
駄文集
経済選挙《2》
2
次の日は何故か登校風景が変わり、リムジンの車内に兄とわたし以外の人間が三名ほど。
「かんなちゃんって言うんだね」
そう話しかけてくる萌さんのおかげで、自分が昨日自己紹介をしていないことに気付く。
「昨日はすいませんでした。三ツ城かんなです。改めてよろしくです」
「こっちもよろしくね」
「無駄話はそこまでにしろ。昨日の続きをするぞ」
和気藹々なガールズトークが炸裂しそうな雰囲気を、例によって兄に打ち砕かれると、皆真剣な表情になって頷き始める。
「昨日調ベタでーたハコレ」
突然音もなく点灯したスクリーンに、昨日の有紀さんロボが表示される。
……有紀さん、こういう時もそのロボットしか見せないのですね。これは引きこもりと言うより自分という人間を他人に見せたくない感じがします。
しかしそんなことを気にしているのはわたしだけのようで、皆は手元にある板状のなにかをいじり始めている。
「それは、なんですか?」
誰にともなくわたしは訊ねる。すると溜息を吐く兄以外が驚いた表情をこちらに向けてきた。
「かんなちゃん、これ知らないの?」
「新型パソコンとかですか?」
「タブレットって言うんだけど……おい、文哉。彼女は現代社会の標準的なテクノロジーも知らないのか?」
標準的って、少なくともわたしが以前住んでいた所ではそんなものを使っている人を見たことはありませんが……なんて抗議してみたいですけど、きっとこれも上流階級では当たり前のものなのでしょうね。中の下流にいたわたしからするとパソコンですら学校にしか置いてない代物なのですが。
「それで、そのたぶれっとという物は何をするんですか?」
そのわたしの問いに、隣に座っていた兄が横に置いてあったタブレットを投げてきた。
「いじってみれば理解できるだろ」
そう言われて、わたしはタブレットを触ってみる。とりあえず画面が真っ暗なので画面の下に配置されたボタンを押す。画面がついて『ロック解除』という文字と、時間が映される。
しかしそこから先、何をすればいいのか分かりません。何しろこれにはボタンがひとつくらいしか見あたらないからです。
言っておきますが、わたしはパソコンならネットサーフィンまでできる凄腕です。だからこれは機械にわたしが弱いとかではないのです。
そうやって二の足を踏んでいると、本多さんが画面を直接触る。
「あっ! なんか画面が変わりました!」
「これはタッチパネルと言ってね。画面を直接触るだけで操作ができるんだよ」
な、なんとっ! 映画やテレビで見ていた未来が今ここにありますっ! ああ素晴らしきかなオーバーテクノロジー。
「それじゃあ次にここを触って、今有紀から送られてきたデータを表示させてみようか」
「は、はいっ!」
画面上にある『ドキュメント』という文字が下に表示されている絵を触る。すると画面が変わって、文字と写真のある個人情報っぽいものが表示される。
「えっと、小谷霜夜(しもや)、17歳、高校二年生、小谷グループ会長の長男……」
まんま個人情報でした。個人情報保護法とは本当に存在しているのでしょうか?
