駄文集


第四章――商業行為――

 
10月3日(木)正午――デボン州、エクセタ・シティ駅――
 ショーンとナターシャは、軍が用意した迎賓用の車両に約三時間半ほど揺られ、イングランド南西部、デボン州の州都であるエクセタ・シティに到達していた。
「うーん!」
 そんな声と共に、ショーンは伸びをする。
 だが、元々そこまで好いていないショーンと無言で三時間半の列車旅を経験したナターシャは、げっそりとしていた。
 勿論、無言だったのはナターシャだけで、ショーンは何度か会話を試みている。
 その殆どが「桐栖様は今何をしていらっしゃいますかねぇ」や「桐栖様は朝食を食べられたのでしょうか」といった内容で、それらの答えはもうすでに二人とも知っていた為、ナターシャは応える気にすらならなかったのである。
「いやぁ、快適な列車でしたね」
「ショーンと一緒じゃなければね」
 ナターシャの冷たい言葉に、ショーンは反論する。
「私は楽しめましたよ?」
 その発言も、ナターシャは無視する。
 何故かショーンはこの前の一件から、ナターシャにも心を許したようで、徐々に素の自分を出し始めている。それがナターシャにとっては嬉しくもあり、単純に鬱陶しくもあった。
「それより、今回私たちがすること……忘れてない?」
「えっと……爆弾しかけ――」
「バカっ!」
 ナターシャは、指を折りながら桐栖に命じられた作戦内容を往来の場で言おうとするショーンの口を塞ぐ。
「べふに、きふぃふふぁまにこうふぁいふるなとはいわれてまふぇんよ」
 訳:「別に、桐栖様に口外するなとは言われてませんよ」
「でも、口外しろとも言われてない。普通作戦は口外しないのが常識」
 常識人であるショーンが、常識をナターシャに説かれる日が来るとは、桐栖がこの場にいたらきっとそう思っただろう。
 そんな馬鹿げたことをしている間に、装飾過多なリムジンが、駅のロータリーへと流れるように入ってきた。
「交渉は任せたから、それ以外は私がやる」
「それでは、取引を始めますか(レツツ・ディール)!」
「……それ、クリスの台詞。微妙に違うし」
 ナターシャはそう言って、文句を言うショーンと共にリムジンへと向かった。
 
同日午後一時半頃――シドモス市内、デボン支部のエントランス――
 更に三〇分ほど掛けて南東へと車を走らせ、ショーン達はデボン支部へと辿り着いた。
 デボン支部は、シドモスという海岸沿いにある町で、最も立派だったホテルを改装せずにそのまま使っており、外装は武器商会の支部とは思えないほど豪華だった。
「立派ですねぇ」
 ショーンは四階まである煉瓦造りの建物を見上げながら、そう感想を述べる。
 元々最高級(ファイブスター)のホテルだったということもあり、ミニゴルフ場も、ここからは見えないが事前に得た情報では、プールまであると言うことをナターシャは思い出す。
「うちもあんな小さな家じゃなくて、こういう本部を持ちたいものですね!」
 何故かショーンのテンションが上がっている。
 ナターシャは心の中で「別にこの作戦が成功しても、この建物の所有権は移らない」と突っ込むが、これを口に出したところで意味はないだろうなと思い、黙っていた。
 ギィィ。
 ショーンが子供のようにはしゃいでいると、メインエントランスである木製の大きな扉が内から開かれる。
「ようこそお出で下さいました」
 褐色肌に黒い上質なスーツを着込んだコシックが笑顔で彼女たちを出迎える。
 しかしそんな敵の親玉登場にも、ショーンはぶれることなく馬鹿っぽさをアピールする。
「ええ、凄いところですねぇ、ここは! 是非何泊か滞在したいくらいですよ!」
 自己紹介もせず、ショーンはそんな感想をまず述べる。
 そんなショーンに呆れる内心を隠して、コシックは快く「そうですね。もし本日の件が片付きましたら、何日でも滞在して下さって構いませんよ」と提案する。
 勿論、ショーン達もコシックもその約束が果たされることがないと理解している。
 しかしショーンは「本当ですか! 是非お願いしたいです!」と言い、自身が何も考えていないように振る舞う。
 これは桐栖の指示だったのだが、正直ショーンは心の中でかなりの疲れを見せていた。
 ここまでの車の中では、運転手と意気投合したかのように会話を弾ませ、ナターシャの行動がバレないようにし、今はコシックの前で馬鹿を演じなくてはならない。
 自分ではない者を演じることが商人にはよくあるとは言え、桐栖やコシックとは違い、ショーンは商人ではないのだ。
 だが、計画通りやるしかない。そうショーンは心の中で決心し、遅すぎる自己紹介をする。
「ああ、申し遅れました、私はイングランド支部長補佐のショーン・津脇と言います。……でこちらが、私と同じ支部長補佐の」
「ナターシャ・グレイズ」
 そう言って、二人は一礼する。
「支部長補佐がお二人もいらっしゃるのですか?」
 コシックは単純に驚いたように訊ねるが、内心では二人も補佐が必要な商人を侮蔑していた。
 同時に、彼はここまでこなかった支部長を少し評価してもいたのだ。
 ここに来なければ支部長はこの来訪を『部下の暴走』と片付け、責任を逃れることができる。
 そうすれば自国で細々と商会を存続させるのは可能だろう。と。
「ええ、私どもの支部長はまだ商人としての経験が浅いので」
「そうですか、それでは補佐の方々も大変でしょう」
「そうですねぇ。色々と押しつけられてしまいますし……今日だって、ねぇ?」
「ははは、心中お察し致します」
 ショーンは心にもないことを言い、コシックはそれを信じている。
 彼が「さあ、どうぞどうぞ中へお入り下さい」と愛想よく言っているのに対し、ナターシャはここまでは順調に進んでいると評価する。
 問題は桐栖が無事に潜り込めているか、と言うところだが、そこまで考えて、ナターシャは思考を止める。
 陸軍中将直属の部下が手伝っているのだ、問題があろうはずもない。
 
「お飲み物はどう致しますか?」
 二階にある応接室へと通されて、コシックは以前愛想よくそんなことを訊ねている。
「えっと……紅茶でお願いします」
「種類はいかがなさいますか?」
「……お、お任せします」
 ショーンがそう言うとコシックはベルを鳴らして、召使いに「紅茶を」と言って下がらせる。
 ここでショーンは桐栖から指示されていたことをもう一つこなすことにする。
 その指示は『前菜の取り決めを無視しろ』である。
 ようは飲み物が出される前に本件のことを話せということだ。
「あのぅ、それで私達の商品のことなのですが……」
 ショーンの前菜を無視した発言に、コシックは眉一つ動かさずに愛想よく商人の慣習についてショーン達に教えてくれる。
 ナターシャはその間、「なんかコースメニューみたいですね」やら「誰がそんなしちめんどくさいルール作ったんです?」などと的外れな質問をするショーンよりも、それを応対するコシックを見ていた。
