
駄文集
第一章――始まり――
十一月二十八日(木)正午――倫敦市内カムデン・タウン、桐栖の家――
「本日より新しい家族が加わることになった。よろこべっ!」
筋肉だるまが桐栖の家に住む四人(桐栖、ナターシャ、イリア、ショーン)を集め、そんなことを尊大に言いながら、港から連れてきた椙本征爾と真百合兄妹を紹介する。
しかし、そんな台詞など聞いていないかのようにうんざりとした表情で桐栖はアロハだるまに辛らつな言葉を投げる。
「介兄……もう帰ってくれないかな」
だるま(形容表現省略)が桐栖の家に(ほぼ無断で)住み着いてからこの一ヶ月、桐栖の隣で大人しくしているナターシャはいままで見たことがなかった桐栖の一面を何度も目撃してきた。
このような辛辣な台詞も、今では聞き慣れたもので、その長髪の茶が混じった金髪の下にある整った顔を曇らせたり、蒼く澄んだガラス細工のような眼を大きく見開くこともなくなった。
しかし、そんな言葉にも屈さないアロ筋だるまの態度にはある種、尊敬の念すら抱けそうに感じていた。
「桐栖、そう心配するな。お前の兄はいくら弟や妹が増えても、お前を一番に想っている」
「介次郎さん、僕らは従弟妹(いとこ)だけど弟妹(きようだい)じゃないよ」
アロハの塊の発言に、短髪で紳士服(スーツ)を着こなしてはいるが、あまり特徴と言える箇所がない明らかに平凡そうな日本人青年が異を唱える。
高身長な筋肉の塊の横にいると、平均身長より若干下回る青年、椙本征爾は桐栖達にかなり小さく見えた。
更に、その後に続く、長い黒髪の似合う、和人形のように和装をした美少女の発言により、低身だけではなく、中身も小物という印象が付与された。
「真百合の兄は桐栖兄さんだけです」
「えっ!?ま、真百合っ!?僕はっ!?」
そして驚いている征爾(とその言葉の真意を問おうと殺意を視線に込めているナターシャ)をそのままに、桐栖もだるまの塊(これは形容詞としてはあっていない)に追撃の言葉を贈る。
「ぼくの兄さんも一兄(いちにい)だけです」
「桐栖までっ!?」
「まあまあ、皆さん少し落ち着いて下さい」
「おっちつっけー」
オールオッケーとでも言うように続くイリアと共に、赤茶色の短髪で中性的な外見をした紳士服(スーツ)姿の津脇・ショーンはその場を納めようとする。
イリアはともかく、ショーンは桐栖の側近で、その前は彼の父親である枩本辰巳の秘書もしていたので、この風景には見慣れていた。
塊(形容詞省略)が桐栖達を煽り、煽られた桐栖達は各々が騒ぎ始めてしまう。
桐栖の実家でこのようなことが起こった時は、枩本家の長兄、一(はじめ)かショーンが宥めるまでその騒々しさは続く。
その雰囲気も、ショーンは個人的に好ましく思っているが、桐栖にはこのあとの予定がある。早々に納めないと、その予定に遅れてしまうだろう(もっと言うと、すっぽかしてしまう)。
「とりあえず、イリアとナターシャ、征爾様と真百合様は自己紹介をお願い致します」
「それなら俺がさっきした――」
「介次郎様は、黙っていて下さい」
「……雇い主だぞ、俺は」
不服筋肉はぼそっとそのようなことを言うが、その小声を聞き逃さなかったショーンは笑顔で反論する。
「今の私の雇い主は桐栖様ですから」
その一言に「言うこと聞かないと、仕事でこちらに来ているとは言え、追い出しますよ」とショーンにしか伝えていない事情を加味してもらっても桐栖の家を追い出されそうな雰囲気を察し、不満筋肉は大人しくアロハに包まれていることにした。
「それでは、まずはナターシャからお願いしますね」
こうしてようやく軌道修正がされ、双方が知っている者を除いて自己紹介が始められた。
「ナターシャ・グレイズ。十七歳。UCL魔学部一年生。魔級は第六位ティファレト。クリスの部下」
そして、いつものごとくどこかの会員証に書いてありそうな単文で、自己紹介をする。
「……クリスって、桐栖兄様はそんな変な名前じゃありませんっ!」
「クリスの名前は言い辛い」
「雇い主の名前もきちんと言えないだなんてっ!」
「真百合、僕が良い言っていったんだ」
「そんなっ!」
桐栖自身、そんなに名前に対して執着がないため、普段は大人しい真百合が声を荒げてまで怒る理由が分からないが、このまま行くとナターシャが責め続けられそうだったので、桐栖はナターシャを援護した。
援護した、のだが、何故かナターシャは勝ったような顔をして、反対に真百合は負けたかのように悔しそうな顔をしていた。
……この二人はなにを争っているんだ?
