で君津と甲斐谷を含めたシュヴァルツ搭乗者の訓練を最優先とするように政府から命じられた。
勿論、すぐに残りの北海道を奪還すべく命令が下されるだろうが、現状では使用できる機体が三機しかなく、そのうちのひとつ、牧ヶ野が搭乗する一号機に関しては膨大な魔法エネルギーが注ぎ込まれたことからかなりガタがきている。
本来契約者用であることから、そこまで膨大な魔法エネルギーが注がれるように設計されていない。いくら牧ヶ野がそこを考慮して注入するエネルギー量を考慮しているとはいえ、連戦続きではそんなことに構っていられるほどの精神的余裕がなくなってくる。
けれど、それは牧ヶ野が疲弊しているからではなかった。むしろ彼は疲れを知らない機械の身体を得たかのように、以前にも増して寝ずに行動していた。
昼は戦闘、夜は戦闘で得られたデータの解析及び改善点の摘出。これを独房で暴力を振るわれて、肉体的にぼろぼろだったはずの解放された次の日から行っている。そんな彼を見て、多くの人間が心配したが、その心配が不要だと昼の戦闘で証明するようにレーベンスラウム側を圧倒する。
彼と日夜共にいた玉懸が推測するに、牧ヶ野は人間には到底扱いきれない魔法エネルギーを手に入れ、その多くを自身の体力回復に割り当てているのではないかと思われる。しかしそれを玉懸が本人に尋ねても、彼は肯定も否定もしない。
そんな危なっかしい彼を見ているから、玉懸も最初はシュヴァルツの搭乗者候補として手を挙げた。けれど牧ヶ野がそれを許さなかった。理由は君津や甲斐谷がもう既に志願しており、玉懸が抜けると研究・開発側に大きな穴が空いてしまうからだ、という一見まともなものだった。しかし玉懸とて子供ではない。そんな理由で納得はできなかった。
牧ヶ野はいまだ研究・開発側にいるし、君津や甲斐谷の志願がまかり通って自分のだけ通らないのは納得がいかない。そう玉懸は抗議した。けれど、牧ヶ野は今までとは違い、彼女の苦言を聞きはしなかった。ただ「これは決定だ」と今までの牧ヶ野からは想像もつかないくらい自信に満ちた声で、彼は玉懸の言葉を無視した。
他にも牧ヶ野には変わった点が見受けられた。
全てを一言で表わすなら、それは自信がついたようだ、と言えるが、どうやらそれ以上に心境の変化があったように玉懸には見えた。しかしその心境の変化を推し量ることは彼女にはできない。原因はカミラという魔族の知識や経験が彼の中に入ったというのは理解できるが、どうにも今の牧ヶ野は理解し難い『何か』を内に抱えているようだとしか玉懸には思えなかった。
その『何か』を知る為、牧ヶ野が政府に報告するレーベンスラウム側の情報をハッキングすることで読んだりもしたが、彼女には分からない。
彼女が唯一それに近しいと感じられたのは『契約者の虐殺』に関してだが、それはカミラのことを夢で見ていた時にほぼ判明していることだ。そこまで今の別人とも言える牧ヶ野へと人格を変貌させうるものではない。
そんな腑に落ちない何かを考えながら、玉懸は今日から訓練に従事する面々を横目で見る。君津に甲斐谷、それに数名の元前線職員と南アメリカ大陸戦線の軍人達。彼らは真剣に牧ヶ野のいう操縦方法を聞き、シミュレーションをしている。
外国の軍人達は牧ヶ野が契約不可者であったことを知らされていない。彼らは牧ヶ野が松前半島で繰り広げた圧倒的な殲滅行為を動画で見た者たち。故に彼を優れた契約者だと信じて疑っていない。勿論、玉懸を始めとする元前線職員も彼らに牧ヶ野が契約不可者であったなどと言うつもりもないし、事前にあの動画を見せられては説明したところで信じてもらえないだろう。
そんなことを考えながら玉懸はシミュレーション用の機器からフィードバックされる各候補者達の動作データを牧ヶ野に転送する。
「三番と八番。一ヶ所だけではなく全身に魔法エネルギーを巡らせろっ!」
「諒解!」
「申し訳御座いません!」
以前の牧ヶ野なら聞いただけで謙遜してしまいそうな返答にも、彼は気にせず対応する。
「言葉はいらない。言われたことを忠実にこなせっ!」
そこから更に三時間ほどシミュレーションは休憩なく続けられた。
牧ヶ野が言うにはこうすることでシュヴァルツの長時間稼働を可能とするらしい。
理屈は分かるが、初日から飛ばし過ぎとしか思えず、玉懸はできるだけ軽快に抗議する。
「イクエちゃん、きびしぃねっ! よっ、鬼軍曹!」
しかしそれを迎える牧ヶ野の表情は見たこともないもので、玉懸は怯んでしまう。
「これがこいつらの命を救う。それに僕はもう少佐だ。そこら辺はわきまえてもらおうか、玉懸主任」
萌花、ではなく玉懸主任と呼ばれたことに彼女はショックを受ける。それは明らかなる拒絶だったからだ。
『僕はお前と以前のように接する気はない』
玉懸には、彼にそう言われた気がした。
しかしそんな玉懸を気にもせず、牧ヶ野は次の訓練内容を説明し始めている。君津と甲斐谷も驚き、玉懸を心配するような視線を向けてくれていたが、すぐに牧ヶ野によって注意されてしまった。
イクエちゃん、何があったの?
