
駄文集
経済選挙《1》
1
わたしは緊張する身体で朝食を食べながら、体感で言うと約十メートルくらい離れたテーブルの反対側に位置する席で座る男へと視線を向ける。
「ん? どうかしたか。手が震えているぞ」
結構離れているのにも関わらず、僅かに震えるわたしの手を認識できているようです。やはりただ者ではないようですね。
「いえ、今日から通う学校に若干の不安なんか感じていないので大丈夫です」
「訊いてもいないのに感じていない不安を述べるな」
この男はか弱い中学一年生女子のちょっとした強がりも察せないのですか。
わたしは腹違いの兄に、何度目となるか分からない若干の落胆を感じてしまう。
もうその落胆総数は積載量二トン以下が義務づけられている、わたしの心の普通免許じゃ運転できないレベルまで積もりきっていますよ。
だいたいなんで密かに暮らしていたわたしが本妻との間に産まれた兄と一緒に暮らさなきゃならないんですか。
そんな理由が分かりきっている不平を、細々と暮らしているわたしの感情さんが言っています。
理由は冬休みに入った次の日に説明された。
何故ならその前日は自室で寝たと思っていたのに、起きてみると(夜の間なのは分かっていますが、体感的にと言う意味で)いつの間にか新しい自室で寝ていたのですから。
簡単に言ってしまうとわたしは睡眠中に拉致られ、いま目の前(体感約数メートル先)に座る腹違いの兄が暮らしている豪邸に、単身パック(本人のみ)の引っ越しプランで輸送されてしまったのです。
「……はぁ」
そして故あって、わたしはこの三学期という年始と考えると丁度良いとも言えるが、学年度で考えるとどうしようもなく不自然な時期に転入が決まっている。
不安は、それはもう沢山ありすぎて処理できないくらいに感じています。例えDNA的に半分であっても血の繋がっている兄にその不安除去を願いたいくらいなのですが……無理ですよね。血も涙もそうめんも流しそうにありませんし、あの兄は。
彼はどうか知りませんが、わたしとしては彼とは冬休みの初日に会ったのが初めてです。
そう認識している。けれど、一応行ってもらったDNA診断も彼と父親が同じなのは証明しているし、なんとなく幼い頃にあったことのある父に彼が似ているというのもあり、わたしは彼が兄であることを認めてなくてはならない。
であれば、とわたしは思うのです。であれば彼はわたしをシスコンとまではいかなくても、血の繋がった妹としてわたしを愛でて可愛がって我儘なプリンセスに育てるべきではないのでしょうか?
如何せん今まで兄弟を持ったことがないので、それが本当の兄妹かどうかは分かりませんが、最近のドラマや漫画などではそういったパターンが多いです。むしろ王道です。なので、少なくともわたしはそれが普通の兄妹だと思っているのですが……。
「食い終わったか? ならさっさと仕度をしろ。登校するぞ」
彼に対する不満は、降り止まぬ梅雨時の雨と同じように、総降水量を増していく。
今はだいたい600ミリくらいでしょうか。
……それに、三ツ城財閥の御曹司がその口調はどうかと思いますよ、わたし。
「返事は?」
「………………はい」
返事を聞いて満足し、広すぎるダイニングルーム(?)を出ていく兄と同じように、わたしも部屋を出て新しい自室へと向かう。
けれど、仕度といってもここは日本最大、そして世界でも有数の財閥である三ツ城の豪邸です。仕度なんぞは一ヶ月前に、始めて特有の喫茶店以外で実在することを認識したメイドさん達が既にしてくれているのです。
なのでわたしは自室に向かう途中で、わたしを担当してくれている木田さんに止められてしまった。
正確には捕獲されたというのが近いでしょうか。
「お嬢様。わざわざ自室へ向かわなくとも、鞄は玄関でお渡し致しますと申しましたでしょう」
「すみません。慣れていないのもので……」
「いいえ、貴方はもう三ツ城本家でご生活をなさるのです。慣れて頂きませんと私達も困ります」
「…………すみません」
木田さんの担当は、わたしの財閥令嬢としての躾け役もあるらしく、慣れないことに関して色々と怒られてしまう。
しかし顔は常に笑顔なので、小言を言われているとき若干の恐怖を感じているのですが、そんなことを本人に言う勇気はわたしにはありません。圧倒的に勇気が足りません。
わたしもりんりんするくらいの勇気が欲しいですよ。……はぁ。
「それでは玄関までお見送り致します」
「……はい」
木田さんに先導されて、この無駄にとしか言いようがないくらいの規模を誇る豪邸の玄関ホールまで連行される。
実はまだ、この屋敷内の位置関係が分からないので木田さんに連行されるのはちょっと助かっていたりもするのですが、そんなことを彼女に言ったらまた怒られてしまいます。誰も叱られるのは嫌ですよね? わたしは願うことなら一生叱られることなくすごしていたいです。
「はあ……かんな、また迷ったのか?」
「い、いえっ、迷ってなんか……ないです」
「お嬢様は自室へと向かっておりました。おそらくご自身の鞄を取りに行ったのかと」
呆れている兄に木田さんが援護射撃をしてくれる。
これによってわたしが実は唯一覚えている自室への道を歩いていたのだということを話さずに済みました。ありがとう御座います、恐い木田さん。
「……はあ。そんなことは使用人に任せろと何度も言っただろ。なんの為に金をかけて人を雇っていると思ってんだ」
「申し訳御座いません。お目付役の私が不甲斐ないばかりに」
「いや、これは木田の所為じゃない。……かんな。お前学校ではきちんと三ツ城家の者として振る舞えよ」
それ無理です。
そんな言葉がわたしの口からジェットパックを背負って出てきそうになりますが、ここは我慢です。
とはいえ我慢したところで世界各国の財閥や有力企業の御曹司さんとご令嬢さんが通う学校で、先月まで認識したこともなかった『三ツ城としての振る舞い』なんてできるはずもない。
ここは駄目元で正直に言った方が良いのでしょうか?