 ナターシャの目には、コシックが心底親切で許容量のある人物に見えたが、それが間違っているのはもうすでに知っている。
 コンコン。
 ノックが為されて、コシックが扉を開けると、そこにはイリアがお盆の上にティーセットを四人分持って立っていた。
「っ!」
 一瞬、ナターシャは構えてしまいそうになる。
 彼女は敵だ。だが、その敵を敵だと知っていると悟られてはいけない。
 そう彼女は自分を落ち着かせる為、目を閉じる。
 眼を閉じた少女を、イリアは少しだけ眺めてから、中へと入ってきた。
「イっリアで~すっ!」
 コシックとは違い、商談の場には相応しくないくらいに明るく、イリアは自己紹介をした。
「すいません。私の補佐役です」
「ああ、そうだったんですか。随分とお若いんですね」
「ええ、若いので私にはもう難しくなってきた体力仕事を手伝ってもらっているんですよ」
 彼はそう言いながら、イリアと共にショーン達の机を挟んで反対側に腰を掛けるが、彼もまだ四十代くらいだ。年というのは言い過ぎだろう、と思いながらもショーンは会話を続ける。
 ちょうどイリアが全員分の紅茶を用意し、各人の前に置いた頃、コシックがおもむろに表情を真剣なものへと変えて口を開く。
「本件に関してですが……当商会はその事実を認められず、歴史あるハドン商会の名を汚されたものだと考えております」
「そ、そんなっ!」
 ショーンは切迫しているような演技をする。
「ただ」
 そんなショーンに再度笑顔を向けて、コシックは続ける。
「ただ、当商会は、いかに不当な嫌疑を掛けられても、自身が潔白であることを証明したいと思っております」
 コシックの応えに、ショーンは思考を浮遊させ始めた。
「……ええと、つまり、ハドン商会も調査を手伝ってくれるんですか?」
 そして見当違いなところに思考を着地させたようで、その沼地のような着地点からショーンを、コシックは優しく掬い上げる。
「いいえ。私が御商会の商品を盗んでいないという証明をする為、ここの倉庫を全てご覧に入れようと思います」
「本当ですかっ!?」
 ショーンは喜びのあまり、咽び泣くように「ありがとうございます。ありがとうございます」と追加して、コシックに礼を言う。
 コシックは「いえいえ。貴女方の上司も、きちんと確認せずに門前払いにされた、と報告したらご納得頂けないでしょうし」と、ショーンのオーバーリアクションになんの疑問も抱かずに対応している。
 ナターシャは逆に、これが本来のショーンなのではないだろうかとさえ思えてきた。
 そんなナターシャを、イリアは微笑みながら監視していた。
 
同日同時刻――デボン支部敷地内、倉庫区画――
 支部の建物から五分ほど、小さな車を走らせたところに、デボン支部の倉庫区画があった。
 そこは見渡す限り倉庫と思われる、似たような建物が並び建ち、奥の方には港もあるようだ。
 その港にナターシャとイリアが、一瞬だけ目線を送る。
 二人とも、停泊する船舶の数を無意識に数えていたのだ。
 しかし数え終わった時の反応は、違ったものになる。
 一人は胸をなで下ろし、もう一人は口元を歪めた。
 そんな二人のことになど気づきもせず、コシックは車を停車させて、降車を促す。
 そして彼は何本もの鍵が通されたキーリングを見せてショーンに問う。
「どの倉庫からご覧になりますか?」
 少しだけショーンは、事前に調べた知識から、とある倉庫を指名しそうになってしまうが、それは幸運にも表に出る前に防げた。
「どの倉庫に何が入っているんですか?」
 ショーンの発言にコシックは失念していたとでも言うように、やっとどの区画にどのような商品が納められているかを説明し始める。
 その様子を見て、ナターシャはやはり商人は侮れないな、と再認識して説明を聞く。
「基本的に南にある港に近ければ近いほど、その商品需要が高まっていく傾向にあります」
「輸出する際の効率化を重視されているんですね。……と言うことは、港は基本的に銃火気や軽兵器が主ですか」
「いえ、皆さんそう思われるのですが、ハドン商会は衣服や食料品など生活必需品も取り扱っております」
 なので港に近いのはそう言った兵器ではないものが多いです、とコシックは続けて補足する。
 ナターシャはこの説明に驚く。
 ハドン商会が世界一位の武器商会であるのは知っていたが、まさか生活必需品まで取り扱っているとは思っていなかったのだ。
 これはつまり、ハドン商会とは、武器商会を超えた世界一の企業とすら言えることになる。
 桐栖が「ハドン商会は中規模国家レベルの権力を有している」と言っていたのも、今ならナターシャも納得できた。
 ハドン商会が武器だけではなく、あらゆる製品を取り扱っているのであれば、国によっては完全にハドン商会に依存しているのが一つや二つあっても不思議ではない。
「そして今いる、港からも支部からも中間辺りの区画に、兵器が多くあります」
 ナターシャがハドン商会の凄さを考えている間に、コシックの説明は進んでいたようで、今いる区画の説明へと移行していた。
「その中に、他商会から卸した製品を入れている倉庫などはありますか?」
 先ほどコシックから受けたハドン商会の規模を表す説明を聞いていると、ハドン商会は他商会から製品を卸すことなくやって行けそうではあるが、そこは一企業と同じだ。
 自社製品だけを売るだけでは顧客満足度は得られない。
 どれだけ素晴らしい製品を売っていても、人はやはり出費よりも手間を嫌うものだ。
 であれば、どれだけ大きな商会になろうと、顧客が望む他商会製品を代わりに卸して売ると言うことも必要なサービスの一つと言えるだろう。
 それ故に、コシックはこの質問を訝しむことなく、返答する。
「ええ、先ほどお二人を迎に行きましたリムジンや戦車、広域殲滅製品などが納められている北側の倉庫寄りの位置に、二つほどあります」
 コシックの説明と記憶にあるこの倉庫区画の情報を、ナターシャは頭の中で展開する。
 おそらく同じことをしていたのであろうショーンはややあって、提案した。
「であれば、まずはそこから見せて頂いてもよろしいですか?」
 もし私達の商品があればそこになると思うので、と付け足して、ショーンは申し出る。
 それに対してコシックは一切嫌な素振りを見せず、むしろ歓迎するように「畏まりました、ではそちらから参りましょう」と言ってショーン達を案内する。
 先頭にコシックと斜め後ろにショーン。その後ろにナターシャとイリアという順で進む。
 しかしナターシャは言葉には出さなかったものの、イリアという少女にショーン以上の鬱陶しさを感じてた。
 何故なら彼女はにやにやとしながら、何かを喋るわけでもなく、隣をぴったりと付いてくる。
 彼女が自分よりも背が高くなく、スタイルも同じように慎ましやかなものであれば、鏡に映された自分と共に歩いているような感覚になっただろうとナターシャは思う。
