駄文集


伽藍球《-4章~契約者の苦痛~》

「その声が聞こえる度に怒りの炎が燃えさかるんだ。俺とあいつを燃やそうとする憎悪の炎が」

 

 1
 
 俺の人生に転機が訪れたのは何回もない。
 一回目は小学校入学前日。
 二回目は小学校高学年。
 三回目は中学一年。
 一七歳の俺にとって転機が三回もあったというのは多いのだろうか?
 分らない。
 それでもその三回とも二人の人物が関わっている。
 今も昔も、きっとこれからも俺にとって大事な二人。
 多分それは今後変わることはないし、変わるところなんて想像もできない。
 でも変わった後の想像なんて誰にもできないから、それは当然と言えば当然なのだろう。
 
 2
 
二〇九九年九月二日
 
 俺はその時、生徒会の仕事で裏庭の状態を確認しに行った。
 そしたら鈍い音、高い笑い声、液状の何かが離散する音が聞こえて、周囲を見回す。
 しかし音の出所は探すまでもなく、臆目もなく開いていた体育倉庫で行われていた行為が原因だった。
 よく見てみると、新入生達が何かを取り囲んで愉しんでいるようだ。
 下劣な愉しみなのは考えるまでもないだろう。彼らの醜く歪んだ表情と、健常者とは言えない笑い声がそれを物語っていた。
「君達、そこで何をしている?」
 俺の声に彼らは一瞬驚く。でも、すぐに自分達がしている行為に何も間違いがないと気付いたかのように、余裕の笑みを浮かべる。
「ああ? なんもしてねえよ」
「つか、あんた誰?」
「俺らになんか用っすか~?」
 彼らは俺が誰かを確かめようと下劣な表情と共に移動する。
 彼らが動いたことによって、僅かな間から何を囲んでいたかが見える。
 ……一人。
 俺の中に昔の記憶が蘇るが、すぐにフラッシュバックしそうな自分の思考を止めて、新入生達を見据える。
 ……なるほど、下種な集団が人を人とも思わず、下卑た行為に勤しんでいたわけか。
「あんた誰、と言う質問に先に答えよう。俺は生徒会副会長の福津真実(ふくつまなみ)だ。そして、何か用か、と言う質問に対しては、君達がしている暴力行為を制止しに来た、と応えよう。何もしていないというのは明らかに嘘だから無視させてもらおう」
 まずは自分の立ち位置を説明してやる。そうでもしないとお前らは止まらないだろう。自分の行為に一縷の迷いもなく、あいつを人の形をもしたサンドバッグ程度にしか認識できていないお前らは。
「俺達は~、そこの先輩に頼まれてやってんすよ? 嫌だって言ったのに先輩だから断れなくって」
 むしろ嬉々とした顔で何を言いやがる。本当に反吐が出る。
 こんな屑どもが俺の学校に、俺と同じ権利を有して存在いることに嫌悪以外の何を感じればいいのだ。
 でも、そんな感情を表に出してはいけない。
 俺は屑どもを相手にできる正当な理由を得ていない。
 それが例え、本来あるべき倫理観に反していても、今のこの世の中に俺を味方してくれる理論はない。
 本当に反吐が出そうだ。何年経ってもこれは変わらない。ふざけるな。
「そうか、ならもう止めて良いぞ。そのような異常者に健常者が付き合う必要はない」
 しかしこんな事を眉ひとつ動かさずに言える俺もまた、屑だ。
 何度も味わってきた自己嫌悪。そしてそこから考えさせられるひとつの思考。
 姫美だったらどうしただろうか。
 俺とは違い、一人をずっと支えてきたもうひとりの幼なじみ。
 一人の為だけに医療魔法を覚えた姫美。
 そんな生き方、俺には到底できない。
 そんなことを考えている間に新入生達は去ったようで、体育倉庫にはハードルに両腕を縛られた一人だけが残っていた。
 露出した肌は傷だらけ。
 顔は血と痣がグロテスクな調和を織りなし、もはや人間と呼べるのかすら分らない。
 それでも一人は喜んでいるように見えた。
 何故?
 理由もなく暴行を受け、幼少時代を共に過ごした俺には異常者と言われ、それでもなお笑顔でいられるのかお前は。
 自分に対する苛立ちを押さえて俺は一人の縄を解き始める。
「……あぁりぃぐわ」
 もはやまともに言葉を発することすらできない。
 その事実が更に俺を怒らせる。
 あいつらはなんの権利があって一人にこのような仕打ちをしている。何が楽しくてこんな事を一人にできる。契約ができなかったというたったひとつの、それも一人自身に対処しようもない、そんな事象のどこに一人をここまで自由にして良い理由が生まれるんだ。
 けれど、俺も奴らと同じだ。かつて親友だと言った相手をしょうもない理由で突き放してしまった。しかもそれだけではあきたらず、多数派を脅えて一人を異常者などと言ってしまった。
 俺は最低だ。
「あぁり―」
「聞こえている」
 俺は即座に一人の口を閉じさせる。
 俺みたいな人間に一人が二度も礼を言う必要はない。本来ならば一度だって言う必要はないのだから。
 でも、俺が一人の言葉を聞きたくない理由がそれだけではないと俺の意識が主張する。
 
