
駄文集
伽藍球《-2章~愛情憎悪~》
1
かつての親友を結果的に助けてから、変わったことがあった。
姫美が語る会話の半分以上が一人のことになった。
君と俺、一人は皆クラスが違う。
だから姫美が一人のことを話すのはおかしいことだと、少し考えれば分るだろう。しかも醜く歪ませた笑みではない、純粋な喜びの感情を込めて彼女は話す。
「姫美、一人のことを聞かれたらまずいだろう?」
今日も一応、制止をかけておく。
すると姫美の表情は一瞬だけ曇り、俺にばれないように元の朗らかな表情へと戻す。
「そうだね。ごめんね」
違うんだ姫美。お前にそんなことを言わせたいわけじゃない。
「気をつけろよ」
「うん」
一瞬の沈黙。
俺が作った沈黙。
何故だろう。少し前までは一人以外のことも姫美は話せていたのに。
何が変わったんだろう。
「そういえばさ、昨日見たテレビでな……」
「うん」
完全に上の空。
何を話せばいいのだろうかと考えながら、色々と話題を変えて話しかけてみるが、姫美は何かを考えているように適当な相槌を打つだけた。
「……はあ、時間は大丈夫か? 今日も一人と待ち合わせているんだろう」
「あっ! ほんとだ。ありがと、しんちゃんっ!」
すぐに心の底から出していると確信できる笑顔を俺に向けて、姫美は駆けていく。
姫美は一人に何を見ているのだろうか。
俺には以前のように尊敬できる人間は一人に見ることはできない。
今の一人は、見かけだけ同じように成長した別人だ。
俺の知っている一人ではない。
俺の尊敬した一人は小学校入学の前日に魔界へ行って帰ってこなかった。
そう思うことにしている。
そうすることで自分が守れるから。
かつて自分が尊敬し、憧れた自分栂今の一人だなんて。
納得できるはずがない。
なのに、姫美はほとんど変わらず一人と接している。
いや、むしろ最近は特に一人に執心しているようにすら見える。
あんな契約不可者のどこが良いのか。
あんな奴より俺の方が……。
「いけないな。例えあいつが努力していなくても、蔑むべきじゃない」
一瞬だけ、他の奴らと同じそうになった自分を諫めて、俺は生徒会室へと戻った。
2
今日も姫美は一人のことばかりを話した。
3
今日も一人のことばかり。
4
今日も。
5
「一人のことが好きなのか?」
ほんの意地悪をしてみたかっただけ。
そう言えば、恥ずかしさから今後一人のことを話さなくなるだろう。
そう思い、ほんの少しの嫉妬心も籠もっていたのかもしれないが、そう言った。
だから、姫美の顔を見た時は絶望した。
「……えっ?」
何故そんな顔をする。
うちに秘めた恋心を明かされた、女の顔。
それは俺の知っている姫美の顔ではなかった。
彼女は純粋で、無垢で、優しくて。
女の顔をするような人間ではなかった。
なのに。なのに。なのに!
「い、いやだなぁ、しんちゃん。なに言ってるのぉ」
動揺している。
恥じている。
頬を朱色にしている。
「そ、そうか。そうだよな」
「そうだよぉ」
ふざけるな。
6
今日は珍しく昼休みに姫美の方から呼び出された。
「どうしたんだ?」
昨日までとは違う。
暗い表情。
一晩中泣いたような、赤い眼。
そして、開口一番から一人のことを語らない。
決定的だった。
「……一人に何かされたのか?」
一人、という声に姫美が目を見開く。
そして、少し迷いながら、姫美は申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「かず君にね、拒絶されちゃった」
な、に?
