
駄文集
経済選挙《5》
5
「へぇ~、誘拐されちゃったんだ」
「誘拐されちゃいましたぁ、えへへぇ」
昼食後、わたしは昨日の顛末をほのかさんに報告します。
「でも、二人の顔を見る限り、誘拐したのはかんちゃんで、されたのは岐阜さんだよね」
「昨日も遅くまで語り合っていたそうで、今朝方私が起こしに行ってもなかなか起きて下さらなくて、苦労致しました」
ちなみに今日は斉藤さんも一緒です。理由は、一応誘拐をしているので、誘拐犯の首謀者(葉月ちゃん)と人質(わたし)を警護しなくてはならないのだとか。
そんなわけで、今日の昼食は四人と一体(一機?)です。
「っていうか、堀江さんここに居るけどいいのっ?」
「はいっ。勿論ですっ!」
「かんちゃんには訊いてないって」
「大丈夫ですよ。堀江さんには事前にかんな様を奪わないと確約を頂いておりますので」
いつの間にそんなことを? と言っても、有紀さんと斉藤さんが一緒に合流した時点である程度予想は付いていましたけど。
「いやいやっ! 堀江さんはそれでも良いの? 一応、上司の妹さんでしょっ!」
上司という言葉はなにか違う気もしますが、とりあえず突っ込まないでおきましょう。
「ウン。文哉ニハ確認シタ」
「はぁ~。誘拐って犯罪行為だよね? なんでこんなほのぼのとしてんの?」
「ほのかさん。現実とはかくも受け入れがたいものですが、受け入れなければ前へは進めませんよ」
「人質に諭されるその友人ってどうよ」
「別に問題はないかと思いますよ?」
「かんな様の仰る通り、問題ないですね」
「……諦めろ、立花とやら。妾もこいつらに抗っても無駄だと昨日一日で思い知った」
二日酔いの親父を意識しているかのような声で、葉月ちゃんはほのかさんに助言する。
「説得力のあるお言葉……南無三」
「一応まだ生きてはいるが、黙祷感謝する」
なんかほのかさんと葉月ちゃんの間に絆が芽生えようとしています。どうしましょう?
・阻止。
・絶対阻止。
・メガトン阻止。
……ここは裏入力をして隠れた選択肢『まあ別に良いんじゃね?』を選択しておきます。
「そう言えば、誘拐って三ツ城さんにはなにを要求してるの?」
「……世界の半分です?」
「いや、もうボケは良いから」
そう言えばわたしもなにを要求しているか聞いていませんでした。斉藤さんは断られた後、再度文面で兄に要求を送っているはず。
斉藤さんに視線を向けてみる。
「名誉……ですかね?」
斉藤さんまでボケてしまったら収拾がつきませんよぉ~。
「まあ、それは冗談です」
「それくらい分かってます」
「あたしもそんな馬鹿じゃないんで、分かってます」
「――っ! そ、そうじゃな、そんな簡単なことも分からない人間などおらんわっ」
約一名信じてしまっていたようです。純粋な子供は可愛いですねぇ。
「月曜日までを期限として、三ツ城財閥の継承権を一つ要求しております。」
「……それも冗談ですか?」
「イヤ、コレハ本当ダヨ。カンナ」
わたしの淡い希望も、有紀さんによってすぐに打ち砕かれる。
「そんなことは聞いておらんかったぞっ! 何故妾に確認をしないっ!」
「昨夜はお忙しそうだったので、こちらで進めさせて頂きました」
「確認くらいはできたっ! 何故言わんかったのかを聞いておるのじゃっ!」
「お嬢様はなにか勘違いを成されているようです……ねえ、堀江様?」
わたしの代わりに激怒してくれている葉月ちゃんを窘める為か、躱す為か、斉藤さんは有紀さんに水を向ける。
「継承権ハ何モ文哉ノジャナクテモ良イ」
「……どういう事じゃ?」
「文哉ガデキルナラ、自分以外ノ継承権ヲ入手シテ渡セバイイ」
「そう言うことです、お嬢様。こうすることによって、我々は親族の一勢力を無力化でき、なおかつかんな様が三ツ城様にとってどれだけ重要かを証明できるのです」
「……じゃが」
葉月ちゃんが言わんとしていることは分かります。
そんなことが簡単にできるのであれば、あの兄はもう既に三ツ城財閥を牛耳っている。できないからこそ、いま三ツ城内部の統一に向けて行動をしているのであって、斉藤さんの要求は兄の継承権を渡せと言っているにすぎない。
「そんなのあの兄様がのむわけないじゃないですかぁ」
わたしはできるだけ動じていない自分を演出する。
「できなければ、貴方と誰かを婚約させるだけです……と言っておきました」
まるでそうさせる気はないとでも言うように、斉藤さんはそう言うが、彼の眼は本気だ。
わたしにだって本気と冗談を行っている眼の区別くらいはつきます。彼の眼は本気です。
「た、例えば誰と結婚させると言ったんですか?」
普通に考えれば、親族の誰かと結婚させても継承権がひとつ減るだけ。しかもそれはわたしの方の継承権。勢力すら持たない、わたしの継承権が減っても誰も得はしない。
「例えば私、とかですかね?」
わたしは唖然とする。正直、ここにいる場の皆が唖然としているだろう。
……有紀さんは相変わらず頭部に口を大きく広げた映像を流すくらいの余裕はあるっぽいですけど。
「そんなのは許さんぞっ!」
そりゃそうです。これが実現してしまった時、葉月ちゃんと斉藤さんの上下関係は崩れるのですから。そして、対等になった斉藤さんが葉月ちゃんをいままで通り敬うとは思えません。……まあ、いまも敬っているようには見えませんが。彼、慇懃無礼っぽいですし。
「しかし、わたしが継承権を拝領すれば、お嬢様の元に継承者が二人も居ることになります。そして、二人も居るのであれば、他の傘下に入ってしまった者たちも誰が有利かはっきりと理解できます。……少なくとも三ツ城様以上の傘下を集めることは容易いでしょう」
「じゃ、じゃが」
まだ納得できていない葉月ちゃんが、何かを言わなければと思い口を開くが、出てきたのはそんな言葉とすら呼べない抗議の声だけだった。
しかしここまで来て、斉藤さんの顔が緩む。
「お嬢様、これは例えばの話しです。実際にそれを予定しているわけではありません。ご安心下さい」
急変した彼の表情に、葉月ちゃんは戸惑いながらも「そ、そうじゃったな」と納得するような言葉を口にする。そんなあっけなく終了した口論の様子は、いつの間にか有紀さんが建築(射出?)した円形の壁によって、外部に漏れることはなかった。
「ちょっと待って下さい。本当にいつ、こんな壁作ったんですか?」
「誘拐ノ話ガ出テキタ時カラ徐々ニ」
それって最初からってことじゃないですか。しかも徐々に、と言うことは前半の会話は壁建設で衆目を集めている中で行われていたということになりませんか?