 ただ、イリアの背が桐栖と同じくらいと言う点。
 そして彼女のスタイルが、二個も年下だというのにも関わらず、逆に自分が年下のように感じさせられるほどの差があることから、嫌がらせで彼女が隣を歩いているのではないかとナターシャは感じていた。
 けれどナターシャが彼女に嫌悪感を感じている、と視線で伝えても、彼女は微笑みで返してくる。しかも上から下へと向けられた微笑みだ。
 ナターシャはこの状態から早く脱したいと思い始め、足を速めようとするが、コシックから到着した旨が伝えられる。
「ここが他商会から卸した商品を納めている倉庫の一つです」
 彼は何も臆さず、倉庫の錠を突き刺した鍵で回す。
 それをナターシャは希望の眼差しで見つめる。
 これでやっと、この大女から解放される。と。
 ガコン。ギィィ。
 解錠と同時に、自動なのか、三メートルくらいはある大きな扉が独りでに開く。
 窓が一切ない倉庫の中は、開かれた扉から入る光だけで、中がある程度は見通せる。
 しかし、奥が暗い。ショーン達がそう思った時、天井に備え付けられた照明がコシックによって点けられる。
 倉庫の中はほぼ空に近かった。
 とは言え、軽く100個くらいの木箱が規則性もなく置かれ、積まれているものもあれば、一つだけ他の箱たちから離れて、ぽつねんと置かれているものもある。
 そんな光景を目にして、コシック以外の三人が動きを止める。
「……」
「……」
「……」
「どうしました?」
 コシックを除いて、三人が立ち止まっていると彼はそんな声を皆に掛ける。
 ナターシャはその中を見て、違うということが理解できた。
「そ、それじゃあ、調べさせてもらっても良いですかね?」
 この倉庫が目的のものだと思っていたショーンは若干焦りながら、そう訊ねる。
「ええ……どうぞご自由に」
 コシックもその微妙なショーン達の変化に訝しむ。
 だがそれも、何故かイリアまで怪しい挙動になっているということから、彼は気にしないことにした。コシックにとってイリアがおかしいのはいつものことだし、それにショーン達が釣られたのだと判断したのだ。
 しかしそんなコシックも、倉庫に入るなりショーンが小さな筒状の物を取り出したのには、さすがに不審がらずにはいられなかった。
「それはなんですか?」
「ああ、これですか。これはうちの支部長が開発した物なんですけど、微量の生力を発信できる装置です」
 その説明を聞いても、コシックの疑問は離散することなく漂うばかりだ。
 生力を発信できる装置、というのはコシックから見ても、興味深い装置ではある。
 生力を、しかも微量のものを発信したところで何ができるのか、彼には想像もつかない。
 なにかできそうではあるが、なにもできそうにない。それがコシックの感想だった。
 だから彼は素直に「それはどういった用途で使われるんでしょうか?」と訊ねた。
「うちの支部だけ、取り扱っている商品の箱に、この装置から発せられた生力を感知して鳴る受信機が取り付けられているんです」
 ショーンの得意げな説明に、コシックは心から感嘆の声を上げる。
「それは凄いですね」
 しかしコシックは、ショーン達が求めている商品がここにはないと知っているので、その驚きだけで会話を終わらせる。
「それでは始めます」
 そう言ってショーンは倉庫内を、方々へと小さな筒を向けながら歩き始める。
「あはっ」
 イリアがその滑稽なショーンの姿に笑いを漏らしてしまう。
 コシックはそれに対して睨みを利かせるが、ナターシャも内心、ショーンがただ筒状の装置を振り回しているだけという至極無意味な行為に、笑いを堪えるので精一杯だ。
 当然、そんな無意味な行為をしているとバレないように、ショーンは大真面目だ。
 それが更にナターシャを笑い転げたくさせるが、勿論そんなことはできない。
「ここにはないようですね」
 ショーンが一通り倉庫内の所々へと装置を向けてから、平然とそんなことを口走る。
 当然だ。コシックはそう思う。ナターシャもそうだと知っている。
「それでは、もう一つの倉庫へと行きましょうか」
 コシックの提案にショーンは素直に同意し、次の倉庫へと向かう。
 途中、コシックが「それは壁越しに生力を送信することはできないのですか?」ともっともな疑問を提起する。
 それに対し、ショーンは嘘を吐く。
「まだ開発途中の試作装置ですので、それは難しいですね」
「そうなんですか。壁越しに送信できれば色々と便利だと思ったんですがね」
 試作段階なら仕方がないでしょう、とコシックは続けるが、それをナターシャは心の中で否定する。桐栖が『試作段階なら仕方がない』というレベルの装置を作ったことが今までに一度もないからだ。
 桐栖が作る魔学道具には確かに『桐栖しか使えない』みたいな問題点はあるが、それらは全て『製作目的』に対しては十二分に効力を発揮する。
 今回の生力発信装置にしたって、あまり多くの生力を込めると壊れてしまうという欠点はあるものの、この作戦にはその点だけ注意して使用すれば、問題は一切ない。
 他の物だってそうだ。
 けれどそんな反論を言えるはずもなく、ナターシャは黙ってイリアに横顔を監視されながら、次の倉庫へとコシックに先導されて、到着する。
「ここが、他商会の製品を保管しているもう一つの倉庫です」
 そう言いながらコシックは先ほどと同じように解錠して、自動的に開いていく扉の中へとショーン達を案内する。
 すぐに照明が点灯され、先ほどの倉庫とは違う様子がショーン達の視界に現れる。
 この倉庫には、先ほどの倉庫とは違い、数多の木箱が置かれていた。
 ぽつねんと一つだけ、周囲から嫌煙されているように置かれた木箱はなく、そんな空間の無駄遣いをする贅沢な置き方ができるか、とでも言うように所狭しと木箱が積まれていた。
 しかし歩く空間だけは確保してあるようで、倉庫内を十字に空けられた通路によって、山のような箱達は均等に、四区画に分けられていた。
 その多くがショーン達の身長を優に二倍くらい超える高さまで積まれており、ナターシャはこの倉庫が桐栖の言っていた倉庫だと確信する。
 同時に、コシックは内心混乱していた。
 ここに積まれている荷は、全てここにあるべきではないのだ。少なくとも今日だけは。
 それを知ってか知らずか、ショーンはコシックのことなど気にせずに訊ねる。
「それでは調べさせて頂きますね?」
 コシックは内心焦りながらも「どうぞ」と言うようなジェスチャーをして、許可する。
 彼の許可を得たので、ショーンは今度こそ生力発信装置を使用した。
 ピピピピピピピ。
 すぐに倉庫の奥の方で音が鳴り始める。
 その音にいち早く反応したのは、コシックだった。
「馬鹿なっ!」
 彼はそう叫ぶと、なりふり構わず音のする方向へと駆けていく。
 その後を他の三人も追う。
 音が一番大きく聞こえる箱の前まで来て、コシックは愕然とする。