「……あの、それなら…わたしは、以前いた学校へ戻りたいと――」
「馬鹿かお前は」
馬鹿って言われましたっ!? わたし、馬鹿って言われました!? そりゃ成績とか今まで赤点を二、三点オーバーするくらいのものでしたけど……決して馬鹿ではない……はずです。
「お前には俺の未来を左右する選挙を手伝ってもらうと言っただろ。その為に呼び寄せたんだ」
「……それは、冬休みの始めに聞きました」
「なら馬鹿なことを言ってんじゃねえ」
そんな罵倒を浴びせられてまで、わたしは何故彼を手伝わなければならないのでしょうか?
しかしそんなことは分かりきっている。彼を手伝わないと三ツ城財閥会長の内縁の子であるわたしは普通に生きることすらできない……のかもしれないらしい。
理由はなんか色々聞かされましたけど、わたしが理解できたのは内縁の子がいると財閥ないに亀裂ができて……なんか色々起こって(中略)……わたしの命が危ういのだとか?
正直、普通に生活できなくなるのは困ります。けれどその為に普通の生活を投げ捨てて、財閥令嬢として分不相応な生活をしなければならないのは、はたしてどうなのでしょう。
「……人生とは納得がいかないものなのですね」
「さっさと行くぞ」
わたしの独り言を聞いていないのか、聞かなかったフリをしたのか分からないが、兄は使用人が開ける扉をくぐって外へと出る。
勿論、選択肢が用意されていないわたしもそれに付き添うほかありません。
「お早う御座います文哉様」
執事としての服装がよく似合うご老人が玄関前のロータリーにある見たことのないタイプの車を前にして一礼をしている。
何度かお会いしたことがあるような気もします。が、わたしは彼の名前を聞いたことがありません。……たぶん。だって冬休みから色々な使用人さんに会って、一人一人のお名前を聞いていたら、もうさすがにわたしのUSBメモリーにも劣る脳内データバンクはパンク寸前、というより、もうパンクしてしましました!
「かんなお嬢様も、お早う御座います」
「お、おおおはようございますっ!」
慌ててわたしも頭を下げるが、気さくな執事さんはそれを見て慈愛の籠もった表情で笑っている。
優しそうなお人で良かったです。木田さんみたいな人だと恐いですからね。
「ははは、お嬢様。私めのような人間にそのように緊張しなくてもよろしいのですよ」
「え、ええっと……それでも、年上は敬えと小さい頃から言われておりますのでっ!」
「一々使用人にまで気を使うな。こいつらは俺達がそういう風に気を使わないように生活する為にいるんだ」
気の良さそうな執事さん相手にこいつ呼ばわり。
これはわたしも何かを言わなければなりません。人として! ……でも、それは今後いつでもできるでしょうし、きょ、今日のところは勘弁しておいてやります。
「そうですよ、お嬢様。お嬢様は今後色々な人の上で生活をし、多くの人を助けるお方になられるのです。私共はそれを補佐できるだけで嬉しゅう御座います」
「そ、そんな。わたしは、別に……」
「渡邊の言う通りだ。お前にはそれくらいの人間になってもらわないとな」
ご冗談を……言っている様子はないので、わたしは口を開くわけにはいかず、黙って渡邊さん(なのですかね?)の開いているドアから車内へと入る。
勿論、内装を見るまでもなくこの車が高級車なのは分かっていましたが、内装は更にわたしが見たこともない、お金をふんだんにばらまいて、敷き詰めて作ったようなものです。
まずヒントその一。机が置いてある。
わたしは知らなかったのですが、これはリムジンという種類の車らしく、普通のものよりも長いのです。
そしてヒントその二。冷蔵庫やテレビがある。
これも後々聞いたことなのですが、テレビではなくスクリーンと呼ばれている物は『すまーとふぉん』や『たぶれっと』なるものと繋げて映像を映すことができるらしいです。
最後のヒント。座席がふかふか。
どれくらいふかふかかと申しますと、縁日の際に出店で売られている綿飴のべとべと感をなくしたくらいにふかふかです。
そんな何度目になるか、もう数える指が足の指でも足りなくなり、歯の数で数えるくらい今までの生活との違いを感じていると、渡邊さん(仮名?)が運転席に乗り込み、車を動かし始める。
窓の外からこのように長い車がどうやって曲がり角が多い街の道路を通るのか観察していると、心構えをする前に学校へ到着してしまいました。
スクール・フォー・ファイナンシャル・リーダース。
直訳すると、経済指導者達の為の学校。一応日本名は経済界最高責任者用学園、と長ったらしい名前があるらしいのですが、一般的にはボンボン校、又は裏口入学校と侮蔑を込めて言われているらしいです。
後者のネーミングに関しては意外と的を射ていて、実際にこの学校に入学できるのは指定財閥の血縁者や入学規定を満たした企業のトップの子か、年商5億円以上を計上する会社の役員が推薦状を書いた者のみとなっている。
なので入学試験などはありません。ぶっちゃけお金さえ積めば誰でも推薦状を書いてくれるらしいので、入学もできちゃいます。まさに裏口が正門となり、正門がコンクリートで固定されてしまったような学校です。
ちなみにわたしは一応財閥の血縁者なのでDNA判定の診断書を送るだけで簡単に入学書類が届きました。
そんな学校です。
それにここは小・中・高とエスカレーター式なので、一度入学しちゃえば大学受験資格を誰でも取得でき、更に経済界の名だたる子息令嬢が通っているのでコネは作り放題。
人によってはそれ目当てだけに借金までして我が子をこの学校に送り込むこともあるのだとか。……わたしには理解できません。
「お早う御座います。三ツ城文哉様」
車を出るとどこから現れたのか、スーツを着た男性が兄を出迎える。
見たところ教師っぽいのですが、どこの学校に一生徒を出迎える教職員がいるのかと常識的な判断し、違うと判断しておきます。
「お早う御座います。牧野先生」
自分の判断が間違っていたことを過去最速で証明されてしまいました!