「……ははは、この壁からでるの恐いね」
「ほのかさん。この気持ちを分かってくれるのは貴方だけだと思っていました」
わたしとほのかさんは抱き合うように嘆き、とりあえず全力で、壁の解除をしようと行動し始めた有紀さんを止めておきました。
「予鈴が鳴ってからにして下さい」
「マジでホントにそれでお願いっ!」
「? ……分カッタ」
建築よりも解除の方が時間がかかると知ったのは、午後の授業に三十分以上の遅刻が確定してからでした。
「本日はできるだけ学校内に留まりたいと思います」
放課後になるやいなや現れた斉藤さんが、右腕に葉月ちゃんを抱えてそう言った。
なにやら反抗を示す行動すらできないくらい疲れていそうな葉月ちゃんは、いまは大人しく肩で息をしています。
「えっと……斉藤さんは本当に授業に出ているんですか、と言う疑問はおいておきまして……理由はなんですか?」
「それは、生徒や教職員がいる学校内であれば、三ツ城様も強攻策には出ないかと考えましたので」
「まあ、日夜人の道を外れた策を講じている兄様ですからね、衆人環視とまでは行きませんが、学校内であればそこまで問題になる行為はしないでしょう」
まあ、わたしごときの為に暗殺までするとは思えませんがね。
「ええ。そういうことですので、今から岐阜家のお部屋まで向かいましょう」
斉藤さんがどこか焦っているような気もしますが、とりあえず従順についていくことにします。だってわたし、人質ですし。
「こちらが岐阜家の部屋となっております」
三ツ城の部屋があるところと同じ高校課程の敷地内だが、ほぼ反対側に位置する建物の一階にある部屋まで連れてこられる。
「なかは三ツ城の部屋とあまり変わりませんね」
「まあのっ!」
「岐阜も三ツ城も傘下の数が少ないとは言え、三ツ城財閥の一員ということもあり、それなりに大きな部屋が割り当てられております」
ということは財閥の規模によって部屋の大きさが変わるのですか。
「この部屋って、いつ頃割り振られるのですか?」
「通常では各企業の子息令嬢が入学する四月に割り振られ、毎年その生徒らが個人的に計上した自社の利率や、傘下に取り組んだグループ数を考慮して、再度振り分けられます」
「……と言うことは四月から、わたしも部屋が与えられるのですか?」
「そうなると思われます。かんな様も三ツ城の継承権をお持ちですし、立花様や堀江様ときちんと傘下契約を結べば、それなりのお部屋が割り振られると思いますよ」
「酸化計約……ですか」
あえて文字を間違えて言ってみましたが、言葉では伝わりにくいのか、誰も突っ込みません。漫画などでは問題なくこの誤字が伝わって下さるのですが、現実とはつまらないものですね。
それにわたしはそんなの結ぶ気、今のところありませんので来年割り振られるわたしの部屋は、お手洗いの個室クラスになりそうです。せめて漫画喫茶の個室くらいのスペースは頂きたいですけど、無理ですよね。分かってます。
「傘下契約と言っても、別にそこまで堅苦しいものではありません。……そうですね、かんな様にも分かり易いように例えると『部活動必須の学校で、仕方なく活動のない部活に入部届を出す』みたいなものが近しいかと」
「そんな気軽で良いんですか!?」
「勿論、きちんとするのが普通ではありますが、企業やグループによっては中立を保ち、どの財閥とも仲良く取引をしたいという者もいますから、引き抜きや強制をされる前にとりあえず何処かの傘下に加わる、ということがままあります」
「でもそれも、どこでも良いってわけではないでしょう。……その場合ですと傘下に入った元締め丸ごと引き抜かれてしまうことだってありそうですし」
「ええ、ですので中立を保つにはそれなりの後ろ盾が必要です。ですがそこまでの後ろ盾を持つ人物が自分の野心に駆られなかったことはありません」
「ということは、いま中立を保っているところはほぼない、と?」
「まあ、傘下に加わる条件として他財閥とも取引をするという条件を提示する者などもいますが、遅かれ早かれ入ったところに取り込まれるか親を失脚させられて、社会的地位まで失うかのどちらかですね」
勝負の世界はシビアですね。まあ、これは三回ほどボタンを押しておきましょう。
「斉藤、お主……まさかかんなにその中立の旗印になれとでも言うつもりか?」
は……い?
「かんな様であれば多くの傘下を取り込むことが出来ると、私は確信しております」
「いやいやいやいやいやいや、わたしですよ? 無知蒙昧な一般生徒ですよっ?」
「かんな様は三ツ城様という強力な後ろ盾を持っており、自分の企業は持っていない。これは自分に野心がないことを証明し、三ツ城の加護の元、中立を保つには絶好の環境です」
「じゃが、かんなの傘下に加わったとて文哉のやつが守ってくれるとは限らないじゃろう」
「その為の、今回の誘拐騒ぎです」
なるほどです。わたしはすっかり斉藤さんの掌上で盆踊りや阿波踊りをさせられていたようです。
「つまり今回の一件は、上手くいけば斉藤さんは三ツ城財閥の継承権を得て、失敗してもわたしの傘下に入った方々を上手く使えるようにできる、というわけですか。そして、わざわざそれが分かるように手取り足取り教えて下さったのも、誠意を見せてわたしが斉藤さんを信用するように、ですね」
信用しなくても、今回の一件で斉藤さんの思考を完璧に読めるとわたしが思うようになれば、わたしは斉藤さんに対し警戒心を緩める。
それくらいまで考えていそうですけど、生憎とわたしは馬鹿ではありませんが、他人の思考や行動を読めると驕り高ぶるほど頭は良くないので、これは黙っておきましょう。
「ええ、さすがはかんな様です。やはりわたしが見込んだ通り、御聡明な方です」
「もしやお主、妾を裏切ってかんなにつく気ではあるまいな?」
「そんなことは御座いません。わたしは現在高校課程一年。かんな様が選挙に出馬する頃から家の為に行動を起し始めては、期間が圧倒的に短すぎます」
「確かにな、傘下の者は出馬する者が高校課程になった時、初めて他勢力との交渉が可能となる。一年ぽっちでは本当に必要な最低限の企業としか卒業後の契約はできんじゃろう」
なにやら葉月ちゃんと斉藤さんでわたしの分からない話をし始めてしまいました。
しかしそんな思いを顔に出してしまっていたのか、二人はわたしにも分かるように説明してくれる。
「選挙前活動のことは知っておるな。……これは端的に言ってしまえば経済競争じゃ。傘下の者もそうでない者も、四月から当選結果が出る一二月までの四期中三期を使って敵勢力に与する企業やグループ会社が不利になるよう、自分の持っている組織を使って攻撃するのじゃ。これにより、世間的に見ると平和的な経済活動が行われるという事じゃ」
「勿論、裏でなにをやっているかというのは公にはされませんし、誰も全てを把握できないくらいに多くのことが起こります」
「それは、大きな攻撃を仕掛けられるのが高校課程に進んだ者がトップの勢力だけで、攻撃を受けるのは誰でも問題ないという解釈でよろしいのですか?」
「そうじゃ。ただ、基本的に攻撃自体は誰が誰にしても良い。元より経済活動の一環なのじゃ。選挙がなくとも多少の攻撃自体は誰が誰に行おうが問題はない」
「ただ、在校生がいる企業を乗っ取るレベルの攻撃や、合同でなにかをするというような契約は相手勢力のトップが高校課程へと進んでいない限り、中立を保っているこの学校の理事達より承認を得られなければ、禁止とされております」
ふむふむ。要は、当主さんが高校課程にあがる前、義務教育の間は必要性が認められない限り大財閥間での抗争・乗っ取りはしちゃ行けない、と言うことですか。いや、意外とまともなルールがあるものですね。
「……あれ? でも兄様はいくつか会社を乗っ取っていますよね?」
しかも信じられないことに義務教育課程の間に。
「ああそれはな、同じ財閥内であれば、いつなにをしても構わんのじゃよ」
「つまり身内争いは無法地帯、ということですか」
「財閥によってはそのようなことが起こらないよう各種取り決めをしていることもありますが、三ツ城財閥は基本的にそうですね」
……はぁ、身内を競争させるなんてルール作ったご先祖様、出てきやがれです。わたしが全身全霊の一発をお見舞いさせて頂きたいと思います。
「更に言うと、社会に出るまでどれだけ自分を有利な立場へともっていけるかはその三年間で決まるという事じゃ」
「私の場合は二年間ですが」
「斉藤さんは二年でも良かったんですか?」
「ええ、人によっては三年間をフルに使う為、勢力替えを繰り返したり、敵勢力に傘下として入り、元々の主が高校課程に進むと同時に裏切ったりする方もいますが、斉藤家はもう何代もお嬢様の家に仕えておりますので」
へぇ~です。なんか日本の企業っぽいですね。外国にはなさそうな義理感情です。
「まあじゃから文哉のやつには傘下が少ないのじゃがな」
「それはどういう事ですか?」
「今の三ツ城財閥会長、お主の父君じゃが、彼はかなり優秀でな。先代の本家筋から縁遠い、言ってしまえばぎりぎり親族と呼べる家の産まれじゃったんじゃ。じゃが、先代に彼の親が何でもするからと頼み込んで、やっとのこと企業を一つ任された。そしてその一つの企業を元手に他の親族会社をどんどんと取り込んでいってな、今に至るのじゃ」
父様はかなりやり手のようです。凄いです。……とても愛する娘とその子を産んだ母親を長年放置していたとは思えません。
まあ、それ自体は何らかしらの事情があったと思いますし、ぶっちゃけ父親不在がわたしにとって特に問題を作ったわけではないのであまり気にしていませんが。
けれどそのように流星の如く当主になったから、代々使える家なんかも持っていないのですね。そんなのがいた場合、わたしと兄で取り合いになっていたかもしれませんし、結果的に良かったんじゃないですかね?
