
駄文集
第四章――結末――
十二月二日(月)午前――カンブリア家邸宅、教会――
この日は、まるでオリバーを天へと導けるように天気も良く、雲一つなかった。
そんな日が彼の葬式となり、マットやポピー、そして祖父母達には良い日と思えた。
しかし、実父であるロバートや叔母のソフィーを含む親族にとって、天気は関係ないようで、各々が暇そうに葬儀が終わるのを待っていた。
それは婚約者を失ったポピーの父を補佐するアロンも同じだったようで、葬儀の式中に何度も大きな欠伸をしていたのをマットは目撃した。
だが、勿論、マットも他人の親族の葬式に参列して欠伸を絶対にするな、と言えない。
仕方ないのだ。
それに、昨日アロンからもたらされた情報はマットにとって朗報だった。
兄の葬式とはいえ、今のマットであれば、アロンのどんな無礼も大目に見られそうだ。
アロンは『カンブリア家とテイラー家の両家を自由に使わせてもらうだけさ』と言った。
この台詞はマットにとっては天使の梯子(エンジェル・ラダー)より綺麗な光明に見えた。
アロンはテイラー家は愚か、カンブリア家をも、食い潰そうしている。
それはマットにとって父に、自身の間違えを認めてもらうのに十分な存在だ。
父が選んだ婚約者の家の者は、カンブリア家が守ろうとしている下々の者を苦しませる。
婚姻とは単なる書面の取り交わしだけではない、相手の周囲の者を含めて身内に引き入れるという契約だ。
そんなことは父であれば、言わなくても分かっていることだろう。
そうマットは思い、興奮する。
彼の間違えが明確になれば、婚約はさせられない。
問題は魔術階級に対する認識だが、それは当座の問題である婚約が解決すれば、どうにかなるようにマットには思えた。
彼には珍しく上向きな考え方をしているが、当然、魔術階級に関するロバートの認識が変わらなければ、相手が変わるだけで、婚約はさせられることになるだろう。
それに興奮しているマットは気付けなかった。
とはいえ、この問題に関しては、婚約の問題と同時に解決はできる。
何故なら、マットの友人である桐栖は、武器商人なのだから。
魔学技術の粋を集めれば、生力(エナ)の高い低いは関係ない。
それを売り(セールスポイント)とする武器を、桐栖は売っている。
だから、マットがそこに気付かなくてもなんの問題もなかった。
問題はそれよりも、アロンという人物が、ロバートが自身の間違えを認識できるほどのことをしているという証拠を掴む方だった。
これに関して、マットは一晩中悩んだが、なにも思い付かなかった。
見えた天使の梯子(エンジェル・ラダー)が外されてしまったように感じながら眠りに就いたが、朝起きた時点で自分を奮起し、マットはとりあえず今日一日彼の動向を探ることにした。
何故なら、今日アロンが何らかの行動を起こす可能性が高いとマットには思えた。
今日は、兄の葬式以外にも予定が組まれている。
それは当然、マットとポピィの婚約の儀である。
葬式後すぐにやる理由は、本来であればない。
寧ろ、葬式の後に婚約者に先立たれたポピィと婚約をさせる方がおかしい。
だが、そんな心情など、ロバートは考慮しない。
今日やらなければ、再度関係者の日程を調整してからになる。
マットのような人間に、ロバートはそんな二度手間をする気はない。
やれるのであれば葬式後だろうが親族全員が食中毒で入院した病院でだろうが、やる。
だから、その婚姻が確実に成されるように、アロンは動くのではないか。
マットはそう考えた。
これは予想が外れるのだが、この時のマットは自身の考えに自信を持っていた。
そして、マットは葬式が終わった後もアロンの後を付けた。
「マットっ!この食事、美味しいですわっ!」
とマリーが式後の会食で言っていても。
「まっとっとー!ひっまーだっかーらー、きょっうかーいっこっわしってーいーいー?」
と退屈したイリアが冗談(だとマットは願いたい)を言っても。
無視して、尾行を続けた。
そして、正午を過ぎた頃、それが効を成したのかアロンは立食形式の会食を辞してどこかに行くのを付けると、垂れている右腕を庇うような黒い衣を羽織った男と会っているところに遭遇した。
「カンブリア家(ここ)には来るなと言っただろ!」
男を見るなり、アロンは怒鳴りつける。
マットは、ここが別館裏だから誰にも聞こえないだろうが、聞こえる可能性を考慮していないのか、と少し不安に思う。
誰かが来て、この会合を見付けてしまえば、アロンの本性を暴けない。
だが、そんな心配をする見物客がいることも知らず、男は焦った口調で弁解する。
「申し訳御座いません。ただ、今回は急を要する件でして……アロン様の素性がバレてしまったかも知れませんっ!」
その弁解に、アロンは更に激高する。
「バレた?バレただとっ!巫山戯るなっ!」
そう怒鳴ると同時に、アロンは男を殴りつける。
「申し訳御座いません!」
「ごめんで済むわけねーだろっ!!」