そんな風に、わたしが驚きと嘆きを織り交ぜてこの学校生活での不安を感じていると、牧野先生(と呼ばれた方)がこちらに視線を向けてくる。
「こちらが三ツ城文哉様の妹君ですか」
「ああ、はい。紹介が遅れました。三ツ城かんなと申します。不出来な妹ですが、よろしく頼みます」
よろしくたのみます? 兄が敬語を使うなんて……いやいや、そうじゃなくて。頼みますってことはわたしの担任か何かでしょうか?
でも、わざわざその為に何時に登校してくるかも分からない生徒を校門で待つなんてありえません。……勿論、この学校でわたしの一般的な生活臭がにじみ出てくるほどの常識が通用しないのは分かっているので、無理矢理そういうものだと納得します。
しようと努力します。
したいと願います。……やっぱ無理です。
学生と教師の上下関係が曖昧な学校なんて初めてだから分かりません。理解できません。
「僕は中等部の教頭を務めている牧野博嗣です。よろしくお願いします」
「えっ……ああ! ははい、こ、ここちらこそ、よろしくお願いしますですっ!」
混乱するわたしに微笑みかける中等部の教頭先生。
意外と格好い―ではなくて、教頭先生というのが信じられないほどお若い方です。
「お、お若い教頭先生なのですね」
混乱状態で口がいうことを聞かずに、なんか失礼なことを言ってしまったような気がする。けれど教頭先生は気にした素振りも見せずに応対をしてくれるようだ。
「ええ、僕はこの学園の理事長の孫ですから」
ああ、そういうことですか。納得。
学校と言えど、ここは経済界の要人とも言える子供達が学ぶ場所。経済界では中立を保つ財団が管理している。そしてその財団もいわゆる親族経営。なので親族の者がいれば、この学校でも有能な他人よりも要職に就くことが多々あるらしい。
そんな風に納得したわたしの心を見透かすのように、教頭先生は微笑み「と言っても、僕は自分の能力でこの地位を手に入れましたよ」と捕捉した。
……ちょっとプライドが高いのも格好いいですね。
「それでは牧野先生。僕はこれから自分の教室に向かいますので、家の愚昧をよろしくお願いします」
「ぼくぅぅ? はっ! ……こほん。行ってらしゃいませ、お兄様」
唐突に違和感のある兄の一人称に反応してしまいましたが、何とか挽回できました。
「ああ、行ってくるよ」
しかしそう言う兄の目が、わたしは何も挽回できていないことを物語っています。……今日中に友達作って、今夜はその子の家に泊めてもらいましょう。
「ははは、かんなさんは面白いですね」
「そ、そうですか?」
「ええ。三ツ城家の人間とは思えないくらいに面白いです」
教頭先生の言葉に他意はなさそうですけれど、三ツ城家の人間っぽく振る舞えと渡邊さん達含む使用人さん方と二重人格の兄に言われているのです。
なのでわたしは、以後気をつけるようにしようと思います。
「そ、そそそそんなことないですよっ! 三ツ城家のDNAをこの体内に脈々と受け継いでおりますのでっ!」
早々に失敗してしまいました。……自己採点九十点くらいでしょうか? えっ、多すぎる? いえいえ、これは自分に甘く他人に厳しいわたしからしたら少ない方です。
「大丈夫ですよ。そこは疑っておりません」
入学書類が届いている時点でその審査は完了している。
よくよく考えてみるとなんと馬鹿らしいことをわたしは言っていたのでしょうか。……はぁ、こんな感じでは今後はおろか今日一日も保つ気がしません。
「それでは、かんなさん。僕についてきて下さい。中等部の教職員の紹介と、貴方の担任をご紹介致しますので」
「はははは、はいぃぃぃ!」
「緊張しなくても大丈夫ですよ。誰も貴方を取って食おうとは思っていませんから」
そんな教頭先生のお言葉も虚しく、わたしは挙動不審なまでに脅えた状態で教職員さん方に挨拶をして、更にそこから黒歴史にしたいくらいの自己紹介をわたしのクラスでしてしまいました。
「ねぇねぇ、三ツ城さんってあの三ツ城でしょ?」
三学期初日と言うこともあり、今日は授業がない。なので放課後にもなると、クラスメイトに転校生特有の質問攻めに遭うと思い、わたしはお手洗いへと向かった。しかし残念ながら途中で迷ってしまい、クラスメイトの立花さんに捕獲されるまで校内(コンサートホール付近らしい)を彷徨っていた。
「……はい」
「なんか、っぽくないよねぇ」
この子、鋭いですっ!? わたしがつい最近三ツ城本家に住み始めたことを見破られたのかと思い、わたしは冷静に対応してみせます。
「そそそそそ、そんなことナイデスヨ?」
駄目です。わたしは嘘がつけないのです。つける嘘は自分の失敗を隠す嘘だけです。
「あははは! 三ツ城さん面白いねっ!」
何故かウケました。
「自己紹介も面白かったし。……えっとなんだっけ。わ、わわたしゅはっ―」
「わーわーわー!!!!」
人通りのある廊下でそんなことを持ち出されてはわたしの評価に関わります。
多少恨みを込めた目で、わたしは立花さんを睨み付けて彼女を黙らせる。
「そのことは他言無用でお願いします」
「でも、おもしろ―」
「た・ご・ん、無用でお願いします!」
わたしの真摯な説得に立花さんは応じてくれたようです。胸ぐらは掴んでません。本当です。例え彼女の胸元にあるリボンにちょっと握った皺があっても、それは元からあったものです。きっと彼女は昨日、制服をハンガーに掛けずに寝てしまったに違いありません。……あはは、ずぼらな方なんですねぇ立花さんは。