勿論、私は三ツ城財閥を継ぐ気などないので、兄と誰かを取り合うことなんてありませんが。……あっ、葉月ちゃんに関しては全身全霊精力を込めて敵対させてもらいますけど。
「その血を引いている文哉は幼い頃から期待されており、同時に脅えられてもいたんじゃ」
「そして、その相反する考えの両方を、彼はいま現実にしています。彼の継承権を奪うということは、そのようなしがらみから彼を解放することにもなるのです」
斉藤さんがそう締め括る。
……まあ確かに彼の仰っていることは至極もっともなのですが、どこか腑に落ちないんですよねぇ。豆腐の角に頭をぶつけて死ね、という言葉を初めて聞いた時くらい、なにか腑に落ちません。豆腐だけに、なんちゃって。……ごめんなさい。調子に乗りました。
◇◆◇
「ちっ……斉藤のやつ、下手な小細工うちやがって」
「申し訳御座いません。私が対処しきれ―」
「みい子の所為じゃない。斉藤が誘導になると思って仕掛けてきたことだ……それに元からこちらも一手打つつもりだった。これはそこまで想定外の行動じゃない」
スーツ姿の文哉はリムジンの中で、月出の目も気にせずに制服へと着替え始める。そんな文哉の行動に月出は少し顔を上気させながらも、眼を背ける。
「有紀」
残りは上着だけとなった時点で、文哉は車内のモニターに向かって声を上げる。車内を観察していたかのように、有紀ロボの映像が即座に映し出された。
「斉藤の動向、想定していた追加要求、あとあいつの親父が今なにをしているかデータを送ってくれ」
「了解」
いつそれらの指示が出されていたのか月出は知らないが、有紀の反応を見る限り、今朝の登校時に言われた命令以外で直接文哉が頼んだのだろうなと結論付ける。
しかしいま文哉が有紀に提出を命じたデータは、文哉の指示で有紀が蒐集したものではない。あくまで有紀が個人的に掴んでいるのだろうと考えたことを文哉は頼んだのだ。
そして文哉は手元のタブレットデバイスが点灯し、ファイル転送中の表示が即座に出たことに、表情には出ない少量の喜びを感じた。
有紀であればデータを入手しなくても、文哉が学校へと戻るまでにかき集めることは可能だ。けれど、有紀は自主的にかんなのことを想って行動していた。この素早さがそれを証明している。そしてそれは同時に、いままでの指示を待っているだけだった有紀からは考えられないほどの進歩だと、文哉は喜ばずにはいられない。
「斉藤は……今はかんなの相手で手一杯か」
「ですが、この資料によると岐阜家の部屋周辺に、暴徒鎮圧用装備の警備隊が配置されているようです」
「まあ、妥当な判断だな。いなけりゃ俺がその警備隊に依頼を出していた」
文哉は斉藤の優秀さを再認識する。斉藤が使っている警備隊は、文哉が自身の警護や傘下の面々を警護する時によく使う会社の精鋭部隊だ。腕もたち、仕事でミスもしない信頼の置ける警備会社。そして、文哉のグループ会社のひとつでもある。
ただ、文哉は自分の企業に『厳命がある場合を除いて、誰からの依頼であっても自社にとって有益になるのであれば受けろ』と指示を出している。
それは文哉が自分よりも自社のことを優先している、と自己犠牲的なように受け取れもするが、実際はそうした方が彼の利益にも繋がるからだ。収益が上がるのは勿論のこと、現在のように自身と敵対する場合でもその作用は期待できる。
「社の方に、なにもしないよう指示させますか?」
「いや、その必要はない。有紀、現場にいる社員データを元にやつらの行動データを作成し、もっとも警備が手薄なところを割り出してくれ」
「了解。……勝手ニはっきんぐシチャッテ大丈夫?」
自分の会社を、傘下とは言え他社の人間にハッキングさせる行為について有紀は一応、確認する。
「構わん。ついでにシステムの脆弱性を、まとめてレポートにして送りつけてやれ」
対する文哉は、朝露の一滴ほどもかゆくないという感じで返答した。
そして文哉の所有する警備会社がハッキングを仕掛けられたのと、システムの脆弱箇所を示したレポートも受け取り慌てふためいている頃、文哉は学校へと到着していた。
◇◆◇
「きりりんぱっです!」
「ふん、ぱるんだろんぱじゃ」
「葉月ちゃん、さっきからそればっかりです。同じのは二回使えないって言ったじゃないですかぁ」
「さっきのは『ぱるりんぱ』じゃ」
「違いが分かりませんよぉ」
「お主こそ、何度か『きょめんぱ』やら『きゃめんぱ』やらわけの分からんのを使っておるじゃろうがっ!」
訳が分からないのも当然です。だってわたし達がやっているのは『意味不明な擬音語っぽい言葉しりとり』なのですから。
ルールは簡単。擬音語や単語はNG、そして最後に『ん』がついても駄目です。
ちなみにこのゲームを考案したのはわたしの母です。……病室でいつも暇だったんでしょうねぇ。うちは小説やゲームなどの高級嗜好品を買うお金もありませんでしたし。
「っていうか、斉藤さんはやらないんですか?」
「私はちょっと、そう言った遊びには疎くて」
「こんなの簡単じゃろ。頭に思い浮かんだ文字列を口にするだけじゃ」
「その割に葉月ちゃんは最後の文字と最初の文字が同じになることが多いです」
「ふん、その程度しりとりの基本じゃ」
「それじゃあ、次は『エア富豪』をやりましょう」
「なんじゃなんじゃ、その面白おかしく妾の心ときめかせるゲームはっ!」
「ふふん、これはですねぇ――」
「かんな様、そのルール説明はまたの機会にして頂いてもよろしいでしょうか?」
わたしが嬉々として訊ねる葉月ちゃんに説明し始める前に、多少の緊張感を持った斉藤さんがわたしに制止をかける。
「なにが――」
「しっ」
なにがあったのか訊ねようとしても、すぐに人差し指を口に対して垂直にあてる斉藤さんは、応えてくれない。
しかし唐突に静かになった室内で、僅かになにかが聞こえてきます。……誰かの声?
「なにがありました?」
斉藤さんが無線機を取り出して、誰かに連絡している。
「はっ! それが……学生が多数こちらに向かってきます」
「その先頭には主導者らしき者はいますか?」
少しの間だけ沈黙が流れる。
「はいっ! 先頭には中学課程と思われる少女が学生に向かって何かを言いながら、後ろ向きに歩いております!」
「その女生徒の特徴は?」
「あれは……い、一色エレナです! 間違えありませんっ!」
……そんなに力んで報告したら自分が萌さんのファンであると仰っているようなものですよ、通信相手さん。というより、声からしてそれなりに年を重ねていらっしゃるように感じますが、もしかしてロリコンってやつですか?