「有紀、頼む」
個人情報保護法の存在意義に対する疑問を考えているわたしを無視して、兄は有紀さんになにかを頼む。
「分カッタ」
有紀さんの声(加工された萌さんの声)がそう言うと、すぐに操作もしていないタブレットの画面が変わり、動画が映し出された。
『お兄ちゃ~ん』
『なんだい夏奈?』
『わたしね~、大きくなったらお兄ちゃんとけっこんするっ!』
『本当かい? 嬉しいなあ~』
……実にほのぼのとした動画です。やはり兄妹とはかくあるべきだと思います。勿論、動画の可愛い女の子が言った台詞を、わたしは死んでも言いませんけれど。
しかし動画を見ていると、先程見た写真の人物が『お兄ちゃん』と呼ばれている様子。
つまりこれは小谷霜夜さんの日常を撮影したものだと判断できるでしょう。
「これは使えるな」
そんな兄の言葉と共に動画再生が終わる。そしてそんな兄の表情には嫌らしい笑みが浮かんでいる。
……なにか良からぬことを考えていますね。
「霜夜の妹を誘拐してこい」
想像通りと言うか、なんと言うか。本当にこの人はどうしようもない悪人です。
「――ってちょっと待って下さい!」
「なんだかんな。もっと良い案があるのか?」
「いや、良い案とかそれよりも……誘拐って、犯罪ですよ?」
「捕まらなければどうということはない」
「三ツ城君。それ捕まるフラグだよ~」
「いや、フラグとかじゃなくって! なんでこんな兄妹仲睦まじく生活している二人を、そんなダークサイドライフに陥れようとしているんですかっ!」
「はあ……あのな。小谷家を取り入れるにはこれが一番効率が良くて手っ取り早い」
「それでも外してはならない人としての道というものがあるでしょうっ!」
「それだと三ツ城家は栄えない」
栄えるとか栄えないとか、そんな話しじゃないでしょうに。しかしわたしが兄を説得しきれないのは明白です。
わたしは誰か手伝ってくれそうな人間を求めて視線を動かす。
萌さんはなんか意気揚々としていて、誘拐という単語に何らかのスリルを感じてしまっていそうなので却下。
月出さんは……感情が読めないですけどなんとなく兄が言ったことには無条件で同意しそうなので止しておきましょう。
残るは本多さんのみ。
本多さんへとわたしが視線を移すと、本多さんはなにかを理解したようにわたしにウインクをして、口を開く。
「文哉。誘拐なんて非人道的なことは駄目だ」
「貴様の意見は訊いていない」
「誘拐なんてしても、その後解放したらいつ裏切るか分からないだろう?」
「そんなのは契約書に署名させれば済む」
「契約書は確かに、法的には有利だ。けど誘拐をして、無理矢理させた契約だと、もし裁判になったらこちらに不利になる。なにしろ向うは誘拐されていた証拠を掴めれば良いだけなんだからな」
おお~、本多さんが理論で兄を圧倒しています。わたしにウインクした時は、わたしに協力するフリをして即座に諦めると思っていたのですが。ネタ的に。
なにはともあれ本多さんにはまたもや感謝です。
「それなら証拠を残さずに誘拐すれば良いだけだ」
それに比べてこの兄は本当に駄目です。おそらく倫理という言葉の存在すら知らないのでしょう。平然と『俺の辞書に倫理はない』とか言いそうですし。そしてそんな兄に『そんな辞書は欠陥品か未完成品ですよ』なんて言っても通じそうにありません。
「本当にそんなことができるとでも思っているのか? これはひとつでも足跡を残してしまえばそれで終わりなんだ。有紀のハッキングとは違って実際に起こす行動で、それがどれだけ難しいか分からないお前じゃないだろ」
やはり本多さんは素敵です。常識をトカゲのしっぽのように切り落としてしまったこの面子の中で、唯一倫理観をお持ちのようです。
本多さんの反論により、兄はしばらく考え始める。
「よしっ。有紀、次は霜夜の父親の弱点を探れ。横領や密輸、ありとあらゆる不正の情報を掴んでこい。それを元に親を強請るぞっ!」
……外道です。心の底から兄が下種であると断言できます。
「了解デス」
有紀さんも、そんな嬉しそうなトーンにわざわざ音声を変えてまでロボットから発声させなくても良いんですよ。
登校時にするような話ではない内容の会議が終わってしばらくすると、昨日と同じように校門前までわたし達は辿り着く。そこから各自各々のクラスへと向かい、学年が同じということもありわたしは昇降口からロボットさんに随伴されて自分の教室へと行った。
「ぼくハ2組ダカラ」
「あっ、そうですか……それじゃあ、また」
その異様なまでの光景に、何故か誰も足を止めたりしていないのを不思議に思いながら、わたしは教室へと入る。
「おお~三ツ城さん、おはよっ!」
入室一番で立花さんがわたしに向かって飛んでくる。
「おはようございます」
「今朝は堀江ロボに守られて登校ですか~、お姫様だねっ!」
どこから見ていたのかは知りませんが……ロボットに守られて登校するよりも、ライトセイバーを持った人間に守られて登校したいですよ、わたしは。
「堀江ロボさんと登校したってことは、昨日お兄さんが紹介したいって言ってたのは傘下の人達だったんだね!」
「ええ、そうですけど……もしかして立花さんも何処かの傘下に入っていらっしゃるんですか?」
そうであればあまり仲良くしてはいけないのかも、と思い一応訊ねてみました。勿論、わたしは兄の選挙とか気にしてないので立花さんがライバル勢力の傘下にいても俄然仲良くしてしまうつもりですけど。
「ああ、やっぱりそう思っちゃう? けどちっがうんだな~これが」
「違うんですか……ってそんなことあり得るんですか?」
三ツ城財団の後継者争いで勝者につく企業やグループ会社の人達は、後継者争いには中立だが最終的には三ツ城財団の傘下ということになる。そしてそれが他の財閥などで行われていても同じ事。それでは傘下に入っていない子息令嬢がいるのでしょうか?