玉懸はそう思いながら寂しそうな視線を彼に向けるが、牧ヶ野はこちらを見向きもしない。
牧ヶ野少佐によるシュヴァルツ操縦訓練が始まってから約一週間が過ぎ、飲み込みの早い者は牧ヶ野の補佐として前線に赴いていた。
その間、牧ヶ野の変化が何によるものかを調べていた玉懸は、彼が国連に送っているレーベンスラウムの内部情報に気になる要項を発見した。
それは【契約者の虐殺目的】と題されたデータだった。
内容を要約すると、契約魔族を殺すことで、その魔族と契約をした人間に魔族の魂が結合し、その者が永遠に魔法を使えなくなると言うもの。そしてその為にレーベンスラウム側は今まで契約した人間を魔界のデータバンクから引っ張ってきており、その各個人が現在何をしているか詳細に調べているのだという。
軍属は勿論、現在の人間が生活をする上で必要不可欠な要職に就いている者は、守ることすらできないくらい大勢いる。言うまでもなく彼らは魔法を用いて今の生活水準を保ってくれている者たちだ。魔法が使えなくなったら現在の生活水準は簡単に数世紀前のものへと戻ってしまうだろう。最悪の場合は飢饉が起こり、飲食物の奪い合いが世界中で起こることもあり得る。
それくらい今の人類は魔法に依存していた。
皆それを知りつつも、化石燃料と違って枯渇することがないエネルギーだと信じて使っている。
確かにそれ自体は間違えではない。魔法エネルギーは星体内に存在する自然エネルギーだ。使う傍から地球へと還り、永遠に枯渇することなく循環する夢のようなエネルギーだ。
だが、それは魔法が使えるという大前提の元に成り立っている。そして今、それが崩れるかもしれない内容が魔族の経験と知識を内に取り込んだ牧ヶ野が報告した。
けれどそんな世界的な問題よりも、玉懸は他に注目すべき点でもあったように、その報告書を盗み見たときは安堵していた。
「イクエちゃんは変わっていない」
確信したようにはっきりと彼女はそう口にし、行動を始める。
まず君津と甲斐谷をひとりひとり呼び出し、彼らに契約魔族の虐殺についてカマをかける。すると案の定、彼らはそのことを知っていただろう反応が得られて、玉懸は更に嬉しくなりつつも怒りを感じた。
彼らは玉懸をひとりだけ安全圏へと追いやろうとしていたのだ。勿論それは研究を続ける人物が最低でもひとりは必要だという、妥当な見解もあったのだろう。実際にそれは君津と甲斐谷の口から聞けた。
しかし君津らは他にもこう告げていた。
牧ヶ野が玉懸の優秀な才能を守りたかったのだ、と。
確かに玉懸を含めた彼女らが研究している分野である魔科学は魔法を使えることが絶対条件に近いくらいに必要な能力ではある。しかし牧ヶ野は契約者の為に魔科学を専攻していたわけではない。それを玉懸は知っている。
彼は契約不可者、つまりは魔法が使えない者たちが魔科学の技術を利用した装置を使って、契約者に近しい力を使えるように研究を重ねていたことを。
勿論、言うまでもなく牧ヶ野も彼女がそれを知っていることを知っている。だから彼が玉懸の才能を守りたいのだ、と君津達から聞いた時に彼女は牧ヶ野に契約不可者達の未来を託されたのだと理解した。
そして彼の報告通りレーベンスラウムが強行手段に出た場合、それは契約の有無なく人類に降りかかる問題だ。
つまり自分は人類の未来を託されたのだ。
玉懸にはそう思え、哀しくなった。
何故ならそれは、その未来に牧ヶ野郁江という人物の不在を示唆しているからだ。
牧ヶ野がいるならば玉懸に未来を託す必要などない。彼は玉懸以上に魔法を上手く扱えるのだから。そして魔法能力を失う可能性もない。
だが、彼が魔法能力を失う可能性はひとつだけある。
単純な死だ。
誰もが最後に行き着く、生命の終着点。
その先にレールはなく、車庫もない。真の意味での終着駅。
その可能性が今の彼にあることは誰にでも分かる。彼は戦争に、戦地に日々赴いているのだから。
それに彼と契約するはずだったカミラの最期を看取ったのは久瀬居一人の側近。レーベンスラウムが彼の危険性を知らないわけがないのだ。
故に彼が戦場に向かわなかったとしても、いつかは暗殺されてしまうだろう。それくらいに、今の牧ヶ野郁江という人物は驚異なのだ。だから国連も彼の裏切りを恐れて魔契約書を持ち出した。たんなる兵器開発の約束をした時とは違う、完全に逃れることのできない高位な魔法を用いた最高級品だ。同じものは新国家の国連加盟時にくらいしか使われない。
だが、国連側は牧ヶ野の警護を、身柄を保証しているわけではない。
何故なら彼が死のうが国連側には問題がないからだ。
彼はもうシュヴァルツを完成させた。その操縦方法を他人に教えている。
それ以上の功績は牧ヶ野に対する国連側の警戒を強めるだけだ。
国連は彼に戦果を期待してない。いやむしろ彼が戦果を上げる度に脅えている。
彼はいつか国連側を裏切るのではないか。
魔契約を反故にするのではないか。
人類を滅ぼすのではないか。
勿論、魔契約を反故にする方法など牧ヶ野は知らない。元々魔契約自体が魔界で生まれたシステムだ。魔族とてその契約に叛くことはできないからこその魔契約だ。そこまでの必要性がないのであれば口約束で足りる。
だから国連側は杞憂をしているに過ぎない。
空が墜ちてくることはないし、牧ヶ野が裏切ることもない。
けれど人は自分の限界を遙かに超えた者を恐れる。
化物というレッテルを貼り、遠巻きに襲われる想像だけをして、それが事実になると盲信してしまう。
同じように牧ヶ野にも国連はレッテルを貼り付けた。
それは化物なんて生易しいものじゃなかった。
彼に貼られた付箋の文字は『人類殲滅兵器(リツター)』と書かれている。
彼が頑張ってレーベンスラウムの勢力を撃退している様子から、国連は彼が快楽殺人者にでも見えてしまったらしい。
実際に彼はまだ、ひとりの魔族を除いて命を散らせていないというのに。
しかしそんなことを国連に知らせようものなら今度は「やはりいつ裏切られるか分からないな」などと彼らは口にするだろう。
だが、幸か不幸か牧ヶ野の元でシュヴァルツの操縦技術を学んでいる者たちは軍人も含め、彼のそんなところを尊敬していた。