「はっーいっ!つっぎーわったーしっ!」
「次はイリアか……」
元気よく次鋒宣言をしたイリアに対し、若干の不安を感じ、「余計なことは言わないでくれよ」と願いを込めた視線を桐栖は送る。
「?……!」
すると、なにかを理解してくれたのか、ウインクを返事としてイリアは返した。
……ふう、大丈夫そうだ――。
「イッリアー・ヤッンシッーナっでーす!」
「い、イッリアー・ヤッンシッーナさん?」
「いえ、真百合様。イリア・ヤンシーナです」
「……そ、そうなの」
初っぱなから、問題があった。
ただ、まあ、イリアが普通の口調で喋ると威圧感というか怖い雰囲気があるから、仕方がないか、と桐栖は納得しようとする。
ただ、その次の自己紹介は火に油どころか火薬を投じる行為だった。
「せっんげっつーまっでー、てっきーとして、きりっすーをころっそーとしってましたー!」
「へ?」
「僕の味方か」
不穏な発言をする征爾は無視して、唖然とする真百合に弁明するため、桐栖は急いで説明をでっちあげる。
「えっと、先月起こった事件まではハドン商会にいて、その一員としてぼくと敵対してたんだけど、その事件が終わってから改心してぼくの部下になったんだよっ!そう!敵対してただけっ!それだけだからっ!」
「で、でも、先ほど殺そうとしてたって」
「そ、それは……そうっ!言い間違え!彼女の元上司がコシックって言う人で、『桐栖とコシックの間を取り持とうとしてました!』って言おうとしたんだよ!」
「そ……うなの?」
「ちっがっ――」
「そうに決まっています!ええ、真百合様が心配なさることは一切御座いません!」
否定しようとするイリアの口を塞ぎならがら、ショーンが慌てて援護する。
「んーんー!」
「……下手なことを言わないで下さい。真百合様は桐栖様が英国に来ること自体、反対しておられたのですから」
ショーンは小声でイリアにそう伝え、言外に危険なことがあったということを伝えないように示唆する。
「わっかりまっしーた?」
「何故そこで疑問系なのですか」
「なんっとーなっく?」
「はあ……それでは、征爾様方のご紹介、お願い致します」
「ああ、僕は椙本征爾。枩本家の分家で、日本で序列四位の椙本商会の跡取りだ」
「まっじゅつーかっいっきゅーは?」
自分がそれを教えていないくせに、イリアは征爾に魔術階級を訊ねる。
「……第九位、イェソド、だ」
あまり高くない、自身の階級を悔しそうに言う。
だが、それを気にした様子もないイリアはただ「ふーん」と言って片付けた。
「次は、真百合ですね」
「ええ、お願い致します」
「真百合は、椙本真百合。征爾さんの妹で、心のお兄様は桐栖兄様です」
「真百合ー!」
「魔術階級はごくごく一般的な第三位、ビナーです」
「いっぱんってっきー?」
「高い」
イリアとナターシャのごくごく一般的な反応を見て不思議そうにしている真百合には聞こえないように、ショーンは補足する。
「真百合様は、ご自身を平均的な人間と見ているのです。そして、自分が少しでも他人と違うと言うことを知ると、何故かそこを治そうとしてしまうんですよ」
「でも、魔術階級は治せない」
「そうです。だから、ここは合わせてあげて下さい」
「めっんどっくさー」
「お願いします!でないともっと面倒くさいことになるんです!」
ショーンの熱意ある(?)説得により、イリアとナターシャはそれ以上真百合に突っ込むことはなく、復活したアロハブラザーは口を開く。
「と言うことで、こいつらが俺の最愛の弟桐栖に次ぐ愛らしい弟と妹だ。よろしくしてやってくれっ!」
「ところで、征爾と真百合は何をしに英国まで?」
「最愛の弟よっ!俺を無視するのかっ!?」
「研おじさまに頼まれたんです」
「研おじさんの頼みだからこの僕がわざわざ来てやったんだ、ありがたく思え」
「愛しい弟と妹まで無視っ!?」
「征爾さんは来なくても良かったんですよ?真百合一人で行く気だったのに……はぁ」
