駄文集


限りなく遠く、そして近く、けれど隣にはない世界《プロローグ》

 

 プロローグ
 
『人が想像できることは、必ず人が実現できる』
 そんな言葉をぼくは聞いたことがある。だが、この名言(?)に対して一言だけ、物申すことが許されるのであれば、ぼくは言いたいことがある。
『人が想像できることは、もう既に実行されているか、実現されている事象の一部分に過ぎない』と。
 こんな名言(ということにしよう)に対する反論を実績も信頼もない、限りなく矮小なぼくがそう言うのには理由がある。
 ぼくが今対面している状況に起因してもいる。
 しかし、ぼくが今目にしている風景をそのまま描写したとしても、おそらく誰も信じてくれないだろう。いや、例え補足事項を付け加えたとしても、信じてくれない。
 けれどやはり、現状のトンデモ風景を描写する前に、ちょっとした予備知識は必要なのだと思う。それはこのトンデモという言葉があまりにもお誂え向きにマッチしていて、ぼくの語彙力を制限させてしまうくらいトンデモという言葉を連発させるほどトンデモな状況なのだから。
 まず、今ぼくがいるのは上野駅前。JR山手線・京浜東北線・常磐線・各種新幹線、そして東京メトロ日比谷線と銀座線など多くの路線が入り乱れるターミナル駅だ。上野駅として地上にその姿を現しているのは、そのJRの部分。メトロはその名の通り、地下に隠れている。
 そしてその地上部の上野駅近辺には、昭和にパンダの来日で賑わった上野動物園は勿論、国立科学博物館や美術館、公園など多くの施設がある。最近では、西郷隆盛像に因んだ名前が付けられた『UENO 3153(さいごーさん)』と言うデパートまでできている。
 その新しくできたデパートは、建物の裏に西郷隆盛像があり、表は上野駅と少し歪なT字路に面していた。
 ぼくがいるのはJR線が頭上を通り、その新築デパートが正面に見える路上。より正確には、上野駅(アトレ上野)へと向かう横断歩道の上で、デパートの方を向いていると言うことになる。
 ここまでが補足情報。本来、後付けされるべき情報。しかし、ここまでの情報を最初に提示すれば、誰もここを異世界などとは思わないだろう。現実社会の、リアルで起こった本当の出来事だと、無駄に穿った見方をしない限り、そう思ってくれると思う。
 しかして、ここから語るいわゆる話の本筋たるメインディッシュは、申し訳ないが、些か現実離れしすぎている。リアルから離反して乖離している。
 そこに日常を垣間見ることは不可能であり、非現実性と向き合うことを余儀なくされ、超常現象を受け入れる必要性が生まれる。
 そして、あえてここで宣告しておくが、ここから語ることは、いわゆるノンフィクションであり、実在する団体・個人とはまったく関係がありまくります。
 それでは、ぼくが見た事象を説明しよう。
 怪物が『UENO 3153』を溶かしています。
 耳を、目を、人間に与えられた五感の内どれか一つの認識を否定したい方の為に、もう一度述べよう。
 片栗粉を入れてとろみを出しているカレーよりも固形に近い、半透明な液体の怪物が、『UENO 3153』を溶かしています。はい。
 そして、事前に散々と言うまでもなく述べた通り、ここは一般的な現実世界の話しであり、最近よくある仮想現実世界の空想話や、実世界をベースとした想像物語の類ではない。
 ここ日本国の東京都、台東区に存在する上野駅周辺という実在する地理的位置での事実有根のリアル話である。
 その証拠、と言うわけではないが、ぼくはその怪物を倒す為にここまで来たヒーローの類ではなく、一般的な高校二年生だ。
 変身用のベルトや眼鏡の類は持ち合わせておらず、同時にそう言った組織との連絡手段は持ち合わせていない。
 けれど、こういった場面に出遭ってしまったぼくは、当然のことながら、公的機関への連絡をしようと思い、携帯電話を片手に、今現在絶賛悩んでいる。
「警察……なのかな、この場合は。それとも自衛隊?」
 困った。ぼくは110番は知っていても自衛隊の番号など知らない。
 しかし、怪物という言葉から察してもらえてはいるだろうが、この一件を警察がどうこうできるとは思えない。ぶっちゃけた話し、自衛隊だってどうにかできるか不安だ。
「かと言って、日米安保条約を結んでいるとは言え、一介の高校生が米軍に通報はできないし……ここは順当に警察に知らせておこう」
 そう思うが早く、ぼくは携帯の1と1と0を押す。そしてしばらく機械音が流れた後、声が聞こえてくる。
「えっと、上野の3153を怪物が溶かしているんですけど」
 口に出してみるとひどく滑稽な台詞だと自覚させられる。
 ぼくが警官で、こんな事を言われたら間違いなく精神科の番号を教えているところだ。けれど、電話口の相手は、それを一笑に付すこともなく真剣に言葉を紡ぐ。
「形状はどのようなタイプですか?」
 まあ、形状が分からないと対処し難いだろうことはなんとなく、その言葉から理解できた。しかし、それは逆に言ってしまうと、形状タイプが分かれば対処策が練れると言うことにもなる。
 ぼくが知らなかっただけで、日本は常日頃からこんな脅威にさらされていたのだろうか?
「えっと。スライムっぽい半透明のやつです」
「かしこまりました。タイプFですね」
 スライムはタイプFだそうだ。まあ確かにタイプSSSとかではないよな。RPGでも序盤に出てくるし。
「それでは5分以内にそちらに到着すると思いますので、それまでタイプFが逃げたり、周辺被害を拡大させないようにお願いします」
 そう言い残して、電話は「ツーツー」という音を発している。
「……」
 先程述べたように、ぼくは一介の一般的な、そして普通に普遍的な一高校生だ。
 スライムがタイプFでもワイルドでも、どうすることもできないのはその肩書きだけで理解できると思う。しかし、そう言えばぼくは警察にぼくが一見しなくてもたんなる高校生であることを告げていなかった。
「でも、普通は通報してきた人間に怪物の観察や対処は求めないよな」
 110番とはいつ教えられたか憶えていないくらい、小さな頃に教えられる基本的な番号だ。多くの子供にとっては自宅や親の携帯番号よりも先に覚える番号だろう。