牧ヶ野は彼らに敵搭乗者を殺さずに『ル-スタング』を行動不能にさせる技術を教え、彼らも従順に牧ヶ野から学んでいる。
以前から彼の下で働いていた技師や研究員は、最初は玉懸と同じように彼の変貌に驚いた。しかし、すぐに新しい牧ヶ野を慕い始めた。それは牧ヶ野という人物の根幹が変わらないから、というのもそうだが、彼の指揮能力や天才的な思考力が更に向上したからだと言えよう。
ただ、玉懸は契約魔族の件を知ってから、彼の成長した能力に不安を感じずにはいられない。元より彼は各人員が思考するように指示を出していたが、今の彼は皆を育てるように指示を出しているように玉懸には見えたのだ。
自分亡き後、穴が空かないように。
そう見えてしまってから玉懸は彼の行為ひとつひとつが自分の死後を想っての行動に見えて仕方がない。
だから、今日こそは問い糾さねば。
そう玉懸は毎日決心しながら牧ヶ野に近づくのだが、自分を冷たくあしらう彼の行動さえも「僕がいなくても生きていけるようにならないと」と言われているようで、彼女は尻込んでしまう。
けれど彼女も分かっている。牧ヶ野が死地に向かう事前準備をしているのだとすれば、自分もまた彼と共にあるように、彼と最後まで共にいられるように、認められなければいけないのだということを。
「あたしは牧ヶ野郁江と最後まで共にあることを誓います」
そう誰もいない寝室で呟き、彼女は何処かへと連絡をした。
二一一〇年十二月、函館仮設基地
玉懸が牧ヶ野の元を去ってから一ヶ月ほど経った頃、玉懸の行方を気にする牧ヶ野の心境とは打って変わって北海道戦線には国連軍初の勝利が見え始めていた。レーベンスラウム軍はもう既に西は釧路市まで撤退を余儀なくされ、中国やロシアでシュヴァルツの量産型試作運用機、機名『メッサー』が最後の詰めにと、この函館仮設基地に届いた。
試作型とは言え量産体制を整え製造されたメッサーの到着により、編成を組んでの作戦行動が可能となり、今までのような一号機から三号機を各方面へとまわす一対多数を前提とした戦闘をしなくて良くなり、搭乗候補生らは喜んだ。
更に中隊として行動する為、国連から牧ヶ野の上司に位置する指揮官が派遣された。
「本日付で諸君らの指揮官に配属した、福津真実だ。軍属ではない為階級はないが、大佐相当だと認識してくれれば問題はない」
福津の前に整列した搭乗候補生らと牧ヶ野が敬礼をする。
「それと、諸君らは今まで搭乗候補生という扱いだったが、今日から搭乗者として扱うこととなる。実際の違いはシミュレーション訓練を始めとして座学以外の訓練の任を解く」
福津の言葉に訓練生達が敬礼をしたまま笑みを綻ばす。それを見ながら福津は牧ヶ野に視線を移す。
「君が牧ヶ野少佐だな」
「はい。よろしくお願い致します」
牧ヶ野はそう言いながら敬礼をしようとするが、それを福津に止められる。
「君も私も元々は軍属の人間ではない。堅苦しいのは止めておこう」
福津から手が差し伸べられ、多少緊張していた牧ヶ野は少しだけ安堵してその手を握る。
「早々に申し訳ないが、君には色々としてもらいたいことがある。時間はあるか?」
「はい。訓練の時間がなくなったので、午後までは」
「ありがとう。……それでは諸君らには今後更に活躍してもらうこととなる! 今日はゆっくり休んでくれ」
福津の言葉に皆が喜ぶ。
最近は訓練と任務ばかりで碌に休ませてなかったからな。
牧ヶ野はそう思い、訓練生ではなくなった者たちの背中を見送る。
そんな牧ヶ野の横顔を福津は見ながら牧ヶ野という人物を把握しようとするが、そんなことをするまでもなく彼は理解できていた。
牧ヶ野は幼き頃の久瀬居に似ている。それは彼が指示を出しているというこの仮設基地の職員の目を見るだけで分かった。彼らは幼き頃の久瀬居に付き従っていた大人達と同じ目をしているから。そんな牧ヶ野にかつて自分が憧れていた人物を重ねてしまいそうになるのを抑えて、福津は話しかける。
「君はこの一ヶ月間以上、この基地の全権を持っていたらしいな」
その問いにどう答えて良いか分からず、牧ヶ野は考え始める。しかし彼が解答を出す前に、元より解答を求めていなかったかのように福津は続ける。
「いや、悪い。別にその件に関してとやかく言うつもりはない。ただ、実際にこの基地の者たちに指示を与えていたのが君であるなら、色々と教えてもらいたい、という意味だ」
福津は笑顔を作って牧ヶ野に向ける。
「そういうことであれば、何なりと」
「ありがとう。それなら遠慮なく。……君にはシュヴァルツ試作機の一号機から三号機に誰が乗るのかを決めて、その理由を添えた資料を作って欲しい。量産型は試作機の問題を解決し、操作性は上がっているが、出力は試作機の方が上だ。それに試作機の方は色々と量産型にはない機能が備えられ付けているとも聞く」
「はい、操作性や出力を安定させる為に色々と試行錯誤を致しましたので」
「それは報告書を見て知っている。とにかく、搭乗者の選別をお願いしたい。必要であれば君もメッサーに乗ることを許可する。もう各部の起動確認などは済んでいるだろう」
「諒解しました。選別は今日中でよろしいですか?」
「本当ならもっとゆっくりでも良い、と言いたいところだが、北海道戦線も大詰めだ。各機の搭乗者に合わせた設定や整備の日数を考えると、悪いがそれで頼む」
「諒解です。他には何か御座いますか?」
「この基地の人員の能力と担当職務を纏めた資料。あと今後の各部署が目標としている内容なども頼みたい。……これは今週中でも構わん」
なるべく早く欲しいと言いたいが、それを諦めたように最後の一文を言って口を閉じる福津を観察しながら、牧ヶ野は手元のデバイスをいじりながら口を開く。
「それでしたら詳細なものを今送ります」
牧ヶ野の返答に驚きながら、福津の手元にそのデータが送られてきた通知が表示される。
優秀だな。
福津はそう彼を評価して、分かっていることをあえて訊ねる。
「各人員の職務を常に管理しているのか?」
「ええ、そうした方が効率がよいので」
