駄文集


普通○不通△フツウ×(仮)《序01》

 

  序


  雑学智識(ざつがくちしき)の魅力を語ろうものなら数百頁ほどを軽く要するが、本書の筆者の語彙力が一般的なそれ以下であることから、その数百頁は同じようなことを繰り返す単調でつまらないものとなるので省く。
 しかして智識の魅力とはつまるところ、つまりそういうことだ。
 勿論、一個人の魅力を語ろうものなら多少の増減はあれど、同じくらいの頁数を要するだろう。
 それでも雑学智識のことを一言で表すとしたらそれは平凡、だ。もしくは普遍、普通、一般、平均、可もなく不可もなく、といったところ。
 彼を周囲の人間と比べて得るものは何もないが、強いて比較するのであれば、彼は全てに劣っていて、全てに優っている。
 さて、その様な彼こと雑学智識のその一般的に普遍的なプロフィールを大雑把に粗雑に頼まれてもいないのに公開すると、彼は大学一年生だ。
 彼が通う大学もまた、彼に劣らず優らず、否、劣って優って普通で平均的な大学だ。偏差値も生徒数も学部数も全てにおいて一般的に作られている。
 しかし交通の便には他大学より少しばかりか恵まれていて、人によってはそれを理由に滑り止め程度に受験し、見事滑り止まった者もいる。
 序列を重んじると、中というのは実はかなり利便性を兼ね揃えているものだ。上下関係の中で真ん中というものはそれだけで優遇され冷遇される。ただ優遇されるだけの上や冷遇されるだけの下とは違う。
 そして、普遍であると言うことはそれ自体が自然の摂理から切り離されているに等しい。
 上流から下流へと行くことも、麓から頂上へと移動することもない。
 普遍とは不動と同義に等しいと言えるだろう。
 そのような中の上でも中の下でもない、中の中である大学に、ひいては順当とも当然とも言えるように入学した中の上でも中の下でもなく、中の中相当の能力を有している雑学智識は、日常を日常的にこなしながら楽しみつつも退屈を満喫していた。
 彼には上昇志向と呼べる野心も、楽をしようという怠惰心も持ち合わせてはいない。ただただ今を今のためだけに費やし、今を生きる人物だ。
 さて、ここからが本題。何故、彼という一般人の適例とさえ呼べる人物に視点を置くかというと、彼を主人公として物事を見た時のみ、今回起こった事例の全てを把握出来るからであり、彼が一般的に普通人であるからこそ分かりやすく全てを主観的に俯瞰出来るからである。
 普通の代名詞である雑学智識が巻き込まれた事象は、奇しくも普通とはかなり遠ざかったところにある出来事だった。
 概要や前置きは省いて起こった事象だけを簡潔にそして端的に述べるとそれは殺人事件であり、犯罪行為と呼称される事象が起こった。
 勿論単なる殺人事件や犯罪行為というものは日常茶飯事であるため、平凡な雑学智識にでさえ関連することはさしたる異常はない。
 いや、逆に日常茶飯事であるからこそ、その犯罪行為に何らかの関係を持つことは至極当然とも言えよう。
 だが、本書で述べる出来事は日常茶飯事ではあり得ない事件だ。
 具体的には、殺害方法が分からない事件だ。
 犯人が分からないのではない。
 動機が分からないのではない。
 方法が分からない。
 密室でも何でもない広い庭園で死亡した死体。
 刺されればその殺傷の痕が残る、傷が残る。撃たれればその弾丸による殺傷が残る。毒殺されればその毒が体内に残る。絞殺すれば首に痕が残る。
 死体を見ればその殺害方法が分かる。死体とはいわば犯罪証拠そのものとなり得るのだ。
 雑学智識が関与してしまった今回の事件の被害者にはそれがなかった。
 他殺を証明するものが何もなかったのだ。
 故に彼は巻き込まれる。
 普通に関わってしまう。
 普通であるが故に。
 一般であるが故に。
 平凡であるが故に。
 しかし、ここで勘違いをしないで欲しい。彼はどこにでもいそうな普通の少年だが、彼のような存在はどこにもあり得ない。
 どこをとっても平凡であるが故に、そのような存在はあり得ない。
 逆に問おう。貴方の周りにはいるだろうか。どのような診断、テストを行っても平均値をたたき出す者が。
 貴方の周りにはいるだろうか。その外見のどこをとっても没個性な、特徴と呼べるものがないような者が。
 一つ一つは没個性を主張しているのに、合わせてしまうと逆に個性的過ぎる。
 もしいるのであればその者はかなり特殊だ。平凡過ぎるが故に特殊だ。
 その様な人物はあり得ない存在と言えよう。雑学智識の存在のようにあり得ない。
 故に、本書も彼の視点で述べられるが、彼が筆者ではない。
 平均的な能力の持ち主である彼が今回の事例をまとめて本にしようとは思いもしないだろうし、彼が本をまとめるなどという『特殊』な行為をするはずもない。
 彼は『普通』しかしない。
 彼は『普通』以外はしない。
 彼は『普通』でいなければならない。
 つまり、彼にとって今回の出来事もまた『日常』であって『普通』であって、毎日の生活と代わらない行為に他ならないのだから。