 つまり、その番号から電話がかかってきたと言うことは、ぼくがそんな怪物と相対できる実力者でないと言外に言っているようなもの。それくらい察することなく理解できようものだが、警察はそうは思ってくれなかったようだ。
「まあ、観察くらいならやりますよ」
 観察だけで済むのであれば、これ以上に貴重な体験はない。どれだけの人が怪物を観察できているかを考えれば、統計を取らずともこれが希有な体験であることは間違いないのだ。
 そう考えて、ぼくは自分の思考を前向きなものへと切り替える。それから、怪物周辺に人がいるか確認するが、ぼくがここに来た時と同じく、誰もいない。
 それにスライムは、3153を溶かしているので、建造物の一部が落下してくるという危険性もない。
「うん。実に平和的な怪物だな」
 そんな感想を口に出して、することもなくなったので、ぼくは路上から少し外れ、歩道の上に腰を降ろす。
 そうしてから、やっとスライムに消化される3153の全体像眺める。
「半透明の酸性液体を建物にぶっかけたような構図」
 とりあえず題名を付けてみたが、どうやらぼくにネーミングセンスは皆無なようだ。
 勿論、そんなことは常日頃から幼なじみの浮田宇佐美(うきたうさみ)に言われていることではあるのだが、やはりぼくはそれを認められない。人は諦めてしまったらそこで終わりだ。頑張り続けることで、ぼくのネーミングセンスも磨かれることだろう。
「それに関しても『土器を磨いても崩れるだけだよ』と言われているんだけど」
 そんなことを思い出しながらスライムを眺めていると、この非日常的な状況にもすぐに飽きてしまった。
 理由は簡潔にして簡単。
 スライムが溶けた3153の全長と同じく、のんびりと地表へと近づいていく以外の変化がないからだ。
 消化するスライムの色が変わるとか、ちょっとした変化でもあればそこまですぐに飽きは来ないと思うが、如何せん状況に変化はほぼない。
 発見当初は、あまりの異形さに(十数年ぶりに行動で排尿しそうになる程度だけれど)驚きはしたものの、目測で秒速数十センチを溶かしているだけのスライムは、そこまで面白くもないのだ。
「まあ、ここに警察が来て、どう対処するかはちょっと興味深いだろうけど」
 と今後の展開を想像すらできないのに、言ってみると、サイレンよりも大きなエンジン音を轟かせて、複数の車両が猛スピードでやってきた。
 そしてそれらは明らかな急ブレーキを掛けて、計8台の見たこともない車種がスライムを中心に半円形に駐車した。
「ワゴン車……じゃないな」
 大きさはワゴン車くらいだが、その外壁は当然のことながら一般的なワゴン車に装備されていない。
 装甲車という類のものだろうか。しかし、ぼくはそう言った類の車両を見たことがないので、断定はできない。それに装甲車という言葉から連想される車両と比べると、装甲が足りないようにも見える。
 そんなことを考えている間に、各車両から降りてきた『SWAT』と背中に書かれたチョッキを着ている人のうち、一人がぼくを見つけて向かってくる。
 座っているのも申し訳ないので、立ち上がって彼を迎える。
「貴方が通報して下さった方ですか」
「ええ。あんな怪物も警察の管轄なんですね。ご苦労様です」
 肯定と共に警察の知らなかった仕事に対して、労を労っておく。実際にどのようなことをするか知らないが、先程の電話で言われていた『タイプF』という言葉から察せられるように、他にもこのような事例が複数あるに違いない。
 おそらく対処が難しいタイプとなればその管轄は自衛隊になるのだろうが、そのどこまでが警察の管轄となるのかは分からない。しかし、苦労が多いことは容易に想像がつく。
「いえ、これも仕事ですから」
 そう立派な返答をする相手をよく見てみると、彼は四十代くらいの男性。その立派な姿は、同じく四十代の警察官である叔母を見ているぼくの『四十代イコール世界に絶望し、仕事を含め全てに対してやる気がない世代』と言う固定概念を払拭してくれそうでもある。
「見たところ貴方は時切学院大学付属校の方のようですが、何故こんなところに?」
 そして立派な人間はこういったところも見逃さない。
 今現在、時刻は午前11時。
 一般的な高校生であれば、授業中という時刻である。
 これが午後11であれば部活や予備校などで遅くなったという言い訳もできるかも知れないが、午前ともなるとそれは些か信憑性に欠ける。どんなにテレビの放送時刻が夜遅くまでやるようになったとしても、やはり午前中は学生にとって勉学の時間なのだ。
 たとえ、その深夜番組を見ていて、同時にオンラインゲームをやっていたから起きたのが遅刻確定の10時だったとしてもだ。
「えっと……寝坊しちゃって」
「寝坊して、何故此処に?」
 やはり鋭い。
 寝坊していたとしても、ぼくの住まいはここら辺ではないし、時切学院もここにはない。
 本当のことを言わなくてはならないのだろうか。しかし、これは『怪物を見た』と言うことよりもトンデモな話しだ。おそらく信じてはもらえないだろうし、それを言ったら今度こそ精神科の診療を薦められてしまう。
「登校前に腹ごしらえをしようと思いまして」
「ここで?」
「はい……?」
 なにか違和感を感じた。
 彼の「ここで?」には『時切学院に行く通り道でもないのに』と言うような一般的な不審点を挙げるニュアンスよりも、『こんなサハラ砂漠でなにを食べる気なんだ?』と言うように奇天烈なことを指摘しているように感じられる。
「! ……ああ、いえ。そう言うことですか」
 と思ったら、すぐになにかを理解したように返答してくる。
 やはり、なにかが違う。
「それでは、『腹ごしらえ』を続けて下さい。私達は私達の仕事をしますので」
 なにか含みを保つように、彼は『腹ごしらえ』を強調して、敬礼した。その後、スライムの元に集う同僚達へと掛けて行った。
 状況が理解できないぼくは、やることもないので、とりあえず彼等のスライム処理方法を眺めようと思い、そこに留まることにした。
 学校なんて平日と土曜日ならいつでもあるものだ。別に今日行かなくても大丈夫だろう。
 