「かず君はね、死にたいらしいんだ。それで私が居ると邪魔なんだって。……だ、から……ぐすっ……私に近づくなって」
ああ、そう言うことか。
それから、俺は姫美をあやしながら親身になって一連の出来事を聞いた。
「つまり、一人は姫美に危険が及ぶから遠ざけたってことじゃないのか?」
「そうだけどっ!……でも、私は……」
「一人には申し訳ないけど、俺は一人に賛成だ」
俺は嘘を吐く。
一人に申し訳なさなんてこれっぽっちも感じていない。ただ単に、姫美を一人から離そうとしているだけだ。
「一人に近づきすぎれば色々な被害や問題を被ることになる」
「でも、私はそんなの気にしない」
「それは君がまだそこまでの被害を被っていないから言えるんだ。もし、姫美の家族が一人と仲良くしている姫美のせいで虐げられ始めたらどうする?」
「そ、それは」
「あり得ないことじゃないのは分るだろう」
「……うん」
「それに、一人も姫美のことを心配しているから遠ざけているんだ。そんな一人を裏切っちゃ駄目だ」
「…………うん、分った」
明らかに納得してはいないようだが、それでも頭では理解できたようなので、俺はこれ以上この会話を長引かせない。
もし、必要であれば明日あたりに「俺が影ながら危険が及ばないようにしてやる」とでも言えばもうこの件は終いにできるだろう。
7
相談を受けた次の日の放課後。
一人が病院へと搬送された。
俺は生徒会役員としてやらなければならない仕事があった為、遅くまで残っており、そうそうには処理できないほどの書類とにらみ合いをしていた。そして、姫美に一緒には帰れない旨をメールで伝えた後に、根を詰めすぎるなと釘を刺されたこともあり、気分転換を兼ねた校内の巡回に出ることにした。
その途中、プールの更衣室から出てくる青ざめた一人と出会した。
「おいっ!大丈夫か!?」
明らかに大丈夫でないのは彼が引き摺っている足下に溜まった液体が知らせてくれる。
「おいっ!」
返答はない。
一人はなにも見えていないのか、俺を無視して何度も転んでは倒れを繰り返して校門へと向かっている。
「……くっ」
かつて衆目にその器を晒し、認められ、慕われた者の成り果てがこんなにも惨めな姿でいる。
彼が何をしたんだ?
何もしていない。
でも、だからといって俺が他人をどうこう言えるわけもない。
俺だって、彼を虐げる一員にして一因なのだから。
それでも、今ここで俺にもできることはある。
俺は救急車を呼び、一人がきちんと運び出されるのを見届けなければならない。
すぐに携帯を取りだして、救急車を呼ぶ。
その間に一人が無茶をして自分の死期を呼び寄せる真似をさせない必要があった。
「止まれ」
「……」
一人は意外にも俺の言うことを素直に聞き、即座に停止した。
それがまた、俺を苛立たせる。
お前は無意識の状態でも他人の言うことを聞くようになってしまったのか。
そんな俺の苦心を知ってかしらずか、サイレント共に、救急隊員達は程なくしてやってきた。
「彼に何が起こったのですか?」
優しそうな救急隊員が俺に一人が何故、今眼にみえる悲惨な状態になっているのかを訊ねる。
「……彼は、契約不可者なので」
そう言った瞬間に、優しそうな救急隊員は表情を激変させる。
「役立たずだってよ~。適当に救急車ぶっ込んどけ」
俺は自分の耳と目を疑った。
ほんの数秒前まで優しそうな声と顔で俺に語りかけていた救急隊員は消え、醜い表情の男が現れた。しかも彼は、一人を人間と扱おうとしていた同僚達に「それは物だぞ。丁寧に扱うだけ損だ」とでも言うように一人が契約不可者であることを伝えた。
一人は今までこのような世界にいたのだろうか?
自分が契約者と分った途端に対応を変える人間達。
優しそうな人間の裏側。
社交的な場では見られない、仮面が覆い隠した人々の本性。
誰を信じて良いかも分からず、物として扱われる為だけに存在するギャップフィラーとしての役割。
そんな世界にお前はいたのか。
「あの!」
何か言ってやらなければと思い、口を開くが、何も出てこない。
俺は一人のいる世界になど行けない。
そんな人生に耐えられる気がしない。
「なんですか?」
救急隊員が仮面を俺に見せる。
「……え、あの」
仮面では隠しきれない救急隊員の目を見てみる。
酷く濁っているように見えた。
それだけで、俺は尻込みしてしまう。
俺には勝てない。
正しくても、どうしようもないことは沢山ある。
これもそのひとつだ。
逃げではない。処世術だ。
そう考えている自分に嫌気がさすが、やはりどうすることもできない。
「一応学内で起きたことですので、必要最低限の処置はお願い致します」
心にもない言葉が頭から降りて、口を出た。
「はい、それはもちろん」
任せて下さいとでも言うように救急隊員は俺に優しく言って、救急車へと入っていく。
サイレンが鳴ることもなく、ゆっくりと救急車は校内から出て行った。
「……」
無言で俺は立ち尽くす。
どうすれば良かったのだろうか?
誰か答えを知っているのだろうか?