「真百合一人で海外まで行かせられるかっ!それに頼まれたのは僕だぞ!?」
「おーい、我が愛しき弟妹よー」
「真百合ももう十六です、立派な大人ですよ。もうそろそろ妹離れした方が征爾さんは良いんじゃないかしら?」
「馬鹿めっ!兄が妹離れするのは死んだ時だと決まっているだろうがっ!そんな世間知らずだから放っておけないんだ」
「おいおい、喧嘩は良くないぞー」
「介兄もさっさと弟離れした方が良いと思いますよ。と言うか、帰国して物理的にも離れて下さい」
「俺は今関係なくねっ!?でも、俺を認識してくれたことに感謝だぜっ!最愛の弟よっ!」
その言葉と共に、丸太のような太さの両腕が桐栖を襲うが、桐栖は難なくその地獄の抱擁を避け、再度アロハを無視し始める。
「それより、研(けん)さんに頼まれたって?」
「ええ、研おじさまが、英国に行ってしまわれた桐栖兄様のことを心配しておりまして」
桐栖の問いによって、真百合も同じく自身の兄を無視することにし、会話が進められる。
その光景を見て、ナターシャは真百合と桐栖が似た境遇(主に兄の存在)であることが理解できた。
「ははは、研さんの場合、心配しているのは『ぼく』と言うより『ぼくの研究』だろ」
「いえっ、そんなことありませんよっ!」
少なくとも真百合はいつも桐栖兄様の心配をしておりました、と本題からずれた解答をする真百合。
とはいえ、これもいつものことなので、桐栖は気にせず続ける。
「それじゃあ、真百合が帰国する際にはぼくの研究結果を渡さないとね」
「いえ、それよりは定期便でお送りした方がよろしいかと」
「……真百合たちはいつまでこっちに滞在する予定なのかな?」
「桐栖兄様が帰国されるまでに決まってます」
「違うぞっ!桐栖!僕達は一週間くらいで帰るぞっ!」
「あっ、そうなんだ」
「征爾さんは一週間で帰るそうですが、真百合はずっといますよ」
「……征爾」
「桐栖」
普段はいがみ合っている(征爾が一方的に突っかかっているだけだ)が、この時二人は目線だけで話し合い、協力関係を結ぶことにした。
《真百合がここにいるとちょっとした商談も危険があるから、と妨害されてしまう》
《分かっている。だから、僕がきちんと真百合を連れて帰ろう》
《征爾。……ぼくも協力は惜しまないつもりだ》
《ああ、本来なら貴様の力など借りたくないが、真百合のためだ。仕方ない》
《共に真百合を帰国させよう!》
《ああ!》
というような友情に似ているが限りなく非なる何かが二人の間で芽生えたが、本日はここでタイムアップとなった。
「桐栖様。予定のお時間です」
「ん?ああ、もうそんな時間ですか」
「桐栖兄様、どこかに行ってしまわれるのですか?」
「商談にね」
「では、真百合もご一緒します」
「ダメ」
「っ!ナターシャさん、なんの権利があって――」
「私は桐栖の支部長補佐。邪魔になりそうな要因は排除するのが仕事」
「くっ!」
「真百合、ナターシャの言う通りだよ。商談に部外者を連れて行くわけにはいかない」
「でも……桐栖兄様っ!」
「……俺は別に、良いけど」
唐突に、部屋に入ってきたチャールズ・ハドン、ハドン商会の長は話しが聞こえていたのか(と言っても、小声ではなく大声で話していたので、聞こえて当然だ)、そう言った。
「チャズ!なんでここに?……あっごめん、遅れてた?」
「一週間ぶり、桐栖。いや、現時点で約束の五分前だ。少し早く着いてしまってね」
先月の会合から、数回会っていたこともあり、桐栖とチャールズはまるで数年来の友人かのように、そんな言葉を交わす。
「それよりチャズ、さっきの良いというのは?」
「当然、そこのお嬢さんが一緒に来ることさ」
「だが、彼女は」
「桐栖の従妹なんだろう?」
なら身内じゃないか、とチャールズは言って真百合の随伴を快諾する。
その言葉を聞いて、真百合はお年玉をもらった子供のように嬉しそうに、チャールズに感謝した。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