  一章

 飾木飾璃(かざりぎかざり)とは高等学校の二年生からの付き合いだ。勿論、知り合いとしての話だけれど。
 今現在、僕は彼女と奇しくも同じ大学の同じクラスになってしまった偶然を呪う気にすらなれそうだ。
 もっとも、クラスメイトになること自体に不満はない。彼女と一緒だろうが、無言で居続けるが側を離れない不思議少女と一緒のクラスだろうが、そのこと自体に問題はない。不満も不都合もない。
 僕の悩ましい限りの事情とはそれに関連するが、おそらく関係なかったとしても現在と同じように悩んでいただろう。
 クラスメイトだろうが、単なる同級生だろうが、きっと(これはかなりの自信を持って答えられるが)僕が他大学の生徒だったとしても起こりうる状況だ。
「・・・でさでさっ!・・・で・・・な分けなんだよぅ~!!! ざっちとことちゃんはどう思う?????」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「っだよねぇ!!!!! だからさぁ・・・」
 因みにこの場にいるのは僕以外で飾璃ともう一人いて、僕は飾璃の話は基本的に聞いていないけれど、そのもう一人はきちんと聞いている。
 …と思う。
 そして、一見沈黙で飾璃に応えたかのように見える『ことちゃん』こと黒のゴスロリ服に身を包んだ、不語言葉(かたらずことのは)は飾璃にとってはきちんと応対していることになっているらしく、会話が成立(?)している。
 そして、僕は勿論なにも言っていない。言葉を発していない。喋っていない。応えてもいない。
 なのに、何故か相の手を入れることなく飾利のマシンガンチャットは言葉の無言により断続的に継続されている。
 トークではなくチャットなのは、端から見れば会話が成立しているかのように見えるからだ。……実際に成立しているかはともかく。
 しかし確実に言えるのは、僕は飾利の方向に視線を向けてすらいないので、会話に参加しているとも客観的にも主観的にも思えないだろう。
 では、何故ここにいるのか。
 答えは至極簡単で、言葉に上着の端を握られている。逃げられないようにされている。拘束具と重石と縄で地面に縛り付けられていることに等しい。
 更に言うと、握られていない時の方が珍しい。
 言葉とは中学一年からの知り合いだが、何があったのか、もしくはなかったのか、二年生になる頃にはもう衣服のどこかを握られていたように記憶している。
 当然ながら、疑問に思ったことは何度もある。しかし何度訊いても反応がないので結局は分からず終いだ。
 まあ、もう何年もこんな状態だと慣れるとはいえ、言葉の外見が基本的に実年齢より遙かに下(具体的には小学校高学年あたり)に見えるが故にトラブルがないとは残念ながら言えない。
 何度警察に誘拐犯と間違われたことか。
「早く行こうよっ! ざっち!」
 ざっちとは僕のことらしい。
 飾璃による僕の呼称は気分によって変わるので、偶に分からなくなる。
「・・・どこへ?」
 会話に不参加どころかそっぽを向いていた僕がその会話について行けるわけもない。
「もうっ! 聞いてなかったの!? ことちゃんと一緒にお茶しに行くことになったのっ!」
 そんな不機嫌そうに言われても。会話を聞いていないことくらい察して欲しいな。主に体の向きとかで。
 そんなことを思いつつ、言葉を見てみると何か熱心に肯いている。
「・・・行きたいの?」
 更に激しくヘドバンを繰り返す。
 髪が乱れまくっているってレベルじゃない。顔も少し赤くなっているように見える。
「じゃあ、僕は帰るわ」
 上着を握る手に力を込められる。
 やっぱり一緒じゃなきゃ駄目なのか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一緒」
 駄目らしいです。
「・・・いつもの所?」
「あったりまえのもっちろんろんっ!」
 こうして僕は入学式から代わり映えのない面子で、端から見れば羨ましいのかも知れない面子で、僕から見ると億劫な面子で、僕らはいつもの喫茶店へと向かった。