 それは十字路の中心点に一つだけ置かれており、木箱にはショーン達の商会マークである、一本松が描かれていたのだ。
「ご協力ありがとう御座います」
 ショーンは丁寧にそう言って、目の前にある、人が一人は入りそうなくらい横長の箱の前へ、緩やかに歩を進める。
「ちょっとまってって~!」
 突然、イリアがその箱を開けようとしているショーンに制止を掛ける。
「なんでしょう?」
「今日こっこにぃあ~る荷物ってって~、こっこにあ~るはっずじゃないんですけどぉ~?」 なんであるんですか、とイリアは港にも予定されていた数よりも一隻多い船が停泊していたことも付け足して問う。
 これはショーン達に、イリアが彼らの作戦を看破したということを伝えていた。
 けれどここまでの作戦など、知られても問題はない。
 そうショーンは思いながら、「それでは、その説明は私共の支部長にさせて頂くとしましょう」と言って、箱を開けた。
 人が一人は入りそうなくらい大きな木箱には、桐栖が入っていた。
 そして、クッションに囲まれて梱包されていた彼は、今、眠っている。
「……うるさいな~」
 そう言いながら、音を発し続ける生力受信機を、不機嫌そうに寝返りを打って叩き壊した。
 
同日(桐栖が木箱の中で発見された頃)――デボン支部内、旧401号室『王の間(キングズ・ルーム)』――
 この建物がホテルだった頃、このホテルで一番豪華だった部屋にマットとスコットはいた。
「自分の存在自体が家の恥というのは、一体、どのような気持ちなのだろうか」
 スコットがいやらしい微笑みをその顔に固定させながら、そんな独り言を言っている。
 勿論、これは目の前で大人しく椅子に座っているマットに対する嫌味である。
 彼は拘束されているわけでもないのに、今朝から素直に延々と嫌味を言われ続けていた。
 我慢の限界が来ていてもおかしくはないだろう。
 しかし彼はずっと、大人しく椅子に座ったままだ。
「そう言えば、貴族の家で妾の子というのは、苦労が絶えないらしい。……なあ、マフユー君?」
 マットは下を向いたまま微動だにしない。
「妾の子で魔級も低い。更には勉強もできず、体力もない」
 スコットはマットに「生きている価値があるのか?」とでも問うように、独り言を続ける。
「大学の受験は失敗し、家の恥を曝さないという為だけの理由で裏口入学を果たすが、これ以上迷惑を掛けられないようにと、偽名で通わせられる」
 マットは未だ下を向いたままだ。
 けれどそれは苛立ちを抑えているから、というスコットの認識とは違った。
 彼は別にスコットの言っていることに苛立ちは感じていないのだ。
 何故なら、それは全て真実だから。
 確かにマットは自分が『妾の子』で『魔級が低く』『勉強もできず』『体力もない』ということを知っている。熟知している。
 なにしろ、それは自分のことなのだから。
「近くに優秀な、正妻の子でもある、兄がいたのも苦労を増やしただろう」
 これも事実だ。
 マットの兄は、貴族であるカンブリア家の中でもとりわけ優秀な部類に入る。
 幼い頃から社交界で人気を獲得し、家の事業でもその実力を発揮していた。
「カンブリア家の事業は、近々その優秀な兄が継ぐことになるのだそうだな」
 当然だ。マットはスコットの発言に対してそう思う。
 兄は優秀だ。遅かれ早かれカンブリア家の全権を握るに決まっている。
 それは幼い頃から常に兄と比較されてきたマットには、よく理解できていた。
「そうなったら当然、君は路頭に迷うんだろうな」
 何も知らないくせに、スコットはそんな憶測をたてる。
「当たり前だな。君は妾の『出来損ない』なんだからな」
 欠陥品を遊ばせておく必要などないものな、とスコットは続けて自身の価値観でものを言う。
 けれど、まだマットななんの反応も見せない。
 そんなマットにつまらなくなったのか、スコットは不満気に席を立ち、扉へと向かっていく。
 そして、扉を開いたところで軍服を着た若い兵士が慌てて走ってきた。
「ハアハア……しょ、少将閣下っ!!」
「取り乱すなっ!」
 スコットは若い兵士を恫喝する。
「はっ! 申し訳ありません!」
 若い兵士はすぐに背筋を伸ばし、敬礼をする。
「何があった」
「はっ! コシック殿が交戦状態に入ったようですっ!」
 その報告に、スコットは少し考えてから思いついた作戦を口にした。
「……よし。万全の準備をしたら、倉庫の前で待機していろ」
「コシック殿は助けなくても良いのですか?」
「どうせ死にはしないだろう、あれでも元軍人だ。それよりも、コシックとの戦闘で弱った奴らを狙った方が効率的だ」
「コシック殿が負ける、と?」
「負けなければ、それはそれで問題ない」
 スコットはそう言って、若い兵士に皆に伝えるように命令し、室内へと戻る。
「どうやら、君の出番が来たようだ。よかったな。出来損ないにも生きる意味が生まれたぞ」
 そしてスコットは「もっとも、君がいなくても問題はなさそうだがな」と言い、大笑いした。
 その後、準備が完了したことを報告する為に戻ってきた若い兵に、マットの両手を縛らせて、倉庫区画へと赴いた。
 今までの言動を全て、軍の諜報員に聞かれているとも知らずに。
 
同日(マットが嫌味を言われている頃)――デボン支部敷地内、倉庫区画――
 数分後、ショーンに起こされた桐栖は木箱から出て、伸びをしていた。
 その一連の動作を、コシックは唖然として眺めており、イリアは今にも笑い出しそうな表情で堪えていた。
「……えっと、どこまで話したんですか?」
 桐栖の起床一番の台詞は、ショーンに現状の確認だった。
 ショーンは、イリアが何故ここにこれらの荷物があるのかと訊ねていたことを報告する。
 それを聞いて、桐栖は「商業行為を開始します(Let's Start the Deal)」と言ってから、コシック達に向き直る。
「ああ、その件でしたら簡単です」
 桐栖はそう言って「昨夜、軍本部からノルマンディ支部に、デボン支部の船を返して下さい、と軍本部の回線でお願いしたんです」とイリアに向かって説明した。
 イリアは納得したように「そっうだったんだ~。軍本部かっらの通達じゃぁ、断っれないしっしっねぇ」と言って、次の質問をする。
「でっもでもぉ、こっこにキリリンの商品はなっいみったいだけどぉ~?」
「それは当然、今朝方、ぼくがここに入る時、回収させて頂きました」
 桐栖はノルマディから帰ってきた商船が荷物を降ろしている時に、自分達の商品が入っている箱を盗み、代わりに自分が入った箱を一つだけ置いていったことを説明する。
「何故報告がなかったっ!?」
 桐栖の説明にコシックが怒りを露わにする。
 しかしそれに対しても、桐栖は冷静に返答する。
「それは、貴男がぼく達の倉庫を襲った時と同じことをさせて頂いたからです」
 その説明だけでコシックはすぐに気付く。
「金を握らせたのか?」
 桐栖は頷く。
 しかしコシックは納得できない。