「申し訳御座いません申し訳御座いませんっ!」
アロンは何度も謝る男を殴りつける。
これは失態に対する叱責ではなく、単純な暴力だ、とマットは感じた。
「はーはー……んで、どこの誰にバレたんだよ?」
暴力を振るうことに飽きたのか、それとも疲れたのか、アロンはやっとその質問を問う。
だが、男は振るわれた暴力で萎縮し、倒れてしまい、すぐに応えられないでいる。
すると、即座に男の横腹に蹴りが入った。
「かはっ!」
「応えろ」
「は、……ゴホッゴホッ、はい!」
男は、途中咳き込みながらもウェールズ北部の村でなにが起こったのかを伝えた。
「も、申し訳御座いませんでした!」
「……つまり、てめーは拷問に屈してげろゲロったてことでいーんだな?」
「いえっ!向こうは既にがふっ!」
「口答えしてんじゃねーよ。もっかい蹴られてーか?」
男を殴り、アロンはまるでチンピラのように反論を許さない。
「申し訳ござっ!」
「勝手に口を開くな」
再度殴る。
もう、口を開くことすら許されなくなった男は絶望するような表情だ。
だが、そんな男の前にアロンはしゃがみ、笑顔を向ける。
「でも、まー、カンブリア家のナイフを置いてきたのは上出来だ」
アロンがそう言うと、まるで全てが報われたかのような表情を男は向けた。
マットはその真意を探ろうと身を乗り出してしまいそうになる自分を全力で抑える。
ここで出て行ってしまっては意味がない。
情報がまだ出揃ってはいないのだから。
そうマットが自制していると、アロンは次の情報となる会話を始める。
どうやら対応は、残りの報告が終わった後に回すようだ。
「黄金の暁会の方は問題なくできたんだろうな?」
「はい!全員漏らさず殺しました!」
……黄金の暁会?
なんだそれは、とマットは疑問符を浮かべる。
男がどこかの宿(ホテル)を階(フロア)ごと爆破したという情報はその後の話しで分かったが、黄金の暁会というものに関しては、話されることがなかった。
ただ、なんらかのかたちでその黄金の暁会がアロンに恩を売っており、その恩を返すことが出来なかったから、関係者を皆殺しにしたらしいということは分析できた。
それが理解できたら十分だと思い、マットは一時的にそこを離れてイリア(というよりイリアを通じて桐栖)に相談することにした。
同日正午――カンブリア家邸宅、本館広間――
「い、イリアっ!!」
「なっにーーーーーーー?」
走って会食の行われている広間まで戻り、マットはイリアを捕まえる。
「ちょ、ちょっと話しを聞いてもらいたいんだ!」
「いっよーーーーーーー?」
その最後の疑問符に疑問符を浮かべたくなるマットだが、それよりも黄金の暁会に関して早急に確認したいので、イリアを中庭まで連れ出す。
「それで、一体何だって言うんですの?」
……マリー、君は連れてきていない。というか、なんでそんなに偉そうなんだ?
マットはいつの間にかイリアの後を付いてきていたマリーに、そう言いたくなる。
だが「言っうがー良っいー」とイリアが言うので、マリーは無視して続けることにした。
そこでマットは、昨日教会で起こったことから、順序立ててイリアに説明した。
途中マリーが、「それは知っていますわ」だとか「そんなこと考えていましたの」と茶々を入れてきたが、それらは全て無視した。
「なるっほっー」
本当に理解したのか、不安になる返答をイリアはする。
「そ、それでイリアには桐栖に連絡を取って欲しいんだっ!」
「りょっかー」
二つ返事でイリアは桐栖に持たされていた通信機を取り出し、その持ち主へかける。
「やっほー……あっれー、なっんでーションション?」
出た相手はショーンだったらしい。
意外&不思議そうな顔をしているイリアに、通話機の向こうでショーンが何度も理由を説明している内容が、最終的にはマット達にも聞こえてくる音量になった。
曰く、桐栖は今忙しい。
曰く、この通信機はそもそもショーンにしか通じない。
曰く、この説明は通信機を渡した時にした。
とのことらしい。
ちなみに、説明が大音量になってしまったのはイリアが「ほっへー」や「んー?」などと、まるで理解していないような返答を面白がってしていたからだった。
イリアの顔が見えるマット達は、その悪戯心にまみれた無邪気な笑顔をショーンに見せてやりたかった。
だが、現状ではそんな悠長なことはいってられない(&大声をもう十分近く上げているショーンが可哀想に思えてきた)ので、マットはイリアから通信機を手渡してもらい、事情を説明する。
「……お手柄ですっ!」
説明を終えると同時に、マットから見るといつもクールなショーンが子供のようにはしゃぐ声でそう言ったことに驚いた。
「……え、えっと、お、お手柄、と、とは?」
桐栖達を取り巻く状況を知らなかったマットは訊ねる。
「実はですね……」
そう言って、ショーンは説明する。
ハドン商会からの依頼については、流石に、直接的には関係ないので伏せたが、それ以外の事は全て伝えた。