「あったしはね~、最近入学規定を満たした会社のお子さんなのでっ」
納得しました。
この学校が設立してから入学規定を満たした会社の子息は自動的に入学届けが送られ、逆に規定を下回ってしまった会社の子息には退学届けが送られる。
そう言った意味で、新規の企業を設立した親を持つ子供らの入れ替わりは結構激しいと聞いたことがあります。……まあ、兄にはそのような人間と仲良くしても利用価値はないだろうから、やめておけと言われたのですが。
「それなら立花さんは――」
「ほのかで良いよっ!」
「ならわたしもかんなと呼んで下さい」
「オッケーかんちゃんっ!」
その呼び方は、どこぞのおじさん向けなあだ名っぽくてなんか嫌な感じがしますけど、まあ許容範囲内なので特に訂正はしません。
「えっと、それなら立花さんも傘下に入るところを探しているんですか?」
「う~ん、まあそうは言われているんだけどね~。ぶっちゃけあたしは特に秀でた才能も、人を見る目もないからなぁ」
「……」
同士ですっ!
わたしは即座にほのかさんの手を掴み、自分も同じだと告白する。するとほのかさんもわたしを同士だと認めてくれたのか手を握り替えして、この人材の宝庫とも言える砂漠で憩いのオアシスを見つけたかのように目を潤ませながら喜んでくれた。
わたしも大変感極まってしまいます。
「……ゴホン。二人とも、ホームルームを始めたいんだが」
感極まって担任の先生が入ってくるところを見逃してしまいました。
「か~んちゃ~ん♪」
「なぁ~にぃ♪」
「おっ昼た~べよっ!」
朝の一件から早くも仲良くなったわたし達は、昼休みになると一緒に昼食を食べることにして、教室を出た。
「……」
教室を出るとロボットが待ち構えていました。……エンカウント?
「昼食?」
「ええと、はい」
「ぼくモ一緒ニ行ッテ良イ?」
良いですけど、貴方は機械の身体だから食物を食べられないのでは? もう一度宇宙を飛び回る列車に乗り込んで、人間の身体に戻してもらってからにしましょうよ。
という言葉は飲み込み、わたしはほのかさんの方を一瞥して、彼女が頷いているのを確認してから返答する。
「もちろんですっ!」
こうして人間二人と機械一体というパーティで食堂へと向かうこととなりました。
食堂に着いてもわたしは驚きません。もうこの上流階級の常識はある程度理解できていますから。だから学校の食堂にシャンデリアがあって、給仕さんがいても驚きません。
「……ほぇ」
圧倒されただけです。
「かんちゃんかんちゃん! あそこ空いてるよっ!」
「誰カニ取ラレル前ニ確保スル」
「へ?」
途中にいる人達を避けながらうぃーんと伸びる腕で有紀さんが席を確保して、そこから胴体を高速移動させてたのにはさすがに驚きましたが。
「コッチコッチ」
ああ、なんか手とか振っちゃってますよ。ここだけ見ると有紀さんがロボットと言うことを除けば普通の光景なんですけどねぇ。
「コッチコッチ」
いや、ほのかさん。貴方はロボットじゃないでしょう。なんでそんな合成音っぽい声で有紀さんと同じように手を振っているのですか。
「……はぁ」
わたしは周囲の注目を一身に浴びながら、二人が待つテーブルまで向かう。
途中「あれって三ツ城様の妹さんよね」「ああ、だから堀江様のロボットが」「入学二日目にして二人も傘下を加えるなんて」などともう想像から創造の域へと達した妄想が繰り広げられていたのは聞かなかったことにしましょう。
……人間、分不相応な過大評価は心が苦しくなるものです。
「えっと、ここのシステムは普通のレストランと一緒なのですか?」
「コノべるヲ鳴ラシテ給仕ヲ呼ブ」
うん。全然違いますね。
「メニューはないんですか?」
「ないよ~。食べるものは個々人の食生活が偏らないように、向うが勝手に決めて作ってくれるから」
……ベル必要なくないですか?