 商船には商会会員が100人以上いた。その全員に金銭を握らせたとしたら、相当の出費だ。
 割に合わない。
「ああ、出資と収益の計算をされているんですか? それならご心配なく。今回ばらまいた金額は、ハドン商会本部に今回の件を報告して、請求させて頂きますので」
 桐栖は涼しい顔で、そんなことを言っている。
「そんなことができるはずないだろっ!!」
「本当にそう思います?」
 桐栖は無表情な顔で問い返す。
「今回ぼくは、貴男にどこの回線を使って連絡しました? 早朝に回収した商品は、今誰がロンドンに持ち帰っていると思います?」
 その矢継ぎ早に繰り出される質問に、コシックは地に膝をついて黙った。
 軍が証人ともなれば、ハドン商会の上層部が信じないはずがない。
 それはすなわち、コシックの商人としての人生が終わったことを意味していた。
 彼はもうすでにハドン商会から退会を余儀なくされ、国に帰っても商業活動は行えない。
 商人として最も重要な商品である『信用』を、彼は売却してしまったのだから。
「……ははは」
 コシックは乾いた笑いを口から漏らす。
 そこから商人人生を迎えた者が何をするのか、桐栖がさんざん見てきた光景だ。
 だからコシックが勢いよく立ち上がると同時に、桐栖は彼のみぞおちに拳をめり込ませた。
「ぐあっ!」
 コシックはどこから取り出したのか、右手に持っていた拳銃を落としながら、地面を抱擁するように倒れた。
 桐栖は、無表情な商人の顔のまま「ショーンさん。彼を連れて行って下さい」と命令する。
 ショーンは「畏まりました」と言って、気絶しているコシックの元へと近づく。
 その時、桐栖が想定していなかった人物から高笑いが発せられる。
「あーはっはっはっ!!!!!」
 その高笑いは本当に何か嬉しそうで、それはイリアから発せられていた。
「何がおかしいんですか?」
 桐栖が訊ねる。
「これが笑わずにいられますかっ! そいつはもう何年も同じことを繰り返して、同じやり方同じ方法で多くの弱小商会を潰してきたのに、こんなにも簡単にそれを覆され、今度は自分が潰されちゃったんですよぉぉぉ!!!」
 イリアは本当に面白そうに、異様な雰囲気を纏って、自分の上司に対してそんなことを言う。
 しかし、そんな彼女の雰囲気に圧倒されることなく、彼女の態度だけで桐栖は、コシックが何故このようなことをしていたかを、イリアが知らないのだと気付く。
 そう理解した桐栖は商人の顔のまま、眼だけ、哀れむように彼女を見つめる。
「なんですかっ!? なんだって言うんですか!!!!?」
 イリアは桐栖の眼に対して苛立ちを見せている。
「いや、貴女も相当苦労したんでしょうね」
「そりゃあ苦労しましたよ。他人の前では気さくな顔をするくせに、私たち部下の前では至極真面目で、ほんっっっとうにつまらなかった!」
 桐栖が意図したこととは違う意味で彼の発言を捉えたイリアは、そんなことを言うが、桐栖はもう、彼女に対して理解を示す気はない。
 彼は商人なのだ。そして今は商人としてイリアに対応しなくてはならない。
「それで、貴女はどうするつもりですか?」
 冷たい桐栖の声に、イリアは少し黙って考えるような仕草を見せる。
 このままここにいれば、彼女が迎えるのはコシックと同じ道になる。
 軍に捉えられ、軍の判断で処罰が下されるだろう。
 それが国への強制送還になるのか、この国での投獄になるのか、もしくはそれ以上の処罰が与えられるのか、桐栖には分からない。
 いや、彼は考えたくなかったのだ。
「……そうですねぇ」
 しばらくして、イリアはそう口火を切った。
「ここにいるのも何かの縁です」
 彼女はそう言って回答を続ける。
「平和的に殺(はな)し合いましょうっ!!!」
「っ!!」
 そう彼女が言うと同時に身体を弾ませて、ナイフを構えたまま桐栖目掛けて向かってくる。
 桐栖は着物の袖から出した短刀型の吸魔刀で、そのナイフと刃を交じり合わせて、イリアを押し退ける。
 ズザザー。
 イリアが、桐栖の後方へと着地して滑っていく。
「クリスっ!」
「桐栖様っ!」
 ナターシャとショーンが桐栖の身を案じる。
 しかし、桐栖は二人に協力は仰がず、通常では考えられない命令をする。
「二人とも、ここの商品とコシックを結界装置で守って!」
 その命令にとっさには反応できないで二人がいると、再度桐栖が「早くっ! 損害賠償請求されたら、うちの商会がやばいっ!」と理由を付けて、命令する。
 二人ともそんなふざけているような理由に納得できたわけではないが、彼の言葉を「彼女はぼく一人で大丈夫だから、君たちは商会の今後を考えて行動しろ」と脳内変換することによって、納得できた(しようとした)。
 ナターシャ達は二手に分かれ、コシックを引きずったショーンが入り口側へ、ナターシャが倉庫の奥へと十字に開いた空間の縦軸を走る。
 そして二人とも、その中間地点に到着すると結界装置を起動し、闇が倉庫内を支配し始める。
 もう、木箱は一切見えない。
 桐栖とイリアは横一文字に開いた空間で、見つめ合う。
 すると、イリアは楽しそうに口を開く。
「こんな時も『商人』なんですねっ!」
 同時に斬撃が一回。
「ほんとっ尊敬しますっ!」
 もう一度。
「でも、色々調べたのはこちらも同じっ!」
 もう一度。
「貴男、イェソドですよね。しかも致命的に生力が低いっ!」
 一、二、三、と連続して斬撃が繰り返される。
 桐栖は防戦一方だ。
 しかし、何故かイリアは唐突に桐栖から距離をとる。
「魔級の違いが何を意味するか、教えてあげますよ」
 彼女はそう言って、一枚のカードをポケットから取り出す。
 そのカードには魔術陣が描かれていた。
「っ!」
 魔術陣の内容を桐栖は瞬時に把握し、イリアに背を向けて走り出す。
「あらあらぁ、良いんですかぁ~。背中向けちゃっても?」
 彼女はそう言って「はぁぁぁぁ!」と掛け声を口にする。
 桐栖はすぐに、ショーンが展開していた結界の中へと入り込む。
 その後まもなく、巨大な氷柱が桐栖が入っていた木箱を破壊して、闇に呑み込まれていく。
「なんですかぁぁぁ。ぜんっぜんおもしろくないんですけどぉぉ?」
 イリアは結界の中に桐栖が逃げ込んだことに不満を漏らすが、結界内に入っている桐栖には聞こえない。
 だが、すぐに結界の中から桐栖が出てきた。
「はは~ん。ションションに何かもらいましたねぇ」
 イリアは桐栖が何をしたか推測を述べながら、無数の氷柱を彼に向けて掃射する。
「正解ですっ! けどそれは使いませんっ!」
 桐栖はそう言って氷柱から逃げながら、懐から何かを取り出してイリアに向けて投げつける。
 そして桐栖は、今度は自分がいるところから少し遠い位置にある、ナターシャが展開した結界の中へと逃げ込んだ。
 イリアは何を投げられたか分からないが、とりあえず命中したら危険だと判断し、桐栖と同じように、ショーンが展開した結界へと駆ける。