 そこからは、日常的な風景ではなくなった。
 端的に見える限りの事象を説明すると『SWAT』とは超能力部隊の略称だったようだ。
 詳細に説明すれば、彼等は拳から炎を出したり、掌から鎌鼬を発生させたりして、スライムを燃やしたり、切り刻んだりしていた。近くで観察していたわけではないので、それ以上の情報は得られなかったが、遠目でも一般人からはかけ離れた行動をしている。
 こうしてぼくの既成概念は粉々に破壊され、打ち砕かれ、そして破かれた。
 けれど同時に、ぼくには思い当たる節がある。
 このような非日常が発生するようになった原因。それは一つしかないだろう。
 逆に言ってしまえば、それがもしぼくの勘違いであれば、ぼくは世の中はこういったものだったんだと受け入れるしかない。それは今まで16年とちょっとの歳月を積み重ねてきたぼくの人生観を一変させるものではあるけれど、やれないことはない。
 価値観が変わるなんて、よくあること。勿論、容易くなんかはないけれど、できなくはないと思う。
 だが、まずはそんな諦観よりも調査が必要だ。
 ぼくが今置かれている状況を把握して、整理するしかない。
 発端は、きっと、あの時触れてしまった光球なのだから。
 あの路上に、誰も気にせず浮かんでいた、小さな光球。
 それがきっと原因だったんだ。