牧ヶ野があまりにも何気ないことのように応えるので、福津は彼の心の内を推し量るように訊ねてしまう。
「しかしこの基地で働いている者は二百名以上いる。そこまでの人間を管理するのは大変だろう」
「いえ、僕が頑張れば良いだけですので」
その返答に福津は昔の久瀬居を思い出す。
『僕が我慢すれば、それで良いんだ』
そう言った久瀬居の顔が福津の中でフラッシュバックしてしまう。同時に彼の顔に、牧ヶ野に対する憎悪の念が産声を上げる。
それが見当違いなものだと理解していても、福津にはどうすることもできない。彼にとって牧ヶ野は久瀬居なのだ。そう認識されてしまった。
「君は殊勝だな。同胞に仇成す『人類殲滅兵器(リツター)』君」
「えっ……」
牧ヶ野は急に態度が変わった福津が、一瞬何を言ったのか理解できず、唖然としたまま彼が部屋から出て行くのを見届ける。
次の日、牧ヶ野は一縷の不安を抱えたまま、福津に試作機の搭乗者とその理由、そして各パイロットの能力を纏めた資料を渡しに向かった。途中、試作機に乗せるように決めた君津と甲斐谷も丁度良いので連れて行くことにしたが、福津の部屋まで来て自分が彼を怖がっているから君津達を連れてきたのだとも自己判断できた。
こんこん。扉をノックするとすぐに福津から入室を命じられる。
「試作機の搭乗者と、その理由を記した資料、並びに各搭乗者の能力や特性を纏めた資料をお持ち致しました」
「ああ、ありがとう」
礼を言う福津を見ながら、今の彼に自分に対する嫌悪感は見られないと判断した牧ヶ野は、それでは昨日のあれはなんだったのだろうか、と頭の隅で考え始める。
福津は五分くらいで全ての資料に目を通し、牧ヶ野達へと視線を向けた。
「君津雅之、甲斐谷絵理奈の両名は君と同じシュヴァルツ開発チームの人間のようだが、それがこの選任に関係していないと断言できるか?」
真っ直ぐな視線で牧ヶ野を射貫くように見ている福津に対して、牧ヶ野は怯まずに見返す。実際に試作機の搭乗者選任に私情は挟んでいない。どちらかというと私情を挟んでいないからこそ、君津達を搭乗者に選んだのだ。
メッサーの方が搭乗者の安全確保に関しては試作機の比ではない。全体的な機体性能は試作機の方が上だとしても、安全に脱出できない機体に友人を預ける気など牧ヶ野にはない。
「はい」
数秒間、福津は牧ヶ野の目を見つめて彼の言葉に偽りがないか探る。しかし福津は昨日と同じように久瀬居の顔がフラッシュバックしそうになり、すぐに目を背けてしまう。
「分かった。君を信じよう」
「ありがとう御座います。もしかしたら必要かと思い、君津と甲斐谷をお連れ致しましたが、彼らの性格や自己評価を彼らの口からお聞きになりますか?」
福津は牧ヶ野の両脇にいるふたりを見る。
君津達は少し緊張するが、別に悪いことをしたわけではないので真っ直ぐと福津を見つめ返す。彼らのその目を見るだけで、福津は居心地が悪くなる。
まるで問われているのは私のようだ。
福津がそう思いながら、牧ヶ野にその必要はないと伝える。
「かしこまりました。それではこれで自分達は失礼致します」
そう言って牧ヶ野が振り返ると同時に、福津はひとつだけ忘れていたことを思い出して、牧ヶ野の背中に命令する。
「ああ、試作機の名称だが、何か適当な名を付けておいてくれないか。一応今のメッサーも量産を前提とした試作機なのでな」
「諒解しました」
確かに試作機試作機と言っていては今後も何かと紛らわしい可能性もある。
妥当性を理解して、牧ヶ野達は福津の部屋をあとにする。
「『マキガノー』とかどうですか?」
試作機の名称について、整備員や搭乗者達に気分転換も兼ねて訊ねてみると、そんな奇妙な名前がひとりの口から出てきた。
「ロボットアニメじゃないんだぞ」
「そうだけど、実際に一号機から三号機のほとんどは少佐が造り上げたようなものだし、少佐の名前を入れた方が良い」
「でも『マキガノー』はさすがにないだろ。お前センスなさ過ぎ」
「と、唐突に思い付いたのがこれだったんだよ! もう少し時間があればもっとマシなの思い付くさっ!」
「それじゃあ『インヴォケイション・マギ』で略称『IM(アイム)』はどうでしょうか?」
「直訳で『魔法の祈り』か! 良いかもな」
「少佐のイニシャルにもなってるし」
牧ヶ野は彼らが盛り上がっているのを見ているだけのつもりだったが、判断を仰ぐように無数の視線を向けられては黙っているわけにも行かず、口を開く。
「……別に、僕の名前は入れなくても良いだろ」
「なに言ってるんですかっ!!」
「正気ですかっ!?」
「自分の子に自分の苗字を付けるのは当たり前でしょう!」
冷静に意見を述べた牧ヶ野にすぐさま全員が否定し、その理由を挙げていく。
その大半は要約すると、牧ヶ野が凄いから牧ヶ野の名前を入れるべき、というようなものばかり。
牧ヶ野はそれを嬉しく思いつつも、正直に「いや、恥ずかしいから僕の名前は勘弁してくれ」ともはや懇願する。しかしそれを機に、皆が各自好き勝手な名称を提案し始めてしまい、収拾がつかなくなってしまう。
「『メソポタミア』!」
「『国連の犬』!」
「『私はここに居る(モブじやないよ主役だよ)』!」
「『好き嫌いは特にありません(残飯イーター)』」
そして、そんな状態がしばらく続いた頃、誰かが提案した『試作機命名大会』というわけの分からないイベントが開催されそうになり、牧ヶ野自身が『スペール』と名付けることとなった。
「スペール各機、予定ポイントにて待機体制に入りました」
「メッサー各機はスペールの捕捉ができ次第戦闘行動に移行して下さい」
函館仮設基地にてスペール対メッサーで、初のシュヴァルツ同士による模擬戦闘を行っている。
司令室では福津が全体の状況を巨大モニターにて観察し、必要とあらばメッサー組に戦略を指示することになっている。
つまり、福津にとってこの模擬戦闘は牧ヶ野対自分の戦いと同義であった。
牧ヶ野達スペール隊は函館仮設基地の防衛をその戦略目標とし、福津が率いるメッサー隊はスペールの全機撃破若しくは一機でも基地の敷地内に到達できればいい。