「良いですよ。ただ、かなり退屈な時間を過ごすことになることは覚悟して下さいよ?」
「ええ勿論、そんな我が儘、真百合は申しません!」
そう言って、真百合は少し遅れた自己紹介をチャールズにして、同行する準備を始める。
静かにしていたが、同じく本来同行するべきじゃない者も何故か準備を始めていた。
「……えっと、彼は椙本征爾、彼もぼくの従兄だ」
「ああ、分かっているよ」
桐栖の端的な補足によって、征爾も来るであろうことを察したチャールズは準備をしている征爾に歩み寄り、自己紹介をした。
そして、征爾はチャールズの肩書きに大層驚いた(顔面を蒼白にして、五秒間くらい動作不良を起こすくらいに)。
……まあ、普通に家に入ってきた人が世界一の武器商会を背負っている人間だとは思わないだろうな。
桐栖は征爾に多少の申し訳なさを感じたが、かと言って事前にできることも思い付かないので、すぐに忘れることにする。
そして留守番を頼んでいたイリアがもう既にいないことには、もうしばらく気付かなかった。
同日正午(桐栖達が家を去った頃)――ラッセル・スクエア、走狗堂――
「どっおしったのー?」
先ほどまで桐栖の家で退屈そうに兄弟&従兄妹喧嘩を見ていた(見学時間約一分)イリアは、走狗堂にて落ち込んでいるマットをみつけて訊ねた(マリーのイリアが来たことに寄る過剰反応は、イリアもマットも無視したため省略)。
「……あ、ああ、イ、イリアか」
「あら、貴男、今日も元気がないですわね」
元気がないマットの存在に、今気付いた様子のマリーはそんな言葉を投げかける。
その反応により、マットは更に大きな溜め息を吐く。
「たっめいっきーは、しっあわっせーがにっげーてゆっくー♪」
「そ、そんなに嬉しそうに言わないでよ。ほ、本当に不幸な気分に、な、なっちゃうよ」
「イリアさんがいれば私はそれだけで幸せですわ~」
嬉しそうな二人とは対照的に、更に落ち込んでいくマット。
「それで、今度はなにについて落ち込んでいるんですの?」
「ま、前と同じだよ」
「それについては、私が婚約者としていけば済むと結論が出たのではなくて?」
「そ、そうも行かないよ。マリーの事情を、お、俺の家族に説明しなきゃいけなくなるし」
「そんな事情、別に隠すほどのことでもないですわ」
「い、いや、い、一応、き、機密扱いなんじゃ、な、ないの?」
「確かに、言いふらすことではありませんわ。でも、私が伝えても良いと思ったら、伝えて良いとの許可も得てますのよ?」
その許可を出したのは誰だ。そして、その人はマリーの判断力(と書いて知能と読む)の低さに気付いていないのか、とマットは大いに疑問に感じたが、おそらくマリーがマットの家族に対して情報が少ないからそう判断したのだろう、と考えた。
「ま、マリー。うちの家はね――」
「代々政治とその票獲得のために慈善(ボランティア)事業の主をやっている貴族の家系ですわよね?」
「な、なんで?」
「代々貴族をやっているのでしたら、必然的に私にも情報が入ってきますし、各家とその当主の特徴くらいは把握していますわ」
王族の血筋故か、マリーはそう言ったことはしっかりと学んできていたようだ。
しかし、その事実にマットは驚かざるを得ない。
……どこの敏腕教育者(ティーチヤー)だ?大学でなにも理解できないくらいの知能を持った(バカな)マリーにきちんとした知識を植え込んだのは。
そう思っていたのはマットだけではなかったらしく、イリアも目を見開き、口が開いている。
「……何故か馬鹿にされているような気がしますわ」
「き、気のせい気のせいだよ!」
「そ、そっーおだっよー???」
「イリアさん……もしかして、イリアさんまで私のことを馬鹿だと思っていらしたの?」
「そっんっなーわっけーなっいっはっずっなっいっよー?」