そんな疑問を口にしようとすると同時に、給仕さんがわたし達の前にお水とお料理を並べていく。そして有紀さんの前には……コンセント付きバッテリーパック(と何故かひらがなで書かれた物体)が置かれた。
「有紀さんは、今ご自宅で昼食を食べてるんですか?」
「ウン」
「ええっ! 堀江さんって中に本人が入ってるんじゃなくて、遠隔操作なんだっ!」
機械にうと……科学の進歩に多少ついて行けないわたしですらその発想はありませんでした。ほのかさんの将来が不安になります。
そこからしばらくあまり会話のない食事風景が続いて、皆が食べ終わると同時にほのかさんが元気良く会話を始める口火を切った。
「堀江さんって、かんちゃんのボディガードなの?」
「違ウ。ケド、カンナニ危害ヲ加エヨウトスル人間ヲ目撃シタラ撃退スルヨウニハ言ワレテイル」
「初耳です。それは誰から言われたんですか?」
「オ姉チャン」
萌さん感謝です。
「ほー。んじゃ今日一緒にお昼食べに来たのもそう言う理由なんだ!」
ロボ有紀さんが頭部と思われる部位を横に振っています。冷静に見るとなかなかどうしてシュールなものですね。
「違ウ。教室ニ一人デイルヨリ、カンナトイタ方ガ楽シイト思ッタ」
……これは喜ぶべきなのでしょうか? ただ有紀さんの性別は男らしいですし、自室から出ない為だけにこのようなロボットを開発するような方ですし、なんとなく素直に喜べないのですが。
でも、わたしごときが友人を選んでなんていられないというのもまた事実。ここは素直に喜んでおきましょう。
「ありがとう御座います」
「いやいや、かんちゃん。そのお礼はまだ早いよ」
「どういう事ですか?」
「堀江さんは楽しいと思ったから来たんであって、実際に楽しかったかは聞けていないのだっ!」
確かに。ほのかさん、元気しか取り柄がないように見えて意外と洞察力も鋭いです。
「それではお聞きいたしましょうっ! 堀江さん、楽しかったデスかぁぁぁ!」
最後に死の呪文が聞こえたような気がしますが、それよりも有紀さんの返答が大事です。
「……ウン」
『ポッ』というSEが同時に流れましたが、これは恥じているのでしょうか? だとしたら意外と可愛らしい方なのかもしれません。
「うわぁぁぁぁぁ! やったね、かんちゃんっ!」
「やりましたねっ!」
「カンナ、立花、他ノ人ガ見テル」
周囲の視線を精一杯集めてから、わたし達は静かに着席をして、ガールズプラスロボットトークに花を咲かせた。
放課後になり、初日からついて行けない授業の数々を忘却の彼方へ『アデュー、もう二度と帰ってこないで下さいね~』と送り出し、なかったことにします。
そして精神的に元気になった後、有紀さんのクラスを経由してからほのかさんに昇降口まで送ってもらう。そこでわたしは帰宅の迎えを頼む為、渡邊さんに電話をする。
ちなみに有紀さんはクラスにはおらず、ほのかさんも迎えの車で帰ってしまったので今はわたし一人になってしまっています。
「あっ、も、もしもしっ!」
「かんな様ですか。どうなされました?」
「あの……お、お忙しくなければ、お迎えをして頂きたいのですが」
「文哉様にかんな様には三ツ城のお部屋までおこしになるよう言付かっておりますが、そちらはもう既にお済みなっておりますでしょうか?」
……またあの部屋ですか。ぶっちゃけあそこまでの道筋をまだ覚えていないんですよね。どうしましょう?