このメッサー側に有利な作戦目標の考案は福津だ。彼は対外的には「牧ヶ野少佐の指揮能力を確かめたい」と言いつつも、本心では牧ヶ野の力がそれほどでもないと皆に見せつけたいと思っていた。
故に、牧ヶ野達は三対十五以上の圧倒的に不利な模擬戦闘をさせられている。
福津の本心を知らない君津は、牧ヶ野に不平を漏らす通信をしてしまう。
「郁江、ひとり五体以上はさすがにきつくないか?」
「スペール2、雅之中尉。作戦前に私的な通信は慎め」
「はいはい。けど牧ヶ野少佐さん、この作戦をどう成功させるおつもりですか?」
それに関しては甲斐谷も不安に思っていたので、通信には加わらないが、誰も見ていない機内で首を上下運動させてしまう。
「……」
牧ヶ野から返信はない。
「おいおい、まさかノープラントか言うなよ!」
不安をそのまま牧ヶ野にぶつける。しかし、その言葉に対して牧ヶ野は返信した。
「相手の出方を見ない限り作戦は練れない」
「いや、事前に福津指令からなんか言われてんだろ? ほら、こういう風に攻められた状況で防いでくれ、とか何とか」
「いや、言われていない」
「えっ、でも、それだと牧ヶ野さんも作戦が立てられないんじゃ―」
「だから、相手の出方を見ると言っている」
甲斐谷が驚きのあまり口にしたことを遮って、冷たい口調で牧ヶ野は再度自分が考えていることを君津達に教える。
防衛作戦の開始まで、あと五分。
牧ヶ野は静かになった君津達との通信アイコンを一度指でタッチして、切る。そして自身の頭頂部へと魔法エネルギーを集中させて、一号機に昨日搭載した索敵プログラムを起動させる。
この索敵プログラムは元々人間に備わっている五感を一時的に増幅させて、機体の熱源及び地表の振動感知装置とリンクすることで周辺にいる敵機の索敵を可能にする。
五感が増幅されるので、今は機体に当たる風すらも自身が受けているかの如く感じられ、もしこのプログラムが起動中に狙撃でもされたら、牧ヶ野は自身が撃たれたかのように感じてしまうので、いまだ改良の余地はある。しかし今回のように敵が来ると分かっている状態であれば、一度起動して敵機の反応を機体システムに認識させれば、その後はプログラムを終了させても熱源及び地表振動感知装置だけで敵機の位置を識別できるようになる。
牧ヶ野は普段は意識したこともないつばの味を舌の上で感じながら、周辺の反応を探る。
「北西、北東に五機ずつ。北に八機か」
基地から北東にその頂上がある蓬揃山(よもぎじよろさん)の森に潜んでメッサー隊が近づいてくる。
つまり基地の敷地内に到達するだけで牧ヶ野側は負けが決まってしまうので、どうしても森林地帯での戦闘が必須となってしまう。それは個体数が圧倒的に少ないスペール側にとっては行動次第で不利にも有利にもなり得る。
まず、森林地帯ということで木を使った回避行動を取ることができ、囲まれて各個撃破される前に離脱することが可能だ。勿論これには相手方に当て難い、それに操作性がメッサーの方が上というデメリットもある。
次に木が障害物となり、隊を分隊してしまう為、固まって行動することは不可能となっている。つまり木々の間を上手く行き交うことができれば、逆に相手を各個撃破することが可能だ。しかしこれも相手に同じ戦法をとられてしまえば牧ヶ野達が不利になる。そしてこの戦法は別に頭が良くなくても思い付く、森林での基本戦術だ。
つまり牧ヶ野はそれ以上の戦法を思い付き、司令塔で戦況を把握している福津に悟られないように行動をしなければならない。そこまで考えて、牧ヶ野は森全体を焼土と化す策を思い付くが、それは今回の模擬戦の趣旨を考えると使えない。
あくまでもこれは模擬戦闘なのだ。戦闘をしなくては意味がない。
かといって、牧ヶ野が全力を出してメッサー隊を全滅させても同じく意味はない。
そこまで考えて、牧ヶ野は考えるのを止めた。
「スペール2、スペール3。聞こえているか」
「はい」
「聞こえてるよ」
「スペール3、甲斐谷少尉は北東から来る五機を、スペール2は北西から来る五機を頼む。その後は状況に応じて各自判断して行動を」
牧ヶ野はそう言って相手の位置情報をふたりに転送する。
「おいおい、いつの間にこんな詳細な位置情報が手に入ったんだ?」
「それは牧ヶ野山が昨日取り付けていた索敵プログラムで得た情報かと」
「そんなの付けてたの? 俺のにも付けろよ」
「いや、まだ試作段階で問題点が多々あるらしいですよ」
「それならいらん!」
「……スペール2、スペール3。無駄話はそこまでにして、行動を開始しろ」
君津の不真面目な返事と甲斐谷の真面目な返事が同時に聞こえ、両機が行動を始める。
索敵情報のよると君津は十分後、甲斐谷は十五分後くらいに敵と遭遇する。そして、基地をひとりで防衛することにした牧ヶ野は、このまま行くと最低でも八機を相手にしなくてはならないことになった。
「そんなことにはならないはずだけど、一応準備しておくか」
そう言って牧ヶ野は左右両方の腕と肩から何本もの筒を出現させ、脚部からドリル状の物体を出現させて地表に埋め込んだ。こうすることで機体を固定させ、全面約180度に砲撃を撃つことが可能として、各機の位置情報に意識を集中させる。
「ほう。少佐が迎え撃つのか」
司令室に映し出された牧ヶ野の射撃用に変形した機体を見て、彼の魔法技術に感心しながら、自身の勝利を確信した福津は呟く。
「メッサー1から4までは、9から14に合流させて君津中尉を叩かせろ」
福津の指示に通信兵が応じる。
「甲斐谷少尉の方へはまわさなくてもよろしいのですか?」
今回の模擬戦で福津の副官を担当する職員が訊ねる。
「君津中尉を叩かせて反応を見る。もし甲斐谷少尉が君津中尉の援護に回るのなら5から8が途中で叩けるだろう」
福津の判断に納得した副官は、彼と同じように各機の動向を映したスクリーンに視線を向ける。
北方向から向かっていた隊の内、四つの点が画面の左方向へと向かっている。そして、すぐに色の違う一つの点が五つの点に近づき、戦闘が始まる。
「しかし、不思議ですね」
「なにがだ?」