「えっと、三ツ城さんって実は恐い人?」
真摯に頼んだわたしに対してまったくもって見当違いな評価を下す立花さんに、わたしは否定せざるを得ません。
「そんなわけないじゃないですか。わたしは世界一か弱い中学一年生女子です」
しかしそんなわたしの否定も聞いていないのか、立花さんは何か違うところに納得をし始めている。
「まあ、あの何でもできちゃう三ツ城先輩の妹さんだもんねぇ。ちょっと恐いくらいじゃないと生きていけないかぁ」
「いや、あの、ちっとも恐くないですよ? 優しいか弱い女の子ですよっ!」
「だいじょーぶっ! あたしはそんなの気にしないから!」
「いや……だから、恐くないですって」
なにかわたしに筋肉が付けられていそうな、間違ったイメージをしている立花さんに、わたしは全力でどれだけわたしという矮小な人間がか弱くて虫はおろか花すら摘めないことを説明しながら教室へと向かう。
「かんな。どこへ行っていたんだ、心配したぞ」
教室に戻ると、周囲に遠巻きで女子をシールドのように配置してる兄がわたしに批難の感情を込めた問いを投げかけてきた。
しかしこの兄の口調は気味が悪いですね。全身に鳥肌が立って羽毛が生えてきそうなくらいに気持ちが悪いです。
「……お、お花を摘みに?」
「そうか、それならこれから学校の案内と、紹介しておきたい人達がいるから、用意をして着いてきてもらえるかな」
客観的に見たら兄の言葉に強制力はない。
しかしわたしから見ると彼の言葉ではなく、彼の目が「さっさと帰る仕度をしろ」と言っているので、従う以外の選択肢はここでも与えられていません。
……ルート分岐はいつですか?
「三ツ城さん帰るん?」
先程までわたしがどれだけ心優しい人物かを説明していた立花さんが、不思議そうにしている。
このあと何かあるのでしょうか? であれば、この状態の(対外的には優しいと見せようとしている)兄を躱す手立てがあるのかもしれません!
「……はい」
「そっかぁ、んじゃまた明日ねっ!」
なんもないのですかいっ!
思わず心の中で突っ込んでしまう。
「…………はい、また明日」
皆さんの手前と言うこともあり、わたしはできるだけ令嬢らしく立花さんに別れを告げ、自分の机に置いてある鞄を回収すると、兄の元まで向かう。
「もう大丈夫かい?」
ホントにこの人ダレですか? 口調だけじゃなくて人を気遣うような素振りさえしちゃってますよ。これはもう同じ皮を被った別人としか言いようがありません。
オオカミさんでさえお婆さんの服を着るだけだったのに、彼は人の皮まで被っちゃってますよ。その人の皮は元のお方にお返しして下さい。
「……はい」
この人格時の兄とどう接して良いか分からないので、返答だけはしておきましょう。
「それじゃあ、行こうか」
はい、逝って下さい。貴方だけ。
その後、兄が言葉通り学校施設の案内を始めたことにわたしは驚きながらも、周囲の反応を見て納得した。
わたしを案内している間、わたし……というより兄の周りでは多くの人間が影から彼を観察している。それは兄の本性を知らない可哀想な女子生徒であったり、三ツ城家の内情を探っているのであろう生徒であったり、とりあえず彼の周りには常に多くの人間がいて全方向から見られているようだ。
そこでやっと、わたしは今朝彼が言っていたことに対してなんとなく納得できるような気がする。
『一々使用人にまで気を使うな。こいつらは俺達がそういう風に気を使わないように生活する為にいるんだ』
確かに、彼のように常に誰かに見られ、評価されている人間は自分の家でくらい本性をさらけ出したいのでしょう。
しかし、それなら性根からたたき直した方が楽なのでは?
「……っと、施設の説明はこれくらいだね。何が訊きたいことはあるかい?」
はい、貴方の二重人格はいつ頃発症したのですか?
「いいえ、ありませんわ。それよりお兄様がご紹介なさりたい人物とはどういった御仁なのですか?」
うん、我ながら見事なお嬢様っぷりですね。そんな自分を褒めてあげたいです。
「お前、気持ち悪いからもう少し普通にしてろ」
ぼそっとそんなことが兄の口から聞こえ、それに「お前が言うかっ!」と反論したい気持ちを理性総動員で抑える。
今日も理性さん達は休まず二十四時間労働です。
「これから紹介するのは、僕の部下達。四月から、つまりは選挙前活動から僕を補佐してくれる人物達だよ」
せんきょまえかつどう?
そんな変換に失敗した状態で脳内に現れた単語と大きな疑問符について考えていると、彼が溜息をせずに歩きながら教えてくれる。
勿論、いつもの人格であればその説明の前に「前にも説明しただろ、馬鹿」と付け加えれれるのですが、今回は学校内なのでそんな罵倒もありません。ビバ学校です。
「選挙前活動は生徒会選挙の行われる前、つまり4月から11月までの間に行われる立候補者の支持者を集める活動のこと。そして活動内容は講演会を開いたり演説をしたりポスターを張り出すという小さなものも含まれているんだ」
つまり選挙に影響を及ぼす行為のほとんどが4月からではないとできないということ。
理解できました。けれど、こんな風にきちんと説明してくれれば忘れはしても理解はできるのに、何故彼は今まできちんと説明してくれなかったのでしょうか。
それはもう性根が腐っていたからとしか思えませんね。ロットン性根です。
まあ、いいです。このチャンスを掴んで、理解できなかったことを全部訊いてやろうじゃありませんか!