いつもより多くスタッカートを付けて、イリアは肯定するが、それに気付かずマリーは安堵する。
それにより、マットとイリアは『やはりアホの子か』と再認識する。
「で、でも、な、ならなおさら、わ、分かるでしょ」
「分かりますわ」
マリーはそう言って、自身の考えを披露する。
「……」
「ひゅー」
茶化すように口をとがらせて呼吸するイリアは置いといて、マットは絶句した
あのマリーが目的を、いや、論理的に自分が利益(メリツト)を最大限に享受できる考えを述べたからだ。
即物的でも即席的もない、きちんと今後を見据えた思考。
不利益(デメリツト)すらきちんと考えている。
その考えを聞いた今、マットはもう彼女の案に同意、いや、彼女に依頼をしなければならなかった。
マット自身を助け、更にはマリー自身も得をする、その案に。
「わ、分かったよマリー。お、お願いします。お、俺の婚約者役として実家まで来てください」
「ふん、最初からそうお願いすればよろしかったのですわ!」
と悪態を吐きながら、なんでもないかのようにマリーは「その依頼、謹んでお引き受け致しますわ」と承諾した。
「じゃっあー、じゅんっびーしっなっきゃーだねー」
「え、えっ?ま、まさか、い、イリアも、く、来るの?」
「もっちろーん」
「私が行くからですわね」
「ちっがーう。きりっすーにたっのまれったーんっよん」
「き、桐栖に?」
「何故そこでクリスさんが出てくるんですの?」
「マットーがなんっきーん?されったーら、てっつーだってーってい言ってーた」
イリアは平然といつも通りの口調で、嘘をつく。
彼女は今日、桐栖に命じられたのは留守番だし、マットの件を聞いても彼には「マリーの策で行けば問題ないよ」としか言ていない。
桐栖はマリーがまだ説明もしていない彼女の策を理解していたし、そうすることがマットとマリーの双方にとって最大限の利益を得られると踏んでいた。
だから、この言を聞いて友人の心遣いに感動したマットは後日、聞いていた話しと現実との差異に驚く。
ただ、この時点でもこの後の展開でも、イリアの存在と随行は彼らにとって大きな助けとなる。もっと言えば、彼女がいたからこそ数々の問題が解決する一助となる。
マットは、いや、桐栖達を含め、彼ら全員が気付いてはいないが、これから向かうのは、単なる自身又は友人の実家ではない。
貴族であり、いまだ権力を有する政治家の家である。
そこには古来から変わらず、空気中に酸素や二酸化炭素があるように、当然の如く陰謀、策略、野心、欺瞞、など様々な思惑が渦巻いて、混在している。
それをまだ知らない、理解できていないマットは、暢気にも嬉しそうに二人に告げる。
「そ、それじゃあ、あ、明日朝八時に俺の家集合で、お、お願いします!」
「分かりましたわ」
「あっいあっいっさー」
軽快な言葉が交わされ、彼らは火中の栗を拾いに渦中へ赴くことになった。
この時点で既に、会ったこともない誰かの思惑に自身らが捕らわれているとも知らずに。
同日夜九時頃――フリーマーケット、アーサーのテント内――
「ふー、つっかれたぜー」
まるで長距離走(フルマラソン)でも走りきったかのような清々しさで、何度も襲撃を繰り返した襲撃犯はそう言ってアーサーに報告する。
「お疲れ様でした」
「さすがに夕方から初めて五件回るのは疲れたぜ」
連続襲撃犯はある種の達成感すら見せているが、アーサーは構うことなく連続襲撃犯が持ち帰った資料を流し見している。
襲撃事件後との合間にアーサーへ連絡して、概要は伝えていたが、詳細は口頭で伝えるには多すぎるものもあったため、このように持ち帰り、見せる手筈となっていた。
そして、その百数十枚以上に上る紙の束を十分とかからずに見終えたアーサーは、結論を連続襲撃犯に伝えた。
「かなり深いところまで絞り込めましたが、これではまだ表層部に過ぎませんね」
「どでかい氷山の海面上にある一角ってとこか」