 しかしショーンの結界はどんどんとその範囲を縮めていく。
 結界の端に木箱が見えるようになった。
「くっ!」
 イリアは桐栖がわざわざナターシャの結界まで行った理由を理解する。
 キィィィィィィン。
 桐栖が投げた閃光弾が大きな音と眩い光を放って、破裂した。
「う゛ぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 視覚と聴覚を強く刺激され、イリアはその場に蹲る。
 五感の内、人間が行動をする上で最も頼っている視覚と聴覚を奪われ、イリアは呻きながら、のたうち回りながら、地面を引っ掻いていた。
 しかし今の彼女には自分がどんな声を発しているかすら分からないだろう。
 そんな彼女を、結界から出てきた桐栖は見下ろしながら、説明する。
 同時にショーンが展開していた結界がまたも効果範囲を広げている。
「今のは閃光弾と言いましてね、英名はフレアライトっていうんですけど……ああ、そうでした。今の貴女に何を言っても聞こえませんよね」
 桐栖はわざとらしくそう言って、イリアに近づいていく。
「まあ、聞こえていないとしても、一応言っておきますね。……降伏するなら、これで終わりにしてあげますよ」
 無表情な顔で桐栖はそう言って、彼女から約二メートルくらいのところまで来た。
 イリアは、その口元を歪めていた。
 危険を察知した桐栖は、すぐに歩みを止めて吸魔刀を構える。
「はぁぁぁぁ!」
 その掛け声と共にイリアは立ち上がり、桐栖に先ほどとは違う陣が描かれたカードを向けた。
 しかしその式を彼が理解する前に、半径三〇センチくらいの火球が飛んでくる。
「っ! はっ!」
 桐栖はその火球を吸魔刀で凌ごうとして突き刺す。
 だが、それでも纏っている炎の属性を吸収できただけ。
 火球の中身である土塊は速度があった為、吸収できずに軌道を変えることしかできなかった。
「……ハアハア」
 桐栖はここでやっと危機感を感じる。
 イリアは視覚を失い、聴覚を失っているのにも関わらず、迷うことなく自分に向けた攻撃を放ってきた。
 しかもその攻撃は、短刀型の吸魔刀では到底凌げないくらいに重い。
「刀型を持ってくればよかった」
 彼はそう後悔するが、後悔先に立たず。
 桐栖はもう、手持ちの物でどうにかするしかないのだ。
「はぁぁぁ!」
 火球の第二弾が、桐栖目掛けて飛ばされる。
「くっ!」
 今度は迎え撃つことを諦め、イリアから距離をとりながら避ける。
 火球は桐栖の後ろにあった結界へと呑まれていく。
「……」
  イリアは火球を防御壁のように、自分の掌の前に生成し、そのまま佇んでいる。
 桐栖はイリアの様子を窺うように、相手との距離を縮めずに移動を始めた。
 そして桐栖はイリアの真後ろに到着する。
「……」
「……」
 閃光弾が利いているのか、桐栖が移動している間、イリアは火球の向きを動かさなかった。
 依然として、先ほどまで桐栖がいた位置に向けられている。
 彼女はどうして自分の位置が分かった?
 桐栖は考え始める。
 即座に四通りの可能性を思いつくが、その一つ一つを検証している時間はない。
 イリアがもう一枚のカードを取り出したからだ。
 その魔術陣は桐栖の位置からは見えない。
 しかし、その必要はなかった。
「!?」
 すぐに効果が感じられる。
 室温が急激に下がった。
 倉庫内に暖房器具が備え付けられていないということを考慮しても、これは自然的にあり得る温度ではない。冷凍庫の中にいるよりも寒い。
 段々と、身体全体が冷えていくのを感じる。
 同時に思考が鈍っていく。
 桐栖は賭に出るしかなかった。
 今は彼女の背後にいる。
 凍死する前に吸魔刀をカードに刺せれば、
 発動を止められる。
 彼女の全生力を奪える。
「はあっ!」
 その掛け声と共に、桐栖は駆け出す。
 すぐにイリアとの距離は詰められる。
 彼女はまだ、なんの反応も示していない。
 やれるっ!
 桐栖はそう確信して、吸魔刀を振り上げた。
 その時、イリアが足を振り上げ、地を踏みつけた。
 ドン。
 そんな効果音と共に、桐栖は自分の肋が折れたのを感じる。
「かはっ!!」
 桐栖はその場で蹲り、腹部に両手をあてる。
 先ほどまで自分が立っていた位置に、土の柱が建っていた。
 そして、イリアの足下にはカードが一枚置かれていたのだった。
 それを見て、桐栖は理解する。
 彼女はいつの間にか足下に魔術陣を設置し、それを踏むことで生力を送り込んで発動させたのだ、と。
 火球の魔術と冷凍の魔術を平行して発動させ、更に土生成の魔術まで同時に行うとは、桐栖はイリアに対する評価を改めなくてはならないと思う。
 そんなイリアは、火球の魔術を解いて、両手で耳を叩いたり「あー、あーあー」などといって、自身の聴覚を確認している。
「んー……ちょっと治ってきたかなぁ?」
 そう言って、彼女は小指を耳に入れながら桐栖のいる方向へと向き直る。
 しかしその視線は彼がいるよりも上の空間へと向けられていた。
「やっぱりまだ視覚は戻りませんねぇ……えっと、そこにいるのは分かってるんですけど、立ってるんですか座ってるんですか?」
 その問いに、桐栖は攻撃を食らった部位を押さえながら、何とか立ち上がり返答する。
「……た、立ってますよ」
 桐栖の声を聞いて、イリアは嬉しそうに「良かったぁ。生きてたんですねぇ」と言った。
 そして続けて「視覚とか聴覚がないから手加減できなかったんですよぉ」と弁解をする。
 確かに、視覚がなければどの部位にどのように攻撃を当てればいいかなどが分からなくなる。
 彼女の言っていることはもっともだなと思い、桐栖は「……生きてますよ」と応えた。
 桐栖の声で頭の位置を把握したイリアの言動は、しかし、手加減をする気など一切なかった。
「なら、死んでもらいましょうか」
 イリアはそう言って上着の裏ポケットから取り出した拳銃を桐栖に向ける。
 銃口はしっかりと、桐栖の頭を狙っていた。
「あれれ~。恐怖で声も出ないって感じですかぁ?」
 イリアはそんな安い挑発を口にしたが、桐栖の意識は向けられている銃口に集中していた。
 勿論、視界が奪われている今のイリアであれば、避けることは容易いだろう。
 しかし彼女が拳銃を持っていない左手には先ほどまで使われていたカードが二枚ある。
 銃弾は避けられても、今の桐栖では火球から逃れることはできない。
 ナターシャもショーンも今は結界の中で、外の状況は一切分からない。
 トーマスの部隊は、マットに危害が加えられないように動いてもらっている。
 自分一人でどうにかしなくてはならない。
 桐栖は懐に手を入れ、何ができるかを考える。
「じゃあせっかくなんで、カウントダウンしちゃいま~す!」
 何がせっかくなのか理解できない桐栖に向けて、イリアは十から順々に数を下げていく。
 なにがある?
「……ごぉ~」
 なにができる?
「よぉん~」
 なにをすれば?