黄金の暁会のこと。
爆破事件のこと。
ウェールズ北部のとある村で起こった襲撃のこと。
全て順々に説明され、マットは点と線を繋げることが出来た。
「じゃ、じゃあ、あ、アロンはっ!」
「ええ、爆破と襲撃の首謀者ですね」
ショーンは肯定すると、イリアに代わるようにマットにお願いする。
「なっんなっんでっしょー?」
「はぁ……何なんでしょうはこちらの台詞です。貴女は何なんですか」
ショーンはそう文句を言いながら、口調を改めて本題に入る。
「アロン・ペンテコストとその部下を確保なさい」
「あいあいっさー?」
「何故疑問系なんですか。……お願いしましたよ」
「あいっさー」
そのやりとりを最後に、通信が切れたのかイリアは通信機をしまう。
「あ、アロンを、か、確保するの?」
「うっんー」
「ならば私も本気を出す時が来たようですわねっ!」
「ま、マリーは大人しくしててよ」
「そっだねー」
「何故ですのっ!?」
「ぶっがいっしゃー、だっかっらー?」
「そ、そうだよ。か、カンブリア家と無関係なマリーを巻き込むわけにはいかないよ」
その台詞に、マリーは不服そうだが、そこには納得しない人物がもう一人いた。
「では、私は関係があるのでご一緒させてもらいますね」
「っ!?ぽ、ポピィっ?」
アロン・ペンテコスト。彼の上司である父を持つ彼女は、真剣な表情でそう申し出た。
「で、でもっ!」
「アロンは私の家の者です。身内の不始末くらいは付けさせてください」
「ぽっぴーさっん?」
「呼び捨てで良いですよ」
「んっじゃ、ぽっぴー……貴女、戦えるの?」
「っ!」
「身内の不始末を付けると言うなら、殺すことだって視野に入れないといけないよ?」
それが貴女に出来るの、と異様な雰囲気のイリアは問う。
正直な話し、イリアは誰も連れて行く気はなかったのだ。
それが関係者のマットであろうと、部外者のマリーであろうと。
彼女にとって、一緒に来る者は邪魔にしかならない。
それは守るという意味もあるし、全力を出(ころ)せないという意味もある。
イリアは、桐栖が行っている地味な調査より、カンブリア家のお家騒動の方が面白いと踏んでここまで来たが、かなりの退屈を強いられていた。
それにここに来てから彼女は、マットが抱えている問題はロバートを殺せば万事解決するのに、と思っていた。
けれど、そんな依頼はマットからなされなかったし、寧ろ彼はそんなことを発想することすらしていないようだった。
だからこそ、このアロン確保の命令はイリアにとって良い退屈しのぎになると思っていた(この命令がなかったら、夕方には一人で返ろうと考えていたくらいだ)。
なのに、その退屈しのぎにマットは付いてくる気のようだし、更に力があろうがなかろうが邪魔にしかならないもう一人(ポピィ)が来ようとしている。
イリアはそれを威圧することで制止しようとしたのだ。
だが、威圧だけでは足りなかったようだ。
「……はい!その覚悟はありますっ!」
ポピィは真っ直ぐにイリアを見て、その真剣な眼差しで訴える。
『私はテイラー家の者として為すべき事を為す』と。
……この眼、初めて会った時の桐栖と同じだ。
イリアは、その目が嫌いでなかった。
ただ、それとこれとは別問題だ。
イリアにとってこれは久しぶりの戦闘(あそび)なのだから。
「そう……じゃあ、良いよ」
イリアはそう言って、自身の短下服(シヨートパンツ)にある衣嚢(ポケツト)に手を入れる。
「ありがとうございま――」
ポピィがそこまで言うと、マットとマリーも含め、イリア以外の三人はその場で倒れる。
三人が眠ったことを確認すると、イリアは衣嚢(ポケツト)に入れていた魔術陣の描かれた紙を一枚取り出した。
「ごめんね。少しの間だけだから」
異様な雰囲気を纏っているのに、そんな似合わない言葉を発して、イリアは駆けた。
命令と自身の悦びの為に。
アロンとその部下、計二人と戦う(あそぶ)為に。
嗤いながら走った。
同日正午(マット達が気絶して三十分後)――カンブリア家邸宅、別館裏――
「い、イリアっ!」
一番最初に目を覚ましたマットは、揺り起こしたマリーとポピィを連れ、全力でイリアのもとに駆けつけた。
「「「っ!!!!」」」
だが、そこには倒れたまま動かない黒衣の男と恐怖をその表情に惜しむことなく出しているアロンが座っており、イリアは退屈そうな、冷めた顔をしていた。
ただ、その表情もマット達を見た瞬間にいつもの笑顔に変わった。
「もっうおっきたっんだねー」
「……あ、う、うん」
凄いとでも称賛しそうなイリアだが、そんなことよりもアロン達になにがあったのかマットは知りたかった。
それはマリー達も同じようで、自分達を何故気絶させたのかを訊ねることを忘れ、ここでなにがあったのかを訊いた。
「えっとっとー、こってーしらっべーしったらー、こーなったー?」
……小手調べをしたらこうなった?