 3
 
 小学生になる前までの一人は地元では有名な子だった。
 一人はなんというか、オーラがあったんだ。
 人を惹きつけるオーラが。
 俺はそんな一人を慕い、尊敬していた。
 あの時の一人にだったら何でもできるような気がしていたから。
 そんな俺と同じように感じていた奴は俺だけじゃなかった。
 子供は勿論、多くの大人も一人を小さな子供としては見ていなかった。
 一人にはそんな才能があった。
 しかし一人はそんなことを気にもせず、誰であっても分け隔てなく平等に扱っていた。 その中には今の一人のように契約不可者もいた。
 始めは色んな大人が一人を止めた。そんな人と関わってはいけないよ、君はそんな人に構うような器ではないと。
 それでも一人はその忠告に反論せず、行動で大人達を納得させた。
 契約不可者もなにも、そんなことは一切関係がないと。
 俺はそんな一人に憧れた。
 一人に近づこうと、当時の俺がやれることは全てやろうとした。
 でも、一人はそんな俺を必要とはしていなかった。
 一人は何でもできたからだ。
 六歳にも満たない子供に、老若男女問わず傅いていたからだ。
 本人の意思に関係なく、一人は多くの人間を従えていた。それも、従っている人間達が自主的に。
 時には相談を聞き、的確な助言を与え。
 時にはトラブル解決の為、周りの人間に助力を乞い。
 一人は天才だったんだと今にして思う。
 今の俺ですら思い付かない解決策や考えを皆に与えていた。
 それでも一人は自分の能力を過信することも、それを笠に着ることもなく、ただの子供として生きて、ただの子供には到底成し得ないくらい多くの人間を支えていた。
 だから一人が契約をする為に魔界へと赴いた時、多くの人間が期待していた。
 きっと彼なら高位な魔族と契約ができるに違いない。彼の実力を十二分に発揮できるようになるに違いない。いや、もしかしたら魔族の能力が彼の実力に追いつかなくて、逆に苦労するかもしれない。
 皆が皆、そう期待していた。
 しかし魔界から帰ってきた一人はそんな人々の信頼を、彼の与り知らぬところで打ち砕いていた。
 日に日に彼を頼る者が減っていった。
 日に日に彼を慕う者が減っていった。
 日に日に彼を罵る者が増えていった。
 それでも俺は一人を慕い続けた。契約ができなくても一人は変わっていなかったからだ。
 一人は俺が憧れた一人のままでいてくれた。
 勿論、それも永くは続かなかった。
 一人が変わっていなくても、一人を取り巻く環境が急激に変わったからだ。
 最初は知り合い。
 次に友達。
 そして両親。
 小学校も三年生になると天才と言われていた頃のオーラは見る影もなく、静かに空間の端を埋めるだけの存在へと変わり果ててしまった。いや、周囲が一人にそうなるように強いたのだ。
 契約のできなかったお前は天才であってはならない。
 誰もそんなことを一人に言うことはちっぽけなプライド故かいなかったが、一人はそれを誰しもが思っていることを理解していた。
 ただ俺は、その時そんなことが理解できなかった。
 だから俺は一人に抗議した。
 何故、他人に良いように扱われて平気でいるのか。
 何故、もっと自分を主張しないのか。
 何故、以前のように振る舞わないのか。
 それに対して一人は静かに首を振ってこう答えた。
「僕が我慢すれば、それで良いんだ」
 俺は愕然とした。
 俺が慕い憧れた一人が、このような日和見な発言をすることに。
「じゃあ、お前もあの契約不可者みたいに虐げられて死ぬのかよ!」
 今にして思えば、俺は最低なことを一人に言ってしまった。
 魔界に行くまで一人が対等に扱い、他の人も少しずつではあるが普通に接し始めていた契約不可者。彼は一人が契約できなかったことにより、元より酷い扱いを受けてしまい、それに耐えきれなくなり自殺してしまった。
 勿論、死んだ彼の葬式など行われなかった。墓にも入れてもらえていない。
 俺達が火葬に立ち会ったくらいで、他には何もなかった。
 そしてそれは、一人にとっての未来を指し示しているのと同然だった。
 でも一人はそれを理解していたのにも関わらず、哀しそうな眼でただ一言だけ「そうかもね」と言っただけだった。
 
 4
 
「立てるか?」
 拘束を解いて、俺は怪我だらけの一人に手を差し伸べる。
「ぁぁあ」
 見窄らしい姿になってしまった天才に、俺はどこにぶつけて良いか分からない苛立ちを感じる。俺が憧れた一人はどこに行ってしまったんだ。
「ひとりで歩けるか?」
 すぐにでも目を背けたくて、突き放すように訊ねてしまう。
 それでも一人は歪んだ顔の口を曲げて、醜くも綺麗な笑顔で首肯する。
 ……こんな状態でも笑顔になれるのかよ。
 情けない自分。変わり果てた親友。間違った世界。
 それら全てを憎まずにはいられない。
「うぁぁぁ、ぁりぃぐわっと」
 ……もう喋るな。
「それじゃあ、俺は生徒会の仕事があるから」
  俺はすぐに顔を背けて校舎へと歩き出す。
 勝手に出てしまいそうな怒りの刃を納めようとしながら。
 なんで、なんで、なんで。何度も頭の中で疑問を問いながら。
 それらの答えが見つかるはずもないのに。
「しぃんちゅわん、ぁりぃがと」


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