「いや、今回メッサー隊の位置は牧ヶ野少佐には知らせていません。なのに彼らはメッサー隊の位置が分かっているかのような行動をしております」
「それに関しては昨日牧ヶ野少佐から報告書が上がってきている。索敵プログラムというやつを使用したのだろう」
「そんな装置を開発していたのですか!」
副官の馬鹿げた驚きには目もくれず、福津はスクリーンを見続ける。
戦闘が開始して五分。
メッサー10が撃墜され、徐々にメッサー隊は君津を包囲するように移動を始めている。それと同時に北西のメッサー隊が甲斐谷と接触し、戦闘を開始した。
福津の判断通り、甲斐谷の操縦技術は君津のものよりも下だということが巨大スクリーンの一部に映し出されている映像から見て取れる。
君津は現在七機と交戦し、少し押されているものの上手く応戦しているのに対して、甲斐谷はその半数のメッサーとほぼ互角だ。
「メッサー5を甲斐谷の方へまわせ」
福津の命令と共にスクリーンの点が動き始める。
「これで三方向からの襲撃が実現できるな」
「ええ、牧ヶ野少佐の機体形態からして応戦できる方角は多くて二方向。これで勝負は決しましたね」
副官と福津が同時に微笑むが、その表情を凍らせる言葉が通信兵から発せられる。
「メッサー15から18、撃墜されました!」
先程まで互角の戦いを演じていた甲斐谷の機体が、ペイント弾で彩られた四つのメッサーの前に佇んでいる映像が表示され、福津は何が起こったか確認する。
「メッサー17がスペール1によって射出されたと思われるペイント弾により撃墜されたと同時に、スペール3が高速機動を開始。ブレード状になった左右の腕を駆使して残り三体を斬りつけたと思われます!」
「高速…機動…?」
福津は牧ヶ野によって報告されたスペール3についている装置のデータを手元のデバイスで見直す。しかし何度見直してもそのような機能がスペール3についている記載はない。
「整備班……いや、研究班に綱げっ!」
福津の怒声と共に副官が施設内の通信回線で研究班へと呼びかける。
「スペール3が高速機動をできる装置はあるのか!?」
相手の顔が表示されると、相手が口を開く前に福津は訊ねる。そんな福津に気圧された研究員は、一瞬何を問われたか分からず、口を開けたまま固まってしまう。しかし、福津がもう一度今起こった現象を加えて詰問すると、研究者は少し考えた後に返答する。
「ああ、それでしたら―」
「知っているのかっ!?」
「ええ、あれはメッサーにも搭載されていますから」
メッサーにも?
福津は耳を疑うが、研究員は構わず説明を始める。
「あれは元々シュヴァルツの機動性能を安定させる為に取り付けた補助ブースターです。ただその取り付けられた位置関係でメイン機動制御システムと相互干渉してしまって、副産物に一時的な高速機動を可能とする機能になってしまったんです。勿論、この機能に関しては多様どころか、一回使うだけで十分ほど行動ができなくなってしまう、基本的に使うことはない機能です」
その説明を聞き、即座に福津は時計を見る。
もう五分以上経ってしまい、増援に向かわせたメッサー5も牧ヶ野によって撃墜されている。この状況から別働隊を甲斐谷の所へと向かわせても甲斐谷が動けるようになってしまう。
「メッサー6から8を甲斐谷少佐の方へ向かわせろ。それと牧ヶ野少佐からの遠隔砲撃にも気をつけるよう各機に伝えろ」
「諒解」
これで形勢は福津の有利とは言えなくなった。
福津にとって何よりの誤算だったのは、甲斐谷の高速機動よりも牧ヶ野の射程距離だ。彼の砲撃がなければ甲斐谷は隙を見つけられず、今も四機と戦闘を続けていただろう。彼の機体変形魔法にのみ捕らわれ、それが遠隔砲撃を可能とするものだと判断できなかった。福津は牧ヶ野の機体の形状を見て、たんなる連続射撃用装備を装填したのだと勘違いをしていたのだ。
この誤算によりメッサー隊はあと一歩の所まで攻め込むものの、全機撃墜されてしまい、模擬戦は終了。
模擬戦のあと数日間、戦線維持の為に北海道各地へと向かわせられたメッサー隊以外は再度牧ヶ野を含めたスペール隊によって操縦技術の指南や座学の講義を受けることになった。
元より継続していたルースタングの機体特性に関する座学に加え、シュヴァルツ全般における各種装置の座学が追加されたことにより、メッサー搭乗者達は精神的に疲れ始めている。
これを察した牧ヶ野が福津に対して参考映像の為にスペール隊の拠点制圧記録を作る作戦案を提起した。
「君達だけで網走の拠点を落とすというのか?」
「はい。君津中尉らの技量であればそれほど難しくはないかと」
「あそこにはルースタングが何機いるか分かっているのか」
福津に問われて、牧ヶ野はレーベンスラウム側の通信を傍受して得た情報を開示する。
「……26機か」
少し悩んだ後に、その数であれば牧ヶ野達は難なく攻略できると福津は判断した。けれど、福津にとって牧ヶ野にこれ以上功績を挙げられるのも何かと問題がある。そう考慮した末に福津は、メッサーを5機ほど連れて行くのであれば、という条件を付けて承諾した。
二一一一年一月一日、北海道網走市(レーベンスラウム軍事拠点)
網走市は網走湖と海に挟まれた町。そして、その町には港があり、北海道戦線にレーベンスラウムが補給物資や人員を送り込んでいる拠点の一つである。しかも北見国道のような開いた道路が通っていたり、女満別空港が近くにあるなど、レーベンスラウム側が戦線を維持するにはかなり重要な拠点の一つとなっていた。
けれどそれは北海道戦線が有利に進んでいた頃の話し。
現在レーベンスラウムは北海道からの日本上陸をほぼ諦めているようで、網走のような重要拠点でも兵隊や兵器の数はたかが知れている。
一ヶ月前までは激戦区だったこの北海道も、今では南アメリカ大陸やユーラシア大陸の戦線とは比べものにならないくらいに平和な戦場となってしまった。
故に牧ヶ野が事前にルースタングの機体数や、それらの配置を得ていなかったとしても、おそらく結果に変わりはないだろう。