つまり相手の力量を測ろうとしたら、相手が想像以上に弱くて圧倒してしまった、ということだろうかと三人は考えた。
「そーそー」
イリアは『意外だよねー』とでも続けそうな返答で同意する。
「だっからー、もーいっかーってなっちゃったー」
「だからもう良いか?……アロンの確保はしないんですか?」
「うっんー、めんめんどーだっしー」
「……マフユーさん」
「い、イリアはこういう人なんだ」
「そう、ですか」
「さっすが私のイリアさんっ!」
イリアが相手の力量に落胆して仕事をしないことは、桐栖から何回か訊いたことのあるマットはそう言ったが、それを理解していないマリーは何故かイリアを褒め、ポピィはそれで良いのかという表情だった。
だが、マットはすぐに理解する。
イリアがもう飽きてしまったのであれば、確保は自分達でしないといけないことに。
そして、ここまでのやりとりを見ていたアロンは、余裕を取り戻していた。
「そこの女はもう手を出さないんだな?」
確認するように問うが、イリアはもうアロンに興味がないのか無視する。
そして、無視するどころか「じゃっねー!」と手を振って去ってしまった。
「……まあ、良い」
アロンは自身を無視したイリアに不満があるような顔を見せたが、明らかに力量に差があるイリアが去ったことにより、更に余裕そうな笑みを浮かべて立ち上がる。
「お前達程度なら、簡単だ」
なにが簡単なのか、という問いをマットはしない。
明らかにアロンはマット達三人が力を合わせても自身より弱いと確信している。
それもそうか、ともマットは思う。
魔術階級の低いマット。
魔術階級が平均的なマリー。
魔術階級が(カンブリア家の婚約者として選ばれたのであれば)高いポピィ。
魔術階級は違えど、全員に共通していることがある。
そしてそれがアロンの余裕を許している。
それは、彼ら全員が実戦経験がないということ。
マットは言うまでもないが(魔術階級が低すぎて、喧嘩すらしたことがない)、マリーやポピィも育ちを考えると、戦闘訓練すらしていないだろう。
そもそも軍にでも入っていない限り、戦闘訓練も実戦も、普通はしない。
勿論、武器商会の商人のような例外的な一般人もいるが、彼らも武器を扱っているという点では軍人と変わらない。
だから武器を触ったことがないマット達一般人が、戦闘をしたことがないのは当然だ。
けれど、アロンは自信がある。
ショーンからペンテコスト家の家流魔術に関して聞いたマットは、その自信にも納得できる部分があった。
ペンテコスト家は設置型魔術で相手を倒す。
きっと、ここにもいくつか設置されているのだろう。
となると、おそらくイリアがそうしたであろうように、遠距離から動かず攻撃するのが得策だとマットは考えた。
「ま、マリーとポピィは、え、遠距離魔術って得意?」
アロンに聞こえないように、声を抑えてマットは二人に問う。
「少しなら出来ますわ」
「私は、攻撃的な魔術は出来ません……基礎的なものなら出来ますが」
二人は返答する。
「じゃ、じゃあ、ま、マリーは俺の援護。ぽ、ポピィは使える魔術で俺たちを補助(サポート)して」
「「はい」」
その同意を得て、マットは再びアロンに目を向ける。
「作戦会議は終わったか?」
「あ、ああ」
「じゃあ、かかってきなっ!」
「い、言われなくてもっ!」
その掛け声と共に、マットは駆けだす。
同時にマリーは魔術陣を地に指で描いて、魔術を発動させる。
小石が地面から飛び出て、アロンへと向かう。
「足下がお留守だな」
アロンがそう言うと、マリーの足下から炎が吹き出す。
しかしすぐにその炎をかき消す為、ポピィが生成した土の波が被さる。
マリーは長下服(ロングスカート)の裾を焦がす程度で済み、更に距離をとるように後方へと下がる。
……マリーは動いていないのに攻撃を受けた?