「さぁ~ん」
 これしかない。
「にぃ――」
「ショオオオオン!」
 桐栖はイリアのカウントダウンを遮り、懐から人形を投げ出した。
 その雄叫びにも似た桐栖の言葉に、イリアは少しだけ動揺する。
 しかしその動揺も、
 背後にショーンが無音で現れたことにより、
 完璧なものとなる。
「はぁぁぁ!」
 イリアは反転し、左手に持たれたカードをショーンに向けて火球を放つ。
 ボォ。
 ショーンは動くことなく、あっさりと焼失した。
 その手応えのなさに、イリアはそれが囮だったことに気付く。
 しかし、
 もう遅い。
 彼女の背後には、吸魔刀を振り上げた桐栖がいたのだ。
 それに気付いたイリアはすぐに振り返る。
 だが何もできない。
「お休みなさい」
 桐栖はそう優しく言って、イリアの胸元に刃を突き刺した。
「か……はっ」
 イリアはその言葉にもならない声を上げて、倒れる。
 その足下には、カードとは別に爪で描かれた索敵用の魔術陣があった。
 念のため、桐栖はそれらのカードを拾い上げ、索敵魔術陣も足で消す。
 そして吸魔刀の柄にあるボタンを押して、今度は自分に突き刺した。
 吸魔刀が吸い込んだ生力を放出している間、彼は肋を治すため、財布に入れてある回復用の魔術陣を取り出して、起動させた。
 骨がくっついていく感触と、外傷が塞がっていく感覚に気持ちよさを感じるが、思いのほか早く、怪我は完治する。
 吸魔刀を身体から離して、もう一度ボタンを押して吸収モードにしてから、その刃を次はショーン達が展開している結界に突き刺す。
 刃が闇に触れたとたん、吸魔刀が吸い込むように闇を吸収していく。
 そうして無傷のナターシャ達とハドン商会の商品、それと気絶しているコシックが現れた。
「クリスっ!」
 ナターシャが駆け寄って、桐栖に抱きつく。
 それが引き金となったのか、桐栖は商人の顔を解き、ナターシャを安心させる。
「大丈夫だよ。……ほらっ!」
 ナターシャに自身が無事であることを証明する為、彼は腕を振り回す。
 けれど彼女も桐栖が無傷なのは吸魔刀を使ったからだと知っているし、なによりも彼の服は所々焦げていたり破れていたりしている。
 それだけイリアという人物が桐栖を追い詰めたのだ。
 そんな桐栖の助けになれなかったことを、彼女はまた悔いた。
 けれど今回は、それを察した桐栖が無事な木箱を見ながら「ナターシャのおかげで高額な損害賠償を支払わなくて良くなったよ。ありがとう」と言って、彼女の頭を撫でたことにより、少し緩和できた。
 ナターシャは「もう無茶はしないで」と言いながら、大人しく頭を撫でられている。
「……あのぉ」
 そんな桐栖達に疎外感を感じたショーンがおずおずと自己主張をする。
「ああ、ショーンさんも、ありがとう御座います」
「いえいえ。……それでは、ボーナスのドッペルはいつ頃振り込まれますかね?」
「来世までには」
「えぇぇぇ! そんなっ!! 私、凄い頑張ったんですよ!?」
「いつものショーンだった」
「いつもの私はあんなに馬鹿じゃありませんっ!」
「いつもは隠してる素のショーンだった」
「いやいやっ! 素の私はあんなに馬鹿じゃないですよ!!」
「ボーナスドッペル払いの人が何を言っても説得力ありませんけどね」
「……馬鹿でした。ごめんなさい」
 コシックとイリアに続き、もう一人地面に倒れた。
「それじゃあ、事後処理して帰ろうか」
「うん♪」
 桐栖はそう言って、倉庫の扉へと歩き始める。ナターシャもそれに続く。
「……えっと、あの二人はどうしましょう?」
 ショーンが俯せのまま器用に腕だけを上げて、倒れているコシック達を指しながら訊ねるが、桐栖も戦闘で疲れているのか「縛っておいて下さい。……後のことは軍の方々にお任せしましょう」とショーンに頼み、そのまま外へと出てしまう。        
 
 けれどどうやら彼は桐栖を休ませる気など毛頭ないようだ。
 外に出ると、桐栖達は横一列に整列した軍人達とその中央に立っているスコット、それと縛られたマットに出迎えられる。
 それを見て、ナターシャは桐栖の前に立ち、構えた。
「コシックはやられたようだな! しかしあんなやつ、所詮は使えん商人よっ!」
 あたかも自分は違うとでも言うように、身体も態度も横柄なスコットが断言する。
 桐栖はもう、正直に言うとスコットの相手をしたくなかった。
 彼は疲れていたし、スコットは商人ですらない。
 自分の常識が通じない相手との対話は骨が折れる。
 桐栖は顔を商人モードへと戻し、前振りも何もなく、いきなり本題に入る。
「ウィリアム・スコット少将。大人しく投降して下さい」
 桐栖の唐突な警告に、スコットは顔を赤くし始める。
 そんなスコットの顔にマットは怯えているが、そんな彼を見て、その存在を思い出した桐栖はマットに「ごめん」というジェスチャーをして、更に続ける。
「貴男が今回の事件で、コシックと共謀していたということは調べが付いています。昨日貴男へ宛てられた出頭命令は、貴男へ自主的な退役を促す為です」
 桐栖は軍本部への出頭命令が何を意味していたのか、スコットに教えてやる。
 しかしスコットはそんな桐栖の親切心を意に介さず、赤い顔を爆発させようとしているのか、小刻みに震え始めている。
 だが、桐栖は止まらない。
「ここまで来てしまえば、貴男の本件への関与は証明されたも同然です。……が、まだ遅くはありません。武装を解いて投降して下さい」
 最後に「そうすれば家の名を汚すことなく、本件を処理できるでしょう」と付け足したことにより、スコットは爆発した。
「ふざけるなぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ひ、ひぃっ!」
 隣で怒鳴られて、マットが悲鳴を上げる。
 しかし桐栖の顔は変わらず、商人の無表情なもののままである。
「貴様一人で何ができる!! 自惚れも大概にしろっ!!!」
「……はあ」
 やる気のない溜め息を吐いて、桐栖はスコットの怒りを更に増加させる。
「きっさまぁぁぁぁぁぁ!! 殺してやるっ!!!」
 はい、殺人予告は入りましたー。桐栖の頭の中で、そんな悠長なアナウンスが流れる。
「お前らっ!!! 構えぇぇいっ!」
 感情のまま、スコットは自分の部下達を構えさせる。
 しかし今まで桐栖が言っていた警告を聞いていた兵士達は、若干の躊躇いを見せている。
 それもそうだ。彼らは任務だと聞いてここまで来ている。
 だが、実際に来てみれば無抵抗の商人相手に私情で上司が発砲を命じようとしているのだ。
 動揺して当然だろう。
 桐栖はそう考えて、ナターシャに耳打ちする。
「スコット少将の部下は攻撃しないでね」
「うん」
 ナターシャがそう応えると同時に、耳に劈くような高い声で、スコットは「何をしているっ!!!!! 撃てぇぇぇぇぇ!」と命令していた。