それが北海道戦線に身を置く者と国連本部の見解だ。だから北海道は今、次に他の戦線へと送るシュヴァルツ操縦者達の訓練地区となっている。その理由から、福津は自分にメッサーを五機同行させるように命じたのだろうと牧ヶ野は認識している。
そう考えていた牧ヶ野は、可能な限りメッサー搭乗者達が訓練を積めるように、作戦を組み、君津達を含めた各搭乗者に説明する。
そして牧ヶ野を除いた搭乗者の稼働限界を考慮して、女満別空港近辺の北見国道で各機に騎乗した牧ヶ野達は網走市へと機体を走らせ始めた。
その途中、例によって君津が私語に通信を利用してくる。
「郁江はさ、稼働時間どれくらいなん?」
「私語は―」
「あーあー聞こえないー。稼働時間以外俺は何も聞こえないー」
牧ヶ野の制止を聞かず、子供のように聞こえないふりをする君津に、牧ヶ野は呆れる。しかし彼がこのように牧ヶ野自身のことを訊ねた場合、質問に回答しなければしつこく聞いてくることも承知していた。彼は別に牧ヶ野を困らせる為だけに稼働時間を訊いているのではない。彼を心配した上で、訊ねているのだ。だから、牧ヶ野は諦めて応える。
「はあ……特にないよ」
「……マジで?」
「ああ、生体認識装置を入れて僕以外の生物が使えないようにしてからは魔法伝導感知器(リミツタ)も外してあるし」
「そっか。でも、お前の魔法エネルギー量ってどれくらいなんだ?」
魔法エネルギーとは地球の大気圏内に存在する星体エネルギーをどれだけ抽出し、扱えるかだ。しかし魔族を含めて、生物には一日にその星体エネルギーを魔法エネルギーへと変換できる量が不確かではあり、そういった最大量が存在しているとするのが現在の学説では有力だ。勿論これはその日の体調や、その場の環境・地理関係などで変動してしまう為実証はおろか、ちょっとした計測すらできない。故に個人が有する魔法エネルギー量が数値化できるわけではないと知りつつも、君津は訊ねてきている。
「……まあシュヴァルツの稼働時間で換算すると……一日、24時間くらいかな」
「すげえな、おい」
素直に君津が感嘆の声を上げるが、作戦目的区画が近いこともあり牧ヶ野は君津に通信を慎むように窘める。
そこから三十分と経たずに網走市の外縁部、レーベンスラウムの防衛システムが設置されている区域が目視できる距離まで牧ヶ野達は辿り着く。
「メッサー各機は僕らの後方に回って援護射撃。外縁部の防衛兵器を無力化しながらついてこい! スペール2と3は敵ルースタングを無力化。僕は敵本拠地と港の無力化をする!」
「諒解」という通信のあとスペール三機が固まり、速度を上げる。数百メートルほど後ろに横一列に並んだメッサー隊は、牧ヶ野達が外縁部へと到着すると同時に一斉射撃を始める。
「本陣の一つってこともあって、あちらさん本気だねえ」
「君津中尉、通信入ってますよ」
「知ってる」
「なら切った方が―」
「ふたりとも。作戦行動中だぞ」
「ほら言ったじゃないですかぁ」
「すんませんねえ、少佐殿お~」
緊張感に欠ける会話をしつつも、君津達は迫り来る弾丸を避け、ミサイル発射装置を次々と破壊していく。
しかし、そんなよゆうももうない。
牧ヶ野はルースタングの出撃を確認して、すぐに君津達に知らせる。
「スペール各機、敵ルースタングの出撃を確認した」
「諒解」
「ひとり十機以上潰せってんだろ。まったく人使いが荒いぜ」
君津の愚痴と共にルースタングが散開し、銃撃戦が始まる。
しかし牧ヶ野はそんな小物に拘っている暇はない。
「あとは頼んだ」
そう言い残し、機体数の密集度が最も少ないヶ所をついて牧ヶ野は敵本拠地へと更に加速する。
甲斐谷の声のみが聞こえ、君津が返答していないが、それすらも今はどうでも良い。
牧ヶ野は模擬戦で甲斐谷が使った高速機動を一度も停止せずに繰り返す。これは補助ブースターと機動制御システムをバランスよく使うことで可能となる、彼にしかできない操縦方法だ。
高速機動の連続利用で、途中三機のルースタングを無力化しつつ、彼はレーベンスラウムが本拠地に使っている市内の建造物へと近づく。けれど、やはりというか当然というか、建造物付近に新たなルースタングの機影が現れる。
「ん? あの機体は……」
五機の機影の中に一つだけ見覚えのあるシルエットがあった。それは牧ヶ野が始めてシュヴァルツに搭乗した際に相対した隊長、ヨセフ・ダイルの機体だった。
「よお、イクエ・マキガノ。また会ったな」
そう言ってヨセフは今回もオープンチャンネルで牧ヶ野に通信をしてくる。
「ええ、お久しぶりです。他の拠点にはいなかったようなので、本国へお帰りになったのかと思いましたよ」
「ああ、貴様のおかげで一度本国に戻ることになったよ。だが、貴様のその高くなった鼻っ柱を折ってやろうと戻ってきた!」
ヨセフはかけ声と共に右腕に握られた剣を突き出して突進してくる。だが、前回同様、台詞から彼の行動が予測できる―と思いきや、ヨセフの機体性能が向上したのか、それとも彼の操縦技量が上がったのか、どちらかは牧ヶ野には分からなかったが、避けられずに左腕の肘から下の奪われてしまう。
そして左腕をほとんど失った状態でヨセフを含めた五機と相対する。
「これはちょっときついな」
牧ヶ野はそう愚痴りながらも、その口には笑みが浮かんでいた。
彼は今まで機体を損傷する場面にあったことがない。それは彼の操縦技量と魔法技術が特筆して秀でていたからに他ならない。しかし魔法技量も操縦技量も同等かそれ以上のヨセフが前に立ち塞がり、牧ヶ野は始めて戦場に立ったように感じられた。
恐怖や不安を感じ、けれど自分が勝つ道筋をイメージしながら、牧ヶ野は一度深呼吸をする。
「よしっ」
気合いを入れ直した牧ヶ野はいまだ残っている左腕部分を盾状に変形させる。勿論、残っている部分との関係で縦の大きさは小盾程度。胴部以外を守ることは不可能だ。けれど気分を落ち込ませることなく、彼は残った右腕を刃状にして一機ずつ敵を殲滅するように動く。
五機の内三機が牧ヶ野を取り囲むように動き、残り二機がそれを援護射撃で補佐する。打ち出される弾丸を避けながら、牧ヶ野は高速機動を始め、ヨセフの左隣にいる機体を攻撃する。避けられそうになるが、辛うじて機体の中心部を損傷させて行動不能にする。それと同時にヨセフから斬りつけられるが、盾で何とかガードする。