マットは走りながら、その矛盾点について思考を巡らす。
設置型の魔術は、基本的にその設置箇所から動かない。
何故なら、設置する際に魔術陣を物理的に地面へと埋め込むからだ。
土に埋もれた魔術陣は動かないし、掘り出さない限り動かせない。
「考えてる暇があるのかよっ!」
アロンのその声と同時に、マットの足下から今度は蔦のような水が噴出する。
だが、それもポピィが後方から魔術で生成してくれた強風により、身体を押され、捕らわれる前に避けることが出来た。
「ぽ、ポピィありがとう!」
「ちっ!」
苛立つアロンは、仁王立ちしたまま目を閉じる。
「?……!ポピィ、逃げてっ!」
アロンの意図に気付いたマットは振り返り、そう叫んだが、ポピィは理解できないのか動けない。そしてその忠告の直後、ポピィの足下から火柱が立つ。
「……ちっ」
けれど、その火柱に捕らわれた者はいなかった。
マットの言葉の意味を理解したマリーが、素早くポピィを横に引っ張ったのだ。
これにより、ポピィはマリーと同じく少し長下服(ロングスカート)の裾を焦がす程度で済んだ。
しかし、振り返って立ち止まってしまったマットは格好の的だった。
すぐに水の蔦がマットに絡みつき、マットを拘束する。
「マットさん!」
「マット!」
二人は叫ぶが、なにも出来ない。
ポピィが強風を送っても、絡みついた水は離れない。
マリーが火球を当てても、水は蒸発しない。
彼女達には、なにも出来なかった。
「うわーーー!!」
焦るマットは腕や脚を動かそうとするが、彼の筋力ではそれも意味はなかった。
「はーはっはっはっ!」
勝利を確信するアロンはそんな高笑いをしながら、ポピィ達に視線を向ける。
「安心してください、ポピィお嬢様」
今までの言葉遣いを改めて、アロンはこれまで通りの口調でポピィに伝える。
「こいつがもう逆らわないようにするだけです」
殺しはしません、と彼は続けた。
殺さずにマットを調教する。
それはポピィにとって、拷問よりひどい仕打ちをするように思えた。
「止めてっ!私はもう、貴男に逆らいませんからっ!」
「それは当然のことでしょう?」
アロンは自身を取引にしたポピィに、冷たく返答する。
「お嬢様が私に逆らわないのは取引材料になりません」
だってそれは至極当たり前のことですから、と続けてポピィを絶望させる。
マットはもうその全身を水に囲まれてしまっていた。
「ぐぼっ!」
苦しそうなマットの口から、数々の気泡が漏れ出す。
「私はウッドヴィル家の末裔ですわっ!」
突々に、マリーは自身を取引材料とする為、名乗り出る。
そして、その発言にアロンとポピィが驚くと同時に、マットを捉える水に向かって、なにかが跳んできた。
そのなにかは、餌を取りに飛び込む鳥のように入り、マットの目の前で制止した。
「!」
それは、短刀(ナイフ)だった。
しかし単なる短刀ではない。
マットはその短刀に見覚えがある。
……桐栖の魔術道具。
名称までは思い出せなかったが、何度かその仕組みについて教えてもらったマットはその短刀へと手を伸ばす。
どうやら水が全身を包み込み、繭のような形になると、その中では動きに多少は自由が効くようになるみたいで、辛うじて、マットはそれを掴めた。
そして、その短刀の柄にある突起(ボタン)を押す。
マットを拘束していた水が、まるで大渦にでも吸い込まれたかのように、瞬時に短刀に取り込まれた。
「なっ!」
それを見て、ポピィは安堵のあまり、腰を地に付けてしまう。
マリーも、安心したのか、ほっと一息吐く。
……ありがとう。イリア。
マットは心の中で、おそらくこの短刀を投げ入れてくれたであろう人物に礼を言って、アロンに向き直る。
「も、もう、き、君の攻撃は効かないよ」
マットはそう断言する。
「……ナイフ(それ)がさっきの手品の種だな」
「そ、そうだよ」
だからどうした、とでも言うようにマットは応える。
「なら、それをどうにかすれば良いだけだろうがっ!」
「で、できるかな?」
「どういう意味だ」
「き、君の魔術は設置型だけど、え、生力(エナ)を込めている魔術陣は、あ、相手じゃなくて自分の足下にあるんだろう?」
「っ!」
マットは、水に捕らわれる前に考えていたアロンの魔術の仕組みを説明した。
「き、君は、ほ、炎を動いている相手に、み、水を向かってきた相手に、と、と分けて炎は誘導できるが水は完全な設置型だという風にわざとしていた」
マットは驚くアロンに構わず続ける。
「で、でも、そ、そもそも誘導できる設置型があるなら、か、完全な設置型の意味はあまり意味がない。と、ということは、りょ、両方とも誘導できる設置型ならどうだろう?」
「そうなると、かなり便利ですわね」
マットの説明を聞いていたマリーが合いの手を入れる。
「で、でも、そうなると魔術陣はどこにあるんですか?」
魔術陣もなくそこまで高度な魔術は扱えません、とポピィは反論するが、すぐに気付く。
「……術者の足下、ですか?」
「そ、そう、か、彼は自分の足下にその魔術陣を設置して、ふ、複数のトラップをコントロールしていたんだ」
部隊に司令を下す司令塔のようにね、とマットはたとえる。
「……どうして分かった?」
アロンは、いまだ余裕の表情で訊ねる。
だが、マットはそれには応えず、アロンに向かって一直線に駆ける。
「っ!」
アロンは一瞬動揺するが、すぐに冷静になって向かってくるマットに、いくつもの水と炎の罠を発動させる。
けれど、桐栖の魔術道具である短刀を持っているマットはそれを次々と吸収する。
それと同時に、桐栖が言っていた注意事項を思い出す。
『これは、吸魔刀(ヴァンパイア)と言って、軍で使われている削生刃(ナイフ)と同じく生力を直接吸収できる蓄生力石(エナフィラーストーン)を練り込んであるんだけれど、その吸収できる生力には限界があるんだ』
六つ目の罠を吸収し、小さな罅が入ったのを見ながらマットは桐栖に告げるように思う。
……大丈夫、その前には終わらせるからっ!