そんな前向きな考えをして、歩き始める兄の背後に訊ねる。
「そもそも、その生徒会選挙をお兄様が重要視するのは何故ですか?」
彼の目に殺意が籠もるが、表情はいたって穏やかなもの。
これがポーカーフェイスというやつなのでしょうか。なんか違う気もしますけど。
「それは、この学校が設立された理由でもあるんだけど……経済活性化の為に財閥や企業の代表が、その跡継ぎである嫡子が学校を卒業すると同時に隠居しなきゃならない法律が十数年前に施行されたのは知っているよね」
えっと、なんかそんな法律があったのは社会科で習ったことがあるような気がしますけど、いまいち良く思い出せません。なにしろ小学生の頃の話しです。明日は明日の風が吹く。そして、昨日までのことは風に吹かれてさようならです。
「まあ、これは経営者が代わることで経営方針を変え、組織内の空気を入れ換えることによって、より良い経営が成されると考えられて施行されたんだけど……実際は経済界の人間が政治に関わらないようにするのが目的なんだ」
こっちはなんか理解できますね。
お金持ちさんがその資金で政治家へ献金することにより、ある程度政治を支配でき、それが世界屈指の富豪であれば小国の政治くらい牛耳ることも可能となる。そしてその収入源とは経済界の財閥や企業。
そのトップが代わらなければいけなくなると、当然代わった後、元トップの人間は収入がなくなってしまう。そうすれば献金などに貯蓄を割くこともできず、政治への介入はできなくなる。
まあ、ざっとこんな感じでしょうか。わたしとて馬鹿ではないのです。えへんっ!
「そんな法律が施行されたもんだから、当時の経済人は皆戸惑ってしまっていたようでね。それに対抗するように経営陣の子息子女のみが入学できる学校を作って、経済界の団結を促そうってことになったんだよ」
「それなら当時の経済界が団結して法律の施行を止めれば良かったのでは? 事前情報の取得なんてお金をかければできそうなものですが」
「そうなんだけど、当時の経済界は競争が特に激しくてね。とても一時的にとはいえ協力しようなんて誰も思わなかったらしい」
それで施行された後にあたふたと仲良く手を取り合った、と。つくづく人間は愚かだと言える事象ですね。でも、もしそうなったなら生徒会選挙に兄が拘る意味が分かりません。生徒会長になっても得はないでしょうに。勿論、徳はありますけど。
「生徒会の意味が分からないって顔をしているね」
「ええ、仲良くなった経済界で産まれたこの学校で生徒会に入る意義が分かりません」
「それは簡単だよ。経済界は実際に仲良くなったわけじゃないんだ」
「でもそれだと、今度はこの学校の意義がないことになりませんか?」
「いや、この学校の意義は明確だ。この学校内で影響力を増せば、そのまま経済界へ影響が与えられる」
「……ここで作ったコネがそのまま社会で使えると言うことですか?」
「それもある。けどそれ以上に生徒会という学校内でもトップの地位に就けば社会へと出た時に、経済界でそのままの支配力を行使できるんだ」
つまり経済界の縮図とも言えるこの学校での影響力や支配力は、そのまま社会でも使えると。
にわかには信じられない話です。
学校内と社会は個人を取り巻く環境が違う。
違い過ぎます。
それなのにこの学校で得た力がそのまま社会で使えるなんて到底思えません。
「信じられないって思っている?」
わたしの表情から思考を読んだのか、兄がそう訊いてくる。
なのでわたしも正直に「はい」と肯定しておきます。
「まあ、そうだよね。学校内と社会じゃ環境が違いすぎる。……そう思っているんだろう?」「ええ。学生ができることと、社会で会社や財閥ができることでは違いがありすぎます」
「それが、そうでもないんだ」
「えっ?」
「この学校の選挙は、いわば自身が持つ力をフルに活用する選挙だ。そしてその自身の力には、家の力も含まれている」
「つまり学内の選挙は経済界のトップ争いに等しい、と?」
「まあ生徒会選挙に出馬できるのは高校課程の人間だけだが、小・中・高を含めた全生徒が記名投票をする。そしてもう既に自分がついている人間が卒業などで選挙に出馬していなくても、その人物の名を書いて投票することもできる。……要は、過去も未来も現在も関係なく、ただ純粋な影響力がこの選挙では考慮されるってわけだ」
兄は「勿論、最も投票数を稼いだ在学生が生徒会長にはなるが、総投票数が一番でなければその地位に意味はない」と続け、自分が総投票数で一番を目指していることを教えてくれる。
そして彼がそんな目標を掲げていると知った頃、わたし達は高校棟の三階に辿り着いた。
わたし達中学生の兄妹には縁のないはずであるところ……なのですが、扉にはばっちり三ツ城と書かれた標識が置かれてます。
その標識が校内に置かれている奇妙さを無視して、兄は扉を開ける。
「……皆揃っているな」
扉が閉まると同時に、兄はいつもの口調に戻って、室内にいる人間の頭数を確認する。
私も兄に倣って、同じように数えてみます。
いち、にぃ、さん。……三人しかいません。
「萌はいないのか」
「堀江さんは本業の方が忙しいとの連絡を受けております。ただ、可能な限り顔は出すとも仰っておりました」
兄の言葉に眼鏡をかけた女の子が返答する。
しかしあれほど大口を叩いていたのに、部下が総勢四名ってどういう事ですか。
詐欺です。起訴して提訴をします。示談も辞さない覚悟です。……だって裁判したら負けそうですし。
「まあいい」
よくないです! 全然良くないですよ! たった五人であなた方は何をするつもりなんですかっ!
そんな言葉がピンポン球の跳ね方と同じように次から次へと浮かび上がる。
しかしわたしはか弱い女子。男性二名、女性一名、それとロボット(?)いちめ……ロボット!?
今やっと気付きましたけど、ロボっぽいなにかがどうどうと部屋の真ん中にいますよ。こんな大胆なロボはターミネーターの序盤くらいでしかお目にかかれませんよ。いやターミネーターさんだって、基本的には人の格好をしていましたので、どちらかというとショート・サーキットのナンバー・ファイブさんでしょうか?