  ◇◆◇

 道中少しばかり奇異な眼差しを向けられたが、飾璃の友人が一人ほど合流するだけで、特に問題もなく喫茶ロマノフに辿り着けた。
 ロマノフは名前負けと言わんばかりに内装が普通の喫茶店だ。王朝を垣間見ることは出来ることもなく、値段も王族のみぞ許される高額なものでもなく、どちらかというと王朝時の平民も購入できたのではないかと言うくらいにお手頃な価格設定だ。
「いらっしゃ~い・・・って、また貴方達ぃ? 居座りは2時間が限度よ」
 と言って扉をくぐるなり野太くも黄色い声で出迎えてくれたのは、四十代も半ばの外見を有している坊主の男性だ。彼は、オカマではないらしい。女性の口調を使用している意味は分からないし、理解もしたくないが、人柄だけは良いので高校時代からよくこの喫茶店を使わせてもらっている。彼はこの店の店長(本名不明で自称ママ)だ。
 毎度1オーダー2時間しか駄目だと、カラオケ店のフリータイムみたいな時間設定を言っている割に時間を過ぎても何も言わない。
 勿論、言われたら言われたでどうかと思うけど。
 そんな気色悪・・・もとい、気の優しいママの雰囲気とは関係なく、位置的にもちょっと裏路地に入っているため静かで、安価なため、読書をしたりするにはもってこいの場所だった。
 過去形なのは言うまでもなく、飾璃に知られて以来彼女も頻繁に使用するようになったからだ。飾璃という存在は、音楽プレーヤーの音量をマックスにして更にその上からノイズキャンセリング機能付きのヘッドフォンを被せても、キャンセル不可のようで、ここで僕はゆっくりと読書が出来なくなってしまった。
 本当に、飾利と知り合ったのは人生で最大の間違いだったと思う。
「あら、貴方は初めてね」
 飾璃との出会いの歴史を白紙にしたいと願っている僕に構わず、ママは飾璃の友人を見て言った。
「初めまして、このお店の経営をしているママです。今後とも御贔屓にしてね~」
 逞しい肉体に掛かったエプロンの裾を持ち上げながら彼は言い放つ。
 ……凄く怖いです。
「は、ははは、初めまして。あ、あの、岸崎信長(きしみざきのぶなが)と申します」
 おどおどとママに挨拶するのは、信長という歴史上の人物とは対極的に臆病そうで、中性的な顔立ちをした美少年である。
 ……うん。彼も言葉と同じく僕と同い年とは思えないな。
「まあ、海坊主さ……ママ。岸崎も脅えてるし、とりあえずいつもの席、行って良いかな?」
「…海? 何を言っているのかしらぁ」
 まずい。ママの特殊スキル『恐怖の営業スマイル(世界大恐慌)』が発動しかけている。
 何が怖いって、その体中にある逞しい筋肉をぴくぴくさせながら無理矢理笑顔を作っているところがもう恐怖以外のなにものでもない。岸崎なんてもう泣き出しそうな顔をしているし。
「な、何でもないよ。細かいこと気にするなんて女々しいな、ママは」
「やっだわぁ、女々しいなんてっ! いつもの席ね。空いてるから座っちゃいなさいっ! 注文はいつもので良いんでしょ?」
 『女々しい』とは荒ぶる海坊主を鎮める呪文の一つである。荒ぶる海域を沈めることは出来ないが、ロマノフに生息する海坊主にはタイプ一致の効果抜群だ。
「んじゃあ、しーちゃんの顔見せも終わったことだし、席座っておしゃべりータイム突入ってことで良いよねっ!」
 ……荒ぶる飾璃の口を静める方法はないのだろうか。そんなことを思いながら店の奥にある、ちょっとした個室に近い感じの、壁に三方向を囲まれた四人席に僕たちは座る。
 言うまでもなく、僕の隣に言葉(座っても、今なお僕の上着の端は握られたまま)、飾璃の隣に岸崎という席の位置だ。
「んっで~、ここまででだいぶまとまってきたけど。しーちゃんの家にゴールデンなウィーク中、お邪魔するってことで、ほんとに問題ない? のーぷろぶれむ?」
 ゴールデンウィークかあ。明後日からだよなあ。久々に読書でもしようか、なんか飾璃もいないみたいだし。と、飾璃達の話を聞きながら考えてみる。
 当然のことながら道中の会話は何一つとして聞いていないので、この件に関しては初耳以外のなんでもない。
 道中でせいぜい耳に入れたところと言えば、岸崎が合流して、実際に会話をするのは初めてである僕に対して簡単な自己紹介をしたところだけだ。ゴールデンウィークの話をしているとは思ってもみなかった。しかも、僕の周辺から飾利が消失するという吉報。少しは現実逃避を兼ねた、素数を数えるのを止めて聞いておけばよかった。