そう決意して、マットは削生刃(ナイフ)と吸魔刀(ヴァンパイア)の大きな違いである機能の一つを使う。
それは、取り込んだ生力の放出。
「いっけーーー!!!」
吸収した生力を放出しながら、風の属性へと変換する。
「なっ!!」
突如起きた強風に煽られ、アロンは後方へと飛ばされて、樹に激突した。
当然、そこに魔術陣はない。
無力化されたアロンを囲むように、駆けてきたマット達は横に並んでアロンを見下ろす。
同時に、木々の中で観戦していたイリアが、降りてきた。
「んっじゃーおっしごっとーたーいっむ?」
「ひっ!」
イリアに刻まれた恐怖が蘇ったのか、本日二回目の辛酸を飲まされたアロンはそんなみっともない声を出す。
「いたんですね」
マットのことを見捨てた人が今更なにを、見たいに続けそうな声色でポピィはそう言ったが、マットが窘める。
「これはイリアからの差し入れだよ」
「えっ」
「さっすが私のイリアさんですわっ!」
「まっけーそーだったかっらー?」
何故か疑問系でイリアは言うが、もとより桐栖よりマットの護衛を依頼されているという名目(実際にはなにも命令されていないが)で付いてきたのだ。
実際、これくらいのことはして当然なのかも知れない(護衛対象を危険にさらした時点で駄目だが)、と思ったからの行動だったのだが、実は彼女自身にもマットを助けた理由は分かっていなかった。
今までのような根無し草みたいな勤務態度であれば、マットは見殺しにしていただろう。
叱責されても、処罰されても、イリアには関係ない。
今いるところにいられないのであれば、次のところに行くだけだ。
彼女はそうやってこの十六年間生きてきたし、これからもそうしようと思っていた。
理由は簡単に、その方が面白いから。
だが今回、彼女はいつもと違う行動を取った。
それが彼女の中で変わってきた小さな変化だが、その変化に彼女はまだ気付けない。
「なっんでーごーるでんでんどーんどーん(おうごんのあかつきかい)のひっとたっちーこっろしったー?」
「……っ!」
無言で通そうとしていたアロンの首筋に、先ほどまでイリアの手にはなかった短刀の先端が当てられる。
「話すっ!話すからっ!」
だから殺さないでくれ、とアロンは命乞いをする。
「はっやっくー」
「分かったっ!……」
そう言って、アロンは黄金の暁会に入会し、行ってきた自らの悪事を語り始めた。
黄金の暁会会員の権力(ちから)を利用してテイラー家の事業を手伝ったこと。
ポピィの父(アレツクス)に絶対の信頼を置かれた頃から逆に貶めるように動いたこと。
その結果黄金の暁会に莫大な借りが出来、それを返せないと理解したこと。
そして、返せない借りを踏み倒す為、借りを作った会員が揃っている会合場所を爆破することにしたこと。
同時に、介次郎が黄金の暁会を探っているのではなく、自身を探っているのだと勘違いしたことも、イリアには分かったが、なにも言わなかった。
「……おっわっりー?」
「終わりだ、これ以上の情報は持っていない」
「んっじゃーばっいばーい?」
「ひっ!」
そう言って、イリアは向けた短刀に力を込めようとするが、マットはそれを止めた。
「?」
「い、イリア、か、彼は殺さないで」
「どっしてー?」
「あ、アロン。……こ、今後一切、て、テイラー家やカンブリア家に関わらないと誓える?」
「はいっ!絶対に関わりませんっ!」
アロンに確認し、マットは彼を許すことにした。
彼を殺してしまえば、自身も彼と同じようになってしまうとマットは考えたのだ。
アロンを利用すると言うことは、黄金の暁会を利用して出世したアロンと同じ。
自分の実力(ちから)は大したことないのに、それを悟られまいと愚考することになる。
そして所詮は愚考。良い結果は出せず、更に堕ちて行く。
イリアやマリー達に助けてもらわないとここまで来られなかったと分かっているマットは、アロンの話しを聞いて、ここからは自分一人でやろうと考えたのだ。
父の説得は自分一人でやる。そう決意したのだった。
だからマットはイリアに「ご、ごめんね」と言い、清々しい笑顔でアロンを解放した。