「かんな! 挨拶しろ」
しかしそんな驚いている時間もわたしには与えてられていないようで、怒声に近しい声で兄に名前が呼ばれてしまう。
「……えっと、三ツ城かんな……です?」
視線がロボから離れないので、ロボットさんに個人的に挨拶をしたようなかたちになってしまいましたが、兄ではないもうひとりの男性が笑いながら「そりゃ気になるよね、普通」と許してくれたので、叱られずにすみました。
そうです。本来男性は女性に優しいはずなのです。
「あのロボットは、堀江有紀(ほりえゆうき)だ。ここにはいない広報担当の堀江萌の弟だ」
姉と戸籍まであるっぽいです、あのロボット。
映画だと市民権を得た時に金色になっていましたけど、このロボットさんは市民権まではないのか銀色のままです。
しかし科学の進歩がここまで来ていたとは、驚きです。そのうちわたしみたいな人間はロボットに取って代わられてしまうのでしょう。哀しきかな、未来の自分。アーメン。
「文哉、かんなちゃんが勘違いしちゃうだろ。……えっとね、あれは堀江有紀という人間が外部から操作している対人用の応対ロボットなんだ」
「た、対人用……? わたしは格闘経験とかはないので、その……」
「違う違う。対ヒューマン用のインターフェースだよ。授業への出席や、こうやって皆で集まって話し合う時、有紀が校内の監視カメラを使ってこちらを見ているだけだと本人がきちんと聞いているか分からないだろう。だからこれは有紀が自分はここに居るよって主張する為だけのロボットなんだ」
ああ、なんとなく理解できました。
「……でも、それなら本人が学校に来れば良いだけのことでは?」
「オレもそう思うんだけどね。有紀本人がこんなのを作るくらい、家から出たがらないらしいから仕方がないよ」
「そ、そうなんですか」
なんという引きこもり根性なのでしょう。全世界の引きこもりさんもこれくらいのことをやっているのでしょうか?
しかしこれでは社交性があるのかないのか、いまいち分かりません。
「という感じで、有紀の紹介は終わったから、次はオレかな」
そう言って先程まで有紀さん(ロボ)の説明をしていた男の人が自己紹介を始める。
「本多元徳(ほんだもとのり)。高校一年生で、一応文哉の補佐役兼いましめ役ってところかな」
兄のいましめ役とは心強いです。おもっきし性根をたたき直してあげて欲しいです。
「それじゃあ次は、みい子さん。自己紹介よろしく」
「高校一年、月出(ひたち)みい子です。三ツ城様の秘書をやっております」
兄の秘書とは、お若いのに苦労を成されているのでしょう。っていうか、簡潔ですね。やはり見た目通りのクールビューティーといった感じでしょうか。
「ソレジャア、次ハぼくダネ」
ロボットさんから女性の声を機械で編集したような音が発せられました。……っていうか、もしかして有紀さんは男の方ではないのですか?
そんなことを考えていたのが見破られたのか、兄が笑いながら説明を始める。
「こいつはな、いわゆるオタクというものらしくて、好きなアイドル声優の声を自分の声として使っているんだ」
「ちなみに、その好きな声優は有紀のお姉さん、芸名は確か一色エレナだったかな」
わたしが求めていたシスコンがここにっ! と言っても、自分の声を加工されて弟に使われるのはちょっと嫌ですね。
「ぼくハ中学一年デ、電子工作係。ヤルコトハはっきんぐト機械ヲ使ッタ諜報活動」
有紀さん。かなり失礼なことを考えていたわたしに大してなんて律儀な自己紹介!
少しだけ自分の心が汚れているような気がしてしまいます。
「といったところだ。四月からかんなには同じ中学生として、主に堀江姉弟の補佐をしてもらうことになる」
そう言う兄に「あんたも中学生だろっ」と突っ込みそうになりますが、四月になったら彼は高校一年生。
危うく自分の思考の至らなさを露呈してしまうところでした。危ない危ない、です。
「ええと、質問良いですか?」
「今の自己紹介で何が分からない?」
兄がわたしを馬鹿扱いする返答。……いや、そっちではなくて。
「あの、選挙前活動というのはこれくらいの人数でやるのが普通なんですか?」
わたしのその疑問に兄は「良い質問だ。褒美にこづいてやろう」とでも言うようにわたしの頭を過剰な強さで撫でながら返答する。
……女の子の頭を躊躇いもなく粗っぽく扱うなんて、外道です。鬼畜です。とても男子の行為とは思えません。
「良いところに気付いたな。勿論、普通はこれ以上いる」
「けど、文哉の人望がなさ過ぎてねえ~」
兄に人望がないのは既に知っています。けど、財閥の人員を使えばこれ以上集まるでしょうに。
実際にそう口に出してみる。
「うちの三ツ城財閥は、この学園内でそこまでの権力を持っていない」
「……でも世界で十指に入る大財閥ですよ?」
「それでも、だ。うちの財閥はこの学園内で、強制的に財閥の直系に従わなくても良い決まりになっている」
なんでまたそんな無謀なことを。それは財閥の直系が兄のように求心力の欠ける人間失格者の場合は財閥がなくなってしまうではありませんか。……ん? あまり問題があるとは思えませんね。グッジョブです、三ツ城財閥のしきたり!