「ことちゃんも大丈夫だよね?」
「…………(コク)」
 肯いている。そうか、言葉も行くのか。少し寂しくなるかもな。主に服の端が。
 しかし言葉も成長したみたいで何よりだ。まあ、僕と一緒じゃないと旅行に行けないって訳でもなかったんだけれど。
「はぁい。おまちどーさまぁ」
 ママがテーブルの上に僕たちがいつも注文しているコーヒーを三つとコーヒーフロートとシフォンケーキを置く。
「……ちょっと待て」
「なぁにぃ?」
 気持ち悪っ!
「……コホン。岸崎君がやけに優遇されていますが、何か理由は?」
 岸崎もコーヒーが出てくるとは思っていなかっただろうけれど、少なくとも他の三人と同じ物が出てくると思っていたと思う。
 実際に、彼は少し脅えて震えている。
「……(ガチガチガチ)」
 いや、そこまで脅えることはないと思うが。
「大丈夫ぅ! これは私からのサービスだからぁ」
 値段もコーヒーと同じにしとくわ、とママは続けた。
「優遇されすぎっ! ママー、あたしもシフォンケーキ食ぁべぇたぁいー!」
 飾利が僕よりも先に突っ込みを入れ、ついでにケーキをねだっている。
「だぁめ」
「ママ、美少年だからって優遇するのは良くないと思うよ? しーちゃんだって好きでこの顔に産まれてきたわけじゃないし」
 美少年をあたかもマイナス要素かのように扱う飾璃。岸崎に失礼極まりない。
「飾璃ちゃん、何言ってるのっ! 美少年は国の宝よっ! ひいては私の宝よっ!」
 かなり非道い暴論だ。逆に言うと美少年以外の男性は要らないと言うことですか。
「……生きててすみません」
 とりあえず謝ってみた。
「あらら、智識ちゃんは生きてても大丈夫よ、顔は普通だし、良い子だし」
 普通以下は駄目らしいです。
「とりあえず、私の好みの子には目一杯サービスするわよぅ」
 ここ私の店だし、とかなり暴君のような台詞を発してママはカウンターの裏に戻った。
「ならしょうがないね。ここ、ママの店だし」
 いとも簡単に納得する飾璃。
 基本的に物わかりの悪い奴ではないから、当然か。
 しかし岸崎は未だに脅えている。
 それが(現在進行形で向けられている)ママからの熱い視線故か、好みの子宣言されてしまった故か、僕にはもう、どうすることも出来ない。
 ごめん、岸崎。君のことはまだあまり知らないけど、確実にこの様な仕打ちを受けるべきほどの悪人でないことは分かるよ。そう、心の中で黙祷を捧げる。
「で、で、で? ざっちはどうなの?」
「いや、僕は別に良いと思うよ」
 自分の店でママが誰を優遇しようが、経営が危うくならない限り自由だと思うし、逆にママに好かれるというマイナス要素はサービスで色々貰えるというプラス要素を遙かに上回って、足してしまえばマイナスにしかならない優遇だと思う。
 優遇されているはずなのに冷遇されているという不等価交換だ。悪魔の契約でさえ、ましに思えてしまうくらいのサービス。
「んじゃ、しーちゃん家で何するか考えよっか? あたしはねー……」
 どうやら僕の意見を聞いただけで元の話題に戻ったらしい。何かにつけて飾璃は僕の意見を聞きたがる。これも高校を卒業する前に本人に訊いたことがあるが。
「えー? 他人様の意見はきちんと訊きなさいって小さい頃教わらなかったの? きちんと訊かなきゃ、損損、だよっ!」
 と、言われた。
 それはあくまで『聞く』であって『訊く』ではなく、それを言うなら『聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥』なんじゃ、と思ったけど、深くは突っ込まなかった。
 突っ込んでも聞かないし。
 飾璃は、意見を求めるくせにその意見を大切にすることはない。きっと言葉と話す時に僕が側にいるから、気まずさか優しさから話題を振っているだけだと思ってたし、今もそう思ってる。
 そうでなくとも、僕が知る限り飾璃はかなり面倒見の良いタイプの人間だ。クラスは勿論、学校内に疎外されていたり馴染めない人がいると率先して馴染みに行く。そして周囲に溶け込みやすくする。
 たぶん僕、と言うより言葉を周囲に馴染ませるために、今もこうして周囲を巻き込んだ旅行プランを考えているのだろう。
「……罰ゲームは多い方が良いよねっ!?」
「ん? ちょっと待て」
「なになに? トイレ? トイレなの? トイレだなっ! 行ってきなさ~いっ!」