「彼女が何を言っているか分りますか?」
再度沈黙。しかし今回の沈黙は先程の高揚した報告の後なので、ちょっと長引いただけで『彼、もしかしてサインとかもらいに行っちゃっているのでは?』という疑問が浮かんできます。有名人のサインなら欲しがる人はいらっしゃるでしょうし、なにより萌さんは美少女という言葉がぴったりフィットするくらい似合う方ですから。
「どうしました? 報告をして下さい」
沈黙が十分にもなると、やはり斉藤さんも少し慌ててしまう。
わたしも萌さんが大の大人になにかされていないか心配です。
しかしその頃になると、萌さんの声は拡声器を使っているのか、報告がいらないくらいにはっきりと聞こえてきた。
「……三ツ城君の妹さんは、卑劣な斉藤元就によって誘拐されてしまいましたっ! 彼女はこの学園に来てまだ日が浅いのにも関わらず、斉藤はなにも知らない彼女を自分の主である岐阜葉月を使って捕まえて、三ツ城君に『妹が返して欲しかったら財閥の継承権を自分に渡せ』と言ってきましたっ! これがその時録音された内容です……」
ああ、斉藤さんの声をかなり悪役風に加工して、更に『家に帰してっ! お兄ちゃーんっ!』と言うわたしの声まで作成したらしく、かなり兄に有利な捏造会話が流されています。
……お兄ちゃんはわたしが言いたくないから兄様で妥協してください、という出会ったばかりの頃にした約束を完璧に無視していますね、わたしの兄は。
確かこの約束は破ったら、わたしの言うことをなんでも聞くという取り決めだったはずですが……『お前が言ったわけでも、お前が言うことを強制したわけでもないから約束は破っていない』と逃げられてしまいそうです。
あの人は、言い逃れだけは政治家以上に上手いですからね。
「……このような悪行をこの学園で許しては駄目ですっ! 皆さんもウチに力を貸して下さいっ! ウチ一人じゃ、なにもできませんっ!」
おーおー、煽ってます煽ってます。萌さんみたいな可愛らしい子が、こんな全力(に見える感じ)で頼んでいたら、大抵の男性はいちころでしょうね。
それはもう殺虫剤より素早くころっと利くことでしょう。
現に、「うぉー!」「許さんっ!」「一色さんの為なら~」「エレナー俺だー結婚してくれー!」などと言うかけ声が聞こえてきます。
愛されていますねぇ、萌さん。って、一応ここの学生なら一色エレナは芸名で、本名は堀江萌だって知っているはずですよね。……と言うことは後半のかけ声は、斉藤さんがわたし達を警護する為に雇い入れた人達?
「おいっ! 巫山戯るなっ! 貴様ら契約を無視する気かっ!」
ほら、斉藤さんも気付いちゃってますよ。雇った人達がアニオタ(アイドルオタ?)だったってことに。しかもかなり動揺しているのか、いつもの形式だけっぽい敬語でもなくなっちゃってますし。
「斉藤っ!」
今度は葉月ちゃんが、なんか威厳のあるっぽい声を荒げて立ち上がる。
「今の内容は本当かっ!?」
「……」
「……」
葉月ちゃん。話しがこんがらがるから座っていましょうか。
◇◆◇
斉藤とかんなが唖然としている頃、萌がかき集めた、学校内に残っていた生徒達を連れて、岐阜家の部屋がある棟の入り口まで辿り着いていた。
しかし入り口付近にいた警備会社の社員達は引き込めたものの、あえて大きな音を立てながら移動していたこともあり、萌のファンではない警備員達が彼女達の前に立ち塞がる。
「ここより先は通せません。お下がり下さい」
「それと……貴様らは今こっちに戻らないとクビだ」
警備隊の隊長とその副隊長っぽい威厳を持つ二人が口を開く。その言葉を聞いて、萌のファン警備員達は、自分の無力を噛み締めるように悔しそうな背中で警備隊の隊列に戻っていく。同時に、萌にここまで意気揚々と従っていたファンの生徒達も解散してしまいそうなくらい脅え始めていた。
『ここまでは計画通り。あとは頼んだよ、三ツ城君』
萌がそう思うとほぼ同時に、ファンの人垣から知っている声が発せられる。
「はいはい、ちょっと通して下さいね~」
「邪魔」
それは本多と有紀(ロボ)の声だ。そして彼らの声が近づくと共に、月出と文哉がその後ろからのんびりと歩いてくる。
「み、三ツ城様っ!」
文哉の顔が見えるなり、警備隊隊長の顔が強張る。彼は先程萌が言っていたことを聞いていた、しかしそれでも三ツ城文哉本人が来るとは思っていなかったようだ。
『そりゃそうだよねぇ、社長が出てくるなら最初から来ると思っちゃうよねぇ』
そう萌が彼らの心中を察し、同情する。しかし、同時に『君達のクビは計画には入っていないから安心して』とも思っていた。
勿論、彼らが萌の心の内を読める術を持っていないことから、そんなことを思ったところで彼らの心が安らぐわけもない。
「……堂岡(どうおか)か」
「み、三ツ城様――」
「気にするな、堂岡。君達の仕事を邪魔しに来たわけではない」
文哉は堂岡と呼ばれた隊長を安心させるように、そう言った。
「だが……今までの話は聞いていただろう?」
「は、はい」
「そう言うわけなんだ、ちょっと妹と話すくらいは見逃してもらえないか?」
再度堂岡は難しそうな顔をする。
彼にとってなにが重要なのか、それを考えているのだ。
「言っただろう。君達の仕事を邪魔しに来たわけじゃないんだ。君達はここを何人たりとも通さないように職務を全うしなさい」
文哉の発言に堂岡は顔を上げる。同時に、文哉の後ろのいる萌のファン達も、彼が何を言っているのか理解できないような顔をしている。
そんな彼を囲むほぼ全員の顔が、文哉の意図を理解できないでいるなか、萌が手に持っていた拡声器を文哉に手渡す。
「ありがとう」
「いえいえ~。説得、頑張ってね!」
文哉は頷いて、堂岡を再度見据える。そして『これなら問題ないだろう?』というゼスチャーをして、堂岡を納得させる。
「それでは、私共は警護を再開します!」
誰に向けてそう言ったのか、堂岡の声と共に他の隊員達は隊列を組んで文哉達の前に立ちはだかる。
文哉はそれを見て、我が子の成長を喜ぶ父親のような顔をする。だがそれもほんの数秒だけ。すぐに彼は表情を戻して、拡声器を口元まで持って行く。
「かんな。聞こえているか?」
◇◆◇
葉月ちゃんがどうしようもなく自分の無垢さを露呈してから数分がたった頃、外の騒ぎは収まってしまったのかかなり静かになっていた。
「……だから、この世の中には機械で音声を加工したり編集することができるんですよ。あっ、編集って言葉は葉月ちゃん、知っていますか?」
「最初の説明できちんと理解できているのじゃっ!」
「編集という言葉の意味はですねぇ……」
「かんな。聞こえているか?」
「……」
兄の声が聞こえてきました。……気のせいでしょう。
「文哉の声じゃな」
「ちっ……大将自ら出てきやがった」
葉月ちゃんにも斉藤さん(ご乱心中)にも聞こえているようなので、わたしの幻聴と言うことはなさそうです。
「かんな。俺は今まで色々なことをやってきた。……そのことを理解してくれとは言わない。……確かに俺はお前の兄でいる資格なんてないのかもしれない。……けど、俺はお前を唯一の家族だと思っているんだっ!」
「斉藤さん」
「あん? なんだ? ここは通さねぇぞ」
本当に人格が変わってますね。ああ、今までの表面上だけは慇懃だった斉藤さんは今どこへ?
と、別にそんなことはどうでも良いのです。
「今の兄様が言っていることって録音できますか?」
「ああ、でき……ええ! できますともっ!」
おっと、慇懃無礼な斉藤さん復活です。けど、なんか勘違いしていませんでしょうか?
「まあ良いです。それならお願いできますか」
「はい、はいっ! 是非とも請け負わせて頂きます!」
そんなことを言って、斉藤さんは何処かへ携帯で電話し始める。
「お主、なにを企んでおる?」
葉月ちゃん、そんな企むだなんてわたしが腹黒い人間のようなことは言わないでもらいたいです。わたしのお腹は表白したてですよ。
「いえ、今後の為にちょっと必要かと思いまして」
「じゃが、斉藤の反応を見る限り、今後はなさそうな気もするのじゃが……」
「ああ確かにそうですねぇ。わたしも斉藤さんがなにを勘違いしているのか……」
二人して電話中の斉藤さんを見てみる。
「なにっ!? それは本当かっ?」
あっ、無礼な斉藤さんに戻ってしまいました。なにか電話先で不具合でも発生したのでしょうか?