アロンは黄金の暁会の助力を得る前、小物だった本当の自分に戻ったのか、みっともなく走っていったのを見て、マリーとポピィが同時に訊ねる。
「良かったんですの?」
「良かったんですか?」
「良いよ。父さんの説得は俺が一人でする」
きちんと言えたマットは、この数日間でかなり精神的に逞しくなったようだった。
同日正午(アロン解放後)――カンブリア家邸宅周辺、野原――
「はあっはあっ」
急いで逃げてきたアロンは、命の危険がなくなったからか、怒りを露わにし始める。
「ふっざけんなっ!クソガキどもがっ!」
「お怒りのようですね」
「てめーはっ!?」
いつからいたのか、黒衣を身に纏ったカルマン卿がアロンに優しく話しかける。
「そうだっ!またあんたらの力を貸してくれっ!今度はぜってーに踏み倒さねー!」
「……そうですか、では」
カルマン卿は、そう言って手袋をした左手を差し伸べる。
そしてアロンはその意味も分からず、「助かるぜっ」と、カルマン卿の手を握った。
その瞬間、彼は業火に飲まれ、塵となった。
「……手袋をした左手での握手の意味も知らぬ下衆(ゲス)が」
そう言って、カルマン卿は左手をはたくようにしてその場を去ろうと振り返る。
「っ!」
「左手の握手は『おめーが嫌いだよ、バーカ』だったっけ?」
「枩本介次郎(カイジロー・マツモト)っ!」
「おーおー、俺の名前を知っててくれたのか?」
ありがとな、と包帯に巻かれた姿のままの介次郎は続ける。
カルマン卿は、当然「貴男はホテルの爆破で死んだのでは?」と訊ねようとするが、介次郎は先に伝える。
「ありゃ、愛する弟(きりす)の嘘だ」
「っ!?」
「あの爆破対は確かに驚いたがよ。床から炎が来てんなら、床を突き破って下に行けば避けられんだろ?」
「でも、あそこの床はっ――」
「そりゃ修理くらいするぜ」
修理費請求されたらたまんねーし、と介次郎は不満そうに言った。
実際に、炎に数秒ほど巻き込まれはしたが、彼は軽傷で済んでいた。
そうなると彼が包帯を巻いているのは、カルマン卿にとっては謎だったが、それについても介次郎が説明してくれた。
「ああ、この包帯か?これは愛弟の開発したもんでな、風壁繊維(ウィンドヴェール)っていうやつだ」
効果は火と水の魔術を吸収して風の障壁を生成する優れもんだ、と骨抜きになった老人のように締まらない顔をしながら介次郎は続ける。それはもう、自慢するように。
「弟さんは、技術者としてかなり卓越した技量をお持ちのようですね」
「まあなっ!」
「では、その弟さん……是非頂きたいですね」
カルマン卿はそう言いながら地面を蹴って、土の属性を纏わせた生力を注入する。
即座に地面が唸り、土で出来た大蛇が蛇行しながら介次郎に向かって突進する。
「おいおい、いきなりかよっ!」
嬉しいね、と介次郎は歓喜の声を上げる。
それと同時、彼に風壁繊維(ウィンドヴェール)の自慢をしたことを悔やんだ。
カルマン卿は四大元素のうち、火と水を使うのを避け、残り二つの一つである土で来ることにしたのだろう。
……桐栖の話しだと、こいつは闇も使えるらしいが。
四大元素を全て扱えるというカルマン卿の特殊性を思い出しながら、介次郎は大蛇を避ける為、横に跳ぶ。
「それじゃあ、意味はありませんよ」
蛇行するように突進してきていた土の大蛇を操作するカルマン卿がそう言うと、大蛇は素早く頭を介次郎の方向へと向けて、更に速度を増して突進する。
「あ、こりゃやべーかも」
そう介次郎が言った頃には、大蛇は大きく口を開き、彼を食べようとしていた。
「……あっけない。これが桐栖君の兄君か」
カルマン卿はそう落胆するが、介次郎の動きはすぐに理解できた。
「じゃっじゃじゃーん!」
その声と共に、大きな破裂音が大蛇の中から響き、大きな颶風(ハリケーン)が巻き起こる。
大蛇は木っ端微塵となり、土塊がカルマン卿の方まで飛んでくる。
そして、颶風を身に纏うように展開させている介次郎を見て、カルマン卿は理解する。
……これが風壁繊維(ウィンドヴェール)の真の効果ですか。
風の障壁を生成できるということは、それはすなわち風を作り出すこと。