「まずは一機」
次に、道が開けた先に居る援護役の二機へと向かって素早く何本もの筒状に変形させた右椀部で弾丸の雨を送り込む。しかしこれも一機だけ辛うじて撃破できただけで、もう一機はぎりぎりのところで避けてしまう。
「……ヨセフだけじゃなくて、全員上手いな」
ヨセフを牧ヶ野と同等かそれ以上と仮定するなら、他の四機は君津以上牧ヶ野未満の腕前。それがヨセフと共に作戦行動をしているというのは明らかなる驚異だ。正直、牧ヶ野はメッサー隊をここまで連れてこなくて良かったと思えた。彼らが来ていれば例え函館にいる残り全機を投入しても全滅させられていた可能性があるからだ。
そんなことを考えながら逃げた援護役を追尾射撃するが、ヨセフともう一機の銃撃・斬撃を避けながらしなくてはならないので、一向に当たりそうにない。故に即座に援護役の追撃を断念し、牧ヶ野は胴の一部を変形させて作った装置を、通常形態に戻した右腕で掴み、空へと投げる。
一瞬、ヨセフ達の注意が上へと向けられる。しかし牧ヶ野が欲していたのはその一瞬だけだ。銃撃に専念していた一機を素早く切る。そしてヨセフが牧ヶ野の予測通り、上へと投げた装置をたんなる囮と解釈してくれたので、銃弾を一発空へと向けて撃つ。
鼓膜が破れそうなほどに大きな爆発音。それと光が戦場を支配する。
閃光弾がその役割を果たして相手の視界と聴覚を奪えたのを確認して、援護役の最後の一機に向かって高速機動し、斬りつける。
最後に、ヨセフを片付けようと向き直るが、彼は魔法エネルギーを放出している。
「五感を正常にする魔法かな」
その何でも浄化してくれそうな安らぎのオーラを見て、牧ヶ野はそう判断を下す。
そして前回同様、最後には牧ヶ野とヨセフのみが戦場に立ち、相対する。しかし前回とは違い、相手の技量が上がっており、牧ヶ野は左腕を失っているという牧ヶ野にとっては不利な状態。けれど牧ヶ野にも勝算はある。
「ヨセフさん、操縦が上手くなりましたね」
牧ヶ野が相手を苛立たせる為に、まるで近所の子供が絵描きの腕前を上げたかのように、気易く評価を述べる。しかしこれくらいでヨセフが逆上しないのは、牧ヶ野は把握していた。
案の定、ヨセフは「そりゃどうも」と何気なく返答している。
しかし牧ヶ野の意図はそれだけではない、彼が返事をしている間に素早く機内でシステムをいじり、先の戦闘中ずっとヨセフの動作を解析して対ヨセフように構築した行動プログラムを起動させる。これにより牧ヶ野は機体操作をせずに、ヨセフとの戦闘が行えることとなった。しかしこのプログラムは本来候補生らの為に参考になると思って以前から構築していたものだ。この戦闘で使うことを牧ヶ野は想定していなかった。
そしてそのプログラムがヨセフの相手をしている間にすることもまた、対レーベンスラウム戦の序盤も序盤であるこの北海道戦線で使うことになるとは思ってもいなかった。だから、牧ヶ野は素直に心の中でヨセフに賞賛を送りつつ、最後の準備に入る。
「てめえも上手くなってんじゃねえかっ!」
そう言いながら斬りつけてくるヨセフの行動を、牧ヶ野のスペールは難なく避ける。そしてその間に牧ヶ野は右腕部に魔法エネルギーを集中させて、頭の中で呪文を念じ始める。
『我、力無き力を行使する者也。我、此の世に揺蕩う力に命ずる者也。祖は我との契約を果たし、我に力を。圧倒的な迄の其の力を、我に貸し与え賜え!』
牧ヶ野が念じ終わると同時に、右腕の上空に高層ビル二十階分ほどの巨大な剣が出現する。バベルの塔にすら見えるその巨大な剣はヨセフを圧倒する。
あれは明らかに危険だ。ヨセフの本能がそう告げている。しかしそんなことはヨセフのように剣の前に立っていなくても分かることだ。函館で網走方面の映像を見ていた福津も牧ヶ野が何をしたのか理解できていない。
牧ヶ野が何をしたのか理解できていたのは、カミラと同じ師から魔法技術を学んだレーベンスラウムにいるステフだけ。けれど、この時点で彼女は何も知らない。故に牧ヶ野が何をしたのか、誰も知る者はいないのだ。
だから、恐怖故にヨセフは問う。
「……な、なんだよ。それは…」
しかしその返答はない。
代わりにとでも言わんばかりに巨大な剣を手にした右腕が振り下ろされる。
大きな破壊音と共に、網走市の約三割ほどが無残な姿へと変貌する。
辛うじて避けられたヨセフの機体も、左半身を失い行動はもうできない。
そこでやっと、牧ヶ野から言葉が発せられた。
「これは破壊の剣、『破滅をもたらす者(ヴァー・ブリント・ルイン)』です。この剣が振り下ろされれば周辺の物は全て破壊される代物です」
前回同様、牧ヶ野は一つ嘘をつく。この剣は、生命だけは奪わない。しかしそんなことを知る由もないヨセフは圧倒的な力を目の前に、脅えてしまう。彼が恐怖の感情を乗せた叫び声が機体に残された唯一と言っても良い機能である通信機越しに聞こえ、牧ヶ野は剣を再度振り下ろす。
「う、うあああああああああああ!」
ヨセフが絶叫する。
しかし剣は強風を巻き起こしはしたが、地に着く前に姿を消す。
それが牧ヶ野の意図的な物なのかを判断する余裕もないヨセフはいまだ絶叫を続け、コックピットで機体を動かそうとしている。けれど機体制御装置のほとんどが破壊されてしまった今、その行為も虚しく、ヨセフの機体は動かない。
そんなヨセフを申し訳なさそうな目で見ながら、牧ヶ野は港へと向かい、港を無力化する。そして一時間もしないうちに全兵器を無力化した牧ヶ野達が福津へと通信をして、北海道戦線最後の戦闘行為が終了した。
僅か四ヶ月ほどにもわたって行われた北海道での舞台は、些か性急な幕切れだった。
この急とも言える北海道公演の終わりは、牧ヶ野の力を見たレーベンスラウム側が、これ以上の北海道戦線活動に意味がないと判断したからであり、それと同時に牧ヶ野郁江という人物を重要視し始めた瞬間でもある。
故に、二一一一年の一月一日は『破壊と終焉の元旦(おわりのはじまり)』として歴史にその名を刻むこととなる。