でもこうして見ていると、斉藤さんの小者っぷりが感じられて可哀想です。普段の余裕を持った慇懃無礼な斉藤さんはザ・切れ者って感じなのですが。
「どうかしましたか?」
電話を終えた斉藤さんに一応訊ねてみる。
「ああん? てめえの兄貴に実家が乗っ取りを仕掛けられているんだとよ」
……いや、それわたしの所為じゃないですよね。
あれ? わたしの所為なのかな?
「そんで、乗っ取らない条件がてめえを解放しろってよ」
「はあ……それで、解放しちゃうんですか?」
「しねえとこっちの立ち位置がやばいんだ……仕方ねえよ」
斉藤さんはそう言うと、扉の前に項垂れてしまう。
わたしとしても、兄が何らかの意図があってここに出てきているのは理解できています。葉月ちゃんに兄のことを聞いたことで、兄という人物がどのような人間なのかはある程度分かりましたし。
だから、ここはわたしが決断するべきなのだと思います。
選択肢は三つ。
ひとつは素直に解放される。
ふたつは子供のように頑なになり、兄の元へ帰ることを拒む。
そして、三つ目は……。
「……それなら、成功するかは分かりませんが、わたしに考えがあります」
「経済のけの字も知らねえてめえがなにナマ言ってんだ?」
速攻否定されてしまいます。しかしわたしの決断は鈍りません。
「ですので、始めにいくつか聞いておきたいことと、この策が成功したら従って頂きたい条件があります」
「………………斉藤、聞いてやっても良いと妾は思うぞ」
一応、主の言葉をまだ聞く気はあるのか、斉藤さんは渋々と頷いた。
「――てめえ、正気かっ?」
「そうじゃぞっ! そんなことをしてもお主にとって良いことなどないじゃろっ!」
「そこで、わたしが最初に言った『斉藤さんが葉月ちゃんを永遠に裏切らない』という条件ですよ。これで葉月ちゃんの身の安全が保証されて、わたしには利点が大ありです!」
「まあ、そこでてめえが利点なんていりませんとか言っていたら信用はしねえが……どっちにしろお前の案はもう聞いちまったんだ。それしかねえならそうさせてもらう」
「あとでちゃんと契約書、お願いしますね」
「ちっ、分かったよ……意外としっかりしてやがる」
斉藤さんはそう言うと、部屋から電話をしながら出て行った。
「しかし、お主もとんでもないことを考えるのぅ」
「いえいえ、わたし一人じゃなにもできませんよ。これは皆さんのお力です。わたしはこうできるんじゃないかって案を提供しただけですし」
そう、これは経済なんて言葉の意味しか知らないわたしが葉月ちゃんや斉藤さんに色々と聞きながら思い付いた計画。勿論、最初からこうすれば良いんじゃないか、と言う閃きみたいなぼやけた策はありましたが、やはり経済学に明るい人から話を聞いてみないと分からなかったのです。だからこれはわたしだけの案ではなく、皆さんの案。
「というか、葉月ちゃんは良いんですか? ……その、最終的には継承権がなくなってしまうことになりますが」
「気にするな。妾は元より三ツ城の当主になるつもりなぞない」
……確か初めて会った時『妾は三ツ城になる者じゃっ!』とか言ってませんでしたっけ?
でも、そんなことを言って蒸し返すのもあれですし、ここは素直に可愛がりましょう。
「三ツ城の当主になったら、兄様と結婚するときに苗字が変わる嬉しさが半減してしまいますからねぇ」
「ちがっ! 違うぞっ! そんなことはこれッぽちも考えておらんかったのじゃっ!」
反応からそれに近しいことを考えていたことが伺えます。……わたしも考えが分かり易いとかよく言われますけど、葉月ちゃんも相当ですよね。
「……だから、俺はお前に……ぐすっ、本当の妹になって欲しいんだ!」
……忘れたつもりはありませんでしたけれど、兄の演説はいまだ続いております。
「あれって嘘泣きですよね?」
「そうじゃな、あやつは目的の為なら人前で号泣できる奴じゃからな」
まあ、恥を見せてまでわたしを取り戻したいというのは少しながら嬉しいですが……ほぼ確実に裏がありそうです。っていうか斉藤さんにもう確認しているので、裏があるのは知っていますし。
だからわたしは今の兄の端を録音して保存しておきたかったんですが……携帯って録音とかできるんですかね? メールとカメラ機能が電話機能以外でついているのは知っていますけど、そこまで高度な操作を必要としそうな機能については分かりません。
あとで渡邊さんに聞いてみましょう。
「えっと、堂岡さん?」
わたしは斉藤さんが置いていった通信機を手に取り、隊長さんの名前を呼んでみる。
「……誰だ?」
少しだけ無線機特有の機械音がして、隊長さんが返答してくれる。
「それをお答えする前に、まずは三ツ城文哉からご自身の顔が見えない場所まで移動して頂けますか?」
若干の逡巡を示す沈黙。
しかしこの通信機は依頼主である斉藤さんが持っていた物。どのような事態になっているかは分からずとも、従っておくのが当たり前です。彼に今、選択肢は用意されていないのですから。
「分かった」
予想通り、隊長さんは承諾してくれる。
念のため、わたしも窓の外を盗み見る。
隊長らしく、威厳のある人が後列を割って出てきた。
「移動した。ここなら三ツ城様からは見えない」
「確認しました。それではお答えします。わたしは三ツ城かんな、文哉の妹です」
「――っ!?」
隊長さんの驚いた顔が遠目にも分かります。そうですよね、普通誘拐されたはずの妹が通信してくるなんて思いませんもんね。
「それが本当だという証拠は?」
まあこれも当然と言えば当然です。通信機では本人だという証明が声くらいしかできませんけれど、それは相手が自分の声を知っているという前提がなければ成り立ちません。
「それなら、お一人で岐阜家のお部屋までおこし下さい。……ちなみに三ツ城かんな、わたしの顔をご存じですか?」
「知っている。過去何度か見たことがある」
これで本人証明の条件はクリアです。でも、なんでわたしを見たことがあるのでしょうか。……もしかして堂岡さんってわたしの知り合い?
間もなくして、堂岡さんが岐阜の部屋へと恐る恐る入ってくる。
「かんな様!」
彼のその顔はわたしという個人を見て驚いている顔でした。けれど、わたしは近くで見ても彼の顔に見覚えはありません。
「ええと、もしよろしければ何故わたしの顔をご存じか教えて頂けますか?」
「ええ、それは勿論の疑問でしょう。私は貴方様をお守りするよう、三ツ城様に依頼されたことが何度かあります。しかし当時の貴方様はご自身を三ツ城財閥の人間だとはご存じではありませんでした。故に、影ながらお守りさせて頂いておりました」
私にそんな隠遁生活中の王族みたいなことがされていたとは知らず、驚いてしまいます。……でもまあ、葉月ちゃんの話からそれくらい予測できたはずですけど。
「それなら話は早いです。堂岡さんにお頼みしたいことがあります」
「はいっ! なんなりと……そちらにいる岐阜様は?」
「ひっ!」
葉月ちゃんを親の敵のように睨め付ける堂岡さん。
「ああっ! 彼女は私の協力者なので、ご心配なくっ!」
とりあえず、葉月ちゃんを脅えさせないようにわたしは口を開く。子を脅えさせては親の名が廃ります!