「違うっ!」
 仮にも女子がトイレトイレ連呼しないで欲しいな。
 ほら、岸崎がコーヒーと混ざったソフトクリームを食べ難そうにしているじゃないか。
「……って、食べるんだ」
 岸崎はえっ、という感じで口を開けて、少し恥ずかしそうにしながらスプーン型に先を切られたストローを置いてしまった。
「……なんか、ごめん」
「それより、なに? トイレじゃないならケイタイ? ケータイの充電だなっ! ジューデンダー!!!!!」
「違うからっ!」
 お前少し黙れ、と続ける。
 えー、と不服そうに頬を膨らませながらテーブルに突っ伏して、コーヒーに手を伸ばし、飲み始める。
 ……器用な奴だな。
「いや、ゴールデンウィークの旅行の話だよね、今話してるのって?」
 言葉に視線を向ける。
「……(ブンブン)」
 いや、もうヘドバンしなくて良いから。
 ああ、コーヒーに髪の毛が少し入っちゃった。
「その旅行って三人だけで行くの?」
 言葉の髪の毛をハンカチで拭きながら岸崎の方を向いて訊ねる。
「っえ? いや――」
「ちっがうよ~! もうっ! なに聞いてたの? 失礼しちゃうよっ!」
 まったくもー、と飾璃が岸崎の言葉を遮って続ける。
「行くのは五人だよっ。他にも呼んであるもんっ」
「そうなんだ」
 そうだよな。飾璃が岸崎だけと言葉を仲良くさせるためにこの計画を立てたりしないよな。他にも呼んである人達と仲良くさせて、大学でやっと輪に溶け込めるようにする計画だよな。
 ……いや、別に岸崎だけと仲良くさせるためでも大丈夫じゃん? なんでちょっと焦ったんだ?
 親御心に近い父兄心かな? そう言うことにしておこう。
 まあ、さすがに言葉が誰かと付き合い始めたら、今みたいに裾を握られる状況はなくなるだろう。逆にこのまま変わらずという想像は恐怖過ぎるのでこの際は想像するのも止めておこう。その場合は確実に、僕もその彼氏も十分と言って良いくらいに気まずい状況だ。それに彼氏が可哀想過ぎる。
 と、そんな考えにふけっている間に。
「っと、こんな感じで良いっか。良いよね? ね?」
 意見が欲しいのか有無を言わせたくないのかいまいち分からない飾璃の言葉で、とりあえず旅行の概要は決まったようだ。
 結局いつもの如く飾璃の口から出る言語という名の音波はスルーしたので、旅行の概要は分からず終いだったけれど、言葉が返ってきたら楽しめたかくらいは聞いとくかな。
 楽しんで、友達もいっぱい作って、俺の服から離れてくれると嬉しいな。今の状況だと服を新調するペースが異様に早いので。
「……(クイクイ)」
 言葉が何かを言いたいのか、袖を引っ張っている。この距離なんだから口で言ってくれても良いと思うけれど。
「なに?」
「…………トイレ行くの?」
「行きません」
「…………じゃあ――」
「携帯も充電しません」
「…………そう」
 ワンテンポどころか百テンポくらい遅れてのボケだった。
 でも、心なしか少し寂しそうな。
 もしかして……。
「携帯の充電器持ってるの?」
「……(コク)」
「お手洗い、行きたい?」
「……(コクコク)」
 こうして僕は女子トイレの前まで付いていくことになった。
 ……当たり前だが携帯は充電しなかったけれど。
「おっかえっりーっ! そして、おかえるー」
 女子トイレまで行って戻ってくると、飾璃の出迎えの台詞は帰宅を宣言するものだった。
「じゃあ、帰りますか」
 ちょうど岸崎もケーキまで食べ終えたみたいだし。
「まったくるぜぃ! アデュー、ママっ!」
「いつでも来なさい。混んでない限り歓迎するから」
 混んでいても貴方は勿論VIP待遇ですけどねぇ、と岸崎にとっては呪詛にも近しい言葉を扉が閉まる前にママは言って、岸崎の肩を震わせる。
 実際に混んでいる時などないから、確実に毎回来店時は厚いおもてなしを岸崎は受けることとなるだろう。
 ……僕だったら絶対にもう来なくなるけど。
「……岸崎、頑張れ」
 小声で彼を応援しながら歩いて、駅に到着すると、今日は解散となった。勿論、言葉は家も同じ方向なので、同じ電車に乗り、やはり僕は周囲から奇異な視線を向けられ続けるが、僕は素数を数え始める。
 視線なんて感じない。視線なんて感じない。視線なんて感じない。視線なんてない。目なんてない。この世に僕以外の人間なんていない。
 家に着いた頃に僕が果たしてどこまで素数を数えられたのか、それはまた別のお話。