風が作り出せるのであれば、吸収させる生力量次第で颶風(ハリケーン)も生成できる。
その理屈は分かるが、風壁繊維(ウィンドヴェール)に使われているであろう蓄生力石(エナフィラーストーン)は、布の形状を維持する為に少量しか入っていないはずだと、カルマン卿は思った。
蓄生力石(エナフィラーストーン)自体は、古来から扱われている物質。
自然界にありふれているし、人が道具を使い始めた頃から利用されている鉱石だ。
その軍事転用は、属性付きで生力が込められるようになった為、最近では珍しくもない。
だが、かねてより問題となっていたその蓄積量は変わっていないはずだ。
少なくともカルマン卿は、その問題が解決されたとは聞いていない。
けれど、目の前で大蛇をも破壊する規模の颶風(ハリケーン)を見せられては、否定も出来なかった。
いや、認める以外の選択肢がなかった。
だから、カルマン卿はあっさりと負けを認めた。
「降参です」
両手を挙げて、自身に向かってくる介次郎が聞こえるようにはっきりと、彼は言った。
「あん?なんでだよ」
介次郎は立ち止まると、不服そうに(寧ろ喧嘩を売るような口調で)そう言った。
「今回、私に下った命令は、爆破犯の処罰です」
命令以上のことはしたくありません、とカルマン卿は言うが、介次郎は納得しない。
「えー、戦おう(やろう)ぜっ!」
「戦い(やり)ません」
「そんなこと言わずに……ちょっとだけで良いから、なっ!」
「嫌です。お断りします」
「えーーーーーー!……ったくつまんねーやつだな、おめー」
文句を言う介次郎に形式的に謝りつつも、カルマン卿は戦わない旨を告げる。
「その代わり、といっては何ですが、一つだけ情報を」
「なんだ?」
誰と戦える、とでも続きそうな戦闘民族(かいじろう)は訊ねるが、カルマン卿は取り合わない。
「アレイスター・クロウリー」
「あん?」
「彼が狙っているのは日本の魔学技術です」
「だからどうした?」
「分かりませんか?」
「わっかんねー」
「日本の魔学技術を牽引しているのは貴男のご実家、枩本商会ですよ」
「っ!」
即座に介次郎は否定しようとするが、言葉が出てこない。
枩本商会は日本で序列三位、世界的には辛うじて第十位の武器商会。
櫻本・梅本・枩本・椙本・木本の五つの商会を差す、いわゆる五つ木(いつつぎ)の一つだ。
だが、日本の魔学技術で武器(しようひん)を作っているのは枩本商会と椙本商会のみ。
櫻本商会と梅本商会は米国の商会から商品を卸して捌いているだけだ。
魔学技術だけで言えば、木本商会も入るが、木本商会は研究と技術供与しか行わない。
実用される魔学技術を作り、流通させているのは枩本商会と椙本商会だ。
そして、枩本商会は椙本商会より大きな規模でそれを行っている。
そうなると、日本の魔学技術を牽引しているのは確かに枩本商会と言える。
「だが、アレイスター何某は櫻本商会の技術顧問だろ?」
辛うじて出てきた反論は、それだけだった。
そして、それは介次郎が分かっている通り、カルマン卿に否定された。
「日本にいれば、調査するのも手に入れるのも、難しくはありません」
海外にいるよりも国内にいた方が容易い。
それは当然だし、別段特別なことではない。
だが、その後に続いたカルマン卿の言葉は、アレイスターの特別性を伝えた。
「五年前には、国外からやったこともありますしね」
「っ!」
五年前。
国外から。
すぐに点と線を結べた介次郎は、問い質す。
「日露戦争前に物資強奪をさせたのはそいつだってのかっ!?」
カルマン卿は、ただ微笑むだけで肯定はしない。
「さて、戦闘の代わりとしての情報提供はここまでにさせてもらいましょう」
これ以上は追加料金をもらわないと、とカルマン卿は言ってその場を後にした。
その去る後ろ姿を見ながら、介次郎は混乱した頭で考える。
アレイスター何某の目的と狙い。
その裏にある目的は分からないが、当座としては日本に帰った方が良さそうだ、と介次郎は結論づける。
帰ってこのことを東郷平八郎に伝えねば、と使命感をもって。
介次郎は一瞬だけ、弟の友人の実家がある方角を見て、「お前も頑張れよ」と言って、駅へと向かった。