「ええ。ただ、本日の調査により、おそらくではありますが組織の末端メンバーくらいはピックアップできそうです」
「速くも明日からは黄金の暁会員の襲撃って感じか」
「いえ、明日からの調査は可能な限り穏便にお願い致します」
「なんでだよっ!」
もっと暴れたい、とでも言うように快楽暴行魔は抗議する。
「黄金の暁会メンバーに今回の調査を悟られては元も子もありません」
「いや、それって今日の調査でバレてんじゃね?」
今日は結構暴れさせてもらったぜ、と休暇中に遊ばせてもらったとでも言うように続ける快楽暴行犯は指摘する。
「そんなことはありません。今日の調査は『英国陸軍中将から直々に依頼された不穏分子掃討のための調査』と誤情報をリークしておきましたから」
「それ、トムさんの許可とってんのか?勝手に名前っつーか地位ってのかどっちでも良いけど、使っちゃやばいんじゃね?」
「ええ。ですがこれは、彼の提案です」
「つーかなんで、トムさんがそんなこと提案してんだ?」
「英国政府としても、黄金の暁会に関する情報は多く欲しがっておりますが、今までの多くの事件で彼らの存在を匂わせる何かは感じられても、関連づけるような証拠は何一つ得られておりません」
「んで、その情報を得るためならなんでもするってことか?」
「いえ、今回の作戦としては、一に黄金の暁会の情報を入手する、次いでというよりは表向きとしてきちんと成り立つ名目として、黄金の暁会以外の不穏分子を掃除できれば嬉しい、という感じですね。」
感情を見せないアーサーが『嬉しい』と言うことに違和感を覚えつつ、快楽暴行調査官は納得する。
「んじゃ、明日からは会員と思しき奴らを監視なり、ちょっかい出すなりしてくりゃ良いんだな?」
「ちょっかい、は控えて頂けるとなお良いですね」
「ちっ、わーったよ。会話とか接触はしても良いんだよな?」
「接触、はご遠慮願いたいですね」
「ちっ、分かりました分かりました。暴力は振るいません。……でも、向こうが攻撃してきたら、正当防衛くらいは問題ないだろ?」
「正当防衛なら仕方がないですが、相手を挑発して攻撃をさせる場合、正当防衛ではなく単なる防衛となりますのでお気を付けください」
どうしても喧嘩がしたい快楽暴行犯は、アーサーにその言葉の意図を即座に看破され、許可は得られないのが不服なのか、ふてくされたように「あーあ、つまんねーな」と不満を隠さず言うが、アーサーは自身の言を覆さない。
「ちなみに、明日は朝から調査をされますか?」
「ん?ああ、今日はトムさんに夕方からにしてくれって言われたから、この短時間だったけど、明日は一日中やるつもりだ」
「昨日の今日で、色々と調整が必要でしたからね」
仕方ないですね、とアーサーは続け、昨日話したばかりなのに今日の夕方には襲撃犯の『襲撃許可免状』を取り付けたトムの手腕を褒める。
「まー確かにトムさんじゃないと、昨日の今日でってのはできなかっただろうな」
「さすがは辰巳様のコネクションですね」
アーサーは素直に道楽暴行犯の父親(どういう教育をしたのか顔が見てみたい)を営業トークに混ぜるが、その名前を聞いただけで商会長の息子は嫌そうな顔をする。
「ちっ、あんな野郎の名前出すんじゃねーよ」
気分が悪くなる、と嫌悪感を隠しもしない言葉と表情で、アーサーに八つ当たりをする。
「それはすいませんでした」
そうアーサーは謝ると、明日の調査(襲撃ではない)についての話に戻した。
こうして、今夜も更けていった。
十一月二十九日(金)朝十時頃――倫敦郊外、某所の某者邸宅――
「よっと」
昨日のアーサーとの取り決めはどこに記憶されたのか、調査暴行官はまたもや襲撃(調査ではない)をしていた。
「攻撃されちゃー仕方ねーよなっ」
あたかも、これは正当防衛です、と主張するように余裕な表情で襲撃犯は、相対する男が繰り出す属性の込められた魔丸(ブレツト)を避けながら考える。
……しかし、なんであの男の名前を出しただけでこいつは攻撃してきたんだ?