  ◆◇◆

 次の日、朝起きてリビングの扉を開けると、そこには小学生くらいの小さな女の子が食卓に着いていた。と言っても食事はないので、椅子に座っているだけだけれど。
 因みに僕は実家暮らしで、親は仕事の都合でイギリスにいっているが、妹はいない。
 では、リビングにいる彼女は誰なのだろうか。そう思っていると彼女は僕の方を見て、机の上に置かれた、いかにも小さな女の子用と思える可愛らしいデザインの携帯電話を持ち上げて、電話をかける。
「もしもし、警察ですか。ロリコンがいるのですが」
 ちょっと待った!
 僕の家に不法侵入してるのはお前だろ!
 そこまで口に発することなく突っ込んだ僕は、ある可能性に気付いた。
「ん? このノリは、絵澄(えすみ)ちゃんか?」
「はい、住所は――」
「電話を切れぇぇぇ!」
 でないと本当に警察が来る!
 この状況は理解出来ないけど、実質的に一人暮らしである一軒家に幼い女の子がいることは少なくとも事情聴取されるレベルだ。
「じゃあ、やむを得ない。お兄さんの母親との電話切る」
 完全に騙された!?
「いやいや、お袋との電話だったら渡してくれるかな?」
 話したいことはある。多分だけど、現状の確認くらいは出来るだろう。
「えーーー?」
 ……嫌なのかよ。
「良いですとも。お兄さんは母親と話したくて仕方がない重度のマザコン野郎だったね」
 と言いながら絵澄ちゃんは僕に携帯を渡す。
「……」
 違うわっ!
「もしもし」
「もしもし、こちら生活保護課ですけど」
 ピッ。
 ……警察ではなかったけど。
「市役所に電話するなっ!」
「え~~~~?」
 え~、じゃないよ。
 この子、本当に疲れる。
「とりあえず、何故絵澄ちゃんはここにいるの?」
 彼女は斜向かいに住んでいる佐渡家の一人娘だったはず。両親もいるし、今日は何より学校のはずだ。大学生は平日に授業のない可能性もあるが、小学生にそんな特権はない。
「えっ?」
 完璧に質問を聞いていなかったみたいだ。小学生特有の純粋無垢な、天真爛漫な顔で聞き返されてしまった。
 ……だけど絵澄ちゃん、瞳孔だけは何故か常時開ききったままなんだよな。
「えっと、なんで絵澄ちゃんは僕の家にいるのかな?」
 出来るだけ一般的な子供に向ける優しい笑顔で聞き直すように努める。
 出来るだけというのは勿論、今現在の僕が少し苛つているからだ。
 だって、絶対にわざとやってやがる、このガキ。
「お兄さんの母親から連絡は来てない?」
 ああ、確か昨日寝る前に着信があったけど、眠いからシカトしたんだっけ。
「まだ何も聞いてないや、じゃあちょっと連絡してみるから待っててね」
「良いですとも。お兄さんは母親と話したくて仕方がない重度のマザコン野郎だったね」
 いや、だから違うから。っていうかさっきと同じこと言うな。
 とりあえず絵澄ちゃんに否定だけして電話機に向く。
 ぴっぴっぴっ。
 ボタンを押すと出てくる機械音が部屋に響く。
「お兄さん知ってる? 『ピッピ』ってドイツ語で『おしっこ』って意味なんだって」
 何故今そのことを口にする。
「あと、放送禁止用語で『ピー』って音が流れるのは高音の方が聞き取りやすくて低音をかき消すからなんだって」
 だから、何故そのことを今口に出して言う。
 そんな疑問を解消する間もなく電話の向こう側から声が聞こえてくる。
「智識? 昨日なんで電話でなかったの?」
「そんなことより、何故、佐渡絵澄ちゃんが家のリビングにいる?」
「ああ、もう来てるの?」
 貴様の差し金か。
「えっと、受話器の向こうで今怒っているのかもしれないけど、昨日その事に関して電話しようと思ったのに出なかった智識が悪いのよ」
 さすが母親、僕の事を理解している。顔も見ずに怒っているかどうかが分かるなんて。
「とりあえず、絵澄ちゃんはご両親の都合で一ヶ月くらい家で面倒見る事になったから」
「一ヶ月? そんな長い間、僕一人で面倒見ろと?」
 冗談じゃない。
 いや、冗談じゃなく殺される。
 確信を持って言える。僕は一ヶ月経つ前に絵澄ちゃんに消されると。
「大丈夫よ。日本の大学生は暇で有名なくらい暇してるんだから」
 意味が分からん。
「なんだったら絵澄ちゃんを大学に連れて行っても良いのよ?」
「は?」
「知らないの? 絵澄ちゃんアメリカの大学はもう卒業してるのよ」
「は?」
「本当よ。所謂天才っ子ってやつよ。凄いわよね。でも学校に通って友達を作るために日本の小学校に通ってるんですって」
 通りで人を弄るのが上手いわけだ。
 と言うより、その頭脳をもっと人の役に立つ方向に使って欲しい。
「まあ、事情は分かったけど。なんでうちになったの?」
 他にも近所に家はある。一般的な住宅街にうちの家は建ってるんだ。うちを頼る理由がない。男子大学生しかいない、およそ小学生の育成場としてよろしいとは一概に言えない家より良い家は沢山ある。
 と言うより他になかったらそっちの方が吃驚だ。絵澄ちゃんの両親の都合がどんなものか知らないけど、ここがそんな地域だったとしたら一緒に連れて行った方が良い。
「私もよくは分からないんだけど、他の家の人たちは何かしら用事があって断られたらしいわ」
 ……絵澄ちゃんの恐怖が原因だな。
 まさか近所全域にその性格が知れ渡っていたとは、さすがに僕も思ってはいなかった。
「そ、そう、なんだ」
 この時僕が絞り出せたのはこの一言のみだった。
 マザコンではないが、絵澄ちゃんを天才で良い子と思っている母親を心配させるわけにはいかないと思ったからだ。
「じゃあ、よろしく頼むわよ~」
「……分かった」
「あっ。女の子だからって、絵澄ちゃんに手を出したらさすがに親子の縁を切るわよ」
「出すかっ!」
 自分の息子に何を言ってるんだ。
 がちゃん。
 少し乱暴に受話器を置く。
「状況は把握できた?」
 振り向くとショットガンを顔面に向けられていた。
「……できたけど、できてない」
 何故ショットガンを向けられねばならない。そして、どこから出した?
「って言うか、ショットガンを人に向けるな」
「え======?」
 口だけ開いて、表情に一切の変化を見せず絵澄ちゃんはショットガンの銃口を降ろす。
 今気付いたけど、絵澄ちゃんって基本的に口が動くだけで、表情とか変わらないよな。標準装備の純粋無垢な顔のままだ。
 これはこれで詐欺だよな。
「じゃあ、没収ですね。やむを得ない」
 そう言って素直にショットガンを僕に手渡す。
 ……意外と素直で良い子なのかもしれない。
「もしもし、警察ですか。拳銃を持った大学生が……」
 やっぱり、この子と一ヶ月も一緒に暮らすなんて無理だ。
 とりあえず、通報されたくないので携帯を奪って、本当に電話していたか確かめる。
「もしもしっ! どうかしましたかっ!? おい、山下っ! ちょっと出るぞ、拳銃を持った大学生がいるらしい」
 ピッ。
 本当に警察に電話してやがった。
「え、絵澄ちゃん」
「何? お兄さん」
「これから一緒に住むに当たってルールをいくつか決めておこうか」
「え@@@@@@?」
 決めておかないと僕が死ぬ。一番良い状況でも逮捕はされそうだ。
「そんな事言わないで、ね。まず一つ目は、僕を無意味に逮捕させようとしない。二つ目は僕に危害を加えようとしない。とりあえずはこの二つ。守ってね」
「良いですとも。お兄さんは仕切りたがりだけど委員長にもなれない可哀相な委員長タイプだったね」
 違うわっ。
 しかし、ライトな返しだ。良かった。
「……しかも」
 まだ続くのか。
「お兄さんを逮捕させないようにするという約束を取り付けて、ワタシを児童ポルノ作品に出演させようという魂胆を持ったド外道だったね」
 うわあ、もう嫌だ。このままいくと胃に穴が開くか殺されるかのどっちが早いかを試すようなものだ。

