駄文集


通勤ラッシュ

 

 時は金なり、と昔の人は言ったそうだ。
 それは当然、時は貴重なものだという考えがその根底にある。
 しかし、その時間が貴重、というのは何にでも当てはまるわけではない。
 例えば不老不死の人物がいたとして、その人物は時が貴重なものだと思うだろうか。
 答えはおそらく否だろう。
 時が貴重な理由は、個々人が主観的に観測する限りのみ、有限だからだ。
 故に、時は貴重で金になる。
 例えば、私が今乗っている電車。
 別に電車である必要はない。だが、やはり一例として電車は最適だろう。
 乗り物というカテゴリの機械は、時は金なりを体現している。
 人を、物を、本来かかる時間を短縮して移動させている。
 郊外から都心へ。都市から都市へ。国から国へ。
 乗り物は日々働かされている。
 勿論、それに乗り込む私達もまた、日々働いている。
 そうやって社会は廻り、機能する。
 そして、今日もやはり労働という一種の働きをする為、私や多くの人達がこの電車に乗り込んでいる。
 人口密度が高い。
 温度が高い。
 湿度が高い。
 心なしか、酸素濃度は低い気がする。
 通勤ラッシュ。言わずと知られた日常風景である。
 電車の揺れに身体を預け、同時に隣りに立つ者にも少し身を預ける。
 皆が皆、隣人にいくらか自分の重量を任せていた。
 そんな事をやっても誰も倒れないのだ。
 それくらい車内は人で埋め尽くされていた。
 勿論、ここにいる殆どの者がこれを毎日体験している。
 それはもう、毎日部活動の練習に勤しむかのように。
 だが、これは練習ではない。どちらかと言えば、試合だ。
 練習ならば、それは土日だろう。
 いや、違うな。土日は自由形(フリースタイル)なだけだ。
 つまり、平日は自由なんてない事になる。
 当たり前だと言われればそうなのかも知れないが、やはり大勢の人達が電車という狭い空間で移動するにはある程度のルールが必要になってくる。
 その絶対遵守のルールは三つほどある。
 先ずは、床には座らないことだ。
 これは単純に乗車数を増やすためのルール。
 次に、倒れない努力をすること。
 例え隣人に自身の体重を全て任せることが可能とはいえ、それをやってしまうとその隣人は不機嫌になるだろう。
 最後に、座席に座った時は注意すること。
 電車の座席は、乗車駅によっては人気コンサートよりも席がとり難い。
 それ故、座れた時、人は安心してしまう。
 これで労力を消費せずに目的地へと行ける、と。
 しかしこれは大きな間違いだ。
 座席と扉の間には、圧縮された布団のような密度で人がいる。
 降りる駅が人気のある駅ならば、それは確かに流れに身を投じるだけだが、マイナーな駅が目的地の場合は苦労することになる。
 それに、皆が降りる駅で降りるからと言って、まだまだ危険はある。
 中でも最凶なのは、睡魔だろう。
 日々の疲れに一揆を促し、人々の意識を支配下におくのが奴らの常套手段だ。
 この睡魔に遭った場合は最悪。
 降りる駅を乗り過ごし、逆方向の電車に乗り、空いているので座るとやつが再度訪れ、またもや乗り過ごす。
 永遠に目的地を通り過ぎるだけの旅をする羽目になる。
 終いには上司に叱られ、同僚には笑われる。
 
 
 今日も本当に、最悪な通勤だったよ。