分らない。
そんな行き場のない疑問を抱えながら、俺は数分ほど疑問だけを頭の中で問い、生徒会室へと戻った。
俺にはやらなければならない仕事があるのだ。
そう言い聞かせながら。
8
一人のことを考えさせられ始めた俺とは違い、姫美はここ一ヶ月で随分と一人に構わない生活に慣れたようだった。
そんな姫美を見ていると、ふと訊ねたくなってしまう。
『俺達は本当に人間なのか?』
『本当は悪魔なのではないか?』
『契約できなかった『人間』達を虐げている悪魔なのではないか?』
最近、そんなことを何度も口走りそうになってしまう。
もしかしたら、今日こそは姫美に会ったら言ってしまうかも知れない。
そんな答えのない疑問を、俺は姫美に押しつけてしまいそうだ。
だから、今日も登校途中は足が重かった。
その所為か、ふと時計を見てみると遅刻ぎりぎりの時刻を指していた。
走らなくては。
そう思うと同時に、視界の端に一人が見えた。
下を向き、その眼に生気はなく、絞首台へと赴く囚人のような、不安定な足取りで彼は歩いている。
見るだけで痛々しい。
誰もが目を背けたくなる姿をしている。
実際に俺も、一人の何万分の一ともなる我慢ができずに、目を背けてしまう。
辺りを見回してみるが、他の誰も彼がそこにいることを認識できていないのか、俺以外は目を背ける素振りすらしない。
「……なんだよこれ」
俺は疑問を感じずにはいられない。
誰もが一人を見ていない。見えていない。認識できていない。
日常風景に存在するブラインドスポットのように、誰も一人を気にしていない。
でも、それを咎める資格が俺にあるのだろうか?
皆が蓋をしている物をこじ開けてまで臭いを漂わせる必要があるのだろうか?
人がそれぞれ対処していることで保たれている日常を壊す権利が俺にあるのだろうか?
答えは分からない。
正解は人によって違うのだ。
俺が違うと批判しても、それが大多数の人間に求められなければ意味はない。
そんなことをしても俺に蓋がされてしまうだけだ。
俺が盲点に入れられるだけだ。
そんな生活に俺が耐えられるか?
想像しただけでも無理だと理解できる。
想像でこれなのだ。現実はもっと悲惨だろう。
そんな世界に一人はいる。
世界の盲点に追いやられている。
他人の視界には都合の良い時にしか登場させられず、都合の悪い時にはすぐさまカーテンコールを余儀なくされる。
きっとそんなのは辛いなんてものじゃないだろう。
言葉になんてできるはずもない苦労を一人は経験している。
けれど、俺にそれをどうすることもできるはずはない。
自分の無力が苛立たしい。
しかしそれならそれで折り合いを付けなくてはならない。
皆が一人をブラインドスポットへと追いやっているように、俺も何らかの対処をしなければならない。
ではどうする?
結論を急がなければならない。
そんな気を引き摺りながら、俺は校舎へと向かった。
9
一人に対する対処法を考えさせられた日。姫美は学校に来なかった。
携帯で連絡を取ることもできず、姫美の家に行っても中へ入れてもらえなかった。
病気だろうか。そう心配もしたが、家人も理解できていないようなので、そうではないと結論付け、俺は帰った。
10
姫美の家へと行ってから数日後。
姫美が死んだ。
原因は自殺。
遺書には一人を虐げている連中に強姦された旨が書かれていたらしい。
11
姫美の葬式が行われた。
雨の日だった。
帰り際に一人を見た気がしたので、追いかけて殴ろうとした。
気付いたら知らない場所にいて、一人はいなかった。
12
姫美の両親に呼ばれて姫美の家へ行った。
幼い頃に幼なじみ三人で撮った写真を渡された。
姫美の視線は一人に向けられていた。
他にも色々と渡されたが、覚えていない。
13
町内にいる契約不可者の子供がぶつかってきたから殴ってやった。
何故か涙が出た。
14
姫美を襲った連中を呼び出した。
返り討ちにあったが、撮影した動画を上手く編集して退学処分にしてやった。
ざまあみろ。
15
退学処分では足りないと感じたので、国営放送のニュース番組宛てで姫美の死因を綴った手紙と一緒に返り討ちにあった際の動画を送りつけた。
モザイクなんてかけやがって。
16
姫美を襲った奴らが全員病院送りになったらしい。
正義は存在するんだな。
17
一人が学校に来なくなったらしい。
どうでもいい。滅んでしまえ。