 ぴんぽーん。

「はい、雑学家に奉仕する事を義務付けられた佐渡絵澄9歳です」
 勝手にインターフォンに出るなよっ!
 今ので通報されたら終わりだ!
「鍵は開いてますので勝手に上がって好きな物を持って帰って下さい」
「ちょっと待て! 勝手に家の物を差し出さないでもらえるかな、絵澄ちゃん!」
「え#####?」
「不満そうな声を出しても駄目なものは駄目」
「やむを得ない」
 やむを得なくねえ! 当然の事だ。
 そんなやりとりをしている内に、先程(僕の体感時間ではかなり昔に)閉めたリビングの扉が勢い良く開かれた。
「ぐっもーにんっ! シキちゃん、さっきのインターフォンに出た子だれっ!?」
 飾璃の来訪がこんなにも良かったと思えた日がかつてあっただろうか。
 きっと飾璃なら絵澄ちゃんとも仲良くなれるはずだ。変人は変人同士と仲良くなれる。例え扱いづらさのジャンルが違えど、同じ変人というカテゴリーの中なら皆兄弟姉妹のようなものだ!
「飾璃か。ちょうど良いところに来た。この子は佐渡絵澄ちゃんって言ってな……」
「え、絵澄ちゃん?」
「知ってるのか?」
「し、知らないよっ!」
 体を使って全否定された。
「えっと、今日から一ヶ月うちで預かる事になったんだ。一応必要なものは全部もって来てると思うんだけど、何か買わなきゃいけない物があるかもしれないから、買い物に連れて行ってくれる?」
 よしっ! まともな理由付け成功!
「ほら、女の子だと僕じゃ分からない物とか必要あるでしょ?」
 これで、面倒見の良い飾璃が絵澄ちゃんを連れて行ってくれれば、とりあえず今日のところの平穏は保たれる。
「お姉さん、久しぶりだね」
 ちょっと待て。知り合ってたの?
 いや、でも飾理は知らないって言ってたぞ。体全体を使ってまで否定してたのに。
「お、おおお久しぶりです。え、えええ、絵澄さん」
 飾璃が敬語!? 例え先生であろうとバイト先の上司であろうと臆さず隠さず誰にでも敬語というものを使わず、彼女は敬語を知らないんだな、的な事を感じさせている事で有名な飾璃が敬語!?
 何か変だ。
「えっと、絵澄ちゃんはもう飾璃の事を知ってるみたいだね。じゃあ、話は早い。このお姉ちゃんと一緒に一ヶ月暮らす上で必要なもの買っておいで」
 そう言って僕は一万円ほど飾理に渡す。
「相場が分からないから、とりあえずはこれで。もし足りなかったら後で払うし、もし余ったら残りは上げるよ」
 そう、飾璃に耳打ちしたが、彼女は聞こえていないのか、僕が言った事を全く無視して口を開く。
「みんなで行こ……行きましょう。他にも旅行に行く方々がお待ちですし。おすし」
 ……うん。いつもとキャラが180度くらい違う。
 静かで良いけど、怯えているみたいだ。絵澄ちゃんの恐怖は凄いなあ。
 と言うより、そんなに怖いなら最初にインターフォンで名前を聞いた時点で気付いて、上がってくるなよ。
「良いですとも。お兄さんを一人きりにしたらワタシの荷物を荒らされて、パンツとか嗅がれちゃうからね」
「嗅がんわっ!」
 こうして、何故か僕も随伴する事となった。
 平和は斯くも得難いものだと知った朝だった。