「かんなちゃん。三ツ城は結構大きな家でその直系は君達しかいなくても従兄弟や又従兄弟なんてのを含めると相当な数がいるのは知っているよね?」
「ええ、それは……最近ですけど聞きました」
確かこの学校に通っているのだけでも11人いるっ! 的な話を聞いていたような。
「そんな大きな親族の中で、身内が競い合って三ツ城家が発展したことは?」
それは初耳です。しかしそんなことはなんとなく理解できます。大きなお家にはそれぞれの事情があるということくらい、ドラマとかで見たことがありますしっ。
確か、お家騒動ってやつですよね。……なにか違う気もしますが、そう勝手に解釈しておきましょう。
「まあ、その身内での競争は今も引き継がれていてね。戸籍とかがあるから昔みたいに競争に勝った家の名前が三ツ城になるわけじゃないけど、一応勝者は現会長の養子になって、財閥のトップになると決められているんだ」
へぇ~、へぇ~。なんとなくボタンを五回くらい押したくなる知識です。
「だから、そんな身内争いに傘下の人達を巻き込むわけにはいかないんだ。……けど、傘下企業の子供達は自由に、誰に就くかを決めて良いことになっている。勿論勝者にのみつくってのもありで」
もう二回ボタンを押したくなりました。現在、七へぇ~です。
「ということは、皆さんは三ツ城家の傘下企業の子息子女さん達で、この兄様につくとお決めになったのですか?」
ロボットを含めた三人が頷く。
……皆さん。それは泥舟を通り越して元から底がない盥ですよ。とは言えず、わたしは黙ってしまいます。
「おい、元徳。なに勝手に説明してんだ」
「いや、文哉よりオレの方が説明得意だし」
「そんなわけがない。俺の方が数倍上手い。なんならもう一度俺がかみ砕いて分かり易く説明してやる」
本多さんと兄が喧嘩っぽいのを始めてしまう。
この二人、実は仲が悪いのですか?
……選択肢、なのですかねここは。
『はい』と『いいえ』。選ぶのは迷うまでもないでしょう。
「遠慮しておきますっ!」
「だってさ」
わたしの言葉に本多さんがにやけながら兄に追撃する。
だって、一度理解した内容をもう一度説明されても意味ないですし。
「――っ! まあいい」
何とか怒りの矛先を向けられずに済む。
自身に憎しみを集めてくれた本多さんに感謝です。
「かんなも気付くくらい、俺の勢力は貧弱だ。そこでとりあえず4月までの目標をお前らに伝えておこうと思う……」
「……」
「……」
「……」
「……」
そんなことを言って兄は、何故か意味深な間を取り始めます。
う~ん、なんかこのシリアスな場を崩したいですね。
「ちわわ大明神」
ちなみに今のはわたしではなく有紀さんです。
そして、皆がその言葉の意味不明さに笑い始めるが、兄はそれがなかったかのように皆が笑い終わったのを確認して再度口を開く。
「4月までの目標は、三ツ城家内部の統一」
「他の親族さんを仲間に引き入れるってことですか?」
「いや、従僕させる」
……無理ですよ、それ。っていうか中学生男子がそんな顔してたら駄目でしょう。完全に悪徳三流政治家の顔です。足りないのは額に浮かぶ脂くらいです。
「文哉、それは取り込む順番とか考えているのか?」
「いや、まだだ。だが、最初に取り込むのは岐阜家や小谷家あたりが妥当だろうな」
「ちょっと待って下さい」
「なんだ、かんな?」
「いや、取り込むってそんな簡単にできるものなんですか? それに他の親族さん達は、みんな兄様以上に数の多い傘下子息さん達がついているんですよね?」
わたしの問いに少しは冷静になったのか、兄が少し考え始める。
けれどそんなのは気の迷いだったとでも言うように、一分と経たずに再度口を開きやがりました。
「まあ、どうにかなるだろ。とりあえず小谷から攻めるか」
「岐阜ハ取リ込ム価値ナシ?」
「まあ、あいつは俺より傘下が少ないからな。けどいつかは取り込んどく」
「ソレジャアでーた集メトク」
「私もお手伝い致します」
そんな感じでわたしの意見は取り入れられることなく無視されてしまいました。
泣いて良いですよね?
兄達が小谷さん家の調略に関する方針を議論を始め、手持ちぶさたにしていたわたしは「渡邊に連絡しておくから帰って良いぞ」という兄の一声により、解放された。
しかし解放されたのは良いのですが、三ツ城家用にあてがわれた高校棟の部屋まで兄と話しながら歩いていたこともあり、迷ってしまいました。
「えっと、こっちが南っぽいですね。では今度は東へ行ってみましょう」
さっきから野生の感で方角を感知して、こういう風に行く方向を決めているのですが、一向に外へと出られません。
そして新学期の初日だと言うこともあり、校内には人っ子一人見あたらない。
……ホームならぬ、スクールアローンです。
さて、これは無駄に広いこの学校が悪いのでしょうか。それとも方向音痴なわたしが悪いのでしょうか。
「これは難題ですね……あっ」
がっしゃーん。
そんな擬音が見えるような見事なまでの、花瓶が破壊される現象。
そんなとっても不思議な出来事がたったいま起こってしまいました。
「ひとりでに落ちる花瓶っ!」
決してわたしの小さいヒップがお当たりになったわけではないので、現象に題名を付けてみました。
「いやいやいや。君が落としたでしょうに」
「――ひゃっ!」
先程まで誰もいなかった廊下に突如女の子が現れた。
ここでなら戦闘BGMを鳴らしても問題はないような気がしますが、残念ながらわたしは町娘Gです。クエストに随行することはあっても戦闘には参加できません。
「え、ええっと……見てました?」
「それはもう。君がお尻を落ち着けようと壁に寄っかかろうとしたら、そこには花瓶があって、その花瓶が落ちるのを認識したのにも関わらず、手を差し伸べて受け止めようともせず、自分が水に濡れないよう即座にバックステップをしたところまで一部始終」
……全部見られてしまいました。終わりです。わたしに生きる価値はありません。
脳内で『デデーン、かんな。アウトー』という言葉がテロップで流れた。