「協力者、ですか?」
「ええ、とりあえず堂岡さんにはご協力して頂きたいので、全部お話し致します」
「……そういうことですか」
「ご協力して頂けますか?」
「勿論です。かんな様がこのようにご成長されたこと、私も嬉しく思います故」
そんな仰々しい喋り方はしなくても良いと言ったのですが、堂岡さん。なかなか頑固な方のようでわたしの言うことを聞いてくれません。
「それでは、兄様に先程お話しした条件を提示して頂けますか」
「畏まりましたっ!」
堂岡さんはそう言うと、敬礼をして部屋を出て行った。……貴方の会社、民営の警備会社ですよね? という突っ込みは誰にすればよいのでしょうか。
◇◆◇
開始からかなり経っているのにも関わらず、声をからせることなく文哉はかんなを説得するような言葉を語り続けていた。
彼の言葉を演技だと知っているかんなたちは聞いてすらいなかったが、警備隊と萌のファン達はもう既に緩みきった涙腺から涙を惜しまずに放出していた。
本多達も彼の言葉は演技だと知っているが、他の人達の手前、顔を隠して涙を堪えているように振る舞っている。
ただ、本多だけは堪えられない笑いで肩を振るわせていたが、客観的には悲しみで肩を振るわせているように見えなくもない。
「……俺は家族の温もりを知らない。だからお前に今までもこれからも辛く当たってしまうだろう、けど――」
「三ツ城様」
警備隊の最前列へと到着した堂岡が、彼の演説を止めるように文哉を呼ぶ。
それに対して、文哉は演説を中断させられて多少苛立ちはしたものの、自分の計画通りにことが進んでいるのだと納得させ、表には出ない感情を鎮める。
「な……ぐすっ……んです、か?」
「斉藤様から、かんな様解放に関する条件を言付かってきております」
その時、文哉の頭は今にも噴出しそうな溶岩の如く熱くそうになる。
『解放に関する条件だと? そんなことを言える立場か、あいつは!』
しかしいつものように瞬時に気を落ち着けて、冷静な思考を取り戻す。
斉藤という人物、家柄、親族。多くのデータを頭に思い浮かべるが、結論は出ない。
文哉にとってもっとも妥当だと思えた結論は『斉藤が追い詰められたことで血迷い、なりふり構っていられなくなった』くらいだ。
「条件、とは?」
いくら腸が煮えくりかえっていても、表向きは愛する妹を誘拐された兄でなくてはならない。文哉は演技を続けながら堂岡に訊ねる。
「その前に、ご連絡をした方がよろしいかと」
「そ、れは……ど、こで――」
ぴりりー。文哉の携帯が着信音を奏でて堂岡への疑問は解消される。
文哉はポケットから携帯を取り出しながら人集りから少し遠ざかるように移動し、表示された受信相手を見て驚く。
何故ならその相手はいま斉藤家の中枢企業を乗っ取るように動いているはずで、こんなにも早く成功できるわけがない。
「どうした?」
文哉は悪寒を感じながら電話に出る。
「社長っ! 申し訳ありません、不測に事態が発生し――」
「簡潔に、結果だけ言え」
慌てる部下を窘めるように、彼は厳しく言い放つ。しかしそれに対する部下の返答はなかなか得られない。なにか対処しきれないほどの問題が起こり、もう結果は変えられないような、そんな沈黙。
「どうした、早く言え」
「はい……あの、目標企業の乗っ取りへと動いていた全社でM&Aが起こり、逆に乗っ取られてしまいまして……」
M&A、企業の合併や買収などの総称。その後も続いた部下の説明からすると、この場合はMの吸収合併が該当する。それに文哉は驚かずにはいられない。
彼がいま行っている行為に、それも経済的に茶々を入れてこれるほど余裕を持った力を有している者がいるはずないのだ。
それは事前に確認しているし、他者が介入してこないように彼は自身の資金を多く投入して、自分の保有企業の中でも力の弱い会社をいくつか使って、斉藤家の乗っ取りへと動いていた。
弱小企業であればそれをわざわざ乗っ取るようなことをしても意味はない。その全てを取り込んだとしても、グループの年商が一億増えるか増えないか程度。しかも同時に動いていた企業全部を乗っ取る為に費やす資金を考えれば、その年の赤字は確定している。
勿論、文哉はそんな資金的余裕が斉藤家と岐阜家を合わせてもないのはもう調べていた。だから斉藤家と岐阜家が合同でこの事態を起こしたわけではない。では、誰が?
文哉にはそれが分からず、いまだ説明を続ける部下の言葉を遮って問い糾す。
「誰がこんな事をやった!」
「ひいっ!」
「さっさと言えっ!」
「は、はいっ! そ、それはSF社というところでして」
「SF?」
そんな会社、文哉は聞いたことがないが……即座に自身の頭にある企業名一覧を検索し、一つだけ思い当たる。
「馬鹿を言うな、あそこは最近年商五億を超えた程度で、そんな資金的余裕のある会社じゃない」
「そ、そうなんですが、実際に我々を吸収したのはSF社、なので――」
文哉すぐに電話を切って、自身の携帯からSF社の貯蓄と即座に動かせる金額を調べ始める。けれど、調べた末に分かったのはSF社が子会社設立の為に少し前から蓄えており、それなりの金額を動かせたという程度。
とても文哉が動かしていた企業全てを取り込めるにはほど遠い。
しかし、文哉はすぐに気付く。SF社の蓄えと斉藤家、そして岐阜家の資金を合わせればそれが可能になるということに。
そしてSF社の正式名称は株式会社スタンディング・フラワー。立花ほのかの親が経営している企業だ。
立花・斉藤・岐阜の全てを動かせる人間は、文哉には一人しかいないも同然だ。
それを理解して、文哉は堂岡の元へと戻る。もう、涙の演出はしていなかった。
◇◆◇
「斉藤家は無事です。同時に私への暗殺依頼も取り下げられたようです」
この部屋に来るまでとは違い、安心した様子の斉藤さんが必要各所へと連絡し終えて、部屋に入ってくる。
「ということは、ほのかさんのお父さんが頑張ってくれたんですね!」
「ええ、なんというか……立花さんのお父様はかなり優秀な方でした。とても立花さんのお父様とは思えません」
「ははは、そんなこと言っては説得してくれたほのかに失礼じゃぞ」
「ええ、そうですね。失言でした」
まあ、わたしもほのかさんのお父さんがそんな凄腕の社長さんだとは思っていませんでした。ほのかさんの男バージョンくらいかなと想像していました。
「けど、妾の所も斉藤の所ももう資金に余裕がなくなってしまったのぅ」
「はい。家の存続の為とはいえ、全てを使い果たしてしまいましたから。このままでは次、このような事態が起こったら、もう対処しきれません」
そんなことをわざとらしく嘆きながら、二人がわたしを見る。
「……期待されているところ申し訳ありませんが、それでは条件が違いませんか?」
「条件条件……はて? なんのことじゃったかのぅ。斉藤、覚えているか?」
「いえ、私もなんのことか分かりかねます」
ひどい裏切りを見ました。契約書がまだというのを良いことに、この人達私との約束を反故にするつもりです。見下げた根性です。
「あっ! でもでも堂岡さんにはもう、お二人を兄様の傘下に加えるという条件を伝えてもらっています!」
ふふふ、どうあがいても無駄なのです。私の緻密勝つ端の端まで詰りに詰められた計画から逃れることはできません。
「ああ、それなら堂岡が出ていく際、なにか妾にサムズアップをしておったぞ」
「…………………………わたしの味方はどこにいるんですか?」
「さあのぉ、百均やコンビニとやらでは何でも売っていると聞いたことがあるぞ」
「最近ですとネット通販でも、何でも売っているらしいですね」
そこで味方や友達といったものは売っていませんよ。わたし、小学生の頃店員さんにそう言われたことありますし。
「かんな様」
「ひゃあ!」
「葉月ちゃん、それ通信機です。いい加減、唐突に物音がする度に驚かないで下さい」
「わっ、分かっておるわっ!」
そんな可愛らしい葉月ちゃんを見てご機嫌になったわたしは、通信機を持ち上げ、堂岡さんの報告を聞く。
「かんな様の為に、今回の件を見事解決したお三方が傘下と加わることを認め――」
「ちょちょちょちょっーと待ってくださいっ!!!」
「なんでしょう?」
「条件は立花さんと岐阜さん、斉藤さんを兄様の傘下に加えることだったはずではっ!?」
「申し訳御座いません。私、年のせいか物覚えが悪う御座いまして」
そんなことを侘びれる気もないトーンで堂岡さんが言い、葉月ちゃんや斉藤さんも「ほらね」と言いそうな顔をこちらに向けています。
「……堂岡さんって、おいくつでしたっけ?」
「今年、三十八で御座います」
……若年性健忘症って『若年』って言葉使われてますけど、三十代や四十代って意味じゃありませんよ。もっと上だったはずです。
「堂岡さんって、そういえば兄様のグループ会社の社員さんですよね?」
「はい」
「なら、兄様が有利になった方が良いのではないですか?」
「ええ、勿論そうで御座います」
多分「なら兄様の傘下に三人が入るように説得してくださいっ!」と言っても無駄なのでしょうね。でも、無駄と知りつつもやらねばならぬことが人にはあるのです。
「なら兄様の傘下に三人が入るように説得してくださいっ!」
「できません」
速攻で否定されましたっ!? 少しは迷うフリをしてくれても良いのではないのでしょうか。そんなにすぐ否定されると、わたしのアイオンハートに憧れるひびだらけのガラスハートも傷付きますし。
「恐れながら、かんな様には三ツ城の人間として自覚を持って頂きたく」
まあ、堂岡さんの言うことは分らなくもないんですけどね。やっぱり人間楽な道へと進みたいじゃないですか。
その怠惰心から色々な発明が成されているわけで……。勿論、そんなこと言ったら堂岡さんに叱られてしまいそうなので、言いませんが。
「えっと、それは分かりました。他の条件に関してはどうでした?」
「はい、かんな様の傘下に加わられた企業やグループの保護は全て三ツ城様とその傘下の者共が保証致します。更にかんな様用のお部屋を校内に手配するよう、学校側にも掛け合ってくれるそうです」
部屋の件はどうでも良いですけど、保護に関しては安心です。いま葉月ちゃん達が他の親族さん達に攻撃されてしまえばひとたまりもありません。
それはもう蟻地獄に捕まった蟻さんの如く食べられてしまうでしょう。……わたし本物の蟻地獄さんを見たことありませんが、きっと吸引力の衰えない掃除機のように吸い込んでしまうのでしょう。あれ、それは蟻食さんでしたっけ?