  ◆◇◆

 集合場所に到着するまでも、そして、してからも飾璃の様子は至極奇妙だった。
 歩けば同じ側の足と腕が同時に動くし、その強張った動作は少し前のゲームでたまにあった処理落ち寸前のCGムービーに近いものがあり、かなりカクカクしている。
 緊張自体あまりしない奴だけど、ここまで緊張したのを見るのは初めてだ。
 過去に飾理と絵澄ちゃんの間に何があったんだろう?
 まあ、絵澄ちゃんなら誰であろうとこれくらいの恐怖(トラウマ)を植え付ける事は容易いだろうけれど。
 ちなみに、集合場所には昨日の面子に一人、見た事のある顔が追加されていた。
「雑学君だよね? 一応始めましてになるのかな。結構同じ授業受けてるんだけどね」と言葉が僕の上着の裾を掴んだときに言ったのが、昨日はいなかった追加メンバーである祇園寺玲奈(ぎおんじれいな)さん。
 彼女は確かモデルだかなんだかをやっていて、最近有名になり始めている芸能人の卵、らしい。
 らしいというのは、僕は芸能関係に疎いので、有名になり始めているとか、芸能人の卵とか、そういうレベルの知名度を泊している人たちの事はとんと知らない。ぶっちゃけると有名というレベルの芸能人すら知らない。
 なので、その時の僕の返答は、
「そうだっけ? あまり授業で一緒の人とか確認してないから分からないや。あっ、でも祇園寺さんのことは知ってるよ」
 と言う、至極普通のものだった。
 そして、その僕と祇園寺さんとの挨拶が一通り終わった頃には、岸崎と言葉の異変に気付くことが出来るようになった。
 言葉はいつもより強く、そして両手で僕の服を握っているし、岸崎は昨日のママの呪詛を再び脳内再生していると思えるくらいに怯えている。
 その様な異変と、静かな飾璃の異変にも気付いた祇園寺さんは、僕に素直な疑問を漏らす。
「みんな、どうかしちゃってるみたいだけど、なんでか分かる?」
 まあ、彼女たちの視線の先にあるのは絵澄ちゃんだから、きっと彼女に関係しているとは思うのだけれど、彼女の恐怖は体験してみないことには分からないからなあ。
「……えっと、それは分からないけど。この子は佐渡絵澄ちゃんって言って今日から一ヶ月間、僕が預かることになったんだ」
「佐渡絵澄です。よろしく」
 意外とまともな挨拶をする絵澄ちゃんに少し驚きつつ、それ以上に彼女の背中に回した手に握られている物に驚く。
 ……スタンガンなんてどこから持ってきやがった?
「お利口な子みたいね。私は祇園寺玲奈って言うの。雑学君とは同じ大学の同級生よ。よろしくね」
 祇園寺さんが握手か頭を撫でるために手を絵澄ちゃんの方に向けると同時に、スタンガンが動き始める。
 その腕を素早く掴んで、僕は絵澄ちゃんに耳打ちをする。
「絵澄ちゃん! ルールをもう一つ付け加えよう! 僕以外の人にも攻撃をしないこと!」
「え±=±=±=?」
 察してくれたのか、小声で不満の声を上げるものの、スタンガンの動きは止まった。
「じゃあ、質問良いですか?」
 今現在の絵澄ちゃんは祇園寺さんに撫でられながら、上目遣いで彼女に尋ねている。
 ……ここだけ見るとほほえましいワンシーンなんだけどな。
「良いわよ。なあに?」
「玲奈さんは、死ぬの?」
 僕と祇園寺さんは顔を合わせて「えっ」という顔をする。
 ちなみに、その後すぐに僕は、祇園寺さんが死ぬとしたらそれは間違いなくお前の所為だ、と絵澄ちゃんを睨みながら思った。
「私は死なないわよ。なんで絵澄ちゃんはそんなこと思ったのかしら?」
 ほう、これが大人の対応か。勉強になる。
「えーっと。思ったんじゃなくて、知ってるの。なんで玲奈さんは死ぬの?」
 ちょっと待ったぁ!
 『知ってる』って何を?
 殺(や)るのか? そうなのか?
「絵澄ちゃん、祇園寺さんを困らせないで。ごめんね、祇園寺さん」
 とりあえず、流しておかないと。祇園寺さんも返答に困っているし。
「えー→→→→↑?」
 えー、じゃないだろ。
「じゃあ、じゃあ、なんで皆死ぬの?」
 わかってねぇ!
 こいつもう駄目だ。言葉が通じない。
「そうね、みんないずれ死んでしまうわ。でもそれはやるべき事を全部し終わったから死んでしまうのよ。それは悲しいことだけれど、仕方のないことなの」
 おお、またもや大人の対応。
 祇園寺さんは大人だなあ。
「そうですか。ならやむを得ない」
 やっと納得してくれたようだ。
 祇園寺さん、貴女最高です。

  ◆◇◆

 そんな感じで絵澄ちゃんの顔見せが終わって、やっと目的の買い物へと移行した。
 駅から少し離れるが、近場と言えば近場にあるショッピングモールへ行ってみると、客の入りは平均時のそれ以下だった。
 飾璃達はゴールデンウィーク中使う物を買って、僕と絵澄ちゃんは絵澄ちゃんの日常生活に必要な物を買った。
 ちなみに、本日は平日。大学の授業も勿論ある。が、しかし、僕たちがとっている授業の先生方は皆一様に寛大な先生方達で、ゴールデンウィーク前日のこの日の授業は休講にしてくれた。勿論、休講にしてくれなかった先生の授業は自主休講となるので、この時期はどちらにせよ、大学に行く理由のない生徒が多い。
 厳密には学校以外に行く用事のある者が多い。
 大学という研究機関は一年の四分の一以上が休みで、四年間通っても実際に大学に行っていたのは三年以下となる不思議な制度を採用している。
 そんな制度を採用しているため、大学での授業というものは意外と貴重で、その授業回数を見れば分かるが、一年や半年でこの量はないのではないかというくらい少ない。
 しかし、その様なことなど気に止める者は実際にいるかというと、とりあえずこの場には僕を含めて一人も居なかった。
 通常時であっても言葉みたいに僕と同じでない授業をとってしまった場合、出る気概すら見せない者もいるようだし。
 所詮、大学の授業とはその程度のものである。
 しかし、僕たちとは違って、その様な程度のものである大学とは、少し違うイメージがある外国の大学をもう既に卒業している絵澄ちゃんは、その頭脳と同じく平均的な思考回路からおよそ離れた行動をとっている。
「絵澄ちゃん。その手に持っている槍は、何かな?」
「グングニル」
「どこから出したの?」
「ポケットの中から」
 お前のポケットは四次元空間につながってるのかよっ!
「しまいなさい」
「ショッピングモールは危険な人たちがいると聞いていたから武装したのだが、やむを得ない。お兄さんに守ってもらおう」
「ああ、守るから、この身を呈してでも守らせて頂きますから、武装しないで下さい」
「了解した。持ち歩くのは必要最低限の物にしておく」
 多分、と言うより確実に彼女の必要最低限は通常一般のそれとは違うと思う。
「必要最低限の物って、何?」
「手榴弾3つ」
「僕の付近でピンを外す事を禁じます」
「え&&&&&&?」

 その後、僕たちが用事を終えてショッピングモールを出た瞬間、3つのお店が爆発したらしい。そう、帰宅後に付けたテレビで特報があった。