目の前の男に話しかけた時、別段彼は筋肉調査官を怪しんでいなかったし、攻撃的な雰囲気も感じられなかった。
しかもアロハ調査官の印象としては、目の前の男に対して、どちらかと言えば痩躯な見た目通りの大人しい印象を受けており、攻撃される展開になろうとは思ってもいなかった。
だが現実として、眼前の彼は突如、背中の皮帯(ベルト)に隠し持っていた魔砲(ガン)を取り出し、その砲口を襲撃筋肉に向けて、発砲してきた。
反応が少しでも遅れていたら、筋肉の額(筋肉に額はない)には氷の属性を纏った弾丸に貫かれた跡が残り、もう動いていなかっただろう。
そんな危険な体験をしながらも、幸運アロハは予期していなかった幸福に出会ったとでも言わんばかりに嬉しがり、そして興奮していた。
……そうだよな!そうじゃーねーとつまんねーよな!
と、歓喜していたところに水を差すように(と快楽襲撃犯は感じた)、男は訊ねる。
「……何故、彼のことを知りたいのですか?」
なんだよ、弾雨止んでんぞ、ふざけんな、と思いながら暴行・デ・介次郎は応える。
「最近日本に赴任してきたから、その人と態(なり)の確認だ!」
平然と嘘を応えた。
「お見合い相手の事前調査ですか?そんな嘘が通じるわけないでしょう」
「ふん、皮肉ってんじゃねーよ。俺は嘘は言わねー」
家族(主に桐栖)と取引相手以外の人物には本当のことも言わないがな、とは補足せずに、暴行するアロハは断言する。断言したところで相手の信頼が得られなければ、意味はないのだが。
「嘘ではないというのであれば、貴男の所属組織名くらい教えてもらえますか?」
情報を聞き出そうとして、逆に情報提供を求められた調査する筋肉だが、しかし彼は本当のことを、ここでは言うことにした。
「……枩本商会」
「枩本っ!?」
「?」
なにをそんなに驚いているのか、男は枩本・暴力(バイオレンス)・介次郎の発言に、不自然なくらい動揺する。
……こいつの名前は……なんだっけ?