「お部屋まで道筋は、校内案内図を御覧になるのがよろしいかと」
そう言って渡邊さんが三ツ城の部屋の位置とその地理的名称を教えてくれる。
そうです。この校内は敷地に地理的名称がついているのです。それくらい広大な土地なので、わたしが何度も迷子になってしまっているのは仕方がないことでしょう。
「ありがとうございます」
「いえいえ。それではもし迷ってしまいましたら、またご連絡下さい」
渡邊さんの台詞を最後に電話が切れたことを知らせる電子音がする。それは会話が終わったと同時に、わたしにとっては一人でこの広大な土地をクロスカントリーウォーキングしろという意味でもあった。
……校内用のシャトルバスとかないんですかね、ここ。
渡邊さんとの電話から三十分後。
「迷いました」
これは人生の生き方に迷ったとかそんな思春期特有なものではなく、現実的な対処ができる方の意味で迷いました。渡邊さんが言っていた校内案内図など見つけられずに歩き回った結果がこれです。
「……はぁ。渡邊さんに電話でもしましょうか」
そう言ってわたしが鞄から携帯電話を出そうとした時、視界の端で人影っぽいなにかが動くのを確認できた。
渡邊さんの手を煩わせるよりも、こちらの方が断然良いですね! だってまた道に迷ったとか兄に知られたら、なんて叱られるか分かりませんし。
そう思うやいなや、わたしはその人影に向かって走る。
「そこにいる誰か~。わたしを助けてくださ~い」
人影が止まる。しかし近づいてみるとその人影は二つあり、一つはわたしと同じ中学課程の制服を着た小さな女の子。もう一つは高校課程の制服を着た男性。
……このような人気のないところでナニをっ!?
「どうしたんじゃ、なにかあったのか?」
小さな女の子が大変可愛らしい声で心配して下さっています。……でも明らかに中学生って感じじゃないですよね。だってわたしより背、小さいですし。
「えっと、あの……」
駄目です。こんな小さい子に自分が迷子だなんて言うのはなんと言うか……わたしの沽券に関わります!
しかし迷子なのはいかんともしがたい事実。
「もしかして、三ツ城かんな様ではありませんか?」
今度はどうすればいいのか身の振り方について迷っているわたしに、男性の方から名前を問われる。
「………………もしかしてわたしって、結構な有名人だったりします?」
「ええ、あの品行方正で頭脳明晰な三ツ城文哉様の妹君で、入学二日目にして部下を二人も連れて御昼食を頂いていた、と校内ではそれなりに話題になっております」
「ん? そうなのか。こいつがのぅ」
女の子がわたしを品定めするように見る。
しかしそんなに見られても、事実ではないことの真偽は分からないと思います。
「たんなる小娘にしか見えんがのぅ」
そして結構失礼なことを言われました。まあ、事実ですから別に構いませんが。
「しかしあやつの妹なら、それくらいのことはやってのけて当然か」
「あの……兄様をご存じなのですか?」
「文哉だけではない。貴様のことも知っておるぞ、内縁の子よ」
そう言われて驚く。この事は家の恥となるから誰にも言うなと兄に言われていたこと。
それを知っているという相手に、わたしはどう対応して良いか分かりません。
三ツ城家の敵勢力さんですかね? 冷静に考えてみるとそれが妥当な気がしますが、それを訊ねる前に相手が正解を教えてくださいます。
「お嬢様、そんな物言いですと三ツ城家の敵だと思われてしまいますよ」
「別に問題はないじゃろう。同じ三ツ城の一族とはいえ、妾は岐阜。いずれ三ツ城本家になる者じゃ。こやつらの敵には違いないのじゃ」
岐阜ということは……『岐阜ハ取リ込ム価値ナシ?』『まあ、あいつは俺より傘下が少ないからな。けどいつかは取り込んどく』昨日のそんな会話が脳内で再生される。
傘下が少ない。……まさかいま隣りにいる男性のお家だけってことはありませんよね?
「あの、もしできればで良いんですけが……参考までに岐阜さんの傘下ってどれくらいいらっしゃるかお教え願えますか?」
ちょっとした確認のつもりで訊ねてみると、岐阜さんは痛いところを突かれたとでも言うように「ギクゥ!」と口に出した。
本当にそんな擬音を口にする人っているんですね。
「お嬢様の傘下は私、斉藤元就の斉藤家だけでございます」
「あっ、やっぱりそうなんですね」
「やっぱりとはなんじゃっ!」
「いえ、なんとなくそうなのかなぁと思っていましたので」
「くぅぅぅぅぅぅ! お主、妾を愚弄する気かっ!」
うん、岐阜さんの怒り方がなにかに似ていると思っていましたけれど、幼子がじたんだを踏む様子と似ているんですね。そう理解すると、わたしは急に、心の中で余裕ができてきました。
「いえいえ、愚弄するつもりはありませんのでお気になさらないで下さい」
「妾の頭を撫でるなっ!」
子をあやすのは難しいですね。母様、ご苦労様でした。
「かんな様、お嬢様で遊ぶのはそこまでにして下さい」
「いえ、別に遊んではいません」
真顔で撫でるのを止めずに言ってみます。
「それに、お嬢様の傘下に私の斉藤家だけしかいないとは言え、斉藤家は三ツ城財閥の中でも規模が大きいグループです。正直な話、三つの家しか傘下に取り入れられなかった文哉様とは同等かそれ以上の力を持っております」
「そうなんですか~。岐阜さんのお名前はなんていうのかなぁ?」
「お主、自分の兄が妾より下だと聞いて何とも思わないのかっ!」
興味ないですし。下とは斉藤さんも言っていませんし。っていうより岐阜さんが可愛すぎて、今はそれどころじゃないって言うか。……もうっ、娘にはこんな子が欲しいなぁ!