「最後の条件に関しましては『今は口約束となるが、明後日ちょっと付き合え。その時に話してやる』とのことです」
最後のわたしの我儘とも言える条件すらのんでくれたようです。正直、最後のは断られてもしょうがないと思っていたのですが、意外と兄は優しいのかもしれません。
「分かりました。堂岡さん、ありがとうございます」
「いいえ、かんな様。まだ三ツ城様からの条件をお話ししておりません」
……そんな虫のいい話はありませんよね。兄ならわたしが葉月ちゃん達に頼んだってことくらいお見通しでしょうし。
「『俺をお兄ちゃんと呼べっ!』というのが一つ目の条件です」
「却下します」
初っぱなから何を言っているんですか、あの馬鹿兄は。
「そうですか、それでは次の条件ですが」
しかし堂岡さんももう少し粘った方が良いんじゃないですか。一応自社のトップが提示した条件でしょうに。まあ、わたしにとってはその方が良いですけど。
「『今後いかなる場合において、お前は継承権放棄や譲渡をしてはならない』というのが二つ目です」
「……………………………はい?」
「あやつは馬鹿かっ!?」
わたしと葉月ちゃんが同時に驚く。
そりゃそうでしょう。兄の目的は三ツ城内部の統一。それはいずれわたしの継承権も剥奪するのが含まれているでしょう。それなのに『いかなる場合において』ということは兄がわたしにそれを命令したとしても継承権を破棄するな、ということです。
「えっと、その逆というか……『俺以外に継承権を渡すな』的な条件ではないのですか?」
「いいえ、確かに一字一句、三ツ城様が仰られたことです」
先程年の所為で物覚えがどうとか言っていた人間の台詞とは思えません。
「一応、念のためですが……本当にそう兄様が仰ったのですか?」
「はい。一字一句」
「それでは、それは保留と言うことで、他を先にお願い致します」
「畏まりました。こちらも次で、最後で御座います」
三つの条件提示に関して、兄も三つ条件を提示してきた。なんか対抗するぞ、という意図が感じられるような気がするのは気のせいですよね。ええ、きっと気のせいです。そういうことにしておきましょう。
「最後の条件は『お前とお前の勢力を守る方法に関して、俺が全権を持ち、いかにお前といえどもその方法に口出しはさせない』とのことです」
「つまり守る代わりにその方法には文句言うなよ、と言うことですね」
「はい。その解釈で宜しいかと思います」
暗殺とかはできるだけ避けて頂きたのですが、兄が自分の為にならない保護に関してそこまでの強行手段へと踏み切る気もないでしょう。それにそれしかないという場合でも、自分の地位を危うくする手段を打算的な兄が取るはずもないでしょうからね。これに関しては安心して承諾しておきましょう。
もしそんな手段に出た場合は、社会的に抹殺して差し上げることで万事解決ですし。
「分かりました。最後のは認めます」
「そう言うと三ツ城も仰っていたので、言付かっていたお言葉を申し上げます」
悪い感じがしますよ。これは悪寒というか薬缶というか、なんかそんな類の感じです。
「『二つ目の条件をのまない限り、そちらの勢力を保護するといったお前の条件はのめない』とのことです」
やっぱりです。というより何故そこまでしてわたしの継承権を破棄させたくないのでしょうか。
……分かりません。分かりませんが、その条件をのまない限り葉月ちゃん達が危険に晒されてしまいますので、ここで選択肢はないも同義でしょう。
「分かりました。最初の条件以外、全てを認めます」
「ありがとうございます。それでは三ツ城様の元までお越しください」
その言葉を最後に通信機が無音のみを奏でる。
「お主、よかったのか?」
「なにがですか?」
とりあえず、葉月ちゃんに自分の所為でわたしが条件をのんだと思わせたくないのでとぼける。しかしそれは無意味のようで、葉月ちゃんは申し訳なさそうな顔で「お主が文哉と後継者争いをするという事じゃ」と言った。
「大丈夫ですっ! 兄様はわたしを守る契約をしたので、わたしを攻撃することはありません! へへへ、いつか私の方から寝首を掻いてやりますよ」
「かんな様、そんな三下っぽい台詞、自ら負けると言っているようなものですよ」
「いやっそうではないっ! 別にお主を攻撃しなくとも、文哉なら徐々にお主の勢力を弱体化させることくらいできるのじゃぞっ!」
わたしと斉藤さんが冗談で流そうとしたのに、葉月ちゃんは必死な顔でそう訴える。しかしわたしは勢力を持っても自分の会社はない。本当に危ないのは葉月ちゃんやほのかさん達なのだ。それなのに、この子はわたしが兄と争うことを気にしてくれている。
「…………まあ、そうでしょうね」
「お主はそれでもよいのか?」
「そんなことにはならないように、いっぱい勉強しなくちゃいけませんね」
わたしはそう言いながら、筋肉のない力瘤を見せて、微笑む。
「葉月ちゃん達にいっぱい教わらなくちゃですっ!」
「……分かった。それなら妾は手加減せんぞ!」
「いや、最初は初心者モードでお願いします」
「初心者向けの超ハードモードじゃなっ!」
言っている意味が分かりません。
しかしとりあえず、今は葉月ちゃんの笑顔が取り戻せたので、これで由としましょう。
ですが、現実問題として明日からは葉月ちゃんから逃げ回る術を講じなくては。……しかしこんなにも可愛くてわたしホイホイな葉月ちゃんから逃げるなんて、わたしにできるのでしょうか?
まあ、無理ですね。
考えるまでもないことに、わたしの気分は少し凹む。
葉月ちゃんと斉藤さんを引き連れて外へと出てみると、わたしは圧倒されずにいられません。
人垣が波を打ちながら前へ前へと進もうとしている。そして人垣を抑える為、警備隊員達が暴徒との応戦時に使うプラスチック(かな?)のシールドを使って、波を押し返している。
「えっと、なんでこんな熱狂的な状況になっているんですか?」
「それは誘拐事件が、日本最大財閥の後継者争いへと発展したからではないでしょうか?」
斉藤さんが推測を言う。
「今まで三ツ城財閥の後継者は皆、継承者を一人だけその勢力に入れておったところが、お主の登場でまずは文哉の所に二人、そして今はお主の所に二人いるのじゃから当然の注目じゃよ」
「その注目を避ける方法はありますか?」
「ないのぅ」
「そこをなんとか」
「妾に言われてもどうしようもないことじゃ」
粘っても、本当に無理そうですね。
じゃあ、どうしましょうか?