口と目を見開いたまま止まってしまった相手を見ながら、そんなことを考え、三秒後には男の名前を朧気ながら思い出した。
……リチャード何とかだ!……ったような気がする。
とそこまで考え、最終的にはアーサーに確認を取ればいいや、と思考を切り替え、いまだ驚きから立ち直っていない相手に追撃となりそうな言葉を贈る。
「……ちなみに、俺は枩本介次郎だったりする」
「っ!!?」
聞かれてもいない情報を追加すると、やはりというか意外というか、その効あってか、男は魔砲を背中に戻し「失礼致しました」と謝罪する。
この展開に調査暴行官(仮称)はついて行けず、さすがに訝しむ。
「……なんで、急に大人しくなんだよ?」
「枩本様(ミスターマツモト)であれば、ある程度の情報開示をして良いと、言付かっておりましたので」
「あん?」
「彼は、とあるお方が自身のもとまで辿り着かれるのを心待ちにしております」
「とあるお方、だと」
「はい。その方は、貴男様に近しく、貴男様がなにを調査しておられるのかは存じ上げませんが、貴男様に情報を提供することで、彼(か)のお方へとその方が近づける可能性が上がる、と聞いております」
「カノカタだがソノカタだかしらねーが、つまりてめーは俺の聞くことに正直に応えるってことで良いのか?」
「制限を受けていない情報以外であれば、全てご随意に」
男はそう言うと恭しく一礼をして、調査官・ガ・介次郎に頭を垂れる。
「ふん……んじゃ、まずは一つ目だ」
てめーは黄金の暁会会員か、と第一問目を問う。
「はい」
「その証拠は?」
「こちらに」
そう言って男は、首からぶら下がっていた装飾品を見せる。
それは、十の円が線で結ばれた形。
調査・中・介次郎は、いや、この世で生活する者全てが既知の図式を表したものだった。
「生命の樹(セフィロト・ツリー)、か」
「はい。私ども黄金の暁会は皆、このペンダントを身につけております」
魔術の根源として、魔術階級の名称として、魔術に関係する全てにその根底を置く生命の樹。それを黄金の暁会は自身の象徴としている。
……これは思っていたよりもやばい奴らだったか?
介次郎は無意識下で危機感を覚え、冷や汗が首裏を伝うのを感じながら、問いを続ける。
「黄金の暁会の長は誰だ?」
「それはまだ、存在しておりません」
「存在していない?誰が纏めてんだよ」
「誰も纏めておりません。私どもはただ必然という因果のもと、ただいるだけです」
男がなにを言っているのか分からず、バカ・ナ・介次郎は全身の筋肉が感じている危機感を優先し、その意図は聞かずに更なる情報開示を求める。
「まどろっこしいな。他の会員の情報をよこしやがれ」
「はい。それでは、開示許可がある者だけ……」
そこから男は約五分ほど、黄金の暁会会員の名前を挙げていった。
そのうちの十数人は、昨日の調査で目星がついていた者達だったが、その五倍以上の名前は疑ってもいなかった人物ばかりだった。
「……クソッ」
「他にはなにか御座いますか?」
「ああ。他の奴らに聞いても、お前と同じく洗いざらい喋ってくれんのか?」
「いいえ。そういった者もいるかも知れませんが、基本的には口を閉ざすでしょう」
「つまり、てめーは異端ってことか?」
「ええ、そうなるのでしょうね」
「んじゃ、最後の質問だ。その方ってのは誰のことだ?」
「それは申し上げられません」
もう既に十分なヒントは申し上げましたし、と男は澄ました顔で続ける。
「分かった。んじゃ――」
調査・終了・介次郎がそう言って、踵を返そうとしたところに突如、蛇のような形をした、濁った水が現れる。
「っ!?」
そして筋肉が反応する前に、水蛇は男の身体に巻き付き始める。
両足、胴、頭部、と男の全身に巻き付くのは一瞬で、男も驚きながらその水蛇の巻き付きから抜け出そうと部位を凍らせたり、腕を動かそうとしたりしているが、少しも動けそうな気配はない。
「おいっ、どうしたんだよ?なんなんだ、それはっ」
動揺しながらも、不審・ナ・介次郎はそう言うが、男は口も水蛇に邪魔されて言葉を発せないようになっていた。
「待てよっ!今助けて――」
急に、眩い閃光がその場を占める。
「!」
咄嗟に目を閉じる。
眩い閃光は、十秒間ほど続き、消えた。
そして、目を開いたその頃には、男と水は、跡形もなく消えていた。
黄金の暁会の会員証とも言える装飾品だけを残して。
「ちっ……なんなんだよ」
不安・ナ・介次郎はそう詰るが、それに対する返答はもう得られなかった。
回答者はもう、そこにはいない。
第二撃がいつ来るか分からず、悔しさを感じながらも、逃げる・デ・介次郎は、その場を後にした。
その姿を約十五米(メートル)離れたところから観察している術者の存在には気付かないまま。