「かんな様は選挙争いに興味を持たれていないようですね」
「ええ、わたしにはあまり関係ありませんし」
「お主の兄が関わっているのじゃぞっ!」
「それも最近知った兄なので、ぶっちゃけ兄という実感はまだないですし。それより岐阜しゃんはお名前言えるかな~?」
「妾は岐阜葉月じゃっ!!」
「偉いでしゅねぇ。はじゅきちゃんって言うんでしゅか~」
あーん、もうっ! 名前に濁点付いているとは思えないくらいに可愛いですっ!
「妾はもう16歳じゃっ!」
「…………………………………………………えっ?」
「妾は十六歳じゃとゆうとるんじゃっ! ほれ、学生証を見てみろ」
斉藤さんから学生証を渡されて、可愛い顔写真に目が行きそうなのを抑えて生年月日を確認する。
……本当です。わたしより二歳年上です。ありえません。
「葉月ちゃんってこの世の奇跡が具現化したものですかっ!?」
「ものじゃないわいっ!」
「まあ、お嬢様は確かに実年齢より遙かに下の容姿をしたロリロリな生物ですからね」
「ロリじゃないよっ!?」
「葉月ちゃん飴ちゃんあげるから、今夜お姉さんの家に泊まらな~い?」
「いや、妾の方がお姉さんじゃぞっ!?」
そんな感じで十分くらい葉月ちゃんをいじって楽しみました。
「……それで助けて下さいとわたしが言った理由なのですが」
「はぁはぁ……もう、土下座……しても……助けん、わい……っ!」
「実は道に迷ってしまって」
「人の、話しを……聞かん、かいっ」
「それは大変ですね。どちらまで行かれるおつもりだったのですか?」
「さ、斉藤……お、主……一体……どっちの、味方……なの、じゃっ」
「三ツ城の部屋までです」
「ああ、それでしたら……」
斉藤さんに道を教えてもらい、去り際にもう一度葉月ちゃんを撫でた後に、やっとわたしは校内案内図と高校棟の昇降口を見つけた。
「……目的地に置かれていたら、わたしには意味がありませんよぅ!」
そんな不平を言い、わたしは階段を登って三階の部屋まで行く。そして扉の前で開けるべきか否かを五分くらい逡巡してからドアノブに手をかける。
がちゃ、と言う扉の開音が部屋中に行き通り、案の定、死の波動を覚えた兄がわたしに小言を言ってきます。
けれど今日のわたしはそんなのものともしないのです。何故ならわたしは身につけてしまったからです。秘技『怒られている時は葉月ちゃんの可愛さを心に思い浮かべよう』をっ! この秘技があればわたしは誰にいつ叱られようともへこたれることはありません。
ただ、この秘技のデメリットは叱られているのににやけてしまいます。なので上手く妄想をコントロールしてにやけすぎないようにしなくてはなりません。
ちなみに今日は失敗してしまいました。何しろ習得したての秘技ですからね。極めるまでにはそれなりの回数を要します。
◇◆◇
かんなが叱られている頃、先程までかんなが迷い込んでいた高校棟の中庭。その端で岐阜葉月はにやりとしながら斉藤元就に話しかける。
「……あれが文哉の妹御か」
「はい、至極普通な少女でしたね」
「まあ、文哉と同じく優秀な人間など、直系とてそうはおらんじゃろう」
その言葉を、文言通りとは違う意味で解釈した斉藤はにやける。
「ええ。それでは計画通り行われますか?」
「そうじゃな。文哉の弱点などそうそう転がってはおらん。これを機に突いておくのが吉じゃろう」
そう言って岐阜はテレビ番組のヒーロー物に出てくる悪役のように高笑いを始める。
「あーはっはっはっ……ゲホッゲホッ!」
そしてむせていた。