「素直に、注目に晒されてこい」
「かんな様も今は一勢力をお持ちです。これくらいの注目はこれからも少なくはないかと」
「うぅぅ、分かりました」
そう決心したものの、わたしは脅えて猫背になりながら、兄がいる人垣の中心点へと進んでいく。
途中通りかかる際に堂岡さんが、シールドを押しながらわたしに敬礼したが、貴方の忠誠心はどこにあるのですか、と質問しそうになってしまう自分を抑えます。
「おかえり。かんな」
人集りへの中心点は、校舎から向かうと警備隊が作ってくれた空間があるので、すぐに到着して、兄にそんなことを言われた。
まるで、本当の兄妹のように暖かい声で言われたその言葉に、わたしは耳を疑う。
「た、ただいま……です」
ぎこちない返事をすると、兄はわたしの肩へと手を回し、耳元へ顔を近づける。
「これが、お前の生きる今後の日常だ。俺に敵対したからには最後までやり通せよ」
やはりこの兄、わたしが葉月ちゃん達を動かして計画をぶち壊したのが気にくわないようです。なんと心の小っちゃい男でしょうか。
こんなの可愛い妹のちょっとした反抗期くらいに受け取って頂かないと困ります。……わりと本気で困ります。
そこから「あれが岐阜家と斉藤家を同時に取り込んだ子か!」「そんな凄腕には見えないけどな~」「馬鹿っ、ああいうのが脳ある鷹はってやつなんだよ」「そんな! 結構可愛いのに、腹黒いなんてっ!」という言葉を無視しながら、兄と共に少し離れたところで待機している渡邊さんのもとへと向かう。
しかし皆さん失礼ですね。こんなに潔白なわたしが腹黒いだなんて! いっても精々ベージュくらいです。黒いわけないじゃないですか。
そんなことを言える余裕がはずもなく、わたしはリムジンへと入る。そして人集りが周囲を取り囲む前にわたしと兄、それに本多さん達と葉月ちゃん達二人を乗せて発車した。
「いやぁ、凄い人気じゃのぅ、かんな」
「そうですね。さすがはかんな様です」
「いや、君達なにちゃっかり車に乗り込んできてんのよ?」
至極もっともな指摘を萌さんがします。
わたしはまあ、なんとなくですけど予想がつきますので黙っておきましょう。
「妾達は今日からかんなの傘下じゃ、かんなのリムジンに乗ってなにが悪い?」
「これは文哉様のリムジンなのですが……」
「みい子、構わん。今日は仕方がないしな」
「ですが……」
「今日はこれ以上俺達が語る議題はない。そうだろ?」
「そうでした。申し訳御座いません」
月出さんが兄に睨め付けられて、諦める。
今日から違う勢力になったことにより、今までわたしの前で話していたようなことはもう、わたし達の前では話せないのでしょう。
しかし、それはわたしの望んだことではありません。
「小谷家を攻める方法の議論なら、どうぞしてください」
わたしがそう言ったことに対して、皆が驚く。
「かんな。お前、自分で何を言っているのか分っているのか?」
「勿論です。こちらも兄様が使いたいと考えている人間の同意さえあれば、協力をしても良いと思っています」
「それは俺がお前の勢力を自由に使って良いということだぞ」
「ええ、た・だ・しそれは兄様がその人達を説得できれば、という条件がついております」
わたしの退かぬ姿勢を見て、兄は背もたれに身を完全に任せてから再度口を開く。
「お前が俺に協力するメリットはなんだ。それが分からないうちはこちらも信用できない」
至極真っ当な言葉が兄の口から出てくる。しかしそれくらい、兄なら訊かずとも分かっているでしょう。
これは自身が分かっていることを、あえて分かっていない人間に説明を促す問い。そう解釈して、わたしは左右に勢力を分けて座っている皆に向かって説明する。
「兄様の勢力は、わたしの勢力の保護を約束してくれています。であれば、自身を守る勢力は強大であればあるほど良い。違いますか?」
「しかし文哉はかんなちゃんに継承権を破棄するなと言っている。これはいずれかんなちゃんと争うということだ。かんなちゃんは、自分が戦うこととなる勢力が大きくなっても良いのかい?」
わたしの決意を確認するように、本多さんは少しきつく言ってくる。
けれど、わたしはもう自分の道を決断しています。さっきはあまりの人の多さに気圧されましたけど、今度はそんな甘えは許されません。
「それは良くありません。ただ、今現在のわたしでは自分を守ることはおろか、敵さんと争うことすらできません。しかしかと言ってずっと守られたままでは、状況は変わらないでしょう?」
「それならやっぱり、独立して自分で勢力を拡大した方が良いんじゃないの?」
萌さんもわたしの意図を探ろうと、厳しい言い方で訊ねてくる。
「それが今のわたしではできないのです。わたしの勢力は現在資金難。元の状態へと回復させるのが今は最優先です」
「だから、文哉様の勢力に荷担して資金を補助してもらおうとお考えなのですか?」
「いいえ。それをして頂ければ確かにラッキーだとは思いますけど、それが目的ではありません」
「では、お主はなにを考えているんじゃ?」
「簡単に申しまして、漁夫の利です」
「漁夫の利、ですか」
斉藤さんはわたしの考えを理解してくれたようで「それなら効率的ですね」と言ってくれる。しかし葉月ちゃんは勿論、萌さんや月出さんの表情には疑問符が浮かんでいる。
「つまり皆さんが取り込む勢力のいくつかを、隙あらばわたし達が頂いちゃうと言うことです。こうすればわたしの勢力は拡大できますし、直接的にわたし達が攻めることなく取り込めます」
「それと同時に、もし俺が悪どい手段で攻めれば、取り込もうとした勢力丸ごとお前が『こっちに来ればあんなやつの言うこと聞くことありませんよ~』とか言って取り込むって牽制の意味もあるんだろ?」
さすがは兄。きちんと妹の考えを理解してくれています。褒美に撫でてあげましょうか?
「調子に乗るなよ」
どすの利いた声でそんなことを言われてしまい、わたしは差し出した手を引っ込めます。利き手は生活でかなり必要とされる身体の一部です。冗談で切り落とされてはやっていられません。
「まあ、そんなことなら使ってやらなくもない」
「上目線ですね」
「当然だ、別に俺はお前らの助けなんてなくても勢力を拡大させられるのだからな」
まったく素直じゃありません。本心は『可愛らしい妹とこれからも一緒に登校できるんだ、ひゃっほー!!』とか思っているくせに。
「自分をお兄ちゃんと呼ばせようとするくらいだもんねぇ。それくらい考えていそう」
「ですね……っ! 堀江さんもかんな様のお心が読めるのですか?」
「もちろんっ!」
なんか読心術士二人が意気投合し始めちゃいましたよ。なんか握手交わしてますし。……あれ、これってもしかして今後、登校時は常に心を二人に読まれてしまうということですか? プライバシー保護と許認可のシールを張ることを主張したく思いますが……。
「却下!」
「却下させて頂きます」
ですよねぇ。
そんなほのぼのとした雰囲気で、今後の小谷家の情報と案が画策され始める。
「かんな、お前も考えろ」
「わたしは一般JCなので無理です」
「一般的な女子中学生は俺の計画ぶち壊したりしない」
「一般的なJCだからこそ、自分の兄が企てた計画くらい手玉にとれるのです。その効力は兄限定です」
「なら丁度良い、小谷霜夜も兄だ」
わたしの兄ではないので、ということでとりあえず応えておきましょう。
「パス、です」
「パスは認められない」
「審判が買収されている真偽を問います」
「買収されているから俺の言うことを聞け!」
「暴君ですっ!?」
そんな感じで、本日はなにも決まらないまま、帰宅しました。