 しかしすぐには誰も撃たなかった。
 彼らも自分達の中で葛藤があったのだろう。
 その中でも一番早く結論を出した者が、行動した。
 破裂音が鳴る。
 だが、それもナターシャが生成した氷の壁にめり込んだだけ。
 それと同時に、スコットが再度喚く。
 駄々っ子のように「撃てっ! 撃てぇぇぇ!」と。
 それが後押しになったのか、他の者達も引き金を握る手に力を込めた。
 すぐに銃声が多重奏(オーケストラ)を奏で始める。
 しかし、元々その気がなかったのか、それとも葛藤故か、彼らはその弾丸に属性を込めていない。当然、通常弾は簡単にナターシャによって防がれてしまう。
 それに対して、またもスコットが喚く。
 けれど兵士達は苦虫を噛み潰す様な顔をするばかり。
「……頃合いかな」
 桐栖はそう呟いて、ナターシャの肩を叩いた。
 ナターシャは頷いて、マットへと走り出す。
 桐栖は懐へ手を入れて、ショーンから先ほど受け取っておいた生力発信装置を使う。
 三秒も経たずに近くの倉庫で、地響きと共に大きな爆発音が聞こえてくる。
 その轟音と揺れは、揺れていた兵士達の心を更に揺らし、混乱させる。
「マットっ!!!」
 桐栖の合図に、マットが動揺しているスコットの手を振り切り、前へと走り出す。
「ふざっ! 撃て、撃てぇぇぇ!!! 人質を殺してもかまわん! 彼奴らを生きて帰すな!」
 スコットが慌てふためきつつも号令を発する。
 その命令は兵士達を、聞き入れる者と聞き入れない者に二分した。
 聞き入れた者の中には、マットを狙って撃つ者もいた。
 しかしその頃にはナターシャがマットを回収し、氷の壁で守っていた。
 当然、彼らの中でも上官の命令に忠実なものは、無防備になった桐栖を狙って撃つ。
 バン。
 一つの弾丸が桐栖へと向かっていく。
「クリスっ!」
 ナターシャが叫ぶ。
「桐栖っ!」
 マットも叫ぶ。
 しかし、当の本人は未だ商人の無表情な顔のままだ。
 弾丸は近づいていく。
 あと数センチ。
 もう間に合わない。
 そうナターシャが思うと同時に、
 カンッ、と素朴な音が鳴った。
 弾丸は鉄の板に衝突したのだ。
 その直後、どこから来たのか、トーマスが桐栖の隣に降り立った。
「撃ち方やめぇぇぇぇぇい!!!!」
 トーマスは銃声の支配する場を、その一言で静かにさせる。
 同時にそれが合図だったのか、トーマスの部隊が銃を構えて桐栖達を守るように陣取る。
「と、トムっ!?」
 意外にも、一番最初に声を発したのはスコットだった。
 トーマスもそれに対して、優しそうな笑顔で「久しぶりですね、ウィル」とまるで旧友に会った時のように応対している。
 しかしそれもトーマスがその顔を険しい顔に変えたことにより、その場の空気をも変える。
「スコット少将。貴君の容疑は……問うまでもないな?」
 呼び方を変えて、トーマスはスコットに訊ねる。
「だがっ! そこにいる商人の言っていることにはなんの根拠もないっ!」
「口を慎めぇぇぇぇい!」
「ひぃっ」
「スコット少将。私の階級を言ってみろ」
「ちゅ、中将閣下で御座います」
「よろしい。であれば、少将はそれに見合った口調を心掛けるように」
「は、はっ!」
 厳しい口調で言われ、スコットは不服そうに敬礼をして応じる。
「では、再度訊こう。貴君の容疑は問うまでもないな?」
「いえ、ですのでっ、そこの商人は――」
「根拠なら、これで足りるかね?」
 そう言いながらトーマスは、部下の一人が持っていた紙束をスコットに手渡す。
 怪訝そうに紙束を受け取るスコット。
 だが、その内容を見ると顔がみるみると青白くなっていく。
「こ、これはっ!」
「貴君がここ十数年、ここの支部長から得ていた金をどう使っていたかという明細だ」
 トーマスは「当然、その額を給与から賄うのは難しいな」と付け足して説明する。
 そこからスコットは途端に、空気の抜けたバルーンのようにしおらしくなり、大人しくトーマスの部下に拘束された。
 彼が連れ去られる時、トーマスが「何故そこまで出世に執着したんだ?」と訊ねると「同じ軍属の家系で同じ時期に入隊したのに、中将になってるお前には分からないだろうよ」と言い残して去っていった。
 それに対してトーマスは寂しそうに「分かるよ。私は、父親と比較されて育ったからな」と、スコットがいなくなってから呟いていた。
 そして彼らのすぐ横ではスコットの部下達も、名目上は上官の指示に従ったとなるが、それでも一般人であるマットやナターシャ達に銃口を向けた事実があるので、スコットと同じように拘束され、連れ去られていった。
 倉庫の中でショーンが拘束しておいたコシックとイリアも、気絶したまま軍本部へと搬送されることとなり、それら一連の作業を手っ取り早く終わらせた部下達を先に行かせて、トーマスは最後に「ご協力ありがとう御座います」と警察が言いそうな台詞を言って、敬礼した。
「いえいえ。今回は助かりました。こちらこそありがとうございます」
 桐栖はそう礼を言うが、トーマスは申し訳なさそうに否定する。
「今回の事件は、元々軍人(スコツト)が関与していなければ桐栖君の倉庫も特定されず、発生すらしていなかったでしょう。それに、同じ軍が警備にあたっていたのにも関わらず、それを防げなかったということもあります」
 トーマスは「本当に申し訳御座いません」と謝罪し、「今は私の言葉だけですが、実際の謝罪に関しましてはまた後日」と言って、去っていった。
「……真面目」
 ナターシャはト-マスをそう評価したのか、呟いた。
「う、うん。あ、ああいう人が軍にいるって考えると安心できるね」
 同じように、イングランド国民のマットがトーマスの好感を示す。
「そうですねぇ。ちょっと東郷さんに似た感じがしますよねぇ」
 ショーンが日本の英雄の名を口にする。
「ぼくもそう思ってました。なんというか……軍で成功する人って、皆あんな感じなのかも知れませんね」
「確かに、そう考えると納得できますね」
「え、えっ? き、桐栖達はあの『東郷』と知り合いなのっ!? て、って言うか、イングランド陸軍の中将とも知り合いって……ど、どんなコネがあるんだい?」
 マットは自分でそう訊ねるが、桐栖が「日本で序列三位の武器商会ともなると、それくらいは」と説明するだけで納得してしまう。
 けれどそんなマットに対して、きちんと自分のことを話そうと桐栖は思い、約束する。
「そこら辺に関しては、今度マリーもいるところできちんと説明します」
 桐栖は「ぼくは、マットたちのことを勝手に調べてしまいましたしね」と言って、自分のことを話す口実も付け足した。
 そして誰からともなく、皆が顔を合わせて「帰りますか」と言ったことにより、彼らはロンドンへと戻り始める。