「屋上ってどうやったら行けますか?」
「屋上? そんなところでどうするの」
「飛びます。アイキャンフライ、若しくは『鳥人間コンテスト』から鳥を取った感じです」
「いやいやいやいやいやっ! たかが花瓶落としたくらいでそんなことしようとしないでよっ! それに、鳥を取ったらたんなる人間コンテストですからっ!」
「でも、わたしこんな高級そうな花瓶、きっと弁償できません」
「大丈夫だって! こんな所に置いてあるのが高級品なわけないじゃんっ!」
高級品ではないという言葉がわたしの頭の中で木霊して、色々な起動スイッチを押していくような気がします。やる気スイッチがどれか分からなくても、いっぱい押せばどれかがそうでしょう理論です。
「……弁償しなくても済みます?」
「済む済むっ!」
「……もし弁償することになったらいくらくらいだと思います?」
「ん~、最高で五万円くらいかな?」
駄目です。そんな大金持ってません。大体中学生が五万円を高級じゃないなんて思うはずないのです。と思いつつも、わたしを元気づけようとしている方をよく見てみると、中学生の制服を着ています。
「やっぱりこの学校の人とは金銭感覚が違いすぎるのですね。……飛ぶしかないです」
「だからやめなさいって! ……えっ、金銭感覚? 君、もしかして三ツ城君の妹さん?」
三ツ城ではありますけど、そんな知らない人にまで認知されるほどの三ツ城ではありません。
そう言おうとして、思いとどまる。
そうです、兄ならばこの状況をどうにかしてくれるでしょう。彼にとって五万円なんて、わたしが缶ジュースを買うのと同じ感覚に違いがありません。
「兄様に頼んでみますっ! ありがとう御座いました」
そう言って、わたしは彼女にお礼をして三ツ城の部屋まで向かおうと走る。
しかし五歩も進まずに思い出す。
「そうでしたっ! わたし、迷子です!」
そう口にして、廻れ右をするとなにか突拍子もないものを見たという唖然とした顔をした彼女に、わたしは三ツ城の部屋まで道案内を頼んでみる。すると元々可愛らしいお顔の彼女は、数秒後に通常時の顔へと戻り「良いよ、今から向かうところだったし」と快く快諾してくれる。
……いまからむかうところ、と言うことは彼女も兄の傘下にいる方ですか? そして今日来ていなかったのは……。
「あの……もしかして、堀江萌さんですか?」
「あっ、やっと気付いてくれた? もう、君が三ツ城君の妹さんか訊いた時になんの反応も見せないから違うのかと思っちゃったよぉ」
そう可愛らしく返答してくれる彼女の声は、良く聞かなくても有紀さんのロボと同じ声でした。合成音っぽさがなくて、更に可愛らしいです。さすがアイドル声優さんです。
「でも、今日は来れなかったんじゃないんですか?」
「ああそれねぇ。まあ仕事だったんだけど三ツ城君からの招集じゃ断れないしねぇ」
それに貴方も見てみたかったし、と続ける彼女はなんとなく悪戯っ子の目をしていた。
それにしても兄の招集だからって仕事の合間に来るとは、兄は実はなかなか人望があるのかもしれないですね。
「まあ、ウチの家が三ツ城君にはお世話になってるし、これくらいはしないとねっ」
「お世話になったんですか?」
あの兄が他人の世話をするわけがありません。そんなのはきっと渡邊さんや木田さん辺りが兄の知らぬ存ぜぬところで勝手にやって下さったに違いありません。
「うん。いろいろとねぇ。と言っても始めからウチらを傘下に取り入れたいって言ってたから、そう言った打算もあったんだろうけど」
やっぱりです。あの兄は打算の固まりです。打算が液状化して冷凍されて、更に周りをより強固な打算で懲り固めた存在です。
萌さんには悪いですが『打算もあったんだろう』ではなく打算しかなかったとわたしは断言させてもらいましょう。
「でも、それはウチらがアイドルとかプログラミングとかの能力を発揮する前だったから、そうじゃないと思うけど」
う~む、そうなると確かに分からないですね。でもあの兄なら未来を盗み見て打算を企てるくらいのことやってのけそうですが……。
「そう言えば、萌さんはアイドル声優さんなんですよね?」
「そだよ~」
「そして有紀さんに愛されているんですよね!」
「愛って。……まあ、確かにそんな感じかな。ウチ以外にはあの子心を開かないからねぇ」
羨ましいです。姉弟とはかくあるべきだとわたしは思います。勿論、兄妹もです。
「それでは、異性の兄妹に愛されるコツをお教え願いますか?」
「う~ん、それは難しいかなぁ……って君は三ツ城君に愛されてないの?」
愛されたくはないですけど、甘やかされたいです。
そう言った意図を含めて兄が今までわたしにした所行を説明する。
「あははは、三ツ城君らしいやっ」
「笑い事じゃないですよぉ」
そんな導入部分を話している間に、わたしは再度三ツ城の標識がある部屋まで辿り着いてしまいます。……はぁ、これだとコツの伝授をお頼みするのはまた今度になってしまいますね。
「……かんな。お前まだ帰ってなかったのか」
渡邊さんが心配していたという批難を付け足して兄がわたしを罵倒する。
「えっと、あの、その……」
「この子、途中で花瓶割っちゃったんだけど、三ツ城君弁償お願いね」
兄が萌さんを見て、なにかに納得する。
「萌か、ありがとうな」
萌さんにお礼を言うと、すぐに携帯を取りだして渡邊さんと思われる人物にこの部屋までわたしを引き取りに来るように頼む。そしてその電話が終わると、すぐに殺意の籠もった視線と共にわたしを叱り始める。
「お前は、自分が方向音痴なのろまであることを自覚して、校内で迷ってたならすぐに渡邊にでも電話しろっ! 疲れたあげくに校内の備品を一々破壊されていたらこっちも迷惑だっ! だから馬鹿な行動は慎めと散々……」
このお叱りは大体渡邊さんが来るまでの十五分間、延々と続きました。
有紀さんは表情が見えませんが、何故か他の皆さんは微笑んで笑っていた。
きっと他人の不幸を見て歓喜するSっ気のある方々なのでしょう。